タグ

森雅史に関するkizakiのブックマーク (12)

  • 「スーパーサッカー」は守り抜いた……伝説のテレビマンが明かす中継の苦悩と舞台裏【サッカー、ときどきごはん】

    「スーパーサッカー」は守り抜いた……伝説のテレビマンが明かす中継の苦悩と舞台裏【サッカー、ときどきごはん】 2020年04月06日 7時00分 カテゴリ: ★無料記事 • インタビュー • サッカー、ときどきごはん タグ : pickup • targmar TBSの元プロデューサー・名鏡康夫氏は1993年のJリーグ開幕から続く番組「スーパーサッカー」やワールドカップ中継などに長く携わってきた伝説のTVマンだ。 これまで番組は何度か存続の危機に立たされ、ワールドカップアジア予選の中継では予想もしなかったハプニングに見舞われた。 日サッカーの興隆をTVの現場で見てきた名鏡が振り返る歴史は日サッカーの裏面史でもある。 そして現在、テレビ局とサッカー番組の現状について何を思うのか。じっくり話を聞いた。 ▼「スーパーサッカー」で防波堤になってくれている人物とは? 僕はTBSに途中入社したんです

    「スーパーサッカー」は守り抜いた……伝説のテレビマンが明かす中継の苦悩と舞台裏【サッカー、ときどきごはん】
    kizaki
    kizaki 2020/04/06
    ネットの広告費が上回りましたから、テレビが生き残れるかどうかの瀬戸際だと思います。テレビを点ければサッカーが見られるというのは続いていってほしいし、スポーツは手軽に見られるのが第一だと思いますから。
  • 家族の前でのブーイングにしばらく立ち上がれなかった……上川徹が世界で評価される審判になるまでの道のり - ぐるなび みんなのごはん

    誇らしい晴れの舞台がやって来た。 家族もみんなワクワクしている。 だが表彰されるために名前を呼ばれた瞬間、すべてが悪夢となった。 そんな経験をした人物がいる。 上川徹レフェリー(当時)だ。 ブーイングが浴びせられ、上川は一瞬立ち上がれなくなった。 今でもあのときを振り返ると 上川の声は気付かないうちに震えている。 だが、そこに立ち向かったからこそ、その後の人生があると胸を張って教えてくれた。 家族の前でブーイング……立ち上がる勇気がなかった 審判生活で一番辛かったのは……まぁ……辛いと言えば、フィールドの上では感じたことがなかったんですが……。やっぱり僕も家族の支えがあってこそ審判生活ができたと思っていますし、Jリーグアウォーズで最優秀主審に選ばれたいなぁってずっと思っていました。 2002年日韓ワールドカップで1試合主審を務めたんですけど、その年は選ばれなかったんです。それで初めて200

    家族の前でのブーイングにしばらく立ち上がれなかった……上川徹が世界で評価される審判になるまでの道のり - ぐるなび みんなのごはん
    kizaki
    kizaki 2017/07/13
    もしブーイングで挫けていたら、その後は何もなかった
  • 僕は愚かだった ……永井秀樹が25年のプロ生活でサッカーから教えられた答え - ぐるなび みんなのごはん

    46歳の永井秀樹は 人生の半分以上となる25年間をプロサッカー選手として過ごしてきた。 1992年、国士舘大学を中退してヴェルディ川崎に入ると、 1993年、1994年はリーグ優勝 1995年、福岡ブルックスでJリーグ昇格を決め、 1996年、清水エスパルスでヤマザキナビスコカップ優勝 1998年、横浜フリューゲルスで天皇杯優勝 2000年、横浜F・マリノスでステージ優勝 2001年、ヤマザキナビスコカップ優勝 2005年、FC琉球でJFL昇格 2007年、東京ヴェルディ1969でJ1昇格 2013年、FC琉球でJ3参加承認 そして2016年、東京ヴェルディで引退する。 1991年、バルセロナ五輪アジア最終予選で敗れた後は 残念ながら日本代表のシャツを着ることはなかった。 それでもこれだけのキャリアを誇る選手、 うれしかったことも、怒ったこともたくさんあったことだろう。 そう思って聞き始め

    僕は愚かだった ……永井秀樹が25年のプロ生活でサッカーから教えられた答え - ぐるなび みんなのごはん
    kizaki
    kizaki 2017/05/25
    当時の自分は奢っていたと思います。大分から出た初めてのプロ選手で、Jリーグで活躍してるんだから、親父には堂々としていてほしかったんです。それを地元の小さなクラブのボランティアスタッフだなんて
  • 栃木で出会ったサポーターが忘れられない……平畠啓史がサッカー番組で本当に伝えたいこととは - ぐるなび みんなのごはん

    2017年、Jリーグシーズンが始まって何か寂しいと思っている人はいないだろうか。 これまでシーズン中の毎週末、必ずテレビで見ていた顔がいなくなってしまった。 10年間、ずっと見続けていた顔だった。 「そこ見てたのか!」と言いたくなるような試合のポイントや オフザピッチの話題を語っていた平畠啓史はどこに行ったのか。 チャンネルを変えてもその姿を見ることはない。 周りのいろいろな人の話を聞いても 「平畠欠乏症」に悩んでいる人たちがたくさんいた。 個人的にもとても寂しい。 もちろんまだずっとスタジアムに来ている。 相変わらずにこやかにサッカーファンの心を癒し続けてくれている。 またすぐ画面でも見たいと心から願っている。 サッカーをやっていたからこそわかるプロの凄さ ありがたい話、スカパー! さんで、アフターゲームショーとかマッチデーハイライトを10年やらせてもらってたんで、試合に行くとサポーター

    栃木で出会ったサポーターが忘れられない……平畠啓史がサッカー番組で本当に伝えたいこととは - ぐるなび みんなのごはん
    kizaki
    kizaki 2017/05/16
    "選手と同じでいつでもピッチに立てる準備してます。呼ばれたら出られるように。今は、そんな場が来たときのために準備しとかなアカンと思ってます。"
  • 「ジャスティス」と呼ばれて…日本サッカー初のプロ主審・岡田正義が泣いた日 - ぐるなび みんなのごはん

    2010年、岡田正義氏が審判を引退した。それまでJ1リーグで笛を吹いたのは336試合。同年までに岡田氏以上の試合出場数があった選手は、26人だけだった。つまりほとんどの選手よりも多く、岡田氏はJリーグに「出場」を続けたのだ。 リーグ戦、カップ戦を合わせ546試合。チャンピオンシップやゼロックススーパーカップなどで17試合。さらにクラブの国際試合で17試合、そしてワールドカップを含む国際Aマッチで50試合。合計630試合で岡田氏は笛を吹き続けた。 だが、それだけの実績を持つ岡田氏でも、引退はセレモニーも何もないひっそりとしたものだった。それどころかJリーグがスタートしたころは、笛を吹くのに有給休暇を使いながら休みをやりくりし、何とかピッチに現れるという厳しい環境だった。そんな審判の苦労はなかなか表には出てこない。 笛を吹く試合が割り当てられず、悩んだこともあったそうだ。サポーターの姿を見て心

    「ジャスティス」と呼ばれて…日本サッカー初のプロ主審・岡田正義が泣いた日 - ぐるなび みんなのごはん
    kizaki
    kizaki 2016/12/20
    “トリップしても倒されないような選手に出て来てほしいと願っています。”
  • 楢崎正剛が語る横浜フリューゲルスの記憶「僕らは結局は無力だった」 - ぐるなび みんなのごはん

    もう知らない人も増えたことだろう。昔、Jリーグにはもう1つクラブがあった。 1998年、日ワールドカップ初出場の影でJリーグ誕生から続いていた「バブル」は急速に終わりを迎えた。「オリジナル10」と呼ばれるJリーグ創設時のメンバーで、横浜と九州全域をホームタウンとした横浜フリューゲルスが活動を終了することになったのだ。 フリューゲルスは横浜マリノスが吸収合併し、「横浜F・マリノス」が誕生する。だがダービーで争ってきた2チームの合併に発表当時は大規模なフリューゲルス存続運動が起きた。クラブ関係者はスポンサー探しにやっきになったが、一向に救世主は現れない。そんな中、選手たちは街頭で署名活動を行い、試合終了後には「フリューゲルスを助けて!」と書いた横断幕を持って場内を歩いたりした。 状況に進展が見られないまま、リーグ戦は終りを告げる。残っているのは天皇杯だけ。ノックアウト方式のため、負けるとフ

    楢崎正剛が語る横浜フリューゲルスの記憶「僕らは結局は無力だった」 - ぐるなび みんなのごはん
    kizaki
    kizaki 2016/07/28
    バーグカツとラーメンとフリューゲルス。聞き手は森雅史さん。
  • 浦和の横断幕事件について : 森雅史の Football Is Alive

    2014年03月11日23:30 カテゴリ 浦和の横断幕事件について 2004年、浦和が初めてステージ優勝したときに、サポーターのみなさんに話を伺ってを作ったことがあります。 そのとき、一番強面だと思ったあるサポーターがこう言っていました。 「他のチームのヤツはみんな嫌い。だけど赤いユニフォームに袖を通して浦和のために頑張ってくれるのなら、人種とか関係なく好きになる」 でも、確かに他のあるサポーターは「俺は朝鮮人が嫌い」と言っていました。「なぜなら昔、朝鮮高校の奴らとケンカしたから」。それでも「 浦和にそんな選手が来たら複雑だけど、応援するとは思う」という話も聞きました。 10年前ですらそこまでのクラブ至上主義で、他はすべて二の次という考えを聞いていたものですから、僕は当初「JAPANESE ONLY」が鳥栖に向けられたメッセージかと思っていました。鳥栖は尹晶煥監督や金民友選手、呂成海選

    浦和の横断幕事件について : 森雅史の Football Is Alive
  • 日本サッカー協会後援会が更新しやすくなってました : 森雅史の Football Is Alive

    2014年02月13日10:29 カテゴリ 日サッカー協会後援会が更新しやすくなってました 毎年継続して会員になっている日サッカー協会後援会。 この会員証には今年の3月31日までと書かれていますが、去年規約改定があって1月1日から12月31日までと年次が変わりました。 更新を忘れていたのですがメールが来て知らせてくれました。ついでに、更新の方法も変わっています。これまでは専用の振込用紙が送られてきて、その用紙でないと更新できませんでした。ですが、今年からオンライン・クレジットカードで更新できます。 会員には次の特典もあります。 (1)公益財団法人日サッカー協会(以下JFAという。)主催による国内での日本代表チームが行う国際試合と天皇杯、皇后杯決勝のチケットの優先有料(先行)販売 (2) その他のJFA主催の国内有料試合——天皇杯、皇后杯大会の準決勝以前の試合、JFL、男女全国大学選

    日本サッカー協会後援会が更新しやすくなってました : 森雅史の Football Is Alive
    kizaki
    kizaki 2014/02/13
    今年からオンライン・クレジットカードで更新できます。
  • 浦和vs柏 雰囲気は最高だった……のだけど : 森雅史の Football Is Alive

    2013年11月02日23:30 カテゴリ 浦和vs柏 雰囲気は最高だった……のだけど 試合後、浦和の選手は当に悔しそうでした。引いて守り、相手をはめては前に出ようとする柏に対し、十分に相手の意図を読んでいたものの、結果的には攻めきれず、敗戦してしまったのですから。個人技のある選手たちが引いた柏の守備ラインを前に慎重になりすぎ、スピードを上げられないまま自分たちでペースを失ってしまったように思える戦いでした。決勝戦ですから、あまりリスクを取りたくなかったのは当然としても、少々もったいない戦いぶりだったと思います。 試合の内容はともかく、場内の雰囲気は最高でした。フジテレビのディレクターの方が「初めてサッカーを見たという人を連れてきたが、この雰囲気に感動していた」と試合後、感慨深げに話していらっしゃいました。ヤマザキナビスコカップ決勝は試合会場が満員になるものの、実はなかなか視聴率が取れま

    浦和vs柏 雰囲気は最高だった……のだけど : 森雅史の Football Is Alive
    kizaki
    kizaki 2013/11/09
    ともに日本のサッカーを支えている立場なのに、なぜこんなに乖離してしまったのか。現在のこの状況で対話が少ないのは、一番心強い味方になってくれるはずの人を離している気がしてなりません。
  • 悔しさに拍車を掛ける大混乱 : 森雅史の Football Is Alive

    2013年03月27日07:44 カテゴリ 悔しさに拍車を掛ける大混乱 日サッカー協会は1月末にメディアオフィサーをヨルダンに派遣し、報道対応の準備を進めていました。 来なら、試合を開催する国のサッカー協会へ取材申請をして、そのサッカー協会が段取りなどを手配します。ですが、日は記者が多く、その数の報道陣を裁いた経験を持つサッカー協会がアジアには少ないため、日サッカー協会がとりまとめてくれるのです。 そんな準備の中で日サッカー協会が指摘して、改善されていたはずのミックスゾーンの長さ、設置場所などは、試合後の大混乱の中で意味をなさなくなりました。選手が出てきているのにゾーンが設置されない。話を聞いている隣で太鼓をたたいて歓喜を表す人たちがいる。子どもたちがやってきて報道陣に向かって喜びを爆発させる。考えられないほどの混乱でした。もし日が勝っていたら、きっと彼らは意気消沈して段取り通

    kizaki
    kizaki 2013/03/27
    日本サッカー協会が指摘して、改善されていたはずのミックスゾーンの長さ、設置場所などは、試合後の大混乱の中で意味をなさなくなりました。
  • 今年のレフェリングの基準は? : 森雅史の Football Is Alive

    2013年02月23日12:22 カテゴリ 今年のレフェリングの基準は? 18日、報道陣向けのレフェリング講習会に出席しました。 Jリーグでは開幕前に全クラブを回り、そのシーズンのレフェリングのポイントを説明します。ルールが変わるわけではなく、前年度に目立った点を抽出し、その反則に対する判定を厳しくします、という宣言という意味も持っているようです。また、実はルールは同じでも解釈が違ってきて、やり直しが命じられることもあります。たとえばPKは、蹴る一連の動作中に動きを止めるのは、ダメ->OK->ダメという変遷をたどってきました。 それで今年のレフェリングで厳しく見ます宣言が出されたのは「シミュレーション」。うまい選手は当にうまいですからね。当たっていない部分を押さえて倒れるというのもありました。 ただ、そのシミュレーションがとくに発生するペナルティエリア内のプレー判定について、効果的だとさ

    今年のレフェリングの基準は? : 森雅史の Football Is Alive
  • 鳥栖vs浦和 夢のようなシーズン : 森雅史の Football Is Alive

    2012年11月24日23:30 カテゴリ 鳥栖vs浦和 夢のようなシーズン 鳥栖の古くからの友人たちに会いました。異口同音に聞こえてきたのは「こんなに素晴らしいシーズンはなかった」ということ。 昔は「秋祭り」だの「ブラック・クリスマス」だの、シーズン終盤に近づくにつれてクラブがなくなるのではないかという暗い話題ばかりでした。昇格した去年にしても、途中で勝てない時期は「やはり無理だ」という声が上がっていました。ですが今季に関しては、シーズン序盤こそ「あと○回負けても降格圏にはならない」というマイナス思考の声があったものの、さほどJ2行きを心配することなく過ごすことができたはずです。 そんな幸せなシーズンの最後のホームゲームは、このクラブができて最初の公式戦を戦った、というか戦ってくれた浦和。鳥栖が3-1で勝てたのは、恩返しができたのか、あるいは浦和がご祝儀をくれたのか、どちらもだったかもし

    kizaki
    kizaki 2012/11/29
    試合前、DJのYUYAさんの呼びかけでスタジアムの半分以上を埋めた鳥栖ファンが全員立って浦和のファンに拍手していたのも、「やっとここまで来られました」という感じがしてオールドファンには涙の出る光景
  • 1