四捨五入改憲(ししゃごにゅうかいけん、朝鮮語: 사사오입개헌)とは、1954年11月に行われた大韓民国憲法の第2次憲法改正の名称である。賛成票が1票足りず、本来なら否決されるはずの憲法改正案を、数学上の「四捨五入」の論理を援用して強引に可決したと宣言したことで名付けられたもので、1952年の釜山政治波動[1]に次ぐ政治的事件となった。 解説[編集] 1954年当時の大韓民国憲法では、大統領の任期は1期4年で再任は1回のみ容認されていた。そのため、1952年の大統領選挙で再任された李承晩大統領は任期が満了する1956年には大統領の座を退かなければならなかった。しかし終身大統領となることを目論んでいた李承晩は、憲法を改正して再任制限を撤廃することを目指した。 憲法改正に先立つ5月20日に行われた第3代国会議員総選挙において大統領与党である自由党は改憲に必要な3分の2議席を確保するため、警察組織