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増田文学に関するnasuhikoのブックマーク (116)

  • 奇跡が起きるのは思っているより多いのかもしれないという話

    俺は海沿いの街で暮らしていて、二日に一度くらいの割合で仕事が終わってから浜辺に焚き火台を出して一人で何時間も火を焚いているという、あんまり頭の良くない趣味を持っている。 職場から家に帰ってきて焚き火台と薪を持って浜まで行くと、始められるのがおおよそ19時過ぎで、何回もやっているくせに木が炭になる時間の感覚がいまいちつかめないのもあって、「俺はいま焚き火をやってるな」と実感できる数の薪を燃やしていると綺麗に燃え尽きるのが21時半ぐらい、それからようやく夕飯をべ始めるのでやっぱり馬鹿なんだと思う。 季節で日が落ちるのが遅いけれども、灯りのあまりない海岸なので、20時を過ぎるとかなり暗くなる。自動車が道路を行き交う音と海鳴りが聴こえる闇の中にいるのは俺だけ…では意外となくて、砂浜に降りてくる道のコンクリートで舗装された突端に、よく誰かが二人で座っていたりする。 それは必ずしも決まった人たちでは

    奇跡が起きるのは思っているより多いのかもしれないという話
  • 私が女子校に通う高校生だった頃にクラスの端っこで漫画ばかり読んでたの..

    私が女子校に通う高校生だった頃にクラスの端っこで漫画ばかり読んでたのがれいなちゃんだった れいなちゃんはあんまり可愛くなくてちょっと体臭があって漫画の話をふると早口で話すのにこっちのふった話題には曖昧に笑うだけだからみんななんとなく触れずにいた その頃の私は受験に合格した時のハイテンションが続いた躁状態で学級委員やったりバスケ部でしごかれたりで自分で言うのもなんだけど人望があった だかられいなちゃんを自分の世界に取り込みたかった まずれいなちゃんが読んでる漫画をブックオフで揃えて読んで、れいなちゃんの保健委員の仕事がある時に部活の途中で足首が痛いと言って保健室に行った 当は痛くない私の足首に湿布と包帯を巻いてくれるれいなちゃんの頭は粉チーズのようなにおいがした れいなちゃんに漫画の話をふると早口で何巻のどのシーンが最高という話を始めたので私も暗記したセリフを引用して合わせるとれいなちゃん

    私が女子校に通う高校生だった頃にクラスの端っこで漫画ばかり読んでたの..
  • 恩師の下着に感謝

    中学時代、下着の校則違反を数えて、体育祭の得点から減点するという「伝統」があった。 当時は管理教育の全盛期。 下着だけでも色・形状などが細かく校則で指定されていた。 悪質なのは、それを生徒同士で監視するシステムになっていたこと。 違反者は教師にチクられ、その分がのちに体育祭の持ち点から減点されるという決まりなのだ。 赤組・白組それぞれの減点数は日々校内で告知され、連帯責任を煽る構造ができあがっていた。 もちろん、これに反抗する生徒は多かった。 二年生のあるとき、体育祭の出し物を決める学級会のなかで、この制度はおかしいという話になったことがある。 「生徒だけ監視されるなんて、不公平です!」 立ち上がって先生に抗議したのは、ボス格の女子だった。 やがて「そうだ、そうだ」という声が教室のあちこちから起こる。 私たちの担任はといえば、まだ若い女性教師だった。 いま思えば、先生自身もこの制度はおかし

    恩師の下着に感謝
  • 弱者男性を救うのはお前だ中島

    弱者男性への救いとは、具体的に何か https://anond.hatelabo.jp/20210405201511 解決策は 「女をあてがう」「ドラッグ」「カネ」「平等」「風俗代」 …お前は何を言っているんだ? おれは昨日これを書いた増田だ https://anond.hatelabo.jp/20210405145048 やや露悪的なタイトルをつけたが ついたのはこんなコメントだ 「たのしそう」 「普通にいい人生」 「友だちいるやつが弱者男性なんて呼ばれてるの違和感あるよな」 わかるか? 弱者男性を救うのは何か? お前だ中島 お前が弱者男性を救うんだ お前が磯野を野球に誘うんだ 今すぐ磯野の家に行け 玄関で大声をあげろ 「磯野!野球しようぜ!」 …もちろん磯野は出てこない 当たり前だ 磯野も昔は野球が好きだった 今はなんJを見るだけだ グローブすら持っていない 中島、知っているか? 東京

    弱者男性を救うのはお前だ中島
  • 喪女がプログラミングスクール行って彼女が出来た話など

    ※すみません長過ぎて削れちゃったので再編集版です。 プログラミングスクールは良くないって話が多いので、人それぞれだよねっていうのと、何もやらないよりは何かしらあるんじゃないかなっていうお話です。 フィクションのつもりで聞いてください。 私は地方で育ち、地元の女子中・女子高・駅弁大学を卒業し、地元のとあるテーマパークに就職しました。 比較的なんとなく生きてきたので、仕事って大変そうだからせめて面白そうな職場を選ぼう、くらいの気持ちでしたがすぐに辞めたくなりました。 toC接客、屋外での勤務、立ちっぱなし、友達と休みが合わない、覚える事が多い、職場が僻地、ダンサーチームの揉め事の仲裁、契約社員組みからの嫉妬、大学生組の惚れた腫れた、田舎特有の異様なゲストの図々しさ・馴れ馴れしさ、どれも好きじゃないやつでした。 まあゲストにイラつく事があっても、それはしょうがないと思ってます。仕事だから。 でも

    喪女がプログラミングスクール行って彼女が出来た話など
  • 悪くない人生だった

    36歳男。 今朝、死ぬ夢を見た。 路上で倒れて俯瞰視点になって誰も助けてくれない。 目が覚めてから走馬灯のように人生を振り返った。 結婚もしてないし女性とお付き合いした経験もない。学生時代の栄光もなければ仕事で活躍したりもしてない。そして今コロナで職場を追われその日暮らしをしているが、それでも悪くはないなと思えることも多かった。 幼少時に両親が離婚し、母親に育てられた。 2年の時だったか、「お父さんの仕事についてお話を聞いてきましょう」という宿題が出て、俺は母親に聞くしかなかったからそれを発表したら「何でお母さんなの?」みたいになって、教師の大したフォローもなく大泣きしながらそのまま帰った。 その日から不登校になったが、あの宿題の出来は結構良かった記憶。 文化祭のタイミングで教師がうちに来て、文化祭は来ような、みたいな感じになって「ふじまる」という相撲取りの役をやった。あれはイマイチだった

    悪くない人生だった
  • 「問題解決を、セクシーに。」小泉進次郎 Powered by Apple

    問題解決を、セクシーに。 気候変動に立ち向かう。すべての声を一つにして。 楽しく、クールに、そしてセクシーに。 問題解決は苦しいだけではありません。 もっと肩の力を抜いて。ステーキをべながら。 30年後のあなたは、何歳ですか? 未来のことを、常に考えています。 30年後の自分は、何歳なのでしょうか。1 30年後には、さらに30年後のことを考えているかもしれません。 30年後の、その先へ。 足し算の答えが分からなくてもご安心を。Siriに話しかけてみてください。2 究極の反省を、決して伝わらない形で。 反省しなくてはいけません。 とても反省しています。反省している色が見えない、という点を。 Super Retina XDRディスプレイは、反省している色を鮮明に映し出します。3 アクセシビリティ機能を使うと、反省の色が見えやすくなります。 “46”、それはマジックナンバー。 30でもなく、5

    「問題解決を、セクシーに。」小泉進次郎 Powered by Apple
    nasuhiko
    nasuhiko 2021/05/23
    妻をオフィシャルパートナーと呼び変えるのはいいねえ。オフィシャルがつくだけで清潔なディストピアみがすごい。
  • 首を吊ってる母親を、自分の手でドアから降ろした話。

    これも結構前の話になる。 「そういえばあの時、どんな気持ちだったっけ?」と思い返す機会があったので、折角なので文字に書き残しておきたい。 そうすれば胸に落ちるものも、もしかしたらだけど多少はあるんじゃないのかな?って感じで。 内容が内容なので、少し長くなるかもしれないけど、お暇な方がいらっしゃいましたら読んでやってください。 あんまり仔細に年月日を狭めすぎるとアレなので、時期は今から7年ほど前。 ちょうど今のような、若干寒さも落ち着いてきたかな?ってぐらいの春頃のお話だと思って下さい。 当時の俺は大学に入学したての、ピカピカの一年生でした。 兄の方がとても優秀だったんで、随分と見劣りはするけれど、俺の通っていた高校のレベルからすれば「まあ頑張ったんじゃないの?」程度の大学へと入学。 その筋のマニアには結構有名な、二郎インスパイアの名店が近くにある登り坂の長い大学ですね。 あれは当に数少な

    首を吊ってる母親を、自分の手でドアから降ろした話。
  • 誕生日に彼女が元高級ソープ嬢だと泣きながらカミングアウトしてきた話

    標題の通りである。その日は私の誕生日であった。お祝いを兼ねてご馳走してくれるというので、一緒に焼肉店に行った。昼間から酒を飲んだ。 私は私の実家という場所をどれだけ憎んでいるかについて彼女に熱弁した。自ら進んでそうしたわけではない。彼女は「親は大切にしろ。なぜなら親だから」という全く論理性のない言説を突きつけてくる時があり、その日もそれを突きつけられたので、反論やむなしという形であった。私は私の両親が金銭面では何不自由なく育ててくれたが、実家というブラックボックスの中で行われていた虐待に相当するであろう具体的事例を次々に並べた。 過去にもそんなことを何度か繰り返していた。私がいつもたどり着く極めて頑固な結論「両親には二度と会わない」を聞いて彼女が泣き出すこともあった。なぜ彼女が泣くのか私には理解ができなかった。 私の熱弁が一段落したかしないか、ふと、彼女の様子が変わったように思えた。今まで

    誕生日に彼女が元高級ソープ嬢だと泣きながらカミングアウトしてきた話
  • 【追記】いちばん飯が美味かった女

    マッチングアプリでヤることになった女がいる。当時は若くて金なくて、性欲ばかりあった。 後先考えず、俺の住んでる安アパート付近、駅前のマックで待ち合わせることにした。 会うまでに、メッセージのやりとりで、俺が手料理を久しくべてないと言ったからか、5品ほど拵えてきた。 初対面で、手作りのオカズを大量のタッパーに詰めて持ってきた女は後にも先にもコイツだけだ。 献立はよく覚えてないが、魚の西京焼きがヤケに美味くて感動した。 ヤってみるとよく濡れる上にナカがメチャクチャ締まり、今まで20人以上は抱いたけどここまで良かったのは初めてだった。 異様に自己肯定感が低いちょいぽちゃのブスだったが、国立大卒で、俺より物を知っていた。 人の面倒見が良くて、勝手に部屋の中でタバコを吸って、夜ひとりで泣き出すような女だった。 面倒くさくて重いだけで、とても良い子だった。幸せになるべき人だと思った。 なのに、どうし

    【追記】いちばん飯が美味かった女
  • 追記・母親が養育費を請求しなかったせいで大学に行けなかった

    追記。今までずっと漠然と不満に想い続けたことを言葉にし、区切りをつけたいと思って増田を書いた。 小さい頃から常に、うちは貧乏なのだと思い知らされながら生きてきた。母や祖母が、他の親がしてくれるようなことをしてくれないことにずっと、子どもらしい、幼稚な不満をずっと抱えていた。中学生ぐらいになって、だんだん母の苦労や世の中の「仕方なさ」みたいなものを理解出来る様になってきても、どうしてもその不満は消えなかった。どうして俺だけ、と考えないようにしても考えずにはいられないのに、それを口にすることの無意味さもわかっていた。嫉妬や幼稚な不満への対処法は、そういった負の感情を出来るだけ抑え込み、「仕方ない」と自分に言い聞かせて現実を受け入れること以外になかった。 大学に行けなかったことを残念に思っている。今更行きたいとも思えない。高3のあの時から何年も、行きたくても行けず悩み続けていた頃のことを思うと悔

    追記・母親が養育費を請求しなかったせいで大学に行けなかった
  • 1年半ずっとATMとして働き続けたときの話

    こう書くとATM扱いされた夫の話だと思われるかもしれないがそうではない 読んで字のごとく、自分がATMの中の人として働いたときの話である 今から20年ほど前、某金融機関に入社した私は適当な集合研修を受けたのち、とある支店に配属された そこで私に割り当てられた仕事ATM担当である 今では多くの金融機関はATMの管理・現金装填を警備会社へアウトソーシングしている ただ当時はそういった雑務も全て職員の仕事であった 郊外の支店であれば比較的平和だったのかもしれないが、私の支店は繁華街のど真ん中にあり、周囲は飲み屋やパチンコ屋、場外馬券売り場などに囲まれていた そうなると客層は当然悪い 紙幣しか入らない投入口に硬貨を投入しATMを壊そうとするおっさん(口座残高が800円だったので200円入れて1000円にして引き出してパチンコに行きたかったらしい) 「UWF銀行に振込したいのに画面に出てこない

    1年半ずっとATMとして働き続けたときの話
  • なめろう小説

    私は漁師町に住む漁師の。 遠洋漁業で家を空けることが多い夫。 次帰ってくるのは半年後だ。 今日は夕飯になめろうを作る。 鰹のなめろう。 鯵は骨が細かく取りづらいので我が家では鰹でなめろうを作る。 まな板で鰹を叩いていると肉片が四方に飛び散る。 28の若くも老けてもいない、ただ数年前より確実に瑞々しさがなくなった二の腕に肉片が付いた。 その肉片をふと眺める。 口を近づけ、肉片がついた二の腕に吸い付く。 口の中で舌をナメクジのように這わせ、二の腕についた肉片をべた。 まだ味付けをしていない生臭い肉片。 ふと旦那との情事を思い出す。 あれはいつだっただろうか。 あの時も夕飯はなめろうだった。 味噌や生姜を入れてもまだ鰹の生臭さは取りきることはできない。 私はごめんねというのだが、旦那は「海の男にはこれくらいが丁度良い」と笑い飛ばす。 私は良くないのだ。 歯を磨いても取りきれない生臭さ。 その

    なめろう小説
    nasuhiko
    nasuhiko 2021/02/17
    草むらから這い出た息子は、躰中に野生の緑の匂いをまとっていた。びしょ濡れになったシャツを脱ぐと髪から汗が飛び散り、私の二の腕に跳ねた。背中の肉はまだ薄い。大葉の匂い。青背の魚。今夜はなめろうにしよう。
  • 金沢駅のトイレで、e-maのど飴を握りしめたあの日のこと

    地に足がつかない、とはこのことかと思った。 2月の終わり、寒い日のことであった。大学受験の二次試験前期日程の試験を終えた私は、試験会場の大学からバスに乗り、金沢駅のバスロータリーに降り立っていた。バスから降りた時、アスファルトがぐにゃんと歪んだような気がして、最初上手く歩けなかった。地に足がつかない、とはこのことかと思った。 二次試験は、よく解けたという気もするし、ダメだったという気もした。要するに何も分からず、前者であったと自分に言い聞かせるしかなかった。金沢駅の東口をとぼとぼと歩く。前期試験が終わった。そのことへの安堵と、もうこれで受験勉強をしなくていいかもしれないという期待は確かにあって、背中に羽が生えたような気分だった。 しかし、まだ合否は出ていない。もう動かせない結果は、どちらに転ぶか分からないのである。まだ何者にもなれていない、宙ぶらりんの状態は何とも居心地が悪かった。 バスか

    金沢駅のトイレで、e-maのど飴を握りしめたあの日のこと
  • 「男ならプレゼントくらいティファニーを買ったらどうだ」の声に驚いて振..

    「男ならプレゼントくらいティファニーを買ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、30代の婚活女性と、友達未満の男性。女性はサッサとTwitterで晒したけど、男性はCanal4℃を手にして俯いたまま。 私は咄嗟に娘を連れて、男性の目の前でハートのネックレスを買った。2つも買った。大丈夫ですよと念じながら。娘はネックレスをメルカリで売った。

    「男ならプレゼントくらいティファニーを買ったらどうだ」の声に驚いて振..
  • 4℃の思い出

    何度かホッテントリに4℃の記事があり、その度に、自分の過去を思い出す。 話題になっているのはCanal4℃のことらしいが、それはどうでも良い。 特にオチもなく、びっくりするような話もないので読む人はあまり期待するな。 なぜ思い出すかというと、結婚指輪と婚約指輪を買ったブランドだからである。遠い昔だが何年前かは言わない。 結婚を約束したのは、今から思っても大好きだったからとかそんなことじゃない。 わからなかったのだ。 こればっかりはどう説明して良いのか当にわからない。 3年ほど付き合い、私も彼女も適齢期というか、結婚を考えざるを得なかったというか、惰性と言えば惰性でもあるが、特に悩んだわけでもない。 ごくごくよくあるように、お互いの家族に相手を紹介し、私は彼女の出身地まで出向いて相手の親に挨拶をし、といったどこにでもある普通としか言いようのない流れ。 プロポーズとかはあまりよく覚えていない

    4℃の思い出
  • 夫に隠れて寿司を食べている。(※追記)

    寿司をべている。 回らない寿司だ。 正確には元々回る寿司だけど、ウーバーイーツで頼んだものなので回ってはいない。 夫は、それを知らない。 私が夫に隠れて寿司をべている事を知らない。 結婚して早2年。 元々の交際期間が長かったのもあるが2020年には新婚ムードも無くなり、3週間や1ヶ月以上の国内出張を任される立場となった夫。 酒も好きだし煙草も吸うけれどギャンブルと女には興味がない夫。Switch版のシュタゲを買ってもいいか、一緒にやらないかとラインをしてくる夫。 私のTwitterも知っており、メンブレした際は適度な距離感と客観的事実で静かに宥めてくれる。怒らず、感情的にもならず、事実を語る。歳を重ねてもニーハイを履いてほしいとしっかり意志を示してくれる。 優しく頼もしく、酒と煙草があったとしても引く手あまたであろう男 is 夫。 彼に隠れて、私は寿司をべている。しかも2人前。24カ

    夫に隠れて寿司を食べている。(※追記)
  • もう今度こそおわるぞ!

    https://anond.hatelabo.jp/20210130154542 まったくもぉー。 針金が体内でバラバラ事件小学生の頃にはちゃんと形が残っていたはずの、胸骨をぶったぎった跡繋ぐための針金が、中学生になる頃にはバラバラに割れていた。細かい破片が胸の中にいくつも埋まっているという状況を知り、動揺しないでいられるほどの強メンタルではない。主治医はそれについてはノーコメで、私も凄く気になるんだけど先生が何も言わないんだから大丈夫だろ、たぶん、きっと、だったらいいなと思った。ワイヤー付きのブラジャーが当時流行っていたというか、店に売られているブラジャーには子供用のにも硬いワイヤーが必ず入っていたので、着け心地最悪だなと思いつつもしぶしぶそういうのを着けていた。そしたら胸の真ん中のワイヤーが当たった所が真っ赤になった。普通にぶつけて出来た痣のようにいつか紫になるということはなく、ワイヤ

    もう今度こそおわるぞ!
  • 心室中隔欠損症をもって生まれた。の続きの続き。

    https://anond.hatelabo.jp/20210130130504 うっかり書きもらしたうえに伏線を回収し忘れるというミス!幼い頃、私は「将来の夢は看護婦さん!」と言っていたが、これは母が「大きくなったら看護婦さんになるんだよね?」と言うのでそれをオウム返ししていただけに過ぎなかった。母の母校の女子高に看護科があったので、母はそんなことを言ったのだと思う。母は何かと娘に自分と同じであることを望む人だった。でも、母は看護科じゃなくて普通科出身なんだなぁ~。真面目に看護師の資格を取ったとしても、私は絶望的に血が苦手で、しかも恐怖の度を超えた途端に具合が悪くなるという嫌な性質を持っているため、医療の現場ではとことん使えない奴になっていたことだろう。高校時代に、家に刑事さんが二人私を訪ねてきた。その理由はというと、私が受けた手術を見学していた医者達の中に後にテロリストがいたからだった

    心室中隔欠損症をもって生まれた。の続きの続き。
  • 昏い雪国

    朝起きると、障子の隙間から雪が舞っていた。またお前か。もうお前の顔は見たくない。叱りつける様に、障子をピシャリと閉めたい衝動に駆られるが、布団から抜け出す気力がない。 そうはいっても、仕事である。雪に備えて、目覚ましはだいぶ早くにセットしてある。布団から出て、長を履いて、車に積もった雪を落としにいく。道路が混むから、早くに家を出ないといけない。気忙しく身支度を整える。屈とした心情とは裏腹に、自分の行動は手馴れ、随分と雪国に調教されたものである。そんな自分に、どこかで嫌気が差す。 車を走らせながら、私は、1月前半の大雪と、その時に出会ったある女のことを思い返していた。 1月の3連休は、ひたすら雪をかいた。前半は家の周りの雪かき、そして後半は除雪のための休日出勤である。集中除雪を行うため、対象の道路を一時通行止めにする。信号や曲がり角に人が立ち、入ってこようとする車を迂回させる。そういった

    昏い雪国