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自由に関するinumashのブックマーク (2)

  • 免疫無しのはじめての事故が致命傷になる悲劇を起こさないで欲しい - 日毎に敵と懶惰に戦う

    cild.hatenablog.com 散るろぐのおじさんが、この記事をどの程度マジで書いているのかはよくわからないけれど、過去の記事から類推するに、炎上狙いで心にも無いことを書いているわけではなく、炎上するかもという予測は出来たとしても、内容的にはかなり素で書いていると思われる。 例えばFacebookの限定公開でこの記事を書いていれば、読むのは同程度のお仲間だけだったろうから、微共感を得ていいね!もいくつかもらって終わったかもしれないが、ここは全世界に公開されるインターネッツである。そしてはてなブログである。 散るろぐのおじさんは今更炎上しても、ブログを消してどこかにいくような繊細さを持ち合わせているようには見えないので、散るろぐのおじさんはどうでも良いのだが(内容についてはどうもよくなくて気持ち悪いので少なくとも以降この話題に言及するなと思っているが) 現象面に限って言えば、最近のは

    免疫無しのはじめての事故が致命傷になる悲劇を起こさないで欲しい - 日毎に敵と懶惰に戦う
    inumash
    inumash 2015/11/05
    “かつてのはてな界隈であれば、公園のブランコでちょっとすりむいたり、人によっては軽く骨折したりして学んでいった過程があったような気がする”←初見で頭蓋に手斧を振り下ろすタイプの人を何人も見た気が…
  • <アンチであること>は本質でありうるか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    かつて左翼が既存のシステムに対抗して生み出した戦術や表現の中には、それこそ「そこでしか生み出せなかった美/快楽」が存在しているのだと思います。68年のパリ五月革命然り。ウッドストック然り。セカンド・サマー・オブ・ラブ然り。 アビー・ホフマンやKLFの痛快さは、それこそ彼らが対抗する「権威」や「権力」があってこそ際立つものです。そうした文化に触れる機会をつくること、そうした視座を失わないことこそ、「左翼」に求められていることではないかと思います。 足りないのはKLFとアビー・ホフマンなんじゃないの? - 想像力はベッドルームと路上から 「2006-03-20 - モジモジ君の日記。みたいな。」関連。このあたりは考えどころだと思ってる。 まず、カウンター・カルチャーと呼ばれるものがなぜ魅力的なのか。あるいは当に魅力的なのか。たとえば僕の場合、カウンター・カルチャー的なものがあまり好きではない

    <アンチであること>は本質でありうるか - モジモジ君のブログ。みたいな。
    inumash
    inumash 2006/03/21
    「社会の理想形」の認識違い、かな。
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