例えば「野党は反対ばかり」という言葉は、「しっかり審議せよ」という風を装いながら、実のところ、「国会審議なんて無意味だ」と思わせる目的がある。 「反対ばかり」と言い募る者は、野党案を与党が審議しないことは問題視しない。 https://t.co/DtgquDGPRk
BFMTV @BFMTV HEC: des étudiants chinois victimes de racisme, une enquête interne ouverte bfmtv.com/societe/hec-de… pic.twitter.com/OaOVImnd3b 2018-11-30 18:13:57 BFMTV @BFMTV HEC: des étudiants chinois victimes de racisme, une enquête interne ouverte bfmtv.com/societe/hec-de… pic.twitter.com/OaOVImnd3b 2018-11-30 18:13:57
問題にしたいのは、すでに少なからず批判されているtakuramix氏のツイート。 政府与党側の資料の隠蔽や答弁の虚偽が明らかにされている森友学園や加計学園がどのように筋が悪いのかわからないが、そもそも共謀罪とは別個に質疑されている。 批判を受けてtakuramix氏は下記のようにツイートしているが、はてさて上記ツイートから下記のような認識をもっていることがうかがえるだろうか。 そもそも、takuramix氏が国民のひとりだとして、「危険性の本質」を答弁から理解できる能力があるのか疑わしい。 一例として、takuramix氏は共謀罪の適用範囲の質疑で出てきた「そもそも」の語義の件について、知らなかったから野党を批判したのかというと、そうではない。 「基本的に」という語義が辞書に書いてあるという嘘をついた安倍晋三氏ではなく、その嘘をもって非難された山尾志桜里氏を批判していた。 そして辞書を引い
国民、ってコールしていると聞いた。 国民の言葉のどこがだめなの?と思う人がいると思う。 日本には、たくさんの日本国籍じゃない人が住んでいる。 仕事もしている。税金も納めている。あんまり知られていないことだけど。 そして、屈辱的なことに、彼らには、選挙権がない。 国民という言葉は、人を分断する。日本には外国籍の人がたくさん住んでいて、たぶん、日本に骨を埋める人たちが、国籍を持っていない場合が多いのだった。 日本語だって話せて、日本語しか話せない人だっている。 そういう人を、分断したら、だめでしょう。 戦争はみんなにかかってくることだから。 法律基礎論や憲法概論に、「市民」って言い方で載っていたことに、当時は驚いたものだ。 市民?なんで?国民じゃダメなの? でも、そう、配慮してあったのだ。今思うとすごい。排除しないように、なっていたのだ。 教養は、人を排除しないために必要だ。 そして、教養は人
中途半端な英語使いが英国からのニュースを東京で読み、あちこちふらふらうろうろ。時々嘘。 はてブ = http://b.hatena.ne.jp/nofrills Twitter = http://twitter.com/nofrills Twitterのログ = http://twilog.org/nofrills ◆「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月) ◆「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月) ◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください
レコード・チャイナ編集部にメールで質問を送りました。 Record China 御中 前略 私は、週刊文春にコラムを書いている町山と申します。 御社の記事について取材をさせていただきたくお願いします。 週刊文春の10月23日号に「スポーツ八百長、世界が激怒、『ドント・コリア=インチキするな』」という見出しで「アメリカでは『ドント・コリア=インチキするな』という言葉まで生まれました」とする記事が掲載されました。 私はアメリカ在住で、コラムには、日々生まれていく新しい英語について書いています。 ですから「Don't Korea という英語が生まれたのか。次はそれについて書いてみようか」と思ってネットで検索してみました。 しかし、出てくるのは日本のサイトだけで、米国のサイトはひとつも見つかりませんでした。 その日本のサイトのなかで、今のところ、最も古い記事ではないかと思われるのが、御社の10月3
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国連の委員会で、日本の人権人道担当大使が英語で「ご静粛に」と言うつもりが表現力の不足のためか、公の席では普通は使わないような汚い表現をしたというニュースがありました。この問題に関しては、色々な角度からの評論がされているようですが、私には「日本語では暴言に対するタブー意識が少ない」という問題があるように思われます。 この「大使」が暴言を吐いたという事件そのものよりも、この事件のインパクトが余り日本では広がらなかったことが気になります。例えば、事件が起きてから、新聞やTVなど全国的なメディアが取り上げるまで半月近くかかっています。その背景には、外務省の記者クラブの構造もあるのでしょうが、この問題、つまり「暴言」というのは反社会的な行為だということが、伝わりにくいカルチャーがあるのだと思います。 それにしても、日本というのは暴言に甘い社会だと思います。 例えば、現在問題になっている在日韓国人・朝
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