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アジアと人生に関するken_woodのブックマーク (2)

  • 汝の隣人のブログを愛せよ | LOVELOG

    au one netのブログサービス 『LOVELOG』は2014年6月30日をもちまして提供を終了致しました。 永らくのご利用、誠にありがとうございました。 引き続きau one netをご愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※お手数ではございますが、新ブログにて閲覧の皆さま向けにブログURL変更等をご周知いただけますよう、お願い申し上げます。

    ken_wood
    ken_wood 2008/04/30
    >あそこにいってあの空気すったら男でしたら正直、祭りのように血が騒ぐんです。中国人が「ワン!チャイナ!」中国はひとつ!って叫んでましたが「カインド!チャイナ!」中国はそれぞれ!ってさけんでいただきたいなーと
  • 「チベット旅行記」はスゴ本というより、スゴい人の冒険譚

    週末はこれを読んだ、めっぽう面白かった。 著者は、河口慧海(えかい)。明治時代の坊さんで、鎖国中のチベットに単独で入国した最初の日人だそうな。ロクな装備もないのに、氷がゴロゴロする河を泳ぎ、ヒマラヤ超えをする様子は、「旅行記」ではなく「冒険記」だな。 ではこの坊さん、どうしてチベットまで行かなければならなかったのか? 慧海が25歳のとき、漢訳の一切経を読んでいて、ある疑問に突きあたったという。漢訳の経典を日語に翻訳したところで、はたして正しいものであるのか? サンスクリットの原典は一つなのに、漢訳の経文は幾つもある。同じ訳もあれば、異なる意味に訳されているものもある。酷いのになると、まったく逆の意義になっている。 サンスクリット語の原典 → 漢訳 → 日語訳 翻訳をくりかえすうちに、来の意義から隔たってしまっているのではないか? それなら原典にあたろうというわけ。インドは小乗だし支

    「チベット旅行記」はスゴ本というより、スゴい人の冒険譚
    ken_wood
    ken_wood 2007/10/17
    >河口慧海。明治時代の坊さんで鎖国中のチベットに単独入国した最初の日本人。翻訳で本来の意義から隔たっているのではないか?なら原典にあたろうという三蔵法師!とぼけているというより腹括っているんだろうねぇ。
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