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絵画に関するfrog2696のブックマーク (6)

  • 日本の芸術・文化における〈主客合一〉の傾向について ~『雪国』とシャニマスの共通点~|フロクロ

    0.はじめに 池上嘉彦「日語話者における<好まれる言い回し>としての<主観的把握>」において池上は日語における〈主観的把握〉の傾向について述べ、日語話者が事態に臨場するような仕方で物事を捉えている(=〈主客合一〉)のではないかという仮説を展開した。この論は非常に興味深く、特に「おわりに」で試みられていた、〈主客合一〉を認知的なレベルにまで展開し、それによって日の伝統美術にまで言及する論は多少の飛躍を感じさせたものの、一定の説得力も感じさせるのである。稿では、池上嘉彦が論文の末尾で触れていたこの主観的把握の文化レベルへの拡張を西洋文化との対比の上で試みたい。 1.池上論文の振り返りまず、池上の論を軽く振り返っておく必要があるだろう。 池上嘉彦は「日語話者における〈好まれる言い回し〉としての〈主観的把握〉」において、日語における〈主客合一〉の傾向について語っている。 その例として

    日本の芸術・文化における〈主客合一〉の傾向について ~『雪国』とシャニマスの共通点~|フロクロ
  • 若冲についていきましたー田中泰延 | メディアロケット

    ※2019年9月7日(日)田中泰延さん講演会『読みたいことを、書けばいい。』を福島市にて開催 詳細はこちら 福島県立美術館 東日大震災復興祈念 「伊藤若冲展」 伊藤若冲。絢爛たる色彩。明治以降忘れられていた奇才。 そんな枕詞で語られる画家。 今や、東京での展覧会では長い行列ができるほどの人気。 その若冲の展覧会が福島でひらかれるということで、ちょっと、見てみませんか? そんなお話を、福島市の株式会社SMLの熊坂仁美社長からいただいて、住んでいる大阪から福島までやってまいりました。 はじめまして田中泰延です こんにちは。田中泰延(たなか ひろのぶ)と申します。簡単に自己紹介しておきます。 大阪府豊中市の生まれ。広告会社で24年間コピーライターとして働いた後、2016年に退職、「青年失業家」を名乗り、いろんなところに文章を書いています。 今回も、福島民友新聞社の取材を受けたのですが、 そこに

    frog2696
    frog2696 2019/04/11
    "こういう人物と関係ある場所や道具だけ描いてその人を連想させる図を「留守模様」と言います"
  • 見ただけで呪われる?~ベクシンスキーの絵画~

    10年ほど前からネット上でまことしやかに囁かれてきた噂―「3回見たら死ぬ絵」。インターネットの世界では有名なので、見たことがある人もたくさんいることでしょう。でもこの絵、実際はどんなアーティストが描いたのか、詳しいことを知っている人は案外少ないようです。異形の画家ズジスワフ・ベクシンスキーの作品を紹介します。 ズジスワフ・ベクシンスキー(1929-2005、享年75歳)は、ポーランドで生まれました。 一説によると子供の頃にナチスによるポーランド侵攻を経験しているため、 そのことがきっかけで、死や地獄、廃墟や終末などをテーマにした作品を 描くようになったともいわれています。 作品では、死、絶望、破損、廃退、廃墟、終焉などが描かれ、それは不気味さや残酷さと同時に 荘厳な美しさを感じさせる。独特の世界観から多くの支持を得た画家である。 作品自体は退廃的で「終焉の画家」と呼ばれるほどだが、彼自身は

    見ただけで呪われる?~ベクシンスキーの絵画~
  • 【書籍化!】「印象派」って結局どんな絵?どんな画家?〜「あき」さん描く歴史4コマが面白くてわかりやすい

    あき@sugokuaki(フォロー推奨)さんが昨年から描いている、「印象派」の画家を描く連作歴史4コマ漫画。最初のツイートは25000以上の「いいね」がついているから見た人も多いでしょうが、そこからずっと継続して続けているのもすごいですね。自分がまとめて読みたいので、ここにまとめさせてもらいました。

    【書籍化!】「印象派」って結局どんな絵?どんな画家?〜「あき」さん描く歴史4コマが面白くてわかりやすい
  • ヴァーチャル絵画館 西洋美術史=時代と様式解説 主題解説=ギリシャ神話・聖書の物語・文学・象徴

    フィレンツェでの商業の発達は、読み書き算術の学問を広げていった。そしてエリートたちが生まれ学問・芸術は頂点へと向かう。リナシタ(再生)の時代。フィレンツェは新しいアテナイであったが、キリスト教徒でもあった。古代ギリシャ・ローマの古典とキリスト教を融和させていきながら、再生ではなく、近代人を生んでいった。

  • ジョルジョ・デ・キリコ - Wikipedia

    ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico, イタリア語: [ˈdʒordʒo deˈkiːriko])1888年7月10日 - 1978年11月20日)は、イタリアの画家、彫刻家。形而上絵画派を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えた。姓は「デ・キーリコ」と表記される場合もある[1]。 生涯[編集] 1888年、ギリシャのテッサリアのヴォロス(Volos)にイタリア人の両親のもとに生まれた。父エヴァリスト・デ・キリコは、鉄道の敷設を指揮する技師であった。 1891年、弟アンドレーア(のちにアルベルト・サヴィニオと名乗って画家・批評家として活動した)誕生。 1900年、アテネの理工科学校に通う。この頃最初の静物画を描く。 1905年、父死去。 1906年、家族とともに、ギリシャを離れミラノを経てフィレンツェに移住する。 1907年、ドイツのミュンヘンの美術アカデミー

    ジョルジョ・デ・キリコ - Wikipedia
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