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増田と家族に関するnasuhikoのブックマーク (37)

  • 【3/6追記】1年付き合った彼氏の妹が障がい者だった

    20代半ば、結婚を前提に同棲しようと誘われた。 彼氏は実家住みだ。 ある日、デート中にこの後家にを見ないかと誘われた。 ご両親はいるのかいないのか聞くといないと言うので 手ぶらで彼の家の近くまで行った。 家に着く直前に、当は親がいて挨拶してほしいと言われて驚いた。 さすがに手ぶらでは挨拶できないから近くの洋菓子屋に寄って手土産を購入して、彼の家に向かった。 玄関先で自己紹介をし、手土産を渡した。 そのまま立ち話で彼のご両親と4人で話していると 奥から障害者らしき女の子が出てきた。 わたしはもちろん彼女の存在に触れることはできないし、彼もご両親も触れない。 とりあえず、10分ほど話して外に出ると彼に 「実は妹が2人いるんだよね」と言われた。 それっきり彼は妹のことは何も言わず、違う話をしてきた。 健常者の妹の話はよく聞いていたので、2人兄妹だと思ってた。 その間にもう1人障がい者の妹がい

    【3/6追記】1年付き合った彼氏の妹が障がい者だった
  • 結婚してよかった

    やあ、アラフォー女だよ。結婚してそろそろ3年、結婚してよかったな~としみじみ思っているので書いてみるよ。まあ、まだ新婚の部類だよ。特に内容はないので、名前を隠して楽しく日記だよ。 3年前、6年ほど付き合っていた彼氏と結婚したよ。タイミング的な理由はコロナ禍だよ。 それまでは、一人で十分やっていける収入もあるし、家に常に誰かがいるのも嫌だし、面倒くさいことも増えそうな(というか仕事に足枷になりそうな子どもを作れとか言われそうで嫌だった)結婚をする理由なんてあるのか? しかも彼氏とはだらだら付き合っているだけで、一人で行きにくいところに一緒に行く要員と化している友達っぽい関係なのにやっていけるのか? …と先延ばしにしていたけど、コロナの話が出てきたころに夫が結婚したいと言いだしたので結婚したよ。 良かったこと・遅く帰っても家が温かい。明かりもついてるし暖房もついてる。最高! ・冷蔵庫のべ物が

    結婚してよかった
  • (追記)シンママのためのマチアプ、そんなに悪いか?

    前澤がシンママのためのマッチングアプリを開発したらしいが、「子供を狙う変態男を寄せ集める悪魔」とぶっ叩かれてる https://twitter.com/yousuck2020/status/1618792751646269441?s=46&t=utwm48Hzv5Ly8ZhGid7Dcg もちろんロリコン男が来る可能性も否定できないしそれは徹底的に潰すべきだと思うけど ぶっちゃけシンママとの結婚ってこれからの時代・現代の男に合ってると思うんだよな 俺タイプな人がいたらシンママと結婚したいもん ・女が最もヒステリックになる妊娠中+産後のケアをしなくてもいい ・子ガチャの結果がある程度分かってる っていうメリットがあるじゃん ゲスの考えだと思う人もいるだろうけどさ シンママは経済的・精神的に余裕ができる 子供はパパができる・経済的に余裕ができる 男は初期コスト削減で家庭を持てる winwinw

    (追記)シンママのためのマチアプ、そんなに悪いか?
  • 弱者は恩を仇で返すクソって話だけど

    そういやの妹が金に困ってたから金貸してやったら、それがすごく嫌だったとあとで言われたことあったな 妹が大学4年生の時で、なんでか知らんが金に困っていて、うものもないし卒業旅行にも行けない、とかなんとか言っていた 金がないと言われるたびにズルズル金渡すの嫌だったし、お金にルーズな子になるのはよくないと思ったから、 「君が卒業までにすることの予定を立てて、必要な金額を考えてごらん。その額を貸してあげる」と経由で伝えた 「卒業して働き出して、3年たったころに返してください」というのを約束にした 結局30万円くらい申請されてそのくらい貸したんじゃなかったかな それから何年もしてお金も返し終わってから、あの教育してやってます感がすごく嫌だった、とかに言ってたらしい お金のやりとりや条件の話は僕が直接言わずが言ってたし、お金のことについて直接僕が何か言ったことはない それなのにそういうこと

    弱者は恩を仇で返すクソって話だけど
  • 出産予定日の死産がつらかったので書く(男性視点)

    タイトルそのままの内容なので閲覧には注意されたい。一部の人にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれない。女性視点の体験記は数多くある一方で、男性視点のものは少ない。妊娠すると男性も覚悟を決める。しかし、(過去の自分も含めて)何が起こり得るかはぼんやりとしか想像できない。稚拙ながらも自分の体験と後悔を書き残しておけば、その解像度が上がるかもしれない。そう思い投稿する。 分娩室。につながれた医療モニタが歪なサインカーブを描いていた。正確にはサイン波の絶対値のような概形でゼロ区間が長い。波形がピークに近づくにつれてのうめき声が大きくなる。これが陣痛発作だ。間欠的な小休止を挟みつつ、数分おきに発作が起こる。モニタの値がの痛みを表している。全力でをサポートしたいなら、助産師の動きを脳裏に焼き付けて、完全に模倣すればよい。一挙手一投足に意味がある。プロの動きを邪魔しないように、分娩室の俯

    出産予定日の死産がつらかったので書く(男性視点)
  • 犯罪者と家族/友人になれる?

    俺は無理だな。 例えば、って例をあげてみると 窃盗犯が家族にいる伴侶を得たとしよう。盆正月に伴侶の実家に集まるって時に、財布にクレカやキャッシュカードを入れた状態で、家のどこかに置いとける? レイプ犯が家族にいる場合なら、年頃の娘を連れて実家に行けるか?ロリコンなら、幼児を付けて行けるか?薬物犯に自分の子供を無警戒に接触させられるか? 元殺人犯、傷害犯と密室で二人きりになれるかね?放火魔に自分の家の所在を教えられるかね? 俺はどのケースでもNOだね。自分が被害者になる事だけは避けなくてはならないが、犯罪の被害者になるのを避けるための最もいい手段の一つが 元受刑者とは絶対に関わらん事なのは、高い再犯率を考えれば議論の必要すらない事実でもある。 犯罪者の家族とかかわりを持つってことは、犯罪者とかかわりを持つって事と等しいし、避けるのは当然だと思うけどな。 犯罪者人じゃない?そんなのは承知の上

    犯罪者と家族/友人になれる?
  • 犯罪加害者家族の思い

    私は24歳の男です。今は社会人として働いています。 現在は順風満帆に暮らしていますが、自分が中学生の時に兄が犯罪で捕まり、約2年の懲役刑を受けました。もう10年前になろうとしている話ですが、今なおその時の思いは続いています。 何か事件があった時、一番に配慮されるべきは被害者であることは言うまでもありません。しかし、被害者への配慮と同時に、加害者やその家族も苦しんでいるのも事実です。被害者のことを思うと加害者やその家族は苦しみを語ることは許されません。 ここで犯罪加害者家族の思いと日々を書かせてください。 また、自らの子供が犯罪を犯したとき、その兄弟はどう思うのか、犯罪加害者の親の皆さんにぜひ知っていただきたいです。 ○家族が犯罪を起こす 私の家庭はごく一般的な家庭です。サラリーマンとパートの両親と、しっかりと学校に通っている息子3人兄弟でした。犯罪を犯したのは長男で当時は高校を卒業し、専門

    犯罪加害者家族の思い
  • 孤独で気が狂いそうだ

    31歳の女。発達障害のため、人から嫌われ、見下されてしまう。 何をしても人より劣っているし、空気が読めず、相手が期待している言動が取れないからだ。 家族 実家暮らしで、父と同居している。元々は父と母と一人っ子の私の3人家族だったが、8年ほど前に母は自殺した。 父は立派な会社を定年退職した後、よくYouTubeを見ている。ネトウヨで、反ワクチンで、一日中韓国人や中国人やユダヤ人の悪口を言っている。ユダヤ人は原爆を作ったから許せないんだそうだ。あとは、犬やを虐待したいそうだ。父の話に笑顔で頷かないと、父は不機嫌になるので、毎日とても疲れる。 母は、私が発達障害の出来損ないであるため、統合失調症を発症し、自殺してしまった。「あんたみたいな出来損ない、誰だって殺したくなる!」だそうだ。私は物心が付いてから母が死ぬまで、殴られずに済んだ日は1日もなかったと思う。「どうしてあんたはふつうになりたいと

    孤独で気が狂いそうだ
  • 妻に異性としてもうみれないと宣言された//追記あり//追追記あり//

    先日にもう異性としては見れない、スキンシップなども無理と言われた。 結婚してまだ半年である。もちろん子供もいない。 曰く「結婚して私によくみられたい」みたいな気持ちが 感じられる身なりが粗野でださい。髪型くらいちゃんとセットして、格好についても もっとちゃんとしてほしい。(先日の誕生日をホテルのディナーで祝ったんだけど) そういうときくらいちゃんとした格好をしてほしいと言われた。 じゃあどういう格好で髪型がよかったの?ときいたら自分で考えて、と言われた。 自分自身はに好かれたいという気持ちはちゃんとあって、体重の管理や筋トレ、スキンケアとかも 今まで以上にしていたし、身なりについては、正直付き合っていた頃から特にかわっていない (結婚して気を抜いたわけではない)。誕生日のお祝いのときもドレスコード確認してそれにあった 格好で臨んではいた。そのあたりを説明したところ、言い訳がましいと

    妻に異性としてもうみれないと宣言された//追記あり//追追記あり//
  • 首を吊ってる母親を、自分の手でドアから降ろした話。

    これも結構前の話になる。 「そういえばあの時、どんな気持ちだったっけ?」と思い返す機会があったので、折角なので文字に書き残しておきたい。 そうすれば胸に落ちるものも、もしかしたらだけど多少はあるんじゃないのかな?って感じで。 内容が内容なので、少し長くなるかもしれないけど、お暇な方がいらっしゃいましたら読んでやってください。 あんまり仔細に年月日を狭めすぎるとアレなので、時期は今から7年ほど前。 ちょうど今のような、若干寒さも落ち着いてきたかな?ってぐらいの春頃のお話だと思って下さい。 当時の俺は大学に入学したての、ピカピカの一年生でした。 兄の方がとても優秀だったんで、随分と見劣りはするけれど、俺の通っていた高校のレベルからすれば「まあ頑張ったんじゃないの?」程度の大学へと入学。 その筋のマニアには結構有名な、二郎インスパイアの名店が近くにある登り坂の長い大学ですね。 あれは当に数少な

    首を吊ってる母親を、自分の手でドアから降ろした話。
  • 中卒の両親が死んだ

    うちの両親は中卒だった ハタチちょっとで結婚してすぐに子供を5人作って、親が40代に入ってから生まれたのが私だった 父は土木系の現業で母は専業主婦だった 今時6人兄妹なんて珍しいしビッグダディみたいで正直嫌だった、でも家族仲は陶しいぐらい良かった 年の離れた私は家族からとても可愛がられた 親は中卒、兄は全員高卒と勉強にお金をかけたことのない家だったけど私はお金をかけてもらった バイトしながらだったけど塾に通わせてもらえたし、浪人もさせてもらえた 頑張って国立の大学に入ったら周りの子の家は高学歴一家ばっかりで自分の家のことが益々恥ずかしくなったし、それに罪悪感も感じた そのまま就活もうまくいって、良い感じの企業に就職できて、エリートの仲間入り!とか思って舞い上がるときもあった でも仕事は普通にしんどいし、お金も思ったより貯まらない 彼氏はいるけど結婚、ましてや出産なんて考えられない、きちん

    中卒の両親が死んだ
  • 追記:ワイが貧乏家庭から旧帝大で博士号取得(予定)までして思ったこと

    ・追記 研究室に依存しきった生活してたからか、離れることになって情緒不安定なんだろう。ボロボロ泣きながらブコメやらなんやら読んだよ、ありがとう。目についたコメントに答えだけ書く。ほんとつまんねー追記だから読まなくていいです。 文字デカくできるって他の増田で知ったから使いたかった。 博士号は誰でも取れるよ。うちの学科だと査読付き論文2編と査読付き国際会議発表1報あれば博論着手できる。性別や年齢や国籍で差別されないから誰でも取れる。英語圏のほうが有利だけど。 念仏じゃなくて題目にしとけばよかった。せっかく創価学会の話出したのにね。 実際私が博士号取れたのって私の努力が9割なんだけど、研究室の教授や先輩後輩同輩に恵まれてたってのがあるんだよなぁ。海外志向も弱いので、家庭がもっと良くてもちょっと楽できたくらいで変わらなかったんじゃないかな。あと高校時代の友人が5人博士課程進学してて、それにもかなり

    追記:ワイが貧乏家庭から旧帝大で博士号取得(予定)までして思ったこと
  • きょうだい児だけど結婚したい話

    結婚を考えている相手がいる。 都内の職場で恋に落ち、しばらくして同棲し、時々どちらが皿を洗うかでケンカしながらも、それなりに暮らしている。 しかしこの結婚には大きなハードルが1つある。 1人で抱え続けるのも少し疲れたのでちょっと聞いていって欲しい。 それは私がきょうだい児であること。 兄弟姉妹に障害を持つ人がいる人のことをきょうだい児と呼ぶらしい。 私は2人兄妹で、5歳上の兄が生まれつき軽度〜中度の知的障害を持っている。 関西の実家で両親と3人で小さな家に住んでいる。 簡単な読み書きは出来て、なんなら私より綺麗な教科書通りの字を書く。 電車が好きで、休みの日には色鉛筆を駆使して私鉄の電車の絵を描く。 普段は一般企業の障害者雇用枠で働いていて、実家から毎日電車に乗って通勤して、多くはないが毎月給料を得ている。時々会社から製品の割引クーポンが送られてくると家族に分け与えてくれる。 父とサッカー

    きょうだい児だけど結婚したい話
  • 10年かけて父は死んでいった

    私が30歳の時に両親が離婚した。 その10年後、夫の後から連絡がきた。脳出血で倒れ、高次脳機能障害と静脈瘤を患い、あなたに会いたいと言っているから来てくれないか。 両親は長いこと仲が悪かった。あとから振り返れば「仲が悪かった」の一言で済むが、私が10歳の時から30歳になるまで、子供の前ではまともに口をきいていなかった。年金や借家の更新手続きなどはすべて娘を介してやりとりが行われた。娘の立場としては別れて当然だと思っていたが、よくある「が働くことをよしとしない夫」と「専業主婦を望まれて家庭に入り、まともに職歴のない」の組み合わせが崩壊すると、子供を養ってはいけなかったのだろう。 そして父には恋人がいた。愛人と称するべきなのだろうが、どうもなじまないので恋人とさせていただく。母によれば、口を利かなくなる前に、離婚歴があり一人で子供を養っていて立派だと、よく話していたそうだ。となると私が1

    10年かけて父は死んでいった
  • パパは疲れた

    2ヶ月女と3才男。 業務終了後。休日。娘が泣けば抱っこをして、息子に誘われたら遊ぶ。俺が子供の相手をしないと嫁の家事は進まない。 自分の時間はお互いにない。嫁がいなければ生活は成り立たない。感謝している。専業主婦の功績は、旦那である俺が100%認めてはじめてやりがいに繋がる。 だからこそ弱音を吐けない。「1人で遊びに行く」「飲みに行く」。もちろん嫁はできない。わかっている。だが、俺はそろそろ限界だ。 現実逃避を敢行しようにも、「一緒に行きたい」と涙声で訴えてくる息子と、外出中はワンオペになる嫁を思うと、途端に腰が重くなる。 自分の気持ちに正直になると「働いている俺の方がストレスかかってんだから少し休ませろ」だ。根底がこれだから限界を迎えつつある。 ーーーーーーーーーーーーーー 追記。 みんな案外優しくて心に染みる。 ・当エントリーは、かまってちゃん1人と、完全母乳で首が座っておらず、ワクチ

    パパは疲れた
  • 祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました)

    この冬に亡くなった父方の祖母は、祖父の初婚の相手が病没してからの後添いで、最近は後家でもあった。 彼女が祖父と再婚したとき、すでに父も伯父も成人していたので、祖母を慕うでも疎むでもない、いわゆるおとなの距離感だった一方、私と母は祖母とずっと仲良しだった。 祖母と血縁関係がないことを知ったのは小学生時代の半ばだったが、「あ、まじ?」くらいのかんじで、祖母のことは変わらずずっと好きだった。 80歳になった頃から認知症が出始めて、以降はちょっと若返り、ずっと79歳で通した。 90歳近くになっても「80歳になったら遺言状を書く」と言い続けていたので、遺言状書くのが潜在意識レベルで億劫だったんだろう、気持ちは79歳のまま、91歳で亡くなった。 歳もとしで、生存してる知己も皆無のため、葬儀では町内会長が弔辞を読んで下さった。 会費払うくらいの活動しかしてなかった祖母に対して「〇〇地区の発展のためおおい

    祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました)
    nasuhiko
    nasuhiko 2020/08/10
    後立てもなくご苦労が多かったであろう生涯の最後においても周囲に苦労をかけまいとする老女の矜持と、それを汲みとった増田の文に胸を突かれる。辛いこと楽しいこといろいろあったに違いない。ご冥福を祈る。
  • 両親が妹に家を買った

    って報告を、さきほど貰った。 新築で実家の近くに妹家族が住むための家を買ってもらったようだ。 某府某所の相場で考えたら5千万くらいか。 その程度を自分でどうにかできず甘え切ってしまう義弟にも呆れるが親の甘さにも呆れはする。 子供三人がそれぞれ相続するはずだった遺産の配分が面倒なことになりそうで心配はあるんだけど、 コロナ騒ぎで帰省は出来ないので、この話は次回の帰省まで延期だ。 相手の顔も見ないで金の話をするのは、家族仲を壊す元にしかならないと考える。 と言うか、自分自身は金に困ってる訳でもないし遺産を当てにしてる訳でもないので、老いた両親の面倒を見る覚悟で近所に住む妹には感謝しかない。 詳細は聞いてないが、新築をあてがってもらったってことは、そういう事なんだろう。 そもそも40代になるまで、ずっと結婚したくても、できないまま年を経て来た俺は親に孫の顔すらも見せてやれない親不孝者だ。 この先

    両親が妹に家を買った
  • 昭和時代にサラリーマンをやりたかった

    ・終身雇用で安定した地位 ・誰でもマイホームと家族が持てた ・努力しなくても商品が売れる市場環境 ・外国に行けば強かった日円 ・夕方には帰宅して、家族みんなでテレビ見ながら晩ごはん ・映画、歌、テレビ、みんなで同じものを見て、同じものを楽しんでいた ・会社、学校、家族、誰もが帰属先を持てて、アイデンティティが確立できた ・男と女の役割分担がはっきりしていて、変な軋轢がなかった ・普通に働いていれば、それだけでよかった

    昭和時代にサラリーマンをやりたかった
  • 結婚したい人生だったなぁ

    今年いっぱいはリモートワークが決定した40代会社員だけど、 昼飯を買いに外に出た時に似たような立場の男性が子供を連れて昼に散歩してるのを見て、急に切なくなった。 自分が気で好きになった人と結ばれて子供を持つのは、きっと幸せなことだったんだろうなと思う。 俺にも結婚したいと思うほど好きになった人はいたし、結婚を意識するくらい長い時間を共に過ごした人はいたけど 結局は、結婚は一人では出来ないわけで。 結婚をしたいと思いながらも相手は違ったということを何度か繰り返し、結婚できないまま、この年になってしまった。 結婚をしない事で仕事などで成果を残せた事実はある。 幸い親もプチ資産家だし、俺にも相応の収入があり金もあるので、老後に困るということもないだろう。 けれど、結婚をしなかったことで得たものもあっても、心から好きになった人と結婚する人生への憧れは、心の底でずっと燻ぶったままだ。 婚活して、そ

    結婚したい人生だったなぁ
  • 震災で津波で家族が流されたんだけど

    今のコロナでみんなの心がぎすぎすしていたり、誰かが誰かを叩いていたり、悲鳴を上げているのを見ても、なんだけ遠い世界の話のように見える 正直、コロナは怖いのは分かるけれど、目の前で親が流されていったり、住んでいたところの空気がいきなり放射能に汚染されて逃げるしかないとか、そんなのに比べれば遙かにマシじゃないかと思う 特に東京の人は一番感染者が多いから、恐ろしいのもわかるけれど、まだいいよ。真綿でじわじわと首を絞められるようだ、というけれど、突然上から爆弾が降ってきて何もかもなくなってしまって、後悔後悔で毎日を生きているより、よほどいいよ 俺は未だにあの時の光景を夢に見る 走って逃げて、高台にたどり着く目の前で、知り合いのおじいちゃんが流されて、母親の手を握ったけど、離れてしまって アレは地獄だ、アレこそ地獄だった コロナがいつか落ち着いた日に、経済活動は止まっているかもしれないし、仕事はなく

    震災で津波で家族が流されたんだけど