「家はもうない」「了解 生きてればオーケー」 あの日、家族をつないだガラケーと8通のメール【東日本大震災】 「こちらはだいじょうぶ」「家はもうない」「生きてればオーケー」「妹をたのむよ」...。宮城県東松島、仙台、神奈川、広島。離れ離れに暮らしていた家族をつないだ、8通の交信記録。
「家はもうない」「了解 生きてればオーケー」 あの日、家族をつないだガラケーと8通のメール【東日本大震災】 「こちらはだいじょうぶ」「家はもうない」「生きてればオーケー」「妹をたのむよ」...。宮城県東松島、仙台、神奈川、広島。離れ離れに暮らしていた家族をつないだ、8通の交信記録。
東日本大震災。 東日本全体で21000人もの人が命を失い、または行方不明となりました。私も被災し岩手県陸前高田市米崎小学校の体育館で二ヶ月間にわたり避難所生活をしながら避難所運営を経験しました。 多くの人に助けられ過ごした時間です。この場をお借りして、日本中の人に御礼を述べさせていただきます。 本来であれば、避難所運営の一例として記録と御礼だけに留めるべきことですが、次の万が一の時のために避難所運営の改善点とご支援をいただいた際に気になった点を記させていただきます。 両親と妻と一男二女の7人暮らしをしていました。両親とも同じ米崎町生まれで、昭和35年のチリ地震津波の被害も経験しています。妻は同じ岩手県内でも内陸の一関市生まれなので、結婚するまで津波に対する防災教育を受けずに育ちました。 震災時、子どもは小学校一年の長女と保育園年長組の次女は学校と保育園へ。1歳6ヶ月の長男は自宅で妻と一緒で
宮城、過去400年 犠牲者出た津波平均57年に1回 1611年の慶長三陸地震後、宮城県は平均57年に1回の割合で犠牲者が出る津波に襲われていることが、東北大災害科学国際研究所長の平川新教授(日本近世史)らの研究で分かった。震源が遠く揺れを伴わない「遠地津波」も含めて歴史資料を分析し、津波の履歴を精査した。建物や田畑の被害があった津波を含めると、平均間隔は20年に1回と大幅に短くなる。 日本を襲った津波に関するこれまでの研究を基に、宮城県内各地に残る信頼性の高い公文書のほか、役人や商人の日記を突き合わせ、被害の有無や程度を調べた。 慶長三陸地震から2011年の東日本大震災までの400年間で、犠牲者を出した津波は7回確認できた。平均間隔は57年となる。 死者が確認できなくても、建物の流失や田畑の浸水があった津波を含めると計20回に達した。暮らしに大きな影響を及ぼした津波は、平均で20年に
メディア関係者向けお問い合わせ先 メールでのお問い合わせ: pr-jp@google.com メディア関係者以外からのお問い合わせにはお答えいたしかねます。 その他すべてのお問い合わせにつきましては、ヘルプセンターをご覧ください。
【特集・3/11を忘れない】塩釜FC小幡忠義理事長インタビュー ~被災地救援を支えた塩釜FCの絆~(前編) 東北のガキ大将が心血を注いで育んできた真の意味で「地域に根差したクラブ」。サッカークラブの枠を超えた救援活動を生んだ揺るぎない哲学を聞く。 2013年03月11日(月)19時40分配信 text by 木村元彦 photo Tadayoshi Obata タグ: 木村元彦 1964年、宮城県塩竈市にスポーツ少年団として立ち上がり、加藤久、佐々木勇人(G大阪)、遠藤康(鹿島)など多くのJリーガーを輩出した塩釜FC。本当の意味で地域とのつながり、人との絆を重んじてきた塩釜FCは、今回の大震災で被災地域のよりどころとなり、被災者救援の拠点となった。サッカークラブは誰のものか? その問いへの明確な答えをこのクラブは持ち合わせている。塩釜FC理事長で宮城県サッカー協会会長も務める小幡忠義氏を訪
あの日から2年――。現役選手としてのコンディション維持と、 復興支援の両立に苦しみながらも、故郷のために動き続けてきた。 寡黙な男が、活動の難しさと故郷への思いをじっくりと語ってくれた。 雑誌Numberに連載中の「シリーズ 3.11を越えて」。 東日本大震災から2年。今回はNumber824・825号より、 東北のために尽力する鹿島アントラーズ・小笠原満男の活動を追いました。 2年前の震災直後、満男は居ても立っても居られず、水や食料を詰め込んだレンタカーで避難所を回り、生活物資を届けた。それが落ち着くと、被災してサッカーができなくなった子供たちのために、練習着やスパイクなどを集め、100箱以上の段ボールを恩師の齋藤重信先生に送った。さらに「サッカーも被災している。サッカーだけに使える基金を作りたい」と、仲間とともに東北サッカー未来募金を設立し、鹿島の試合に被災地の少年少女を招待するなど、
三陸の港町・気仙沼からロンドンに発った2人。 引退していた女剣士は、教え子たちの期待を胸に現役復帰を果たし、 3度目の大舞台へと挑む。そして幻の五輪代表選手に育てられた若武者は、 励まし続けた親友の声を思い出し、活躍を誓う。 フェンシングと被災地を結ぶ、絆のストーリー。 雑誌Numberに連載中の「シリーズ 3.11を越えて」。 今回は、Number823号より、フェンシングの街に育ったアスリートの物語です。 2011年3月11日、フェンシングの日本代表として欧州を転戦していた千田健太は、ドイツにいた。 朝、トレーナールームに行くと、モニターには震災の様子が映し出されていた。故郷の気仙沼をはじめ、三陸沿岸の町が津波に襲われていた。現実のものとは思えない映像に驚愕し、家なんかどうでもいい、みんな、命だけは助かってくれ。そう願うしかなかった。 幸い、郷里の家族は無事だった。だが、4月下旬、自分
Home » Jリーグ » 【特集・3/11を忘れない】4/23Jリーグ再開決定までの舞台裏 ~リーグ関係者、44日間のドキュメント~(前編) 【特集・3/11を忘れない】4/23Jリーグ再開決定までの舞台裏 ~リーグ関係者、44日間のドキュメント~(前編) 2011年3月11日、14時46分。東北地方太平洋沖地震が発生。翌日に第2節を控えていたJリーグは、即座に試合中止を決定した。4月23日にJリーグは再開を迎えたが、それにいたるまでの44日間に何があったのか? これは、再開にいたるまでのJリーグ関係者の備忘録である。 2013年03月07日(木)17時14分配信 text by 井上俊樹 photo Kenzaburo Matsuoka はじめに 以下の原稿は、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の発生に伴うJリーグ開催中止、そして4月23日のリーグ再開にいたるまでの経緯を、中西
流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 配信=2013/02/07 記事=耳塚 佳代 Tweet 大槌町本町 臼澤良一 64歳 当日は自宅にいたんですよ。事業の報告書を書いていたんです。あとはファイルに綴じるだけだったので、るんるん気分でインデックスを付けていた。そうしたら、とんでもない大きな揺れ。一度も経験したことがない、本当に恐ろしい揺れ。うちが潰されるんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという。プリンタやパソコン、本棚とかレコードとか、ぜーんぶ(崩れてきた)。前にも進めない。早く止まってくれないかと思っていたが、本当に長いんですね。 やっと揺れが終わって、そしたらうちの妻が「お父さん津波だから逃げよう」って、1階から声が掛かった。テレビも電気も全部付かない。ラジオのスイッチ入れて聞いたら、3メートルの津波だと。親父の代からあそこに住んでいたけど、ここま
メディア関係者向けお問い合わせ先 メールでのお問い合わせ: pr-jp@google.com メディア関係者以外からのお問い合わせにはお答えいたしかねます。 その他すべてのお問い合わせにつきましては、ヘルプセンターをご覧ください。
国立国会図書館は11月5日(月)、東日本大震災の記録などを検索・閲覧できるWebサービス「東日本大震災アーカイブ」を試験公開しました。ヤフーが展開する「東日本大震災写真保存プロジェクト」とも連携しており、被災直後の宮城・南三陸の写真などを閲覧できます。サービスの正式公開は、2013年3月の予定です。 ▽ 国立国会図書館東日本大震災アーカイブ ▽ http://www.ndl.go.jp/jp/news/fy2012/1196487_1827.html ▽ 国立国会図書館東日本大震災アーカイブ 東日本大震災アーカイブは、国内外の各機関が収集・保存している震災の記録の所在を把握し、誰もが検索してアクセスできるようにすることを目指すサービスです。関係機関と連携・協力しながら国全体で震災の記録を収集・保存し、後世へ引き継ぐ仕組みを構築します。試験公開は、同サービスの意義を多くの人に知ってもらい、ア
獅子十六さんがpostされた、東日本大震災から1年にあたって各国大使館が出したメッセージへのリンクをまとめました。明日以降も出るかもしれませんし、どなたでも編集できるようにしておきます。 各国の暖かい支援、メッセージに感謝します。
地下鉄に水が入ってきたら、高層ビルのエレベーターに閉じ込められたら、モノレールが海の上で止まったら・・・・・・ほか 近い将来、首都圏を襲うM8M9大地震。そのとき、どんな場所で揺れに襲われるかは誰にも選べない。「ここでだけは地震に遭いたくない」と思うような状況で被災したら、どうすればよいのか。 水の少ないうちに上を目指す ■地下鉄に水が入ってきたら 首都圏大地震の際、地下鉄では、ゼロメートル地帯にある地表の換気口などから津波の水が浸入する可能性があることは、これまでも取り上げてきた。 だが、換気口以外にも地下鉄に水が入る可能性のある経路は複数ある。 実は、3・11の際には、東京メトロ飯田橋駅につながる地下道に水が流れ出すという事態が発生していた。現場は東西線と南北線・有楽町線の改札間を結ぶ地下通路と商業施設「ラムラ」の入るビル、飯田橋セントラルプラザの接続口だ。同ビル管理部によると、 「こ
More than 20,000 photos and comments about earthquake in Japan in March 2011. All photos were taken by re sidents of Japan. You can also read in English and Chinese language.
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く