MY WAY FOREVER誌 2004年 Summer 第5巻 「戦後日本のJAZZ界に咲くまことの花」より ■ 江戸・八丁堀・聞楽亭 父親は、寄席の亭主だったんですよ。八丁堀で。聞楽亭(ぶんらくてい)という。昭和20年(1945年)3月10日の大空襲で全部焼けちゃいました。 で、僕が今やっているバンド「ザ・聞楽亭」というのはね、うちの昔の名前なんです。 その寄席は、江戸時代、ひいおじいさんの前ぐらい、つまり5代前のご先祖様が始めたらしい。 当時ね、いわゆる講釈師がいて、表でもって、よしず張りで囲いをして、その、芝居小屋みたいなのを仮に建てたようなものの中で軍記物を色々聞かせるというのがあったそうで。そこへお客さんが入って、聞いて、お金も払っていくという。 それをご先祖様が見てて、こういうのを完全に小屋にしてやったらどうだろうってことでやり始めたらしいのね。 ■ 女湯に刀掛け その前は、