遠藤がレギュラー奪取に奮闘していた昨冬、旧知のテレビディレクターが偶然リバプールを訪ねていた。観戦のつもりが、予期せぬ密着取材が始まって――移籍後の初タイトルがかかるカラバオカップ決勝(日本時間2月25日24時)を前に、日本代表キャプテンがこぼした本音と素顔を、全3回にわたってお届けする。
青春の押し付け問題 大人が選手を自分好みのストーリーに当てはめようとする、いわば、青春の押し付け問題。これも高校野球が抱える、そして解決していかなければならない大きな課題の一つです。高校野球はシンプルに言えば、高校生がただ野球をやっているだけですが、真夏の風物詩やお祭りのように捉えている人が多く、もはや非常に巨大なエンターテインメントとなっています。新たなヒーローの出現や感動的なゲームを望むファンがいて、また、それを売り込んでいこうとするメディアの存在もある。そこで過剰に膨らまされたドラマに、それを望むファンが喜んで食いつく。こうした土壌が高校野球にはあると思います。 そしてそれを支えているのが、春と夏の全国大会が公共放送で全試合生中継され、その面白さを全国民レベルで共有できてしまうところなのです。一部からは「試合が面白いのだから、いまのままでいいじゃないか」という意見も聞かれますが、それ
縁とは不思議なもので、千賀がメジャ−初登板する球場は、甲斐も出場したWBCの準決勝・決勝が行われたローンデポ・パーク(マイアミ)でもあった。 千賀のデビュー戦は日本時間の月曜日午前2時40分プレーボール。日本のプロ野球は開幕3連戦を終えたところで、月曜は休日だった。それに、移動日でもある。甲斐は「え、2時40分? あぁ……、大丈夫でしょ千賀なら」と困り顔に笑顔を交え、「(電話が)かかってこなかったら逆に問題ですよね(笑)。一度寝てしまえば、試合を見るために起きることはないかな~。結果を楽しみにします」とはぐらかした。だがその言葉とは裏腹に、しっかり未明に千賀の初勝利を祝うSNSを投稿していた。 話が少し逸れたが、千賀が報道陣へジョークを飛ばすのも珍しいと感じた。ソフトバンク時代もしっかり話すタイプではあったが、比較的マジメな返答が多かった印象だ。それだけでも、長年の夢だった舞台に立てるとい
相撲、どこに行ったら見られるの? 屋根のある球場だけでなく、選手たちのほとんどは日本に来ること自体が初めて。だからこそ目にするものすべてが新鮮だった。ジーマはうれしそうにこう続けた。 「日本の文化も食べ物も気に入ったよ。スシに、ラーメン。何ていう名前だっけな、あのラーメンは……。とにかく辛くておいしかった。日本の文化や伝統もいいね。お寺とか、細かいディテールにこだわるところとか」 ディテールとは? 「例えばレストランで、箸の置き方とかもてなしの仕方とか。何でもきちんとした決まり、約束事がある。(土俵に上がってから儀式がある)相撲もそうだよね。実はすごく相撲を見に行きたいと思っているんだ。どこに行ったら見られるの? 連れていってほしい」 そう言って人懐っこそうな笑みを浮かべた。 チームの大黒柱は「本業・消防士」 チェコ代表は、昨秋にドイツで行われた予選A組(ヨーロッパ・アフリカのチームが出場
海外FA権を行使してソフトバンクに移籍した近藤健介の人的補償として、日本ハムが指名したのは“未完の大器”田中正義だった。 1月11日、ソフトバンクが正式に球団発表を行い、「ホークスの皆さんには、なかなか結果が出ない僕をこれまで支えて頂き、本当に感謝しています」という田中のコメントも合わせて紹介された。 同発表を待たずに日本ハムの新庄剛志監督が「(いい選手が)俺の中では4人くらいいました。めっちゃ迷いましたよ。ビデオすり切れたもん」「大学時代から見ていたから、大学時代のように復活できるかどうか」「最初の文字が“タ”かな?」(いずれも1月10日付、スポーツニッポンより)などと語ったことで、田中が日本ハムへ移籍することは発表以前から確実視されていた。 現行のFA制度において、ソフトバンクが作成した28名のプロテクトのリストが外部に漏れることは原則あり得ない。 とはいえ“球界人事”は常にファンの興
ところが、昨年12月になってイチローが突然「日が迫ってるからしっかりやれ」と言い出した。打撃投手やノッカーを務めるのは、本気モードのイチロー自身だ。 高田たちが練習場で歩いていただけで、「ダッシュだ!」とどやされる。イチローがノックする打球を下がって捕ったら「前へ出ろ、前へ!」。打球を身体で止めると「そうそう、それだ!」。時には「野球をナメるな!」と厳しい活も入れられる。 「もう、怖い、怖い。イチローに散々しごかれたおかげで足がパンパン。当日は強力なロキソニン飲んで試合に出ました」 投手イチローとバッテリーを組んだ捕手が覚えている練習 イチローは現役時代、人一倍練習で汗を流し、自らを限界まで追い込んでいた。草野球でも妥協を許さぬ姿勢は変わらない。高校時代、投手のイチローとバッテリーを組んだ同級生の捕手・畑憲作が言う。 「僕らの高校時代、1980~'90年代の“名電野球”です。昔は毎日そうい
7月16日(日本時間、以下同)にアメリカ・オレゴンで開幕した世界陸上選手権は、25日、大会最終日を迎えた。 大会ではフィールド&トラックなどでの選手たちの活躍に加え、開幕前から注目されるニュースがあった。これまで大会のメインキャスターを務めてきた織田裕二と中井美穂がオレゴン大会をもって卒業する、つまり最後の大会になることが発表されていたことだ。 2人が初めてキャスターに就いたのは1997年のアテネ大会だから、13大会連続、25年にわたり務めてきたことになる。とりわけ織田の存在は、「世界陸上といえば織田」と言えるくらい浸透し、結びついていただけに、最後となることは反響を呼んだ。 テンションが高すぎる…就任当初は批判も多かった 1991年の『東京ラブストーリー』で一気に人気を高め、1993年の『振り返れば奴がいる』も話題となった織田は1997年、代表作の1つと言える『踊る大捜査線』に主演。時代
2006年、高校3年生で当時の女子1500m日本記録をマークして、「スーパー女子高生」と呼ばれた小林祐梨子さん。現在開催中の世界陸上に出場している田中希実が2020年にその記録を更新するまで約14年間にわたって日本記録を保持していた。 小林さんは2008年の北京五輪、09年のベルリン世界選手権に出場し、2015年に現役引退を表明。引退後に中学2年生から14年間付き合った男性とゴールインし、現在は2人の息子を育てながら、解説者やラジオパーソナリティーとして活躍している。 妻となり、母となった33歳の小林さんに、“若手アスリート”として注目されたゆえの葛藤や、引退後の自身を支えた家族への思いを聞いた。全2回の前編/後編は#2へ
筑波大MF川勝翔太(3年)。医学群に在籍する選手としてサッカー部史上初となるトップチームの公式戦出場を果たした 関東の強豪大学が総理大臣杯の出場権を懸けて戦う「アミノバイタルカップ」。その1回戦、作新学院大学に4−2と大きくリードした筑波大学は、試合終盤の87分にある一人の選手を投入した。 背番号は29。メンバー表を見ると、MF川勝翔太(3年)とある。プロフィールによれば「医学群医学類」に在籍する選手のようだ。 筑波大蹴球部はかつて中山雅史、井原正巳ら歴代のW杯日本代表を輩出し、最近では大ブレイク中の三笘薫も在籍した大学サッカー界の超名門。現在、チームには医学群の選手が14名在籍しているが(2年生/1名、3年生/3名、4年生/4名、5年生/4名、6年生/2名)、トップチームでプレーするのは川勝ただ一人。過去にもトップチームに帯同した例はあったが、長い歴史を誇るに筑波大においても、医学群の選
昨年は年間79勝を挙げ、関東リーディング4位となった横山和生。これまで最高が2013年に挙げた39勝だったことを考えると、大きな飛躍を遂げた1年間だったと言えるだろう。しかし当の本人に躍進の秘密を聞くと「それだけいい馬に乗せて頂いたということ。でも最近になって何か特別なことをしたわけではないんですよ」と首を横に振ってみせた。 「きっかけがあるとすれば、数年前からでしょうか。自分が調教やレース、返し馬やゲート裏の雰囲気から感じたことを関係者と共有して、一緒に馬を作っていくようなイメージでアプローチしてきたんですよね。自分自身、一時は成績もかなり落ち込んでいて、『今週は乗り馬がいるんだろうか……』なんて悩んでいた時期もあったのですが、そのような中でも乗せてくれた関東の先生達、そして関西の先生にも声をかけていただき、応援して下さる方が少しずつ増えてきて、それが結果として大きく結びついたのが昨年だ
「沙羅もすごくいいジャンプをしていましたし」 そんな小林は同い年で傷心の高梨を励まそうとハグするなど、優しさを見せた。 「2本目、沙羅もすごくいいジャンプをしていましたし。本当に強いなと思いました」 このように語る小林にも、不調の時期があった。 新型コロナウイルス禍によって2019-20シーズンは終盤で打ち切られ、W杯で3勝を挙げたものの総合連覇に届かず。さらに翌20-21シーズンは調整不足のまま冬のシーズンを迎えると、20年11月の個人第2戦で38位に終わり、3シーズンぶりに本戦2回目に進めないほどの不調だった。 本人いわく「絶望」の時を過ごしたというが……そこから巻き返し、日本人男子最多となるW杯通算18勝を挙げるなど、総合4位に。そして北京五輪イヤーとなる21-22シーズンはスキージャンプ週間で3シーズンぶりの総合優勝、W杯でも勝利を積み重ねていった。苦しい時期を乗り越え、世界No.
安らぎは、手のひらに落ちた雪のように束の間だった。 2月7日に行われたスキージャンプ混合団体の1回目、日本の1番手で登場した高梨沙羅は103mの大きなジャンプを見せた。点数が表示されて、ホッと微笑んでカメラに手を振る。今大会でテレビを通じて見ることができた、結果的に唯一と言ってもいい高梨の笑顔だった――。 長く葛藤してもがき続けた4年間は、そんな一瞬笑うためだけのものだったのだろうか。そうじゃなかったはずだ。思い出すたび胸が締めつけられるような刹那の笑顔だった。 2日前の個人戦ではメダルを逃して失意の4位。「もう私の出る幕じゃないのかもしれない」と思いつめていただけに、チームに大きく貢献できたこのジャンプには本人も救われる思いがしたはずだ。《もっとちゃんとテレマークを入れなきゃいけないな》と、くだけた感じで両手を横に広げる姿。心の余裕も少し取り戻して、高梨はマテリアルコントロールと呼ばれる
「いや、お金の問題じゃないんです。これは名誉なことですから」 2021年7月某日11時。山形と東京、そしてロサンゼルスをつないで行われた最初のオンライン・ミーティングで、予想外の言葉が発せられると、J2モンテディオ山形の鳥飼健司事業アドバイザーは思わず目を潤ませた。 現在のチーム名となって25年を機に、長年愛用したエンブレムの変更を検討してきた山形は、12月10日に地元出身の世界的デザイナー、奥山清行氏が手掛けた新デザインの発表を行った。 就任して3年の相田健太郎社長が「時代の変化に合わせ、モノとして使いやすくする必要がある」と考えてきたエンブレム。冒頭の言葉で動き出した“夢”のプロジェクトが形となった。 予算規模の格差は100分の1以上? 奥山清行/ケン・オクヤマと言えば、あのフェラーリをイタリア人以外で初めてデザインしたことで知られる人物だ。創業者の名を冠した記念モデルである『エンツォ
「いずれにしましても、ファンのみなさま、選手諸君、コーチ、そして球団の方々、本当にみなさんに、感謝、感謝、感謝です」 「ノムさんはこの光景をどう見たのだろう…」 感謝、感謝、感謝――。高津監督が口にした言葉は、かつて野村克也が口にしたフレーズとまったく一緒だった。間違いなく、自身が胴上げ投手となった28年前のことを意識した上での発言だろう。事実、「野村監督の言葉をお借りして、勝ったら言おうと思っていました」と、試合後に高津は語ったという。 それは、28年前の歓喜と興奮が、今、目の前で行われていた息詰まる死闘と交差した瞬間だった。「あぁ、あれからかなりの時間が経過したのだな」という感慨と、「ノムさんはこの光景をどう見たのだろう……」という思いと、「高津監督、本当にどうもありがとう」という感謝の念が入り混じったさまざまな心境になった。
こんな言葉はまだまだ生やさしいものだった。ネットには誹謗中傷する言葉が並び、今ならAIチェックでヤフーのコメント欄が閉鎖に追い込まれてしまっていたかもしれないような、罵詈雑言が溢れていた。 2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表メンバーが発表されると、ニュースサイトのコメント欄にはもちろん連覇を期待する応援コメントが溢れたが、その一方で巨人・亀井善行外野手の代表入りを批判する口汚い言葉がこれでもかというほど書き込まれた。 亀井「実績のない自分が行くのは辛かったです」 「正直、いまだから言えますけど選ばれたくなかった」 10月21日。今季限りでの現役引退を発表した亀井は、引退発表の記者会見であのWBCのことを聞かれると、こう振り返ったという。 「実績もないですし、実績のない自分が行くのは辛かったですし、他にも実績のある人が落選しているのを見て辛い思いをしまし
NPBもシーズン終盤。新人王争いについて見ていきたい。今季は、セ・パ両リーグともに激しい争いになっている。 新人王資格は、海外のプロ野球リーグに参加した経験がない選手で、支配下登録されてから5年以内、投手は前年までの一軍での登板イニング数が30イニング以内。打者は前年までの一軍での打席数が60打席以内になっている。 まずはパ・リーグの新人王レースを見ていこう。数字は9月23日時点。まずは打者から。打撃の総合指標であるRC(Run Create)の上位順に並べている。 <パ打者> 紅林弘太郎(オ)360打79安7本36点1盗 率.219 RC26.01 岸潤一郎(西)221打53安8本19点0盗 率.240 RC22.26 若林楽人(西)144打40安2本10点20盗 率.278 RC19.81 山口航輝(ロ)147打28安6本16点0盗 率.190 RC13.58 万波中正(日)92打18
出だしのバタフライは予選より0秒24遅いタイムと抑え気味に入る。続く背泳ぎで2位に上がり、迎えた平泳ぎが勝因となった。ここで加速し、自身の持つ日本記録を樹立したときより2秒近く速いタイムで泳ぐ。平泳ぎはその得手不得手で差がつきやすいだけに、ここで2位以下に大きなリードを得た。 ターンして迎えた最後の自由形も、その入りから積極的な泳ぎを見せて、今シーズンのベストのタイムを記録する。追い上げを許さず、1着でタッチした。 初めてのオリンピック出場であった。それを思わせない堂々たる泳ぎだった。 「自分がオリンピックチャンピオンになったんだとうれしさがある一方、正直まだ信じられない気持ちがいっぱいです」 コーチである平井伯昌氏の存在の大きさ 会心のレースからすると意外なことに、今シーズンは苦しい時間を過ごしてきた。昨年末の日本選手権を体調不良で欠場し、五輪代表選考のかかった今春の日本選手権は痛み止め
スケートボードの放送で「鬼速いっすね〜」「ハンパねぇ」などの“フランクすぎる”解説がSNSなどで話題になっている瀬尻稜さん。実はプロライダーとして世界の舞台でいち早く活躍したレジェンド的存在です。そこでその人物像がよく分かるインタビュー記事を再公開します。(初公開:Number Web 2020年6月5日) 日本人スケートボーダーが世界の舞台で活躍するようになって久しい。 2016年に「X Games」のオースティン大会で女子パークの中村貴咲が日本人初となる優勝を飾ったことを皮切りに、翌年には堀米雄斗や西村碧莉といった選手が台頭しエースへと成長。さらに最近はそれに次ぐ世代も続々と頭角を現し、今や日本はアメリカ、ブラジルと並ぶ世界の3大列強と呼ばれるようになった。 この要因には様々な事柄があげられるが、その大きな理由のひとつはスケートボードのファミリースポーツ化だろう。 両親が子育ての一環と
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