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ブックマーク / note.com/keikenron (2)

  • むしろ生物学における目的論を批判すべき|カピ哲!

    戸田山和久著『哲学入門』(ちくま新書、2014年)分析の続きです。 これまでの内容は以下のマガジンで見ることができます。 科学哲学批判|カピ哲!|note ******************* NHKの「地球ドラマチック」「科学で解明!動物たちの遊び」は面白い内容ではあったが、「絆を深めるため」に「遊びをする」という学者の説明には違和感を覚えた。遊びたいから遊ぶのであって、「絆を深めるために遊ぼう」などと思うだろうか? 絆が深まるのは結果であって目的ではない。 もちろん言語を用いる人間ならば「あの子と仲良くなりたいから遊びに誘おう」と明確に意識・言語化した上で遊びに誘うこともあろう。しかしよくよく考えてみれば「遊びたい」からなのか「仲良くなりたい」からなのか、どちらが究極的な目的なのか、と考えること自体がばからしい。どうとでも言えるからである。(では「絆が深い」「仲が良い」とは具体的にど

    むしろ生物学における目的論を批判すべき|カピ哲!
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/07/31
    いずれにせよ科学において事実関係として表せるのは、具体的事実どうしの「因果関係」であり、目的論的説明ではないのである。氏は生物学にのっかるのではなく、生物学における目的論的説明に対し批判を加えるべき…
  • 純粋経験論(根本的経験論)とは & プロフィールなど|カピ哲!

    純粋経験論(根的経験論)とは純粋経験論(あるいは根的経験論)とは、経験の事実そのものから哲学を構築する試みのことです。哲学史の流れの中に位置づけるとすれば、ヒューム・ジェイムズ・(最初期の)西田の系列に属するもの、そして彼らの「経験論」を究極まで徹底させようとするものだと言えます。 純粋経験=直接経験=実際に経験していること・事実そのまま。純粋経験論の「原理」というものをあえて挙げるのだとすれば・・・ 経験論が根的であるためには、その理論的構成において、直接に経験されないいかなる要素も認めてはならず、また、直接に経験されるいかなる要素も排除してはならない。(W.ジェイムズ著・伊藤邦武編訳『純粋経験の哲学』岩波文庫、49ページ)・・・それ以上でも以下でもありません。しかし過去あるいは現代の哲学者の著作を読んでいると、これが実は非常に難しいことであるようなのです。ついつい何によっても根拠

    純粋経験論(根本的経験論)とは & プロフィールなど|カピ哲!
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/07/28
    明らかに"ヤってる"よ、この人…。畏怖しなきゃ…。目がマジな人ってやっぱりいるんだなぁ。そして、ちゃんと到達するんだなぁ。切り開いてるよ、地層を。
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