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ブックマーク / www.h-yamaguchi.net (6)

  • 中高年の凶悪犯罪を俗物的世代論で語ってみるテスト - H-Yamaguchi.net

    最近の凶悪事件の中には、被疑者が中高年である場合がけっこうみられるような印象がある。もちろんこういうのは大方マスメディアの伝え方によって作られる印象なのであって、全体の傾向が実際にそうである保証はまったくないのだが、少なくとも世間の注目を集める状況にあるということはいえるのではないか。これまた印象論でしかないが、ニュースとかではこれらの事例について、個々の事情にまで入り込んでそれなりに突っ込んだ情報が伝えられているように思う。 で、気になったことが1つあった。もしこれらが若年者だったら、すぐにテレビやらゲームやらの影響とかが持ち出されたんだろうなぁ、というあたりだ。やれ「過保護に育てられた世代だから仮想と現実の区別がつかなくなっている」だの「なんでもネットやケータイですまそうとする現代のバーチャル社会の光と影」だの。この種の言論は、いざネットで探そうとしてみると検索上位にはなかなかひっかか

    中高年の凶悪犯罪を俗物的世代論で語ってみるテスト - H-Yamaguchi.net
    komo-z
    komo-z 2007/05/21
  • 「百姓から見た戦国大名」 - H-Yamaguchi.net

    いわゆる「網野史観」というのがある。2004年に亡くなった歴史学者網野善彦氏らが提唱した、権力者よりむしろ民衆に注目する歴史のとらえ方、とでもいえばいいだろうか。歴史学者の間ではいろいろな見方があるらしいが、現存するさまざまな資料と整合的なところがたくさんあるし、少なくとも素人である私の目から見れば、「えらい人々」の歴史よりよほど面白く説得力がある。 このは、網野史観にも似た「民衆からの視点」をもって戦国時代を見たもの、といえる。戦国時代というと、私たち素人はつい、合従連衡とか下克上とか、天下統一へ向けた武将たちのドラマとかロマンとかみたいなものばかり思い浮かべてしまう。その「陰」で民衆は泣いていたのでは、なんて想像する人も多いだろう。戦乱の世にあって、家族との平和な日々を夢見ながらも横暴で権勢欲旺盛な君主に駆り出され泣く泣く戦場へ、なんて今ふうに考えてしまいがちだが、とんでもない。そん

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    komo-z 2006/09/19
  • ほめる技術 - H-Yamaguchi.net

    ブログをやっているなどというと、「これから始める人に何かアドバイスを」などといわれることがある。もちろん、たいていは社交辞令だ。それでも、聞かれた側はそれなりに一生懸命考えて答えたりしなければならない。そんないい知恵があるなら自分だって教えてもらいたいね、とか思いながら。 そんなときのために、ひとことですむ簡単な模範回答みたいなものがないだろうか、と考えたことがある。 もとより個人ブログに「こうすべき」みたいなルールなどない。個人の表現行為だ。犯罪になるのはまずいが、基的には「好きなようにやればいい」のだ。ということを前提として。 Bartle (2004)によるオンラインゲームプレーヤーの4分類というのがあるが、それを流用すれば、やはりブロガーにも4つの類型があるのだろう。 (1)Achievers(自分の目標の達成のために活動) (2)Socializers(他人と交流するために活動

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    komo-z 2006/09/18
  • H-Yamaguchi.net: 新聞記者はえらい、という話

    目からウロコの落ちる瞬間、というのはうれしいものだ。今日もまた新しい「大発見」をして、ちょっと興奮ぎみなので、あまり時間はないが手短に書いてみる。たぶん、皆さんには先刻ご承知のことなんだろうが、私には新しい、そして大きな発見だった。 新聞記者はなぜえらいのか、についてだ。 新聞記者がえらい、という点について、疑問をもつ方はそう多くないのではないかと思う。新聞記者はえらい。えらくなければ旗を立てた黒塗りの車でどこへでも乗り付けたりできるわけないし、記者会見という公の場で人をつるし上げ、なんて大それたこともできようはずがない。もちろん全員がそういう人ではないのは重々承知した上で書いているのだが、「この人はえらい」と考えるしか納得のしようがない人、というのは確実に、それもけっこうたくさんいるように思われる。 私がわからなかったのは、それがなぜか、ということだ。なんでこんなにえらそうにふるまえるん

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    komo-z 2006/06/01
  • ブログ世界は「理不尽」に「未成熟」らしい - H-Yamaguchi.net

    花岡氏は元産経新聞論説副委員長で今はフリーのジャーナリストだ。ウェブサイトやらメルマガやら、ネットでもちゃんと活動しているわけだが、基的にはどリアル系、なんだろう。で、この人、第2回のコラム「これでいいのか、ブログ世界の理不尽な未成熟さ」で、ブログ界の皆さんに対してご立腹、となっている。 きっかけは、NHKのトリノオリンピック中継に関する同氏サイトのブログだ。NHKの中継で荒川静香選手が日の丸を身にまとってウィニングランをしているところを放映しなかったとかで騒がれているところへ、「国際映像の制約による」とブログに書いたら批判が殺到したとか。要するに、「祭り」の対象にされてしまった、というわけだ。 この一件、花岡氏にとってよほど怒り心頭だったらしい。こんなふうに書いてる。 総務省の予測によると、2007年3月末で、ブログの利用者は782万人、閲覧者は3455万人に達する見込みという。ネット

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    komo-z 2006/04/06
  • 「ウェブ進化論―本当の大変化はこれから始まる」 - H-Yamaguchi.net

    帯に羽生善治さんのことばが載っている。 これは物語ではなく 現在進行形の現実である。 グーグルとネット社会の未来について、 希望と不安が見えてくる。 いろいろ深読みもできそうな、なかなか味わい深いことばだ。内容はというと、基的には梅田式ウェブ論のまとめ。個別のアイテムをとれば、梅田さんのブログの愛読者はすでに読んだことのあるものも少なくない。しかし、というコンパクトなかたちで、体系をもって提示されることの意味は大きい。このが私たちに与えてくれるものは「知識」ではなく、「思想」だからだ。知識はデータだが、思想は体系。梅田さんのブログ記事のプリントアウトを集めて再構成しても、私にはこのを書くことはできない。そういうことだ。同じ意味で、Google礼賛にみえる部分もあるが、書の質はその見解そのものではなく、その見解に至った「思想」にある。 書のテーマは「立ち位置」が難しい。想像だが

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