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認識論とコミュニケーションに関するnoitseuQのブックマーク (2)

  • 「天才を殺す凡人」を読んで今後の日本の指針になると思った。|太陽光線

    「他国より学力偏差値の高い多数の凡人」が明治以降も戦後も日の経済発展に寄与して来たが、凡人は海外の安い人件費に置き換えられ、中途半端な秀才もこれからはAIに置き換えられる。経済や企業経営の事だけに注目すると、このの中身が実現できれば日は再度経済発展していくと感じた。既に人口の多数派である凡人自身が「マイルドヤンキー」として地元で緩くやって行く道を選びだしていて、ある意味諦めているので、ある程度の政策的な優遇措置が有れば収まって行きそう。現存する最強の秀才の対応が難しい。 東大を筆頭に知識偏重主義で凝り固まった秀才は、天才の言うイノベーションの大きな抵抗勢力になりそうだ。天才に資金援助をするのが秀才が牛耳る金融だから、 特に財務省官僚が天才を潰しに来るだろう。ホリエモンはそれでやられた。 これからの世界(自由主義世界)は、今までもそうであったように一握りの天才を発掘して育成して新しい世

    「天才を殺す凡人」を読んで今後の日本の指針になると思った。|太陽光線
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/08/01
    天才は「世界を良くするという意味で、創造的か」で評価をとる。一方で、凡人は「その人や考えが、共感できるか」で評価をとる。 したがって、天才と凡人は「軸」が根本的に異なる。
  • 「私は弟キャラです」 - 頭の上にミカンをのせる

    これはだめな自己表現の例。 私はオタクである、とかもダメ。 私は経済学に詳しい、とかもダメ。 私は何々が好きです、もそれ単体ではダメ。 これらは 自己申告であって、 自己表現ではない。 この自己申告を土台にしてあれこれ語りを積み重ねると、どんどん言葉が薄っぺらくなってしまう。 さらに、こういう姿勢で抽象的な議論をしたり、自分で無い他者の評論なんかをやらかそうものなら、意識だけが高い若者の出来上がり。 私のことですが。 なんというか、こんな感じで自分のキャラ自己申告して、その通り振る舞うみたいな謎のお約束に支配された空間が昔あって、そのお約束に適応してた時があったんだよなあ。その時のくせが抜けてない。 「意識が高い若者」という表現で問題視される集団やそれにまつわる現象は、自意識の問題というよりは、 自己表現についての技術が未熟であることと、かつ、その未熟な受け入れてしまうことによる客観性の欠

    「私は弟キャラです」 - 頭の上にミカンをのせる
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/07/17
    自分のキャラ自己申告して、その通り振る舞うみたいな謎のお約束に支配された空間が昔あって。「意識が高い若者」…自己表現についての技術が未熟。かつ、その未熟な自己認識による客観性の欠如に問題がある気がする
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