ブックマーク / reki.hatenablog.com (8)

  • 「WWEとフェミニズム」ーアメリカン・プロレスにおける女性の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ようやく男女平等が近づいたWWE アメリカのプロレス団体最大手WWEは、大きな変革期にあります。 「男女平等」の変革への動きです。 長い間、女性の試合は男子選手の試合の前座的扱いで、セクシーさを売りにしたスタイルが人気でした。しかし今は男子と同じくメイン級へ、また技術やパワー、闘争心をむき出しした戦いで観客を沸かせるスタイルに転換しています。 これは遅ればせながらWWEでも男女平等への取り組みが進んでいると評価できると思います。 しかし、フェミニズム運動が始まって100年以上。なぜここまで男女平等への取り組みが遅れたのか。 この記事では、過去のWWEの歴史フェミニズム文脈を織り交ぜながら考察したいと思います。 なお、考察は主に私が長年ウォッチしている最大手のWWEを中心に見ていきたいと思います。AEWはたまに見ますが、TNA(Impact)、ROH、その他の中小インディー団体はほとんど見

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  • アジア・アフリカの10の「民族統一主義運動」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    欧州の考えを輸入したアジア・アフリカ的民族統一主義の形 以前、ヨーロッパの民族統一主義運動についてまとめました。 過去に自民族が保有していた・または勝ち取っていた領土の回復、自民族のルーツであるが今は他国にある土地の回復、他国に住む自民族の土地の政治的統合、自らの民族に近い言語を話す民族の土地の政治的統合、といったものを目指す国粋主義的な考え方です。 今は多くの地域で人気を失っていますが、第二次世界大戦前後は大きな影響力を持った考えで、民族主義・国粋主義・排外主義がの加速が悲劇的な戦争をもたらしてきました。 民族統一主義はヨーロッパだけでなく、アジア・アフリカにも見られます。特にアジア・アフリカでは第二次世界大戦以降の独立後に、民族主義・愛国主義を鼓舞するために利用されました。 1. 大シリア Image by Roxanna 「自然シリア」の構築を目指す運動 大シリアという言葉は非常にあ

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    naaa145 2020/08/17
  • ネクタイの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    なぜここまでネクタイは広がったのか クールビズが結構浸透してきて、特にかしこまった場ではない普通のビジネスの場ではノーネクタイでもあまり失礼でないという風潮になってきました。やっぱ皆あまりネクタイが好きじゃなかったんだなあと思います。 息苦しいし、つけるの面倒だし、ないにこしたことないんですよね当。 日人のネクタイ離れはどんどん進んでいってるわけですが、なぜここまでネクタイが広まったのか、単に「みんなやってるから」以外の理由がある気がします。見た目のかっこよさもあるし、防寒という実用的な面もあるのでは? ということで今回はネクタイの歴史です。 1. 古代の「ネクタイ」 厳密には我々が言う所のネクタイとは違いますが、「首に巻く布」のファッションは古代世界にも存在しました。 最古の「ネクタイ」は、秦の始皇帝の墓を護衛する兵馬俑に埋められた、陶器の兵士が身につけているものです。 この「ネクタ

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  • かつて存在したバチカン並みに小さかったミニ国家 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    史上星の数ほどある消滅したミニ国家たち ミニ国家は歴史上星の数ほど存在し、またそのだいたいが消滅しました。 現在残っているミニ国家は、バチカン、リヒテンシュタイン、サンマリノ、アンドラ、マルタ、モナコ、シンガポール、バーレーンなどごくわずかです。 今回はあまり知られていない、成り立ちと歴史が面白いミニ国家を集めました。 1. タヴォラーラ王国(1836年〜1962年) 「ヤギのもてなし」 で無人島が独立国家に タヴォラーラ島はイタリア・サルディニア島の北東部、オルビア湾の沖に浮かぶ島。現在では静かなビーチリゾートとして知られています。 Work by NormanEinstein タヴォラーラ島はかつて、国際的にも認められた独立王国「タヴォラーラ王国」として知られました。 1807年、ジェノヴァ出身のジュゼッペ・ベルトレノーニとその家族が当時無人島だったタヴォラーラ島に移住し、島の野生のヤ

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  • アメリカの黄禍論はなぜ生まれたか - 中国人移民排斥から排日移民法まで - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    19世紀末〜20世紀初頭に起こった反アジア人論 黄禍論はアジア人に対する経済的・社会的・軍事的・生物的脅威を唱えた「反アジア人論」。 特に19世紀末からの中国人移民と日人移民のアメリカ流入に併せてマスメディアを中心に扇動されるようになりました。 日露戦争による日の勝利によって日の軍事的脅威が高まると一気に差別的感情が噴出し、とうとう1924年の排日移民法の制定にまで繋がっていきます。 黄禍論はアジア人を相対的に敵視することで、「白人種」内での人種の境界性と優位性を薄めるることになりました。 1. 黄禍論とはなにか 黄禍論とは元々、1895年にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の依頼で描かれた壁画「ヨーロッパの人々よ、その聖なる領地を守り抜け」に由来します。 この絵ではヨーロッパの国々を代表するメイデン(乙女)たちが、東方で唸りをあげる邪悪に対峙する様子を表しています。 ヴィルヘルム2世は、仲

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    naaa145 2018/09/11
  • 【大航海時代】新大陸メキシコに渡った日本人の記録 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    様々な形で太平洋を渡った名もなき日人たち 1639年に徳川家光が鎖国体制を完成させるまでの16世紀から17世紀前半までは、史上類を見ないほど日人の海外進出が盛んな時期でした。 ベトナムのホイアンやフィリピンのマニラなど東南アジア各地に日人町を作って商業活動を行う者もいれば、アユタヤの山田長政のように政治・軍事にまで介入する者、また末端では傭兵や奴隷としてポルトガル人やスペイン人の下で働く事例も数多くありました。 中には太平洋を超えて新大陸に渡ったり、大西洋を超えてヨーロッパに渡った事例もあります。 1. メキシコに連れて行かれた日人奴隷 太平洋の奴隷交易 1565年、フィリピンのマニラからメキシコのアカプルコを結ぶガレオン船の航路が開通し、メキシコからは大量の銀、マニラからは中国製の陶磁器や絹製品などが流通するようになりました。 モノと情報の流通が活発になると、それに吸い寄せられる

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    naaa145 2018/07/23
  • 【閲覧注意】世界の反社会的音楽のジャンルと代表曲 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by themockstar ヤバいテーマを歌う世界の音楽ジャンル 今や日音楽シーンは、アイドル全盛であります。 アイドルブームの背景にあるのは「共感」が高い価値を持つという考え方で、歌詞を読んで聞いてみんなで納得しあい、同じ共感コミュニティの中に各々所属意識を持つことで、個人の魂が救われるという構図があるように思います。 また音楽には「人の思いをたぎらせ、行動に駆り立てる」というのがあります。そういう点で、実際に行動に移されたら反社会的行為となりうる、結構ヤバめな歌詞を歌い上げる音楽のジャンルも存在します。 今回の記事では、実際の歌詞の訳も掲載していますが、見る人が見たらかなり不快なものなので、お気を付けになってご覧ください。なお、この記事によって特定のイデオロギーを普及させる意図はありません。 1. ロック・アゲインスト・コミュニズム ロック・アゲインスト・コミュニズム

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    naaa145 2018/07/02
  • 2010年代に独立を宣言したミクロネーション(自称国家) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    どんどん新しく生まれるミクロネーション 国際的には全く認められていないものの、ある特定の地域が勝手に独立宣言をする場合があります。ミクロネーションという名前で呼ばれ、日語では「自称国家」と言われます。 こういう地域は毎年のように新しく出来ていて、2010年以降もかなりの数が生まれています。 この記事では、2010年以降に独立を宣言し比較的メディアに露出し認知度の高いミクロネーションを紹介します。 1. フィレッティーノ公国(2011年独立宣言) 人口600人未満の寒村が独立を宣言 2011年9月、イタリア・ラツィオ州フロジノーネ県にあるフィレッティーノという人口600人未満の寒村が独立を宣言しました。 フィレッティーノはかつてはリゾート地として栄えましたが過疎化が進行。住民の数も減り、行政効率化のために近隣のトレヴィと合併が計画されていました。 イタリアでは日と同様、市町村合併が進行し

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    naaa145
    naaa145 2018/05/14
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