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勉強と子供に関するmurasukeのブックマーク (2)

  • では、子どもの〈見えない学力〉地頭、読む力に親は何ができるのか?

    引き続き、このから。 子どもの〈見えない学力〉、いまなら地頭とかいうものは、親の文化水準×子どもの経験の質によると、岸裕史はいう。 これだけだったらネットでいくらも見かける(俗流)文化の再生産論である。これでおしまいなら次のような笑えない問答に尽きてしまう。 問:勉強ができるようになるにはどうすればいいですか? 答:親を選びなさい けれども再生産のプロセスを細かく見れば、例えばどんなことが子どもの読書体験につながるのかが分かれば、(教養読書習慣のない親であっても)活用できるものを拾い上げることができるかもしれない。 先のは、この手のネタの宝庫なのだが、いくつか拾い上げてみる。 1.親が子供のを読む 親が読書の習慣がない場合は、親が子供のを読むことからはじめる。 中でも岸は、教科書を読むことを勧める。 ぶっちゃけ教科書の文章は、市販の大抵のよりも、短くやさしいからだ。 2.親

    では、子どもの〈見えない学力〉地頭、読む力に親は何ができるのか?
  • 「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と聞かれた時、言葉を尽くせない大人が知性を殺す: 不倒城

    ちょっと前、「子どもに「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と言われた時、「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」と返すのが最強」とかいうコピペをみて、心底アホかと思った。まさか親や教育者が気にはしないと思うが、こういう一言は容易に知性を殺す。 「お前は何の役に立つの?」という言葉には、勿論「お前も今は役に立たないけれど、将来は役に立つだろう?それと同じだ」という含意があると思われる。子どもはこの含意を理解しない。「お前は役に立たない」と受け取る。これは、言ってはいけない言葉だ。こういう言葉が、子どもから学習自体を奪う。 子どもはどんな時に「こんなこと勉強して何の役に立つの?」というかというと、要はその分野が面白くない時、意味が分からない時、とにかくその勉強をしたくない時に言うのであって、つまり「どんな役に立つのか」→「役に立たないでしょ?」というのは勉強しないことの理由づけないし

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