梯子獅子行ってくるね
元カリフォルニア大学主任研究員で作家の森田ゆりさんは、暴力や虐待を人権の視点から40年以上研究している。虐待の加害者・被害者の回復プログラムをいくつも開発・実践し、性暴力、DV、多様性、非暴力などをテーマにした多くの著書で様々な賞を受賞。最新刊『体罰と戦争:人類のふたつの不名誉な伝統』(かもがわ出版)は、暴力とは何かを問い続けてきた森田さんの人間といのちの尊厳を守る渾身の書だ。 森田さんが、2001年6月8日に起きた池田小学校事件の公判を丁寧に傍聴記録し、ジェンダーと暴力の視点から「宅間守の大量殺人」を論じた章を『体罰と戦争』より部分抜粋して掲載する。 当初報じられた「精神障害者」という誤解 2001年6月8日午前10時頃、1人の男が包丁2本を持って大阪教育大学附属池田小学校に侵入し、小学1〜2年生を次々と襲い、8人の子どもを刺し殺し、その他の子どもと職員15人に重軽症を負わせました。この
「1人で勝手に死ね」 登戸で起きた無差別殺傷事件にたいして上記のような発言は加害者の動機付けになりかねないから自重せよといった記事を読んだ。 今回の事件が無敵の人と関連して語ることができるかはわからない。容疑者が死亡している以上、憶測でしかない。なのでここで書く無敵の人に関する考察は事件とはおおむね関係ない。ネットの意見を読んでいて無敵の人という人物像にたいしてなにか違和感があるから書いてみようと思った次第である。 さて、人と社会との関係がいかに犯罪の動機付けとなるかその個人の思考の内部までのぞきこまないと知りようがない。犯罪の動機はおおむね人々を納得させるために社会から求められるものでしかない。今回の事件に関して言えば犯人を無敵の人という人物像でくくることによって事件を解決するのではなく自分を納得させたいという「欲求」が働いているように見える。すべての動機は憶測でしかありえない。本人が動
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