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peopleとkorean-studiesに関するnabinnoのブックマーク (8)

  • 中韓を知りすぎた男

    今回も台灣友人の話です。話の最後の方はすっかり彼の話を信じるように なっていた。その話を書いてみます。 昔の私は漢籍を通じて、中国には漠然たる親近感を抱いてきた。まして20年 以上も中国で商売してきたために、中国人のすべて知ってしまったように錯覚 していた。しかし台灣友人の話をきいてネクタイを結んだ中国人(権力を握った 中国人)について、何も知らないことがわかった。 もちろん中国人の品性は、平凡にして狡猾、低劣にして傲慢である。ほとん どの民衆はいつも飢餓の線上でもがき,死生の縁でさまよっている。 生を求め、命を保つためには、互いに欺き、騙し合う、生きていくためには、 いかなる悪徳非道なことでもやる。という私の中国観は変わらない。 しかし彼のネクタイをした中国人の見方を聞いて納得。つまり共産党員と 庶民とは全く違う、全国民の約8%が共産党員である。そのうちの権力を 握っている共産党員たちは

  • 高永喆 - Wikipedia

    高 永喆(コ・ヨンチョル、朝鮮語: 고영철、英語: Koh Young Choul)は、拓殖大学客員研究員、韓国統一進興院 専任教授、朝鮮半島外交・安保、歴史文化及び北朝鮮情報分析専門家。 略歴[編集] 大韓民国全羅南道生まれ。 朝鮮大学校文科大学卒業(奨学生)、1975年、韓国海軍将校任官、海軍大学(正規18期)卒業、米国防情報学校修了(兆候分析: 短期教育)。訪日以降、拓殖大学大学院博士前期課程修了(安全保障専攻)。 現役時代一線部隊の指揮官、参謀を務めた後、士官学校及び国立海洋大学ROTC教官を務めた。1989年、韓国国防省情報部に異動となり北朝鮮情報分析官後、海外情報部の日担当官(防衛交流)を務める。当時高少佐は、日韓軍艦親善訪問、情報交流、人事交流など両国防衛交流推進の実務担当官メンバーとなる。 1993年、金泳三が大統領に就任し、32年間続いた軍事政権から文民政権へと変わ

  • 山下英愛 - Wikipedia

    山下 英愛(やました よんえ、1959年 - )は、韓国女性学の研究者。文教大学文学部教授。 旧名は崔英愛。元挺対協[1]。内縁の夫は慰安婦問題で有名な戸塚悦朗弁護士[2]。 来歴[編集] 朝鮮総聯元幹部である父・崔碩義と日人の母の間に東京都で生まれたハーフ[1]。初級学校の6年間、皆勤賞を受賞[3]。父親が総連から離脱したため、中学から公立学校に通う[1]。1982年3月、多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻、1984年3月、津田塾大学学芸学部国際関係学科を卒業。 1987年3月、同大学大学院前期課程修了後、1988年に梨花女子大学校に留学し、そこで挺対協の初代代表の尹貞玉と出会い、1990年、盧泰愚大統領訪日時に挺身隊に関する声明を出したことをきっかけに挺対協へ加わり、研究班のひとりとなった。 1992年1月、同大学校大学院女性学科修士、1996年1月、同大学校大学院女性学科博士を修了

  • 一色正春 - Wikipedia

    一色 正春(いっしき まさはる、1967年〈昭和42年〉1月3日 - )は、日の元海上保安官(最終階級:三等海上保安正)。尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件において、「sengoku38」名で映像を動画共有サービス・YouTubeへ最初に投稿した。 海上保安官辞職後の職業は未詳。 人物・来歴[編集] 京都府京都市出身[2]。国立富山商船高等専門学校卒業[3]。学生時代は空手の稽古に熱中していた。商船高専卒業後は、海運業を営む企業に就職し、外航航路の船員として原油や天然ガスを日に輸送するタンカー船などに乗船した[4]。20代半ばで不況もあって船を降り、サラリーマン、職人見習いのようなことを日で経験した[4]。その後商船高専時代の同僚が先に海保にいたこともあり、30歳のとき国家公務員試験を受けて海上保安官となる[4]。 海上保安学校門司分校を卒業後[5]、1998年に釜石海上保安部で巡視艇

  • 三品彰英 - Wikipedia

    三品 彰英(みしな あきひで、みしな しょうえい、1902年7月5日 - 1971年12月19日)は、日歴史学者、神話学者。海軍教授、大谷大学教授、同志社大学教授、大阪市立博物館館長、佛教大学教授などを歴任。 経歴[編集] 1928年、京都帝国大学文学部史学科を卒業。戦前は、智山大学講師、京都帝国大学講師、海軍教授などを務めた。 戦後の1945年、海軍教授を退職して大谷大学講師となり、1946年に同教授、1955年から同志社大学教授を1960年まで務める。退職後は大阪市立博物館館長・佛教大学教授など歴任。朝鮮古代史で著名な東北大学名誉教授の井上秀雄などを指導したほかに、1960年から日書紀研究会を主宰するなどして関西の日古代史研究者を多く育てた。 評価[編集] 1920年代から1930年代頃に発展したアメリカ民俗学での知見を取り入れ、それまで史料学の分野であった考古学に、自然人類学

  • 崔基鎬 - Wikipedia

    崔基鎬(チェ・ギホ、1923年 - )は、韓国の加耶大学校客員教授[1]。 経歴[編集] 1923年生まれ。巣鴨高等商業学校(現在の千葉商科大学)を卒業。ソウル大学校附属司法大学院特殊法科課程修了[1] [信頼性要検証] 。明知大学校助教授、中央大学校教授を経て、加耶大学校客員教授[1] [信頼性要検証] 。 日韓文化交流協会顧問、富山県韓国交流推進アドバイザー[1] をつとめている[信頼性要検証] 。 言論ならびに主張[編集] 日韓併合で搾取されたのは日である。日韓併合なくして朝鮮半島の近代化はなかった。 韓国北朝鮮当の敵は中国である。 李氏朝鮮は隷属国家であり、北朝鮮は日時代の遺産をすべて壊し、李氏朝鮮の時代に戻っている。 日はもう謝罪する必要はない。日は明治時代の武士道を覚醒させて、しっかりと韓国と手を組んで中国と対処してほしい。 なお、2021年現在に至るまで伽耶大学

  • 古田博司 - Wikipedia

    古田 博司(ふるた ひろし、1953年(昭和28年)7月18日 - )は、日政治学者・歴史学者。筑波大学名誉教授。専門は、政治思想・東洋政治思想史・北朝鮮政治韓国社会論・朝鮮中世史・思想教化研究。筑波大学では人文社会科学研究科を担当した。 人物[編集] 神奈川県横浜市出身。大学では東洋史で人類学教室に属したが、製作者の気がこもっている民俗的物体に手を触れることができなかったという[2]。1980年(昭和55年)から1986年(昭和61年)まで韓国に滞在し、その体験と研究を下地にした韓国論の書籍を複数出版している。 主張[編集] 日韓関係について、日韓国に「教えず、助けず、かかわらず」の「否韓三原則」で対応すべきと主張している[3][4]。 韓国起源説を、「剣道も華道も韓国起源、孔子は韓国人だったという。外国人はこうのたまう彼らの文化を俗にウリジナルといっている」として、その原因を

  • 朴露子 - Wikipedia

    朴 露子(パク・ノジャ、韓国語:박노자、ロシア語:Владимир Тихонов、出生名:ヴラジーミル・ティホノフ、1973年2月5日 - )は、韓国教育者、大学教授、ジャーナリスト、作家、歴史學者、社会運動家である。 ロシアのレニングラード出身で韓国に帰化したロシア韓国人[1]。統合進歩党に対する親北政党として憲法初の法的解散(韓国国会で289人中258人の賛成)、内乱扇動罪による李石基議員逮捕、李明博や朴槿恵など韓国右派(韓国保守)、親米・嫌中・反北の思想を持つ韓国人を批判している[2][3]。 韓国在住ではなく、ノルウェーのオスロ大学の韓国学教授を務めており、在諾移民労働者である[4][5]。 著書[編集] 《朴露子の万感日記》(박노자의 만감일기) 《あなたたちの大韓民国》(당신들의 대한민국) 《あなたたちの大韓民国 2》 《選手権列敗の神話》(우승열패의 신화) 《白いマ

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