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議論と_D_Amonに関するo_keke_nigelのブックマーク (8)

  • メモ:境遇と暴論 - 非行型愚夫の雑記

    不幸な境遇かつ病やPTSDと自称する人が社会的に受け入れられない暴論を主張していることにより引き起こしている人間関係におけるトラブル 言動が境界性人格障害の特徴と合致する面あり 不幸な境遇に同情して「この人の味方をしなくてはならない」という思いに駆られて擁護する人と受け入れられない暴論を批判する人が対立 境界性人格障害の人が周囲の人を巻き込むトラブルの典型例 境界性人格障害は病やPTSDと誤診されやすい 病やPTSDというより、実は境界性人格障害なのではないか 症状的にどうであろうと、悪化を防ぐためにも、しっかりしたカウンセリングを受けた方が良いのではないか 私は擁護する側ではなく批判する側に立つ 批判で相手が傷つくとしても、不幸な境遇ゆえに暴論を展開してしまう人を傷つけてしまう害悪より受け入れられない暴論を言いっぱなしのままにさせることの害悪の方が大きいと判断するから 批判しつつも

    メモ:境遇と暴論 - 非行型愚夫の雑記
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/11/26
    リベラリズムを守るためにはおよそリベラルとはかけ離れた対応が必要な場合があるのではないか、というジレンマ。私自身も、理由の如何を問わずテロルは受け入れられない。「切実な理由」はまた別に検討すべき問題。
  • もはや議論の必要がないこと - 非行型愚夫の雑記

    レイシズム・歴史修正主義に対する批判・非難に対して、レイシスト・歴史修正主義者がその不寛容さを批判・非難することがあります。 くだらない。 レイシズム・歴史修正主義に対して妥協点を見出すために議論する必要などありません。 不寛容に対する不寛容、大いに結構。それらに対して寛容に振る舞う方が悪しき相対主義というもの。妥協する方が悪。 両者の間に妥協点を見出すということは、正と誤の間で中間を取るようなものです。妥協するだけ結論は正から遠のきます。 両者の間に妥協点を見出す必要はありません。地動説と天動説、進化論とID論。これらに対し、前者を正しいものとし、後者を誤りとし、両者の間で妥協点を見出す必要がないのと同じ。 批判・非難されるべきことが批判・非難されるだけのことです。 こういう不寛容に対する不寛容は社会正義に反しません。むしろ、つまらない修辞で質を覆い隠し、不寛容に対する不寛容が社会正義

    もはや議論の必要がないこと - 非行型愚夫の雑記
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/10/26
    そもそも係る「非寛容」は近代市民社会の成員として受け入れられないこと、まずここを出発点にしないとあさっての方向へ飛んで行ってしまう。その上でid:trafficker氏が言われることが必要なのだと思う。
  • だまされにくくなるためのヒント - 非行型愚夫の雑記

    だまされる人と抵抗する人 このような多様性は、物理的構造と同様、心理学的性質にも影響する――感化に対する感受性、あるいは抵抗性を高める性質を含む。ある人は拷問にも屈せず、あるいは詐欺師のブラシで毛を刈られることなく逃れることができる。彼らは、友人をうらやましいと思わせる物事や、絶望を偽る慈善事業やセールスマンに対してノーと言う能力を持っている。そのような人々がスタンレー・ミルグラムに出会うと、彼の実験方法(第四章参照)に初めから従わないであろう(もちろん、彼の実験対象にも少数例そのような人がいた)。彼らは、内的強度、つまり自信が強く、このような形の社会的圧力から隔離された状態にある。だが、われわれの多くは、このような防御機構を欠いている。われわれは、自分が抵抗力を持っていると考えるが、現実は常にそれが間違いであることを証明する。われわれは詐欺師の犠牲になり、怪しい売込みに同意し、不必要な物

    だまされにくくなるためのヒント - 非行型愚夫の雑記
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/08/30
    「常に立ち止まること」→修正可能性の余地を常に残しておくこと。
  • 「思いを汲み取れ論」には付帯条件があります - 非行型愚夫の雑記

    どんな批判に対してもある程度効果的な無効化を図れる論法 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかで解説した「思いを汲み取れ論」には付帯条件があります。 それは、思いを汲み取る対象と感覚が合うこと。 これにより感覚が合わない対象(例えば気にわない相手)の思いは汲み取る必要が無くなるわけです。思いを汲み取らないのは感覚が合わない対象の方が悪いからというわけですね。 こうすることにより相手の方を悪者にして相手の思いを汲み取ることを拒否することができるわけです。 「対話においては互いに思いを汲み取ることが大事。だから、貴方は私の思いを汲み取りなさい。しかし、私は貴方の思いを汲み取りません。なぜならば貴方の言動は私の感覚に合わないから」*1 人間という社会的生物にとって「互いに思いを汲み取る」ということは概ね大事な規範。 その規範を笠に着て、自分の思いを相手に汲み取るように求めつつ、相手の思いを自分が汲み

    「思いを汲み取れ論」には付帯条件があります - 非行型愚夫の雑記
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/07/22
    コメント欄「>人権みたいな有名な『理』が、世界には通じないところがいくつもある→そういうのは共通認識を作ることで形作られるのです。で、異質な他者と共通認識を作る方法は情ではなく事実と論理」
  • 感情論による正当化と感情論の正当化 - 非行型愚夫の雑記

    「保守主義 拡大より空洞化が問題」 - Munchener Bruckeコメント欄より。 # hodasi 『私も、国際連盟脱退を支持した大衆などには批判的ですが、ですが、しかし、明治維新から続く、「歴史の流れ」が、全体主義政権が誕生したのも事実です。そして、その流れは、日が単独でそうこうできるものではなかった。当時の国際バランスの軸に参入するには、力、つまり、軍事力、植民地、石油が必要だった。戦後、自称・反省家が、こういった事実を無視して、ひたすら昭和避難を行ったから、貴公のいう「ネットウヨ」が生まれたんじゃないでしょうかね。』 # kechack 『 単一事件と違って、歴史というものは帯のように流れているものでありますから、単純に正しい間違いいう議論はし難いものだと思います。 戦前はすべて悪的な言論のアンチテーゼとして戦前を肯定する議論が出たのでしょうが、両方とも間違いというか、そも

    感情論による正当化と感情論の正当化 - 非行型愚夫の雑記
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/03/27
    「先人への感謝と過去の事例を吟味し批判することは別々のことです。その別々のことに対し「先人への感謝を土台に」という話を持ってくるのがおかしいわけです。」政治的含意を隠す感情論へのカウンター。
  • なんか、すごいなあ - 非行型愚夫の雑記

    「間違っている論理展開」と「わら人形論法」に耐性の無い人々 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかコメント欄より。 Kemuri-1942 『「南京大虐殺」そのものの理論化傾向に目を瞑られるとは、流石は論理学者!二人死んでも虐殺ですよね。南京大虐殺「否定」論者は、大別して「マボロシ派」(そんなことはなかったよ)「中間派」(中国が言ってる数が多すぎだよ)「肯定派」(中国様の言うことに間違いはないよ。)に分けられるわけなんですが。私は「中間派」であり、南京大虐殺を「中国の言うまま」に受け入れること、あるいは極大化する人間こそ「歴史修正主義」だと思ってますよ。ちなみに、ネット上での多勢も「中間派」なんですよ。何で否定論が盛り上がるって、利益のためやらイデオロギーのために、針小棒大に大騒ぎするド低能様がたくさんいらっしゃるからで。所謂「南京大虐殺」は存在しない、ということですね。つまり、「南京大虐殺」そ

    なんか、すごいなあ - 非行型愚夫の雑記
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    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/11/25
    D_Amon氏のところで論証モデルが滑ったのころんだの言ってた人についてbuyobuyo氏が一発お見舞い…何かディベートと議論をごちゃ混ぜにしてる人っぽい、いや「罵倒芸」の一種ととらえるべきか。
  • 「間違っている論理展開」と「わら人形論法」に耐性の無い人々 - 非行型愚夫の雑記

    似非科学、歴史修正主義、差別主義といったダマシの多くに共通する特徴として「間違っている論理展開」と「わら人形論法」が挙げられます。 間違っている論理展開 論理展開には様々な約束事があります。ダマシはその約束事を破ることで己が望む解を導き出します。 間違っている帰納的論理展開 帰納的に解を求めるには「適切な事例の選択」と「因果関係と相関関係を混同しないこと」が必要です。 この約束事を破り、恣意的に事例を選択したり意図的に因果関係と相関関係を混同したりすることによりダマシは思惑にそう解を導き出すことができます。 水関係のトンデモ*1では恣意的な事例選択によりあたかも水が言葉を認識しているかのような解を導き出していますし、植物関係のトンデモ*2では因果関係と相関関係を混同することであたかも植物が会話や音楽を認識しているかのような解を導き出しています。 恣意的に事例を選択すればダマシの思惑通りの「

    「間違っている論理展開」と「わら人形論法」に耐性の無い人々 - 非行型愚夫の雑記
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/11/25
    …のトリックなのかな?結構「芸達者」なのかも。もちろんD_Amon氏の方じゃない。しかし「南京」と一言言っただけでこの食いつきようはなかなか。
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