「コミュ障に悩む技術者へ」というまとめに関するツイートです。 コミュニケーション能力とIT業界について。 自分でまとめるところまでが様式美らしい。
僕は人に弄られやすい。 バカにされやすい。 それはきっと、どんな暴言を吐かれても怒りをあらわにせず、マトモな反応を返すからだろう、と自己分析している。 まあ、僕の性格に弄られるような要因があって、大いに見下された結果、なるべくして弄られている、という可能性も否定出来ないし、事実、人によっては実際そうなんだろう。 どんなに弄られても決して怒らず、ツッコミでその場を捌いているのは、自分に対する攻撃に然程怒りを感じないからだ。 バカとかキモイとかデブとかハゲとか言われたところで、そんなのはその人の感想に過ぎないのだから、イチイチ突っかかっても仕方ないじゃない。 怒ったら、無視したら、彼氏彼女の評価が劇的に変わったりするだろうか? 答えは、否だろう。 無礼とか失礼とか常識がないとかは、僕じゃない誰かに同じ事をやった時に、それなりの制裁を受ければ宜しい。 怒りは感じないし相手はしてやるけど、人を貶し
自分は一人でいる方が楽だし、好きだということに気付いた。 小中高となかなか友達が出来なくて、苦い思いをした。 振り返ってみれば、原因は自分から動こうとしなかったことにあった。 座して待つのみで友人が勝手に湧いてくるはずもなかった。 大学に入る頃には、自分に友人が少ない原因は自分が受動的であったことにあったと気付いた。 だから、大学生活スタート後は友人を作ろうと意識して行動した。 すると、部活やゼミやバイト先で友人が出来るようになった。 当初は大学生らしく、遊びに行ったり、旅行に行ったりしていた。 高校まではあまりそういった経験がなかったので、最初は楽しかった。 だが友人がいたらいたで、飲みやら遊びやらに誘われて、付き合いの為にやむを得ず自分の為の時間を割く、ということが増えていった。 「この日のこの時間はこれをしようと思ってたのに…」と思いつつ、付き合いの為に参加することもかなりあった。
渡辺 ところでこの理系クン鼎談シリーズ、何がゴールなのかまだ決まっていませんでした。私がなんだか抵抗を感じるのは、「理系クンはコミュニケーション能力をもっと上げろ」みたいな結論かな。 山中 渡辺さんからそういう発言が出るとは意外ですね。前回、「好奇心を持てる範囲を訓練で広げる」という方法論で、コミュニケーションスキルは上げられる、という、とりあえずのいい話になったところなのに、これが結論ではイヤだと。 福地 僕もそれは避けたい。訓練でコミュニケーションスキルが上げられるという話は、「相手の世界観を丸ごと認めて褒めてやれ、そうすれば相手はご機嫌だ」みたいな、何だかトークがうまいホストみたいになれということか、と誤解されちゃいそうで。 山中 そうなのかなあ。なんででしょうね。 福地 だって、そもそもなぜここで「理系クン」という話題を出して茶飲み話をしているかというと… 山中・渡辺 茶飲み話だと
夏の葬列かどこかで、「リア充は彼女がいなかったためしがない」といった記述を見た。たとえ別れたとしても、間髪入れずにすぐ他の女を見つけると。 私に言わせれば、そんなことは当然だと思う。あいつらは、「誰かがそばにいないと生きていけない存在」なんだ。 もっとはっきり言えば、「自分ひとりで、自分自身と向き合うだけの胆力を持てない生き物なんだ」ということ。 "周りの人間がなんと言おうと、自分はこれを信じる、貫く―――" そう言った信念のようなものを、かけらも持つことができないから、「世間一般でイケてると認められているもの」に飛びつかずには、生きていけない。 だからあいつらは、ドン引きするくらい「空気」を読む。 自分という「個」そっちのけで、「周りから」認められるものにばかり病的に執着する。 恋愛とかJ-POPとかPHP文庫的文章とかあいだみつを的人生訓とか、ああいった分かりやす
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