ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (9)

  • 韓国の幼年期の終わりとでもいうべきものかもしれない: 極東ブログ

    いくつかの報道に触れ、これは、もしかすると、韓国の幼年期の終わりとでもいうべきものかもしれないと、少し思ったことがある。話は少し回りくどくなる。きっかけは、この朝日新聞の報道である。 米軍駐留費「日は5倍負担を」 ボルトン氏が来日時に 土佐茂生=ワシントン、牧野愛博 2019年7月31日14時00分 トランプ米政権のボルトン大統領補佐官(国家安全保障担当)が先週、日を訪問した際に、在日米軍の日側負担について、現状の5倍となる巨額の支払いを求める可能性があることを伝えていたことがわかった。米政府関係者が朝日新聞の取材に明らかにした。同盟国の負担増が持論のトランプ大統領による交渉前の「言い値」とみられるが、日米同盟に悪影響を及ぼす可能性がある。 ボルトン氏は国家安全保障会議(NSC)のポッティンジャー・アジア上級部長とともに、7月21、22日に来日し、河野太郎外相や谷内正太郎国家安全保障

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    kz78 2019/08/02
  • 「令和」の違和感: 極東ブログ

    「令和」の違和感について、2点ほどブログに書きこのこしておきたい。最初に言っておくと、この新元号をくさす意図はないので、ご安心をというか、ご期待に添えずというか。 なぜ、「令和」は「れいわ」で「りょうわ」じゃないのか まず第一点目に、なぜ、「令和」は「れいわ」で「りょうわ」じゃないのか? 自分も当初疑問に思ったし、ネットでも疑問の声があるわりに、解答がないので、解答を書いておこうと思った。では解答。 「令」の字に「りょう」という読みはありません というのは、ブログっぽい釣り風味なんで、正確に言い直そう。 「令」の字に常用漢字表では「りょう」という読みはありません そう。ないのだ。 日政治制度の基となった「大宝律令」は、「たいほうりつりょう」。これは、小学生でもそう学ぶと思うので、「令」は「りょう」という読みがあるのは知っている人が多い。 しかも、万葉集の時代、奈良時代の漢字は、呉音で

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    kz78 2019/04/03
  • ためらいながらではあるけど: 極東ブログ

    人と限らず多くの人がフィギュアスケートの羽生結弦選手の活躍を賞賛しているなか、こういう意見を述べるのも、悪意のように取られるのではないかと恐れるが、自分としては若い選手の将来を思ってこういう意見もあるという、一つの小さな例として、ためらいながらではあるけど、書いておきたい。繰り返すが、こう思う人もいるというくらいの些細なブログ記事であり、強く望むという大それた主張ではないし、私はたぶん間違っているのだろうという疑念もあるので、そこは理解していただきたいと願う……私は羽生結弦選手は平昌冬季オリンピックに出場しないほうがよかったと考えていた。 理由は、NHKスペシャル『羽生結弦 五輪連覇への道』を見たおり、昨年11月の怪我が深刻なものに思えたからだ。同番組では「自らの限界を超えて五輪に挑もうとする羽生結弦」というトーンで推していたが、そしてそれ自体はスポーツ選手として素晴らしいことではある

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    kz78 2018/02/20
    2014年の上海で、練習で頭を強打した羽生選手が本番を滑って2位になったけど、あれは下手すると死ぬので今でも周りが止めるべきだったと思う。/ただし、生死にかかわらない部分では本人の判断にゆだねるしかない。
  • 日本憲法は会社の定款と同じ: 極東ブログ

    シリーズでお届けする民主主義と憲法、第四回は……ない。まったくないわけでもなくて、「日国憲法はそれ自体が市民革命である」という命題が成り立つか時折考えるので、この間似たようなテーマのエントリが続く中、これも考え直したのだが、よくわからない。一番よくわからないのは、大日帝国憲法下の日もそれほどデモクラシーに反していないことだ。 大日帝国憲法において天皇は明白に国家の機関であったし(中野学校でもそう教えていた)、その憲法下でそのまま日を民主主義国家としてなにがいけないのか。つきつめるとわからない。いわゆる戦前の日は軍国主義とか言われるが、別段そうでもない。統帥権問題も誤解ではないかと思えることもある。その意味で敗戦によって憲法を変える必要があったのかと、これもあらためて考えると、まあそれが敗戦ということだ。変わってしまったのは歴史の事実であり、しかたがない。どう変えたのかについ関心

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    kz78 2017/12/16
    "バージョン改変履歴があれば事足りる"には同意するが、"プログラムと同じで"というのはちょっと待ってくれ。
  • そこに神社が建つだろう: 極東ブログ

    こんなエントリー書いていいのか戸惑っている。炎上が怖いとか、ご一同様のバッシングに打たれ弱いからとかいう理由ではない。昨今人気ブロガーさんのように炎上を狙いたいわけでもないし、ご一同様を刺激したいわけでない。書くべきじゃないんじゃないかとなんとなく思うのだが、そのなんとなくがなんなのかよく自分でもわからない。とか言うのは、これは書いておいたおいたほうがいいんじゃないかという気分もあるからだ。なぜ書くのかというのははっきりとはしないのだが。まあ、うだうだした前口上を述べたのも口ごもりの修辞ではある。 そこに神社が建つだろう、と思うのである。実はずっと思っている。これだけ書いてぴんとくる人がいるだろうか? いたらそれはそれで怖いんだけど。 そこがどこかというと、多摩川の河川敷である。川崎市中1男子生徒殺害事件である。すでに一つエントリーは書いた(参照)。 今日が事件三か月後になる。現場はどうな

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    kz78 2015/05/21
    こういう時に建てるのは神社じゃなくて地蔵であると思う。堤防の上あたりに。/まあ数年もすればほとんど忘れられるんじゃないかと思うし、忘れてほしくないから地蔵とかを残すのじゃないかとか。
  • 家族を規定したのが「なるちゃん憲法」: 極東ブログ

    先日家族史関連の与太話を書いたおり、古代や中世にも家族はあったみたいな反論を貰うかなとは予想していた。だって奈良時代に戸籍があるじゃないのとか、貴族や名家には父母がいるではないかみたいな。古代の戸籍についてはその実態を調べてもらえば問題の所在がわかるだろうからそれはさておき、古代や中世でも父母と暮らして云々というあたりはちょっと補足というか与太話の延長をしてみたい。 単純な話、古代や中世の「母」が子供を育てていたかということだ。いうまでもなく、乳母(めのと)が育てていた。母乳を与える女がやってきて育てるのである。女性が母乳を出せるのは実の子を産んだ期間に限られることからわかるように、乳母は自分の赤ん坊も一緒につれてくることがある。するとどうなるかだが、乳兄弟というのができる。また、乳母は女ではあるがそのまわりの世話役の男なんかも付いてくることもある。 こういう貴族や名家に乳母をほいほいと手

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    kz78 2012/11/02
    明治天皇以前は側室が居たのね。血統の維持にはそういう制度が必要なのかねぇ。
  • 会話がとてもつらいとき: 極東ブログ

    例えば、会話のなかでこういう発言が向けられることがある。 「補充には数日かかるらしいので、鈴木さんが困るといけないから戻しておきました」 ここで、私の頭は飛ぶ。飛ぶというのは、ヒューズが飛ぶという、昭和的な事象である。脳髄に激打をくらったような呆然とした状態になる。意識が残っているなら、とりあえず、相手の言葉を繰り返す。「補充には数日かかるらしいので、鈴木さんが困るといけないから戻しておきました」 意味不明。 「何を補充するのか?」 「誰が補充するのか?」 「なぜ鈴木さんが困るのか?」 「戻しておいたものは補充された何かと同一物または類似物なのか?」 「鈴木さんが困ることと私とはどのような関係があると話者は想定しているのか?」 皆目わからない。 少なくとも、主語と目的語の役割の情報を補って文章を完成してくれるだけでも、よいのだが。少なくとも、以下の空欄が埋まっていると、とても救われる。 「

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    kz78 2012/09/21
    「○○さんの番号知らない?」と聞かれたときに「番号って何の番号?(電話だろうけど郵便の可能性も)」と聞き返すと、「電話番号だよ」と普通に返してくれる人と「番号っていったら番号だよ!」とキレる人がいる
  • カダフィ氏はいかに殺されたか その2: 極東ブログ

    カダフィ氏はいかに殺されたか。その話は先日のエントリー(参照)に書いた。それ以上書くこともないだろうと思っていたが、ツイッターで「これは米英が「国民評議会にカダフィを殺させた」って理解でいいですか? 」と訊かれ、少し困惑した。それだけではどう返答していいものかわからない。 そこで「どう思いますか?」と問い返した。答えは、「少なくとも殺さないようにした、とか。また、英米が拘束しないようにした、とも読めます。あくまでリビアの国内問題問で処理させる」とのことだった。それも、率直なところ、よくわからなかった。何か前提が欠落しているのではないかとも思った。 いずれにせよ、カダフィ氏の殺害については、もう少し補足したほうがよいのかもしれないと思い至ったので、もう少し書いておこう。話のネタはスレートの「Muammar Qaddafi should not have been killed but sen

    kz78
    kz78 2011/10/26
    "カダフィ氏の殺害は、国際社会が無法そのものであることを示している。それは、私たちの恥でもあるし、法への侮辱でもあり、つまりは、正義への愚弄そのものである。" んー。ここでいう「正義」とはなんぞ。
  • 極東ブログ

    中公新書の新刊とされている『ケマル・アタチュルク』の表紙を見たとき、ほんの数秒だが、私にはちょっとした混乱があった。「あれ?改版したのかな」と勘違いしたのである。「ケマル・アタチュルク」という表題のインパクトが強く、その上部に記されている著者の小笠原弘幸氏の名前にふとした失念があった。が、すぐに、「ああ、『オスマン帝国』の小笠原さんか」と思い出しつつ、書を開いた。 冒頭、「トルコ共和国の首都、アンカラ。その丘のひとつに建立された、巨大な廟がある。」と読むや、私も見た、壮大なアタチュルク廟の思い出が蘇った。 書を見たときの、この、自分の、わずかだが、混乱の理由は、「すでに中公新書には大島直政氏の『ケマル・パシャ伝』があるではないか?」と連想したからである。勘違いである。それは新潮選書であり、大島直政氏の中公新書の書籍は『遠くて近い国 トルコ』である。この新書は1968年の刊と古く、先の新

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