ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (44)

  • どんな人が・なぜ身体拘束の対象になっているのか──疾患分類からみえること - シロクマの屑籠

    東京新聞の記者が日精神科病院協会(日精協)の会長にインタビューした記事が掲載されていた。 www.tokyo-np.co.jp この記事は、精神科病院での身体拘束を問題視し、その必要性を述べている日精協会長の発言まで問題視するもののようにみえる……が、あまり迫力ある主張になっていなかった。 これは、精神保健指定医である私が見てそう感じただけでない。個人の自由を尊重する価値観の多いはてなブックマークのユーザーの反応も、そのようなものだった。 [B! 医療] 身体拘束「なぜ心が痛むの?」「地域で見守る?あんた、できんの?」精神科病院協会・山崎学会長に直撃したら…:東京新聞 TOKYO Web この、はてなブックマーク上の反応をみる限り、多くの人は事態がそれほど単純ではないことを見抜いている様子だった。 身体拘束をはじめとする行動制限については論点がたくさんあり、全てを論じようとすれば一冊の書

    どんな人が・なぜ身体拘束の対象になっているのか──疾患分類からみえること - シロクマの屑籠
  • ますます静かに・安全になっていく社会は人間を自由にするか - シロクマの屑籠

    anond.hatelabo.jp リンク先の文章には、近隣の公園の喧騒に過敏になり、クレームをつけるに至った人の体験談が丁寧に記されている。いつものようにはてなブックマークにはたくさんのコメントが集まっていて、さまざまな意見、見解、感想が入り混じっている。 コメントのなかには、筆者の体験を病的であるとみなし精神科病院に行くよう勧めるもの、逆に精神科病院に行くよう勧めることが問題の個人化を促し、環境の改善がおざなりになってしまうのを懸念する声も見受けられた。なるほど。とても現代的だ。ここでは、近隣での騒ぎ声についての悩みが医療化されていると同時に、行政にクレームをつけることで改善を期待するさまが読み取れる。どちらも昭和時代以前には稀なソリューションだったに違いない。 昭和時代だったらどんなソリューションになっただろうか。 決まっている。「コラー!」である。 「子供が公園で自由に騒げた時代」

    ますます静かに・安全になっていく社会は人間を自由にするか - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2023/06/09
    子供のころ自分も騒いでいたろうに、大人になってから子供に対してうるさいとキレだす人の気持ちが本気でわからない。自分は特別だったのかな?
  • 在宅勤務でも昼間から酒を飲むのはやめたほうがいい - シロクマの屑籠

    gigazine.net 在宅勤務が増えるアメリカ合衆国では、在宅勤務者の3人に1人が飲酒しているというニュースを知った。私は精神科医としてはいい加減なほうだし、ワインが好きなので飲酒についてもうるさくないつもりでいる。でも、平日の昼間からアルコールを飲むこと、とりわけ就労中に飲むことはとても危ないと思っている。 なぜなら、アルコール依存症になっていく人のプロセスのひとつとして「平日の昼間から酒を飲むようになった」「仕事をしながら酒を飲むようになった」を頻繁に見かけるからだ。 このニュースを、日人はどんな風にみているのか? はてなブックマークを確認してみると、「アル中になる」「17:00までは飲まない」といったコメントがある一方で、肯定的なコメントや心配していないコメントもあった。twitter検索でも傾向はあまり変わらない。怖がっている人もいれば、怖がっていない人もいる。 「昼間から」

    在宅勤務でも昼間から酒を飲むのはやめたほうがいい - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2020/04/15
    ほんと、やめたほうがいい
  • 「45歳以上はリストラしたい」+「高技能の若者が欲しい」=「子どもが増えない」 - シロクマの屑籠

    kabumatome.doorblog.jp 先月、富士通グループが45歳以上の社員をリストラするという話を見かけた。 大企業の45歳以上の社員といえば、それなりの人生プランにもとづいて暮らし、年齢的にも住宅ローンや子どもの学資がきつい頃だろう。古い人生プランだと言われてしまえばそれまでだが、「一家の大黒柱」として期待されている人も多かろうし、大企業だからとあてにしていた部分もあろうし、大企業だからつぶしがきかない人もいそうではある。 とはいえ、富士通が特別に邪悪なリストラをやったのかといったら、そういうわけでもない。いまどき、40~50代のリストラなんて珍しくもなんともないし、割り増し給付金が付いているだけマシといえばマシだ。 www.businessinsider.jp 「50歳過ぎた社員は新しい価値を生まない」というこの記事も、各企業のリストラを報じたもののひとつだ。優秀なベテランは

    「45歳以上はリストラしたい」+「高技能の若者が欲しい」=「子どもが増えない」 - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2019/04/25
    優秀とはなんだろう
  • どんどん清潔になっていく東京と、タバコ・不健康・不道徳の話 - シロクマの屑籠

    ironna.jp 先日、iRONNAさんの「喫煙ヘイト どうにかならぬか」に寄稿した記事への反応が予想どおり、いや予想以上だったので、関連したことを書きたくなった。 記事に対するはてなブックマークの反応をみると、喫煙に対して比較的穏健な意見から非常にアグレッシブな意見まで、さまざまな意見があることがみてとれる。記事のなかで私は、 また、会員制交流サイト(SNS)をはじめとするネットメディアで先鋭化したオピニオンが集まりやすくなったことも、喫煙ヘイトを際立たせる一因として見過ごせない。世間では100人に1人しかいないような極端に排斥的なオピニオンでも、SNS上では仲間同士で群れ合い、そうした極論への同調者がたくさんいるかのように錯覚できてしまう。 と書いたが、はてなブックマークの反応はまさにそのようなものだった。今回は喫煙というテーマだったが、なるほど、これなら思想的に極端な意見もSNS

    どんどん清潔になっていく東京と、タバコ・不健康・不道徳の話 - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2018/12/21
    タバコは不道徳っていうか臭くてやだ。タバコ休憩とか言って一時間ごとに休憩とるのも困る。臭いについては気をつけようと思っているか否かで許容できるかどうか。臭いのも休憩も当たり前と思っている人はやだ。
  • 「ブログで金儲け」から三年後のインターネット - シロクマの屑籠

    シロクマさんが言ってた金の匂いのするネットは嫌だという話を思い返してみたけど、そういえば僕は家でお金の話をして親にめっちゃ怒られた事があるんだよな。リアルではやるくせに、そういう思想がネットではいつまで経っても抜けないのは、やはり古臭い人間だからなのかもしれない。— 高須賀(* ॑꒳ ॑* )⋆* (@takasuka_toki) 2018年6月22日 三年前、私は「金の匂いがするブログ」について以下のような意見を書いたことがあった。 p-shirokuma.hatenadiary.com しつこく繰り返すが、私はブログや動画配信を使ってカネを儲けるなと言いたいのではない。そうではなく、「カネが欲しい」という欲求をどのように取り扱い・どこまで表現するのかに対し、もっと自覚的・戦略的であってもいいんじゃないの? デリカシーへの配慮があってもいいんじゃないの? と問いかけたいのだ。 https

    「ブログで金儲け」から三年後のインターネット - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2018/07/09
    金儲け製はほぼ居なくなって、既存メンバーが残ってるよね
  • FGOでゴールデンウィークが溶けた - シロクマの屑籠

    マンガで分かる! Fate/Grand Order(1) (角川コミックス) 作者: リヨ,TYPE-MOON出版社/メーカー: KADOKAWA発売日: 2017/08/02メディア: コミックこの商品を含むブログ (5件) を見る FGOでゴールデンウィークを溶かしてしまった。 2016年頃から、私のtwitterのタイムラインにはFGO中毒者が続出し、2017年8月には、小島アジコさんが「シロクマさんもFGOをやろうよー」と悪魔の誘いをかけてきた。周囲の評価から、絶対に自分好みの、ヤバいゲームだとはわかっていたが、これ以上ゲームをしょい込むのは避けたかった。ところが『アズールレーン』をやめて『ポケモンGO』も停止させて心の隙が生まれたのか、つい、出来心で『FGO』をインストールしてしまった! もう、タイムラインには1~2年前の賑わいは無いし、3年遅れてソーシャルゲームを始めるのもなん

    FGOでゴールデンウィークが溶けた - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2018/05/05
    今から始めたら古参メンバーに追いつくために廃課金勢になってしまいそうでこわい
  • 「散るログ。ポジ熊。青二才。」 - シロクマの屑籠

    ※これは、はてなブログ周辺をウォッチしていない人には全く意味のわからない文章です。興味のない人は引き返してください。 www.cild.work こんにちは。散るログのチルドさん。上記リンク先を読んで、どこかの先生とは私のことではないかと思い、お手紙を書いてみることにしました。 ひと昔まえ、どこかの先生がインターネットでは、みんなお金じゃなくて承認を求めているんだって、そう言っていた。僕も、そんな潮流にのって、もっと目立ちたい、インターネットで強くなりたいと、そう願ったんだよ。 ところが、その承認欲求の行き先は、なんとお金だった。ユーチューバーやイケてるブロガー、ビットコインの億り人に代表されるように、承認欲求を最大化する養分は、お金だったんだよ。 時代は巡るというけれど、お金を否定した承認欲求が、お金を産むことでしか評価されなくなるというのは、なんとも逆説的だよね。 なんだか、私のブログ

    「散るログ。ポジ熊。青二才。」 - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2018/01/13
    「散るログ。ポジ熊。青二才。」→一富士二鷹三茄子みたいで草
  • 非モテ同窓会に出席してしみじみした - シロクマの屑籠

    奇刊クリルタイ6.0 作者: クリルタイ,能町みね子,雨宮まみ,手塚真輝,古田ラジオ,ふじいりょう,奇刊クリルタイ編集委員会,吉川にちの出版社/メーカー: クリルタイ発売日: 2011/11/07メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 3人 クリック: 17回この商品を含むブログ (2件) を見る 2017年も師走を迎えた先日、非モテ同人誌『クリルタイ』に関わったメンバーが集まり、旧交を暖めるオフ会があったので参加してきた。 ちなみに私は非モテを名乗っていたのでなく、自称非モテの仮想敵とみなされる「脱オタ」派の一人とみなされていたが、彼らの論争に巻き込まれるうちにいろいろあって、非モテ同人誌に寄稿することと相成ったのであった。 さて、非モテ論争から10余年が経って、非モテという言葉はネットであまり見かけなくなった。 代わって頻繁に見かけるのは「陰キャ」という、1980年代の「ネクラ」を彷

    非モテ同窓会に出席してしみじみした - シロクマの屑籠
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    ponkotukko 2017/12/04
    おモテの裏側のはなし
  • 現代インターネットにおける「呪い」の増幅について - シロクマの屑籠

    呪術の話がしたくなる季節ですね。 去年も今年も、インターネット上では炎上のともしびが絶えることはない。 「誰かの炎上に加担する」と、自分が正義を行ったような気分が味わえて、それに伴って、優越感や自己効力感や所属欲求が充たされる。個人の心理的欲求を充たし、フラストレーションを緩和するという点でみれば、炎上という現象は、世の中の役に立っているとも言える。 いけにえの羊を供物としてみんなで気持ちを充たし合う儀式は、現実世界ではほとんど禁じられている。ところがインターネットにおいては、正義の大義名分さえあれば、みんなで羊を、否、“悪い奴”を、燃やして構わないということになっているらしいのだ。なぜなら、そいつぁ悪い奴だからだ。「悪い奴に石を投げて心理的欲求を充たして、何がいけないというのか。みんなやっているじゃないか。」 [関連]:"叩いて構わない奴はとことん叩く"空気と、いじめの共通点 - シロク

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    ponkotukko
    ponkotukko 2017/08/18
    ハワイに移住したらはてな村のこと忘れてしまうと思う。環境が呪いを生むことはままある。
  • 遊びや趣味でメンタルを癒せなければ、生きていくのは難しい - シロクマの屑籠

    この世の中を、生き抜いていくために必要なものは何だろうか。 ある人は、勉強ができる能力、効率良く努力する能力を挙げるかもしれない。確かに。そういったものがなければ、学歴やスキルや資格は手に入らないだろう。 また、別のある人は、コミュニケーション能力を挙げる。他人とわたりをつける、他人に共感する、空気を読んだり操ったりする。なるほど、転勤や転職の多い、あちこちで新しい出会いをこなさなければならない現代社会では、コミュニケーション能力が重要なのはそのとおりだと思う。 でも、努力する力やコミュニケーションの力だけで当に十分だろうか? 遊びを持たない者・趣味を持たない者の弱点 私は、自分のメンタルを癒す……というより自己回復させる力を持っていない人は、努力する力やコミュニケーション能力に恵まれていても、世渡りがなかなか厳しいのではないか、と思うようになった。 たとえば、うつ病や適応障害にかかった

    遊びや趣味でメンタルを癒せなければ、生きていくのは難しい - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2017/06/09
    癒しを求めて牧場物語やってもそれだけで疲れちゃうからね、体調悪いときは。
  • みんなで“おみこし”を担ぐ社会、再び - シロクマの屑籠

    今日の文章は、いつも以上にフワッとした話なので、そういうつもりで読んで欲しい。 先日、講談社ビジネスに以下の文章を寄稿した。 gendai.ismedia.jp 同じ構図が、たとえば映画『シン・ゴジラ』や大河ドラマ『真田丸』などにも当てはまります。いまや、SNSを使いこなしている世代には、話題や体験を共有して「群れる」ことが当たり前になっています。 誰もがスマホを持ち、誰もが「シェア」や「リツイート」といった機能を使いこなす時代が到来したため、大ヒット作品は、「群れる欲求」をみんなで充たすのに最適な、いわば“おみこし”コンテンツとなりました。 時代は再び、“おみこし”を必要としているのです。 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51763 そう、“おみこし”のターンが来ていると思う。 時代それぞれの“おみこし”事情 人類は太古の昔から“おみこし”をみんな

    みんなで“おみこし”を担ぐ社会、再び - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2017/06/01
    認められたいがために周りに見せる自分は本当の自分なのかどうかとふと考えたり
  • 「みんなの知恵を集めたら」「ネットの知恵が薄まった」 - シロクマの屑籠

    蜂蜜入り離乳で乳児死亡、クックパッドレシピ再確認する」…豚ユッケにも批判噴出 - 弁護士ドットコム 「離乳としては危険な、ハチミツを使った離乳レシピが掲載されている」「生肉を使った不適切なレシピも掲載されている」等でクックパッドが批判されているらしい。 【知名度のあるネットサービスに間違った情報が存在する=悪い】とみる以前に、そもそも、ユーザーが投稿しあうタイプのネットサービスにはついてまわる問題なのだろう。 2ちゃんねるに書き込まれた情報も、google検索で拾える情報も、クックパッドべログやYahoo!知恵袋に書かれた情報も、玉石混交という点では変わらない。 00年代には、インターネットにみんなの知恵を集めたら、素晴らしいものができあがるんじゃないかという期待が生まれた。いわゆる「web2.0」である。 ウェブ進化論 当の大変化はこれから始まる (ちくま新書) 作者:

    「みんなの知恵を集めたら」「ネットの知恵が薄まった」 - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2017/04/12
    インターネットの情報が正しいか確かめるために書籍漁ったりするの、虚しみを感じる。
  • 「よく発達した発達障害」の話 - シロクマの屑籠

    ここ十年ぐらいで「発達障害」という言葉はすっかり普及し、そのせいもあってか、外来で「自分が発達障害かどうか調べて欲しい」という相談を受けることも増えた。 精神医療のフォーマルな窓口で発達障害と診断される人の大多数は、社会で生きていくことに困難を感じているか、周囲との摩擦を感じている。そりゃそうだろう、なんらかの事情がない限り、人はわざわざ病院を受診したりはしない。 社会に溶け込んでいる「発達障害と診断され得る」人々 発達障害という名称が世間に広まると同時に、精神科医が発達障害と診断する頻度もだいぶ増えた。過去に他の病名をつけられていた人に正しい病名をつけられるようになったわけだから、これは「進歩」と言って良いのだろう。 そうやって、ちょっと前なら異なる病名をつけられていたであろう人々を発達障害と診断する状況になって、気づいたことがある。それは、「病院で発達障害と診断する基準に当てはまるよう

    「よく発達した発達障害」の話 - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/10/18
    うまく環境に溶け込めない場合の救いが「発達障害だと医者に診断されること」より、「環境が個人に合わせて柔軟に変化すること」になれば良いなと常々思ってます。
  • 今からプロブロガーなんて目指したら不自由になりませんか? - シロクマの屑籠

    www.airdays.net 自由を手に入れるためにプロブロガーを目指す、ですって? またまたご冗談を、プロブロガーが自由だなんて、一体どこでどういう風にインターネットを眺めていたらそういう発想が出てくるんでしょうか? ここ最近、プロブロガーなる、よくわからない肩書きを名乗っているインターネットアカウントを見かけますが、彼らは、当に自由なんでしょうかね? “プロ”ブロガーと言うからには、ブログを職とし、それで生計を立てて生きていくわけですよね。つまり金銭収入のための労働手段としてブログの執筆(や周辺活動)に勤めるのがプロブロガーということになります。 プロに自由なんてあるんですかぁ? リンク先の大学生さんは、 僕自身文章を書いたり、こうやって世に発信する事は嫌いではなく、もしもそれだけで生計を立てられるのであれば、これ程自由な生活は無いなと考えるようになりました。 と書いておられます

    今からプロブロガーなんて目指したら不自由になりませんか? - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/07/06
    セミプロブロガー<じぃ〜じじじじじじぃ〜〜じじじぃ〜
  • 皆さん、本当は「想像力の欠如」がお望みなんでしょう? - シロクマの屑籠

    貧困報道を「トンデモ解釈」する困った人たち -ある階級の人たちは「想像力」が欠如している 「想像力の欠如」は、これまでも知識人やその周辺によって繰り返し指摘されてきた。階級・階層・立場の違う人達への想像力が欠けているのは問題だ、というやつである。 リンク先は、そうした「想像力の欠如」を踏まえたうえで、どのようなコミットメントや報道が望ましいのか、真摯に悩む文章だと私は感じた。そして、あまりの難しさに「難しい問題ですね」という感想を述べるのが精いっぱいだった。 ちなみに「難しい問題ですね」という言葉は、ある先輩医師の受け売りである。どうしようもない問題やどう動いても角が立つ問題に対して身動きがとれない(またはとらない)時に、彼は「難しい問題ですね」と口にしていた。彼が口にする「難しい問題ですね」は、どの選択肢にも痛みが伴う問題に対する深慮のようにも見えたし、考えるのを打ち切る際の大義名分のよ

    皆さん、本当は「想像力の欠如」がお望みなんでしょう? - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/06/24
    想像力の醸成を求めるのであれば情報発信をするしかないという生きづらさは日々感じている
  • 誰が・どこまで「個性」を求めているのか - シロクマの屑籠

    世間では、いまだに「個性」という言葉が肯定的に語られている。これについて、ちょっと頭のなかを整理したくなったので、以下にメモってみる。 1.ほんらい「個性」と呼べるものは、あっちこっちに見つかるものでも、あっちこっちで適応できているものでもないと思う。個性の強い人間は個性が強いぶん、特別な環境や特別な状況で領を発揮するのであって、どこに行っても適応できるような人間は個性的ではないはずだ。たとえば ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法を出版したid:phaさんはとんでもなく個性的だと思うが、彼が適応できる環境はおのずと限られると思う。 個性的な人間が、その個性を生かし、個性を伸ばしているとしたら、そいつがいる環境や境遇自体も個性的であるはずだ。ありがちな環境・ありがちな状況にノウノウと適応している人間が個性的である確率はあまり高くない。珍しい環境、ユニー

    誰が・どこまで「個性」を求めているのか - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/06/13
    世の中に個性が溢れすぎてもはや個性ではない。個性ではない「それ」をどうやって個性的に表現するかということに重点がおかれている社会。
  • 「社会に通用する奴」は多様化しなかった - シロクマの屑籠

    「そんなんで、社会で通用すると思っているのか!」 通勤途中、ガソリンスタンドなどで朝礼をやっているのを見かけるたび、私はこの言葉を思い出す。滑舌の良い声で社訓らしきものを読み上げる二十代の社員達。営業時間にはキビキビと動き、表情も明るく、「ありがとうございましたー!」という声も淀みない。 就活スーツを着た大学生達も「そんなんで、社会で通用すると思っているのか!」を思い出させる。皆、同じような恰好をして、茶髪で就活する者など滅多にいない。20世紀の終わり頃、就職氷河期が叫ばれていた頃の大学生達は、あんなに均一な恰好だったろうか? 金髪、茶髪、(男性の)長髪、いろいろあったではなかったか? 今では「そういう格好では就活では通用しない」と周知されている、ということなんだろうか? よく、「日社会は価値観が多様化した」と言われる。私生活や家族構成は多様化したし、好きな漫画や視聴している番組といった

    「社会に通用する奴」は多様化しなかった - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/04/10
    社会で個性は尊重されないとしみじみ思います
  • インターネットの自由と世間様 - シロクマの屑籠

    これに類することは沢山の人が書いているし、私だって書いていそうだけれども、反復的になったって構わないから書いておく。 たぶん、昔インターネットをはじめた人が考えていた自由とは、「自分の表現したい事を、誰にも文句を言われることなく表現できる」自由だったのだと思う。少なくとも私がネットサーフィンしていて感じたのは、それだった。あとは「表現されているものを誰にも文句を言われることなく閲覧する自由」。世間に対する呪詛も、いかがわしいエロも、書いたって構わないし眺めたって構わない――「インターネットは自由だ」と言った時に多くのユーザーが無意識のうちに含意していたのは、表現するにせよ、閲覧するにせよ、そういった「誰にも文句を言われることがない」という修飾語のついた自由だった。イコールではないけれども「無責任」というレトリックにも近かったかもしれない。 現在もインターネットには表現の自由がある、と思う。

    インターネットの自由と世間様 - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/03/29
    自由と自由がぶつかる限り自由は存在しない
  • 社会も、理想も、一代限りで食いつぶしてはいけない - シロクマの屑籠

    死んだ後も末永く福祉国家が維持されるよりも,生きているときに国から出来る限りの便益を受けて,自分が死んだらすぐに国家が破綻する,というのが個々人にとってみれば一番経済的にはお得なわけで,それが投票行動に結びつくのでしょうね。— 高橋雄一郎 (@kamatatylaw) February 26, 2016 あなたは死後の世界についてどういう考えを持っているだろうか? これは「死後の魂はどうなるのか」的なクエスチョンではない。「自分自身が死んだ後の、これまで生きていた世界(=この世)ついてどのような考えを持っているのか」である。 この問いには、大きく分けて二つの答え方があると思う。 ひとつは、1.「私が死んでも、家族や知人も含めて世界は続いていく」という考え方。もう一つは2.「私が死ねば、それで世界は終わったも同然だ」「死んだ後の世界のことを考える必要は無い」という考え方だ。 「私が死んでも、

    社会も、理想も、一代限りで食いつぶしてはいけない - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/03/03
    世界が終わったら誰も自分のことを覚えていてくれることができなくなるので世界は続いてほしい