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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (2)

  • ヌードクロッキー - ohnosakiko’s blog

    女の裸、男の裸 デザイン専門学校の授業で、なぜかヌード・クロッキーがある。 女性の裸を描くという西欧の長い美術の歴史は、ジェンダー的な観点からいろいろ問題も指摘されているが、それがそのまま日の芸術教育にも受け継がれ、専門学校のカリキュラムにまで登場しているわけである。 男も同じように描けばよいではないか? でも男のヌードを描いたり作ったりするケースは、女に比べて非常に少ない。そういうことに疑義を呈してか、美大では受験時に男性(短パン穿いてる)を描かせるところもあったりする。しかし大学では女性のヌードを描いたり作ったりしていることが、圧倒的に多い。 高校が美術科だったので、学校にはモデルさんがよく来ていた。やはり女性オンリー。 高三の夏休みに受けた予備校の夏期講習でも、女性のヌードモデルが来た。学校で描き慣れているので、平気だ。しかし普通科から来ている男子は、見るからに緊張していた。 そり

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  • 彼女の顔には細部がない・・・アニメの中の描写の落差について - ohnosakiko’s blog

    (※長めの追記をしました) 『借りぐらしのアリエッティ』のDVDを借りてきて見ていた時のこと。 室内の描写が凝っている。その部屋の中に登場人物が入ってきたところで、覚えのある違和感が。写実的な背景と、非写実的な人物が、不釣り合いに感じる。まるできっちり作られた三次元の舞台に、二次元の人間がいるみたい。 背景と人物の描写のレベルが明らかに違う点については、前から多少気になっていた。 背景の描写が陰影も含めて細かくリアルに描き込まれているのに、そこに登場する人物はベタ塗りでペラッとしていて所謂アニメ絵。ジブリに限らず日のアニメの「美術」は、背景画だけで展覧会が開催されるほどのレベルに至っていたりするので、結果、人物とのギャップが生まれ易くなる。*1 ヨーロッパのアニメは例えばチェコ・アニメにしても、背景と人物とのテイストや描写レベルの落差がなく、概ね全体的な統一が図られているという印象がある

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