「スーパーサッカー」は守り抜いた……伝説のテレビマンが明かす中継の苦悩と舞台裏【サッカー、ときどきごはん】 2020年04月06日 7時00分 カテゴリ: ★無料記事 • インタビュー • サッカー、ときどきごはん タグ : pickup • targmar TBSの元プロデューサー・名鏡康夫氏は1993年のJリーグ開幕から続く番組「スーパーサッカー」やワールドカップ中継などに長く携わってきた伝説のTVマンだ。 これまで番組は何度か存続の危機に立たされ、ワールドカップアジア予選の中継では予想もしなかったハプニングに見舞われた。 日本サッカーの興隆をTVの現場で見てきた名鏡が振り返る歴史は日本サッカーの裏面史でもある。 そして現在、テレビ局とサッカー番組の現状について何を思うのか。じっくり話を聞いた。 ▼「スーパーサッカー」で防波堤になってくれている人物とは? 僕はTBSに途中入社したんです
あれから20年……。Remember 1999.11.27 角田修一(元URAWA BOYSリーダー)インタビュー「降格から20年。失った夢を取り戻すためには」全文版 2019.12.4 THIS WEEK • URAWA L'Équipe • VIPインタビュー Twitter Facebook B!Bookmark 更新通知を受ける 更新通知 Interview by 椛沢佑一(本誌編集長)Photo by 清水和良 90分での決着がつかず、浦和レッズのJ2降格が決まった。延長1分にゲームを終了させたのはMr.レッズ福田正博のVゴールだった。二度と同じ過ちは繰り返さないと誓った「Remember 1999.11.27」から20年が経つ。URAWAはあの日を覚えているか。当時からスタンドの最前線に立ち、その後もリーダーとして黄金期のレッズをサポートした角田修一さんと振り返る。 角田修一/
この度、大分トリニータ所属の修行智仁選手について契約満了に伴い来季の契約を更新しないことを決定いたしましたので、下記の通りお知らせいたします。 ◆GK1 修行 智仁(しゅうぎょう ともひと)選手 【ポジション】 GK 【出身地】 大阪府 【生年月日】 1984年 6月 29日 (34歳) 【身長・体重】 182cm / 74kg 【経歴】 ビゴーレ鶴見ジュニア → ビゴーレ鶴見Jrユース → 近畿大学附属高 → 立命館大 → ガイナーレ鳥取 → FC町田ゼルビア → 大分トリニータ(2015年~) 【今季の出場記録】J2 0試合0得点 / 天皇杯0試合0得点 【コメント】 「 大分のことが大好きです。ただ、選手として僕が大分でやれる事はもうありません。この4年間で僕のやれる事は全てやりきりました。今年で最後。その覚悟でこの1年を過ごしてきました。僕が大分でやりたかった
元日に、携帯電話が鳴った。 画面の表示には「那須大亮」とあった。 年始のあいさつを交わしたあと「報告があります」と律儀な36歳のベテランは言った。それは5年間在籍した浦和レッズを離れるという一大決心だった。 「浦和で現役を終えるという選択肢もありました。でも最終的には自分の年齢も考えて“新しいチャレンジに向かいたい”と、自分の気持ちに従うことにしました」 浦和とは単年契約だったが、延長オファーを受けていること、ほかのクラブから移籍のオファーがあることは以前に聞いていた。 すっきりした口調に変わっていた。元日の電話から5日ほど経って、ヴィッセル神戸の獲得報道が流れた。 スタッフ、サポーターの思いが伝わってくるように。 サンシャイン池崎のセリフではないが、彼は“浦和を愛し、浦和に愛された男”であった。 空前絶後の熱血男。 エアバトル、咆哮、目を血走らせての競り合い……。気持ちを前面に押し出すフ
さまざまな改革を進めるJFA。審判委員会の取り組みを小川佳実審判委員長に聞いた 【写真:松尾/アフロスポーツ】 2006年9月から11年8月までと、12年1月から15年12月まで、JFA(日本サッカー協会)の小川佳実審判委員長はトータルで9年間、AFC(アジアサッカー連盟)の審判部長を務めていた。小川の活躍はAFC全体の審判レベル向上に大きく寄与。言語や文化、戦術などが各国で異なるなか、サッカーの審判は競技規則が同じである以上、「世界共通」であるという。 今年6月から7月にかけて行われたコンフェデレーションズカップ(以下、コンフェデ杯)において、若いプレーヤーを擁するドイツが内容の伴った戦いぶりで優勝を果たした。それを見て、小川は「審判はその国の選手と試合によって育てられていく」と語る。JFAの審判委員会として、今後どのような取り組みを行うのか。その概要とビジョンを聞いた。(文中敬称略)
7月17日、浦和レッズを15年シーズン限りで引退した元日本代表MF鈴木啓太氏(36)の引退試合が埼玉スタジアムで行われた。 代表でともにプレーしたMF中村俊輔(39)、浦和の黄金期を支えたFWワシントン(42)ら豪華メンバーが集結。現役時代は公式戦通算10得点と黒子役に徹していた鈴木もゴールを挙げ、照れくさそうに祝福を受けていた。 元浦和MF鈴木啓太氏の引退試合で「4K HDR」中継を行ったスカパー!の中継車内 この試合を、スカパー!が最先端の映像技術を取り入れて中継した。よくテレビ映像の技術である「4K」という単語はすでに浸透しているが、この日に使用されたのはさらに先を行く「4K HDR」と呼ばれる技術。この映像を配信できる中継車はまだ数台しかなく、国内サッカーの試合で仕様されるのはこの日が2度目だった。 従来の映像を隣に並べて比べると、ひと目でわかる違いがある。対象がより明るく鮮明に映
チームが苦しいときこそフロントが監督や選手の防波堤にならなければいけないと語るセルジオ越後氏ひと言でいえばマンネリなのかもしれない。今季のJリーグ優勝候補に挙げられていた浦和が低迷している。 18節終了時点で9勝2分け7敗、首位C大阪とは勝ち点差9の8位。1-4で大敗した川崎戦(7月5日)後には、怒ったサポーターが選手バスの出口を封鎖。ペトロヴィッチ監督が出ていき、「ここから連勝できなければチームを去る」と発言した。続く18節の最下位・新潟戦ではなんとか逆転勝ちしたけど、やはり内容はよくなかった。 今季の浦和はとにかく失点が多すぎる。ここまで30失点は18チーム中5番目に多い。リーグ最少失点(28)だった昨季の数字を早くも超えている。 ここ数年の浦和のサッカーといえば、ボールをキープして試合の主導権を握り、細かくパスをつなぎながらチャンスをつくろうという攻撃的なもの。そして今季は、敵陣で試
誇らしい晴れの舞台がやって来た。 家族もみんなワクワクしている。 だが表彰されるために名前を呼ばれた瞬間、すべてが悪夢となった。 そんな経験をした人物がいる。 上川徹レフェリー(当時)だ。 ブーイングが浴びせられ、上川は一瞬立ち上がれなくなった。 今でもあのときを振り返ると 上川の声は気付かないうちに震えている。 だが、そこに立ち向かったからこそ、その後の人生があると胸を張って教えてくれた。 家族の前でブーイング……立ち上がる勇気がなかった 審判生活で一番辛かったのは……まぁ……辛いと言えば、フィールドの上では感じたことがなかったんですが……。やっぱり僕も家族の支えがあってこそ審判生活ができたと思っていますし、Jリーグアウォーズで最優秀主審に選ばれたいなぁってずっと思っていました。 2002年日韓ワールドカップで1試合主審を務めたんですけど、その年は選ばれなかったんです。それで初めて200
5日、埼玉スタジアム。浦和レッズが川崎フロンターレに1-4で完敗した。ふがいない戦いに、試合後、サポーターが怒る。チームの移動バス前に集まったサポーター。ミハイロ・ペトロビッチ監督(59)は自らの意思で2度もバスから降り、次節(9日、対新潟アルビレックス)から連勝できなければ、チームを去ると、伝えた。 バスがスタジアムを離れたのは、選手ら全員が乗り込んでから1時間以上が過ぎていた。浦和は新潟戦で逆転勝ちしたため、指揮官の辞任は阻止された。さまざまな意見がある。「まぁ、浦和サポだから。彼らは騒ぎたがるからね」と、サポーターへの批判の声がある。監督が自らサポーターの前で説明したことへの批判もある。「レッズでそんなことになったら、いずれうちのサポーターも『監督出せ』というんじゃないかな。余計なことしてくれたね」という他のクラブ幹部もいる。 私はサポーターが試合後、チームに対して抗議することは、ア
場内MCなのだから、話すのが仕事だ。だが、一度だけ黙ってしまったことがある。状況からして、しゃべる必要がないと感じた。 1999年、浦和レッズは年間順位で16チーム中15位に沈み、J2への降格が決まった。その年の残留争いは最終節までもつれ込んだ。浦和はサンフレッチェ広島を相手に90分間で勝利を決めればJ1への残留が決まる。だが、90分で勝ち点3は手繰り寄せられなかった。他会場の結果で勝ち点を上回るチームが現れ、延長戦に入る前にチームもサポーターも降格が決定したことがわかっていた。 「最後の試合、延長戦の末に勝ったことは勝ったんですよ。でも、どう言えばいいのかなっていう……『ご覧いただきましたように』と言っても、もうJ2に落ちているのはみんなわかっているので、言わなくていいと思ったんです」 Jリーグの開幕当初から浦和レッズの場内MCを担当してきた朝井夏海(あさい・なつみ)さんは、クラブの絶望
大分トリニータではアクティブシニア層を活用しグローバルビジネスのコンサルティングを行っているサイエスト株式会社(本社:東京都港区、代表取締役社長:李 嘉章、塚崎 義直)と地方創生に向けた業務提携を開始することが決まりましたのでお知らせいたします。 ◆業務提携の背景及び目的 大分トリニータはサッカーを通じて大分の活力に貢献することを企業理念とし、スポーツを通じた明るい社会作り、地域への経済的・社会的貢献に取り組んでいます。 一方、サイエスト株式会社は年齢や場所にとらわれない働き方を提唱し、主に定年後のシニア層の知見を生かして企業の営業支援をする「グローバル顧問」事業を展開し、「人」による地域産業の活性化を推進してきました。 双方の共通項である「地方の活性化に取り組む」方針のもと、「スポーツ」と「人財」の融合による地方創生を目指します。 ■具体的な内容(一部) 1:スポンサー開拓における業務委
強豪が不調に陥っている。 昨季に歴代最多タイの勝ち点74を積み上げた浦和レッズが25日のアウェーのサガン鳥栖戦に1-2で敗れ、リーグ3連敗を喫した。4月30日の大宮アルディージャとのさいたまダービーまでは8戦で6勝1敗1分けの24得点と強烈なスタートダッシュを切っていたが、ダービーでの敗戦で連勝が4で止まってからこれで7戦1勝5敗1分け。ACLではベスト8に駒を進めている一方、浮上のきっかけをつかめずにいる。 鳥栖戦後、GK西川周作はトレードマークの笑顔を消して「ふんばりどころです」と話した。「ここ数年ずっと上位で戦えていて、『勝てる』という気持ちがあったと思う。もう1度しっかり向き合う時間」。16節を終えて9位。勝利を宿命とするビッグクラブのプレッシャーの中で、足元を見つめ直す必要性を口にした。 西川自身、ずっと長い不調のトンネルを抜けてきた。大分トリニータでプレーしていた09年、90分
6月9日、韓国の『スポーツソウル』紙が第一報を報じた。5月31日のアジアチャンピオンズリーグラウンド16第2レグ、浦和レッズvs.済州ユナイテッド戦での暴行の処分だ。 ・試合中、警告累積でレッドカードを受けたチョ・ヨンヒョンに6カ月の出場資格停止。制裁金2万ドル。 ・試合終了直前に阿部勇樹に暴行したぺク・ドンギュに3カ月の出場資格停止、制裁金1万5000ドル。 ・試合後、槙野智章を追いかけたクォン・ハンジンに2試合の出場資格停止と制裁金1000ドル。 ・済州のクラブ側に制裁金4万ドル。浦和にも制裁金2万ドル。 これまで大きくは議論されてこなかったチョ・ヨンヒョンへの処罰とその重さは意外なものだった。アジアサッカー連盟(AFC)は後半36分にチョがファウルで退場し、なおかつ試合後の乱闘にまで参加したことに対して重い罰を課したとみられる。第一報が載った『スポーツソウル』は「済州は異議申し立てを
46歳の永井秀樹は 人生の半分以上となる25年間をプロサッカー選手として過ごしてきた。 1992年、国士舘大学を中退してヴェルディ川崎に入ると、 1993年、1994年はリーグ優勝 1995年、福岡ブルックスでJリーグ昇格を決め、 1996年、清水エスパルスでヤマザキナビスコカップ優勝 1998年、横浜フリューゲルスで天皇杯優勝 2000年、横浜F・マリノスでステージ優勝 2001年、ヤマザキナビスコカップ優勝 2005年、FC琉球でJFL昇格 2007年、東京ヴェルディ1969でJ1昇格 2013年、FC琉球でJ3参加承認 そして2016年、東京ヴェルディで引退する。 1991年、バルセロナ五輪アジア最終予選で敗れた後は 残念ながら日本代表のシャツを着ることはなかった。 それでもこれだけのキャリアを誇る選手、 うれしかったことも、怒ったこともたくさんあったことだろう。 そう思って聞き始め
2017年、Jリーグシーズンが始まって何か寂しいと思っている人はいないだろうか。 これまでシーズン中の毎週末、必ずテレビで見ていた顔がいなくなってしまった。 10年間、ずっと見続けていた顔だった。 「そこ見てたのか!」と言いたくなるような試合のポイントや オフザピッチの話題を語っていた平畠啓史はどこに行ったのか。 チャンネルを変えてもその姿を見ることはない。 周りのいろいろな人の話を聞いても 「平畠欠乏症」に悩んでいる人たちがたくさんいた。 個人的にもとても寂しい。 もちろんまだずっとスタジアムに来ている。 相変わらずにこやかにサッカーファンの心を癒し続けてくれている。 またすぐ画面でも見たいと心から願っている。 サッカーをやっていたからこそわかるプロの凄さ ありがたい話、スカパー! さんで、アフターゲームショーとかマッチデーハイライトを10年やらせてもらってたんで、試合に行くとサポーター
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