【ワールドカップイヤー特別コラム:駒野友一(広島)】生命の危機や失明の恐怖を乗り越えた、アテネ世代唯一のワールドカップ戦士。 [ J's GOAL ] ◆9日間で2度の手術 「クロスがくる。ブロックだ」 駒野友一は左足を上げた。それを見た相手はフェイントをかけ、ボールを蹴らなかった。弾くべきボールを見失った駒野の左足は、空しく地面におろされる。その瞬間、駒野の左膝はありえない方向へと曲がり、そのまま彼は雨でぬれた芝生の上へと崩れ落ちた。 駒野は立ち上がろうとした。痛みはあったが、まだボールを蹴ることができると思った。しかし、ドクターはピッチに戻ろうとする駒野に対し、首を振った。2003年8月16日の横浜FC戦、駒野友一がピッチに立っていたのはわずか6分間だった。 8月18日、駒野の検査はすぐに結果は出た。左膝前十字じん帯断裂。8ヶ月から10ヶ月、サッカーはできない。頭の中が