タグ

認識論と哲学に関するnoitseuQのブックマーク (4)

  • 「他人に迷惑をかけない限り自由」とは「何も自由ではない」に等しい|まとも書房/哲学者ホモ・ネーモ

    「他人に迷惑をかける」なんて、自由自在に解釈できる。 「金髪に染めた大人は見ていて不愉快」 「若者が夜に遊び回るのは、子どもの教育に悪い」 「大手企業に就職をしなければ、親に心配をかける」 「スーツを着ないことは、取引先に不快感を与える」うん。すべて「迷惑」で解釈できる。これがまかり通るならば、いったい何が自由だというのだろうか? 当に自由を求めるのなら、原則は次のようであるべきだと思う。 他人に迷惑をかけようがなんだろうが、自由。うん。最高だ。 そもそも、「他人に迷惑をかけない限り」という前提がおかしい。 なぜ、人は自由になった途端に、好き好んで他人に迷惑をかけると想定しているのだろうか? 僕は完全に自由になったとしても、他人に迷惑をかけたいとは思わない。 別に誰も殴らないし、何も盗まないし、そこそこ他人を思いやって生きていくと思う。 たいていの人は、僕と同じではないだろうか? (そり

    「他人に迷惑をかけない限り自由」とは「何も自由ではない」に等しい|まとも書房/哲学者ホモ・ネーモ
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/09/27
    僕は完全に自由になったとしても、他人に迷惑をかけたいとは思わない。たいていの人は、僕と同じではないだろうか?(そりゃあごく一部のサイコパスは好き放題やるだろうが、どうせ今の社会も合法的に好き放題…ry)
  • ASD由来の希死念慮が消えた話|LUA

    "誰かの居場所を奪い生きるくらいならばもう あたしは石ころにでもなれたならいいな" 昔はよくこんな気持ちになっていたことをふと思い出した。米津玄師の「アイネクライネ」の歌詞です。 私は小さい頃、自分が世の中に存在すること、べたり話したりすることで、他の生物や自然や誰かを傷付けるのだと思っていた。 牛乳の飲み残しを流すと、水が汚れて地球がダメになるかもしれないと思っていた。 ASDで例に漏れず学校に馴染めない、友達ができない子供だった。積極的にいじめられることはなかったし、友達がほしいというよりは自由にしていたかったけど、孤独感や不安は感じていたと思う。 10代の頃はノートを鉛筆で真っ黒に塗りつぶしたり、死にたいと埋め尽くした日もあった。 誰とも分かり合えない。 迷惑ばかりかけてる。 結構冷静に自分は世の中にいない方がいいだろうなと考えることがあった。(もちろん子供らしく楽しいこともあった

    ASD由来の希死念慮が消えた話|LUA
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/08/01
    私のなかの利己的な遺伝子は、遠い昔の祖先から受け継いできたものだ。自分だけのものじゃない。生物はそれぞれの役割をそれぞれに果たすだけでいいんだと思った。ボトムアップ的に。すると世界は自ずと形作られて…
  • むしろ生物学における目的論を批判すべき|カピ哲!

    戸田山和久著『哲学入門』(ちくま新書、2014年)分析の続きです。 これまでの内容は以下のマガジンで見ることができます。 科学哲学批判|カピ哲!|note ******************* NHKの「地球ドラマチック」「科学で解明!動物たちの遊び」は面白い内容ではあったが、「絆を深めるため」に「遊びをする」という学者の説明には違和感を覚えた。遊びたいから遊ぶのであって、「絆を深めるために遊ぼう」などと思うだろうか? 絆が深まるのは結果であって目的ではない。 もちろん言語を用いる人間ならば「あの子と仲良くなりたいから遊びに誘おう」と明確に意識・言語化した上で遊びに誘うこともあろう。しかしよくよく考えてみれば「遊びたい」からなのか「仲良くなりたい」からなのか、どちらが究極的な目的なのか、と考えること自体がばからしい。どうとでも言えるからである。(では「絆が深い」「仲が良い」とは具体的にど

    むしろ生物学における目的論を批判すべき|カピ哲!
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/07/31
    いずれにせよ科学において事実関係として表せるのは、具体的事実どうしの「因果関係」であり、目的論的説明ではないのである。氏は生物学にのっかるのではなく、生物学における目的論的説明に対し批判を加えるべき…
  • 読書について/ショウペンハウエル/Fマネジメント研究所

    読書について/ショウペンハウエル/自分探しや人生の目標で悩んでいる方、組織改革や社員教育で悩んでいる方の相談、セミナーをオンライン等で実施しています。 2021年09月10日 ①ショウペンハウエル(1788-1860)についての概要と解説 (概要) ドイツの哲学者。主著は『意志と表象としての世界』。世界を表象とみなして、その根底にはたらく『盲目的な生存意志』を説いた。この意志のゆえに経験的な事象はすべて非合理でありこの世界は最悪、人間生活においては意志は絶えず他の意志によって阻まれ、生は同時に苦を意味し、この苦を免れるには意志の諦観・絶滅以外にないと説いた。このペシミズムと言われる厭世観(この世界は悪と悲惨に満ちたものだという人生観)は、19世紀後半にドイツに流行し、ニーチェを介して非合理主義の源流となった。カント直系を自任。仏教精神そのものといえる思想と、インド哲学の精髄を明晰に語り尽く

    noitseuQ
    noitseuQ 2023/05/29
    ◇学者と思想家の違い。学者とは他者の記した書物を読破した人。思想家・天才とは人類の蒙(もう)をひらき、その前進を促す者で、<世界という書物>を直接読破した人のことである。
  • 1