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ブックマーク / teishoin.net (4)

  • Teishoin's Digital Photo Log: 根岸線物語 本郷台編

    昨日のブログ記事で、根岸線の路線構想図の中で、新大船(現在の郷台)から大船に直線で結ばれる構想があったことがわかります。 この路線は具体的にどのような路線を想定していたのでしょうか。 航空写真と地図から検証してみましょう。 まず、現在の状況から。 環状4号線(県道23号線)「笠間十字路」に立つと、東北東方向に斜めに伸びる直線道路が眼に入ります。 大きな地図で見る この道路は、戦後まもなくに撮影された航空写真にもはっきりと写っています。 太平洋戦争中、現在の郷台駅周辺は、旧大日帝国海軍の第一海軍燃料廠がありました。 したがって、戦時中はこの道路はとても重要な役割を果たしていたことがわかります。 栄区役所のホームページには次のような記述があります。 1938年(昭和13年)から、現在の郷台を中心とする、小菅ケ谷、公田、桂地区の大水田地帯をつぶして、海軍の燃料廠が建設されました。この地域

    nekotuna
    nekotuna 2015/03/02
  • Teishoin's Digital Photo Log: 根岸線の歴史と港南台駅誕生物語

    港南区を通る唯一のJR路線、根岸線(年配の方には桜大線といったほうが馴染みがあるかもしれません)。その歴史的経緯をまとめてみました。 今日の記事は、以前のブログ記事 歴史に学ぶ港南台の会勉強会 の補足記事となります。 ■根岸線計画の主な経緯 大正11年4月11日 鉄道敷設法別表(昭和12年4月1日一部改正)「神奈川県桜木町より北鎌倉に至る鉄道」 昭和31年2月24日 鉄道建設審議会「昭和31年度から調査を開始すべき新線」として調査線に編入「この線は桜木町から大船附近に至る線で、重要な都市の旅客交通を担当するとともに、横浜港湾臨海工業開発計画上まことに効果大なる線である。線は複線電化すべき線として着工すべきである。」 昭和32年7月5日桜木町一大船問の運輸大臣の建設認可 昭和32年 調査測量 昭和33年 桜木町一磯子間の路線決定 昭和34年 建設工事に着手 昭和39年3月23日 日鉄道建

    Teishoin's Digital Photo Log: 根岸線の歴史と港南台駅誕生物語
    nekotuna
    nekotuna 2015/03/01
    都市発の団地展でみた検討路線の図とは違うかな?(全体としては間違っていないのに)
  • Teishoin's Digital Photo Log: 大師線のレールから広がる雑学

    京急の線路、落札しました!!! ということで、折角落札したレールですからそれに関連して、京急の歴史を辿ってみました。 落札したレールは、大師線に設置されていたレールです。 現在の京浜急行電鉄は、川崎大師への参拝路線としての旧大師電気鉄道(日で3番目、関東では最初の電気鉄道会社)がその嚆矢でありました。 つまり、京急で一番古い路線が大師線。 大師線は京浜急行電鉄のルーツである。当初は川崎大師への参詣路線として建設され(1) 、1899年に開業した。 営業運転を行う鉄道としては日で初めて標準軌を採用し、また電車による運行は関東で初めてのものである。 人力車組合の反対で遅れていた現在の京急川崎駅への乗り入れは、開業から3年後の1902年に果たした。 なお、大師駅から先、総持寺駅(京急線の京急鶴見駅 - 花月園前駅間にあった駅)まで当初京浜電気鉄道(当時)自ら建設する予定であったが、別会社で

    nekotuna
    nekotuna 2013/04/27
    参考資料として
  • 永野郷土史-曹洞宗 貞昌院 Teishoin temple

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