わたしが畠をするのは、農業の道を極めたいからではない。はたまた、自身の健康や食の安全を目がけているのでもない。まして商売のためでは全然ない。 わたしは、生活をある程度自給したいと思っている。そしてその先で、人間の生身と風土の側から文化を建てかえすことに照準している。わたしが畠をするのは、とりもなおさず農耕という行為が、生活の、ひいては文化の基礎であるからに他ならない。 わたしは、農耕の仕様がそのまま、その文化の基本的な世界観を反映すると考えている。わけても耕すか耕さないかというところに、その集団の性質を透かし見ることができる、と。 ふつう(日本では)土を耕すことは、農耕の最も基本的な行為だと思われている。だが実際には、耕さずとも作物はまずまずできるのである(もちろんその土が栽培に適していることが前提)。現にわたしは、畠を耕さずに種をまいて、様々の野菜を収穫している。 たしかに、耕したほうが