(すでに1月も中盤に入ってこういうのもなんですが)新年明け一発目のエントリがWiredVisionに掲載されました→『恋空』を読む(1):ケータイ小説の「限定されたリアル」 | WIRED VISION。先日ここで少し予告したように、ケータイ小説の『恋空』について書きましたが、肝心の『恋空』の中身にはまだ触れておらず、「次回に続く」という形になっています。本当はさっさと『恋空』の内容分析に入りたかったのですが、自分の悪いくせで、いろいろとノート的に書いてしまいました…。 さて、今回のエントリを書くにあたって、ケータイ小説をめぐるネット上の議論や考察を読んで回ってみたのですが、ひとつ感じたことがありました。それは、こうした議論の多くが、ケータイ小説の「中身」についての議論ではなく、その「外側」について、すなわちケータイ小説の《状況論》や《位置づけ論》に終始しているきらいがあるのではないか、と
『恋空』を読む(1):ケータイ小説の「限定されたリアル」 2008年1月15日 ITカルチャーメディア コメント: トラックバック (1) (これまでの濱野智史の情報環境研究ノート」はこちら) ■1. 分析を始める前に――『恋空』に対する2つの立場 ずいぶんと旬は過ぎてしまった感はあるのですが、今回は少し趣向を変えて、2007年に話題を集めたケータイ小説作品、『恋空』(スターツ出版、2006年)について分析してみたいと思います。 さて、分析を始める前に、いくつか確認しておきたいことがあります。昨年から(おそらく映画が公開されヒットを記録したのを境に)、ネット上では――ケータイ小説のメイン読者層ではなかった人々の間で――、この作品をどのように位置づけるのかをめぐって議論がなされていました。筆者もそのすべてをきちんとフォローしているわけではありませんが、ある程度概観しておくならば、それは大きく
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