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歴史とスポーツに関するinumashのブックマーク (6)

  • オリンピックに斬り込んだブラックパワー:1968年メキシコオリンピックで米国の人種差別に抗議して黒い拳を揚げたジョン・カーロス

    1968年、表彰台でブラックパワーへの敬意を表し、米国の黒人差別を抗議して掲げられた黒い拳は、メキシコオリンピック直前にメキシコシティで貧者のために闘い殺されたメキシコの若者たちへの連帯も示していました。ジョン・カーロスは当時23歳。世界の晴れの舞台で信じることを訴えたがために、苦難と悲劇の嵐にみまわれた。へこむことなくいまなお、「オキュパイ」運動への連帯を語るカーロス。そしてもう一人のヒーロー、オーストラリアの白人選手ピーター・ノーマンのエピソード。信念に貫かれたカーロスの言葉をデモクラシー・ナウ!のインタビュー(2011年10月12日)からお届けします。(翻訳: 大竹秀子) インタビューの原文と動画リンク John Carlos, 1968Olympic U.S. Medalist, on the Revolutionary Sports Moment That Changed the

    オリンピックに斬り込んだブラックパワー:1968年メキシコオリンピックで米国の人種差別に抗議して黒い拳を揚げたジョン・カーロス
    inumash
    inumash 2016/08/20
    有名な表彰式でのブラックパワー・サリュートを模した銅像に、その行為に理解を示し同調したオーストラリアのピーター・ノーマン氏の像がない理由についてインタビューの最後に触れられてる。
  • 52年前のオリンピック、ある男性の勇気ある行為が彼の人生をめちゃくちゃにした。

    この時代を通過してきた人もそうでない人も、この写真が何を示しているかわかるはずです。これは1968年、4月にマーティン・ルーサー・キング・Jr.牧師、その2か月後の6月にロバート・ケネディが暗殺された年に撮られた写真です。ベトナム戦争に対する反戦運動が高まる中、多くの都市で学生運動や反戦運動が起こると同時に、アメリカ国内のいたるところで人種差別が引き金となった暴動や警察との衝突で多くの人が命を落としました。アメリカ、そして世界が揺れに揺れた年です。 その真っただ中に行われたのが、1968年のメキシコシティオリンピックでした。 世界が大きな変動の中にあったその年のサマーオリンピックで、1968年10月17日夕刻、メダル授与のために表彰台に上がった二人のアメリカ人が史上に残るある行為を行いました。 男子200メートル競争を世界記録で優勝したトミー・スミスと3位に輝いたジョン・カーロスが、アメリ

    52年前のオリンピック、ある男性の勇気ある行為が彼の人生をめちゃくちゃにした。
    inumash
    inumash 2016/08/20
    id:planetes サン・ホセ州立大学の銅像にノーマン氏の姿がないのは彼自身がそう望んだからだそうです。ここの最後の部分にその事情が書いてありますよ→http://aafocusblog.blogspot.jp/2012/08/1968_4.html
  • 銀色のシーズン vs 私をスキーに連れてって スキー100年目の革命

    64 銀色のシーズン vs 私をスキーに連れてって 1 20年目のスキー映画 『私をスキーに連れてって』は、1987年末(87-88シーズン)に公開されました。すでに始まっていた80年代スキーブームの火に、この映画が油を注いだかっこうになり、若者皆スキーヤーという社会現象が生まれます。対する『銀色のシーズン』は2008年始め(07-08シーズン)に公開予定で、ちょうど20シーズン離れています。 2つの映画のちょうど中間の年が、奇しくもカービングスキー元年の97-98シーズンに当たります。つまり、『私をスキーに連れてって』の10年後にスキー板の革命が起き、革命からさらに10年後に『銀色のシーズン』ということになります。この合計20年を前後2つに分けると、前半の10年と後半の10年は革命の前と後なので、中味は大違いです。 すなわち、前半の10年は「曲がらない板1万年史」と「ずんどうスキー100

    inumash
    inumash 2016/02/16
    ウィンタースポーツ全般疎いからこういうのまったく知らなんだ。『私をスキーに連れてって』から衰退までの10年が経過した後にスキー板に革命が起こり滑りやすくなる、と。
  • 「TOKYO 1964」を疎んでいた人たちコレクション

    こんにちは。 実体験を持つ高齢者層のあいだでは、東京オリンピック(1964)のことを 世界の一流国入りした日、戦後の荒廃から完全に立ち直った日を具現化するもののひとつだったんです。あそこまで国民が一丸になれたイベントは東京オリンピックだけだと思います 東京オリンピック聖火最終ランナー 坂井義則氏|シリーズ連載「東京オリンピックから40年」|joc.or.jp(2004/04/22付) みたいに言う人が優勢のようです。 けれども、『1964年の東京オリンピック』に収録されていた文章を読んでいたら、案外一丸でもありませんでした。 三島 由紀夫,石川 達三,杉 苑子,大江 健三郎,開高 健,井上 靖,山口 瞳,松 清張,丸谷 才一,小田 実,渡辺 華子,柴田 錬三郎,阿川 弘之,曾野 綾子,瀬戸内 晴美,有吉 佐和子,石井 好子,安岡 章太郎,岡 太郎,小林 秀雄,中野 好夫,会田 雄

    「TOKYO 1964」を疎んでいた人たちコレクション
  • ルーツは同じフットボール…サッカーとラグビーを決別させた”反則”とは | サッカーキング

    ラグビーも、そのルーツはフットボールにある。むしろ、ラグビーもフットボール競技の1つと言った方が正しい。アソシエーション・フットボール(サッカー)やラグビー、さらにはオーストラリアのオージールールズやアイルランドのゲーリックフットボールまで、ボールを蹴り合う競技を総じてフットボールと呼ぶのである。 現在、イングランドで行われているワールドカップは、ラグビー・フットボールの一種で「ラグビー・ユニオン」。その起源は古く、FIFA(国際サッカー連盟)がサッカーの始まりを紀元前の中国と考えるのならば、ラグビーの起源も古代ギリシャまでさかのぼるのかもしれないが、競技としてルール化されるようになったのは19世紀のイングランドでのこと。 始まりは1823年、イングランド中部のウォリックシャーのラグビーという町にあるラグビー校で、フットボールの試合中に生徒がボールを手で持って走り出したことだとされている。

    ルーツは同じフットボール…サッカーとラグビーを決別させた”反則”とは | サッカーキング
  • 「横綱を破った力士」=「金星」という誤解

    抜井規泰 @nezumi32 ①)昨夜、朝日新聞の相撲班は、一つの難題にぶつかっていました。その難題というのが、日馬富士が高安に敗れた結びの一番です。あれは、「金星」と言えるのか、どうか。朝日新聞に限らず、おそらく新聞各社の相撲担当は、「金星」という言葉に神経質になっているはずです。というのも… 2014-11-12 10:33:50 抜井規泰 @nezumi32 ②)朝日新聞はもちろんなんですが、おそらくどの新聞社も、「金星」で訂正を出したことがあるのではないでしょうか。原因は、「横綱を破った力士」=「金星」という誤解です。好角家が圧倒的多数であろうと思われる僕のフォロワーさんの中にも、誤解されている方がいるかもしれません。 2014-11-12 10:34:27 抜井規泰 @nezumi32 ③)しかし、「横綱を破れば金星」ではありません。金星になるのは平幕が横綱に勝った場合です。これ

    「横綱を破った力士」=「金星」という誤解
    inumash
    inumash 2014/11/15
    恥ずかしながら知らなんだ。ほかのスポーツんんかでも単なるジャイアントキリングを“金星”って表現する事はよくあるけど、レアケースも含めて本家には細かな定義があったのねぇ
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