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ブックマーク / wallerstein.hatenadiary.org (3)

  • 現代の価値観で過去を判断すること - 我が九条

    「現代の価値観を過去に持ち込むな」という議論がある。私は思う。そんなに悪いことか?と。 私は郷和人氏の次の指摘に全面的に従いたい。 次に、政治や権力を通じて歴史的人間を考えようとすると、史料を読むにあたり何に依拠すべきなのかについて、実は確たる定めがない。 a、中世人も現代人も、同じように思考し、希求し、行動するだろう。たとえば無駄に死ぬのは好ましくないし、できれば豊かに、せめて安楽に日々を送りたいだろう。この意味で、今を生きる私たちの感覚を基準に、中世の事象を解釈することは有効である。 b、いや、そうはいっても中世人と現代人はやはり異なるのだ。両者の感覚が同一であることを前提として安易に議論を進めると、時として思わぬ陥穽にはまりこむ。罪と罰の意識が相当に相違することは研究者のあいだでは共通の認識になっているし、「所有」の概念が未成熟だから、職の体系ができるのである。 aもbも決して間違

    現代の価値観で過去を判断すること - 我が九条
    k-noto3
    k-noto3 2011/07/26
    過去の価値観を現代に持ってくるのも,やはりバランスの問題なんだろうか。
  • 北朝の天皇が抹殺されるまで - 我が九条

    明治政府はそのイデオロギー主柱が水戸学であったことが、北朝ではなく、南朝が正統であると考えられた根にあると思われる。江戸幕府の歴史意識では、後醍醐で王朝は終了して武家の世になっているのである。王朝交代の思想に基づけば、南朝正統の方が何かと好都合であった。松平定信の大政委任論から始まって、幕末の政治情勢の中で攘夷を決行できない「征夷大将軍」に対する不満が高まり、「尊王攘夷」から「尊王討幕」へと政治動向が変わり、明治維新に至る。明治維新では水戸学の影響やら、国学、特に大国学(おおくにがく=大国隆正の学派であって、「だいこくがく」ではない。念のため)を中心とする国学がヘゲモニーを一時的に握る。いわゆる祭政一致の段階で、神祇官が太政官の上に置かれた時代である。神武の昔にもどろうとしたらしい。やがて文明開化の中で彼等は非主流派に転落して行くのだが、彼等の思想は民間右翼団体やその影響を受けた地方の保

    北朝の天皇が抹殺されるまで - 我が九条
    k-noto3
    k-noto3 2011/06/20
    北朝の天皇が抹殺されるまで - 我が九条−麗しの国日本
  • 橋下徹知事の基地問題に関する発言 - 我が九条

    私は橋下徹知事が大嫌いである。どれくらい嫌いかといえば、テレビで橋下知事の顔が出てきた瞬間チャンネルを変える。それくらい嫌いであるから、このブログでは橋下知事になるべく言及しないようにしている。感情的な非難に終始して、全く説得性のない議論を展開するのは目に見えているからである。だから私が橋下知事を取り上げるときには決してけなさない。むしろ極めて稀な賛同の意を表すとき以外は取り上げることはない。 そして今回の発言には久々に橋下知事を取り上げようという気になった。 昨年11月に関西国際空港で受け入れる可能性に言及していた大阪府の橋下徹知事は13日夕、記者団に「やっと気で国全体が動いてくる」と歓迎の意向を表明。米軍基地のない地域が負担を受け入れるべきだとして「優先順位が一番高いのは関西」と断言、「おねだり集団から分権時代の知事会になれるかの試金石。回答を出さないなら知事会は解散」と強調した。(

    橋下徹知事の基地問題に関する発言 - 我が九条
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