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ブックマーク / www.jarchive.org (19)

  • 評判を共有するのが評論か。 (better)

    「評論」について思いだせる範囲で書くと、1981年1月に出た音楽ミニコミ『ミュニオン』掲載の「触発/ロック評論の腐敗」というインタビューで、高沢正樹氏がこう話していた。 ──評論の腐敗みたいなことに関して言えば、“こう感じた”ことに対する論理的解明をさほど望んではいないでむしろ“こう感じた”というフィーリングを信頼するファンとその上にノッかっちゃってる評論家の間の相関々係についてはどうお考えですか? 全くもって許しがたいですね。つまり音楽評論家というよりも音楽評判家なんであってさ。評判をお互いにどう共有していくか、ということでしかないんだよね。全然「評論」家じゃないんだから、評論をおとしめるから、まず評論家っていう肩書きをおろして欲しいっていうのはあるよね。評論は評論としてすごく重要なものだから。 「評判家」という表現が興味深い。この言葉から、共感を第一に置き、価値観を共有していない人間と

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    noreply 2008/10/10
  • スタンダードは可能か。 (better)

    「最近の若者は車に対する関心が減っている」という話を聞くたびに、ワタシはスタンダードとは何かを考える。車を所有することが若者の間で流行していた時期を知っている人は、車というものはこれからの若者にとっても永久不変の存在になっていくのだ、ということを信じていたのだと思われる。つまり車は若者のスタンダードになったと思ったわけだ。 しかし実際はどうか。不況下なのに整備や駐車場といった維持費がコスト高だとか、社会システム上の問題もあるが、そういったこととは関係なしに、車への興味が初めからない若者が出てきている。車は社会インフラとしては欠かせないスタンダードなものに(今のところ)なっているが、若者文化のスタンダードには(今のところ)なれなかった、ということではないだろうか。 別に車に限った話ではない。CDもそうだ。90年代にはあんなに何百万枚も売れていたのに、てっきり21世紀にも音楽メディアのスタンダ

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    noreply 2008/10/10
  • 「おたくポップス」とは何だったんだろう。 (better)

    体調悪くて古い『宝島』をダラダラ読んでいたのだが、1990年5月9日号のCDレビュー欄にこんな文章があった。ソフト・バレー『ドキュメント』について。 今年初め、ちわきまゆみに誘われてライヴを見て以来、TMでもおたくポップスでもないデジタル・ビートをやる、数少ないバンドのひとつとして、このトリオには期待していたのだが、2作目はかなりそれに応えてくれてる。 TMでもおたくポップスでもないデジタル・ビート……。この文章から察するにデジタル・ビートでありつつ、TMほど大衆的ではなく、ソフト・バレーほどハウスやボディ・ミュージックではない、というデジタルな音楽があったのかなと推測できるが、1990年におたくポップスと言われていた音楽ってなんだろう。

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    noreply 2008/10/10
  • 東京!ビザール!ボンデージ! (better)

    な・ん・と! 安田理央さんが「TOKYO BIZARRE」の映像をYouTubeにアップしてる! 全人類必見だ! リンク先に解説があるのでそれを読めば済むのだが、ゴールドマンというAV監督が1989~1990年に撮った作品で、ワタシが2月に円盤でやった5時間イベントでも最初に流した。人間の物質化、マン=マシーンではなくマン=マテリアルをいかに表現するかを考えた場合、これほど大胆な方法と映像はないんじゃないかねと勝手に。というかもうこれは当に、まだ見ぬサブカル少年少女の心をわしづかみだと思うんだけどなー。 『TOKYO BIZARRE BONDAGE RED』。1989年。映研というメーカーから出た最初のバージョン。パッケージは垢抜けないが、それがまた。ビデオテープの赤いシールに大きく「1」って書いてあるのって、マジカル・パワー・マコを思いだしますよね?あれより早いですよ。「RED」含め全

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    noreply 2008/10/10
  • 『アイデア』2008年9月号 (better)

    『アイデア』2008年9月号はD&DEPARTMENT 2005-2008特集で、ナガオカケンメイのインタビューなどが載っています。連載の「同時代デザインの文化誌」第2回はペッパーショップの古賀学さん。1993-4年に出ていた『ペッパーショップ』は読んでないかもしれませんけど、その後の『COMIC CUE』『G2O』『Cool Toys』『masterpiece Z GUNDAM』「ガンダム占い」などのデザインで知ってる方も少なくないと思いますが、どうでしょう。加野瀬さんが編集長だった美少女ゲーム誌『カラフル・ピュアガール』のデザインもペッパーショップですよ、といえばネットの人にも判りやすいのだろうか。ちなみに加野瀬さんは『G2O』のデザインを見て頼んだそうな。今回の特集には『カラフル・ピュアガール』は載せられなかったのでここで補足。 (コメント欄に補足がありますよ)

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    noreply 2008/10/10
  • ヴァーチャル・リアリティとかサイバースペースの反対語。 (better)

    ストリートビュー批判の「Google の中の人への手紙」の海外での反響 - アンカテ 上記を読んで何に驚いたって、「ヴァーチャル・リアリティ」とか「サイバースペース」の反対語が「Meatspace」(肉宇宙・肉世界)という言葉だということだ。全然知らんかった。日人が「実社会/実生活」「リアル社会」「三次元」などと呼ぶヤツですね。日で「ミーツスペース」と発音すると「Meets Space」みたいに理解されて「出会いのある場所ってことね」と誤解されそうなので広まらないとは思うが……。Wikipediaでも「real life」とはニュアンスが区別されてるけど。

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    noreply 2008/08/27
  • 沙村広明のエロ構想。 (better)

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    noreply 2008/08/06
  • アンビエント・コミック続報。 (better)

    先週、「『ふら・ふろ』を買って前にブックオフでやったことを思いだす。」というエントリーで、“「アンビエント・コミック」(大した事件の起こらない空気のようなマンガ、ワタシ命名)”と書いたのだが、SLN:blog*に「アンビエント漫画のススメ」というエントリがあがってて、なんだみんな思いつく用語なのか!と驚き。というわけでワタシも少しだけ紹介しておこう。『らきすた』とか『苺ましまろ』とかは今回除く。 ダイヤモンド / 伊藤重夫 『Aha!』に連載されてたフルカラー・コミック。雑誌の休刊によって未完結のまま終了してしまい単行未収録だが、リンク先の作者のサイトで雰囲気はわかると思われる。単行は『踊るミシン』が好きなのだがアンビエントではない。 埋ま埋まちゃん。 / 返済セイスケ ファミ通漫画大賞から出て来て、その後「安井誠太朗」とペンネームを変えて活動していたのだけど、ここ数年音沙汰ない感

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    noreply 2008/08/06
  • 『フィール・ヤング』2008年8月号の付録。 (better)

    「岡崎京子デビュー25周年記念読」が付録でついてくる『フィール・ヤング』2008年8月号を皆はもう買っただろうか。25周年といっても、そのうちの十数年は活動していないのだけども、まあきっかけは当は何でもいいのだろう。この付録には「毎日がクリスマスだったら…」が収録されているが、それよりも「各界からのメッセージ」がポイントだ。香山リカ、桜沢エリカ、辻村深月、手塚眞、魚喃キリコ、やまだないと、山直樹、よしもとばなな、古屋兎丸、冬野さほ、浅田彰、マット・ソーンらが一言コメントと共にオススメ作品をあげている。そのうちよしもと・やまだの二者が『愛の生活』を薦めていてちょっと見直した。 この『愛の生活』こそが、21世紀のいま、岡崎作品のすべての中で最も必要とされているテーマを持っていると思う。90年代末=世紀末に必要とされた『pink』『リバーズ・エッジ』『ヘルター・スケルター』の叫びは、しばら

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    noreply 2008/07/17
    []>「岡崎京子デビュー25周年記念読本」が付録でついてくる『フィール・ヤング』2008年8月号を皆はもう買っただろうか
  • 創作と著作権は関係ない。 (better)

    創作が「新しくモノを作り出す行為」だとして、著作権は「著作物をコントロールする権利」とすると、YouTubeやニコニコ動画で広く知られるようになった、動画のコラージュ/パロディ行為である「MAD」は著作物なのかどうか?という疑問の回答は「MADは創作物であるが著作物ではない」となるだろう。作者の創作性が否定されたわけではないが、コントロールする権利は否定される。 著作権について調べた時、初めの頃に出会うのは「日では何かを作ったら自動的に著作権が生まれる」という話であると思うが、正確には「何かを作ったら」ではなく「著作物を作ったら」である。著作物とは他人の著作権を侵害していないことを前提とした独創的な作品であって、他人の著作物を切り貼りしたものはやはり自分の著作物ではない。創作したのはまぎれもなく自分であるが、創作しただけではコントロールする権利はついてこないのだ。 ここで著作権=オリジナ

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    noreply 2008/07/11
    []MADは創作物であるが著作物ではない
  • 相対的価値が減少傾向にあるものごと。 (better)

    をした時に、べ物の写真を撮っている人を見かけたことがある人も多いと思う。彼らの中にはこっそりやってる人もいるし、堂々とシャッター音を店内に響かせて撮る人もいる。その写真の使い道はさておくとして、堂々とやっている人達の感覚は、おそらく「お客だから=お金を払うのだから写真を撮ってもいいでしょ」くらいの感覚だと思われる。 しかし800円のラーメンの場合、店側はラーメン自体に800円の値段を付けている。その800円に「写真を撮る権利」を含んでいるつもりはない。しかしお客側は800円に「写真を撮る権利」も含まれると考える。つまり「ラーメンべる権利+写真を撮る権利=800円」という図式になるので、ラーメンは800円よりも低い価値で見積もられている。 つまり、これまでと同じ値段であっても、時代や状況の変化によって、その値段に対応する権利の数がいつのまにか増えている(店側からすれば増やされている

  • 吉田豪著『バンドライフ』で、大槻ケンヂが話しているミニコミについて。 (better)

    4月に出た吉田豪著『バンドライフ』を今更読んだのだが、非常に面白かった。簡単にいえば、主に80年代後半~90年代初頭のバンド・ブーム期に活躍したミュージシャン20名にインタビューしているである。というかサブタイトル「バンドマン20人の音楽人生劇場独白インタビュー集」がズバリ著わしているのだが。 さて最期に収録されている大槻ケンヂ・インタビューに、当時何かのミニコミで北村昌士と対談する予定だったのに、YBO2がそのまま打ち上げに行ってしまったので大槻一人のインタビューになった、というような話が出てくるのだが、それらしきミニコミを偶然持ってるので、せっかくだから載せておく。 『LILAS(リラ)』創刊号(1987年8/9月頃) 中里やす子編集。ZOA、北村昌士、大槻モヨコ、ばちかぶり、サラスヴァティなど、当時の日のインディーズを中心に取り上げているが、ロンドン情報としてザ・スミスなどのラ

  • 80年代後半以降の日本のテクノポップ、メモ。 (better)

    1986.06.-- 雑誌『TECHII』創刊 テクノだなんて口にするのも恥ずかしい時期に創刊されたニューウェイヴ・ポップス誌。 1987.09.25 エキスポ『エキスポの万国大戦略』 電子楽器で人間の間違いをシミュレートした超問題作。シーケンサーなのに不安定。ゲームミュージックの戦略的取り入れ。 1987.10.25 V.A.『SUPER BOX』 関西には東京とは全然違うテクノポップ・シーンが形成されていた。それを紹介したのが東京のBOX Recordsが編んだこのコンピ。ミンカパノピカ、ビスケットホリック、ペータースなどを収録。別に今聴くとテクノポップでもないけど。 1987.11 雑誌『KB SPECIAL』11月号より連載「テクノ恩返し」 寿博士によるテクノじゃないけどテクノと関係あるディスクを紹介する連載。 1988.09.23-24 「テクノポップ10周年大感謝祭」@六木イ

  • サブカルチャーの歴史 - www.jarchve.org

    サブカルチャーの歴史:箇条書き編 これは70年代の項を書いている途中で時間がなくて止まっています。ちょっと足しました。(2008-05-03) 超前提 Thomas Parsonsによる概念「youth-culture(青年文化)」は1930年代のアメリカ都市部中産階級の青年文化の調査時に生まれたもの。social system theory。 James Colemanは「the adolescent society(青年社会)」は高度成長した産業社会によって生まれたとしている。 1947年にMiltone M.Gordonが論文で「sub-culture」と名づけた時は、マイノリティの人種や、下の階級、エスニックエリアなど、下層にいる人達、下位に位置づけられる人達が対象だった。ただしその前、1944年にHenry Pratt Fairchildが用語「culture-sub-area」

  • ポスト・フラットのはなし その3 (better)

    ポストフラットを説明するのに、少しだけ確認しておかなくてはいけないフラット型社会──くり返すが現代のこと──の特徴がある。それは「大きな物語」と呼ばれるような思考、「何かが始まると何かが終わる」という価値観が適応できない出来事が多くなってきていることだ。 というのは、フラット化を目指している現代は「何かが始まっても前の何かも続いていく」という累積と並列化の世界だからだ。古いモノと新しいモノを同時期に体験できる──というより既にタイムスタンプの違いでしかない──、レアなモノもそうでないモノも簡単にアクセスできる、プロも素人も同じ制作機材を使える、同じ空間にいる、同じものが共有される……。そこにあるのは単なる個人史(個人視?)だ。「大きな物語」があるように思えたのは、または物事が順番に登場したように見えていたのは、自分の視野に入る「小さな物語」の塊であって、視界に入らなかった出来事や物語がこの

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    noreply 2008/01/23
    "「何かが始まると何かが終わる」という価値観が適応できない出来事が多くなってきていることだ"
  • 面白さを言葉にする方法 - www.jarchve.org

    これは批評・評論の書き方というより、感想・解説の書き方です。 前提:「面白さ」が「つまらなさ」に比べて語りづらい理由 なぜ「つまらなさ」に比べて「面白さ」は語りづらいのか。「つまらなさ」を語る事は、そう思わない他者からの反発を招きやすい。その予想される反発に対して、自分がつまらないと思った理由に妥当性・必然性があることを証明するために、「つまらなさ」はあらかじめ「つまらないという結論に至るまでのそれなりの解説」を用意することが無難とされる。 対して「面白さ」を語ることは反発を招きにくいので、「なぜ面白いのか」は問われにくい。問われない答えを用意するのは手間であり、問われてから初めて「なぜ面白いのか」を考えることになりやすい。このように「面白さ」の理由は段階を踏まないと考えられづらい。そして「面白さ」を言葉に直す作業の経験の少なさから、「面白さ」は「つまらなさ」に比べて語りづらいのである。

  • おとぎばなし: 2007年の自分ニュース!

    ●ニコニコ動画が大流行してたので見た! これ以上に2007年っぽいものは他に思いつかない。初音ミクもこれの派生ブームって感じですしね。 ●MADを見飽きた! 流石に大量すぎた!飽きてきた!でももうちょっと見る! ●ケータイ写メランキングサイト巡回するようになった! これは安田理央さんに聞いてから見始めたんですけど、探し始めるとキリないですね。ていうかどうでもいいですね。 ●ホームページ見てねって言われて見たらプロフだった! 今はホームページってプロフのことなんだな!と思った。二重三重の意味で間違ってる気もしたが時代だ。 ●ネットレーベルが地味に流行ってる感じがしてきた! -Nが停止状態ではあるものの、新興のMizukageをはじめ、Bump FootやMaltineをはじめとして、初音ミクと関係ないネット音楽もいいですよね。 ●楽天フリマが終わって、代わりに始まった楽天オークショ

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    noreply 2008/01/01
    「今はホームページってプロフのことなんだな!と思った。二重三重の意味で間違ってる気もしたが時代だ」
  • ライトノベル - www.jarchve.org

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    noreply 2007/11/13
    「旧来のSF小説とファン層が離れすぎている近年のファンタジー小説を分けて論じたいというユーザの希望から、1990年12月に新たに「ライトノベル」会議室が作られた。名付け親は現「神北工房」の神北恵太氏」
  • 1970年代までの同人誌の歴史 - www.jarchve.org

    注意:この文章は2003年〜2004年にかけて書かれ、「ロリコン入門」というコンテンツの補足記事として公開されました。ロリコンと同人誌の関係性を意識して解説しているため、所々それを前提とした書き方がされています。違和感を感じた人は読みすごしてください。 ロリコン以前の同人誌歴史コミケットまで) 最初の同人誌ブームは1953年前後に『漫画少年』(学童社/1947年創刊・1955年休刊)を中心に起きた。同人誌といっても、当時はオフセット印刷もコピー機も満足に無い時代であるから、会員間で郵送して回し読みをする全て手書きの「肉筆回覧誌」が普通である。有名なものには、石ノ森章太郎が会長の東日漫画研究会(会員には赤塚不二夫、高井研一郎、水野英子らが居た)による『墨汁一滴』、鈴木光明が会長の『ぶるーばーど』(永島慎二、石川球太など)がある(ちなみに藤子不二雄が作った漫画同人誌『少太陽』は1951年

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