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日本と天皇制に関するpopoiのブックマーク (5)

  • 天皇、いらなくない?

    天皇制についてTwitterとかで書くと共産主義者とかクソ左翼とかレッテル貼りされるのでここで。 単純に考えて、天皇制って法の下の平等に反してると思うんだよ。 基的人権も侵害してるし。 そんでもって天皇自身は権能を持つことがない。つまり国家運営には全く無意味(意味を持っちゃいけないんだもんね)。 別になくしても困らないような組織であるということ。存在することで1つの家族の人権を侵害するということ。この2つが致命的すぎてちょっと存続させる意味がわからない。 そりゃ伝統ってのも大事かもしれないよ。ずっと続いてる制度であることに価値を見出す人がいるのもわかる。でもそれは人権を無視して、法的な原則を無視してまでやることなのか? だって意味はないんだよ? 自衛隊が9条に違反してる、みたいなことよりよっぽど矛盾した存在でしょ。法の下の平等に1条目から反していく我が国の憲法、アバンギャルドが過ぎる。前

    天皇、いらなくない?
    popoi
    popoi 2019/10/24
    #天皇/皇族への人権侵害故,現行 #天皇制 は要廃止。大統領的<天皇>を何らかの手段で選任が吉。憲法には世襲とあるが,皇室典範/下位法令改正でどうとでもなる。で,別途,在野の<宗教法人.天皇>を。
  • 新元号「政府の最有力案」葬儀社名に使われ断念

    【読売新聞】 新元号の選定にあたり、政府が一時、万葉集などを出典とする「天翔(てんしょう)」を最有力案と位置づけていたことが30日、わかった。今年に入り、安倍首相を交えて開いた協議で賛成意見が多数を占めた。しかし、葬儀社の社名などに

    新元号「政府の最有力案」葬儀社名に使われ断念
    popoi
    popoi 2019/05/02
    テンショウと聞けばゲンキてのもアリかと思う。#元号
  • 靖国神社宮司が退任へ 会議で「不穏当」発言 | 共同通信

    靖国神社は10日、小堀邦夫宮司(68)が退任する意向を示していることを明らかにした。神社は「小堀宮司による会議での極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が(一部週刊誌に)漏えいした」と説明している。 靖国神社によると、小堀宮司は直接宮内庁を訪れ陳謝し、退任の意向を伝えたとされる。後任は26日の総代会で正式決定される見込み。 小堀宮司を巡っては、一部週刊誌が6月の会議で「(天皇)陛下は靖国神社をつぶそうとしている」などと発言したと報じられていた。 小堀宮司は京都府立大を卒業後、皇学館大大学院などを経て伊勢神宮の神職に就き、今年3月1日付で宮司に就任していた。

    靖国神社宮司が退任へ 会議で「不穏当」発言 | 共同通信
    popoi
    popoi 2018/10/11
    #タカ派 中でのチキンホークの存在に近似かな。<タカ派的理屈では,アレは如何か?貴方は何処に居ますか?>て嘲弄に,真面目なタカ派は胸を張れず.チキンホークを支持できぬ。#小堀邦夫 も同様故,切られた。#靖国神社 #天皇制
  • 天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く

    特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言

    天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く
    popoi
    popoi 2018/08/17
    第二次世界大戦/太平洋戦争での日帝は,サイパン陥落辺りで詰み。其の辺で講和(降伏)が良識だが,<もう1度戦果を挙げてからでないと中々話は難しい>等との妄言を語り継戦の #昭和天皇。負けてる博打へ執着しての生地獄。
  • 伊藤博文の「皇太子は操り人形」発言と明治国家の儀礼の創造 | Kousyoublog

    先日の記事「近代日、海水浴の誕生」で明治時代に日の医療制度の確立に多大な影響を与えたドイツ人医師エルウィン・フォン・ベルツについて紹介したが、そのベルツの日記に、彼が侍医を務めた皇太子嘉仁(後の大正天皇)の結婚に関するエピソードとして、伊藤博文の発言が紹介されている。明治三十三(1900)年五月九日の日記より。皇太子の結婚は翌日五月十日のこと。 『一昨日、有栖川宮邸で東宮成婚に関して、またもや会議。その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤のいわく「皇太子に生れるのは、全く不運なことだ。生れるが早いか、到るところで礼式(エチケット)の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と。そういいながら伊藤は、操り人形を糸で躍らせるような身振りをして見せたのである。――こんな事情をなんとかしようと思えば、至極簡単なはずだが。皇太子を事実

    伊藤博文の「皇太子は操り人形」発言と明治国家の儀礼の創造 | Kousyoublog
    popoi
    popoi 2014/05/11
    以前聞いた話。「明治人」は、「江戸時代」に生まれ育った。偉大な筈の「明治」に生まれ育った人々は「戦前・戦中」を築き、惨禍を撒き散らした、と。「明治」を、過大評価するべからず。
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