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中世の検索結果321 - 360 件 / 439件

  • 中世のビールどんな味? 静岡大教授とゼミ生、文理協働で再現|あなたの静岡新聞

    静岡大人文社会科学部の大原志麻教授(スペイン史、比較文化)とゼミ生はこのほど、中世欧州で愛飲されていた「グルートビール」を再現した。プロジェクトには農学部の教授らも加わり、文理協働で「中世の味」の復元に取り組んだ。 同ゼミの西ケ谷彩華さん(4年)の卒業論文のテーマが発端。大学や研究機関では初の試みとみられる。大原教授は「食文化史は上流階級を中心に語られがち。『庶民の飲料』を実際に口にし、当時の空気感を理解することが重要」と判断し、復元を決めた。 中世欧州のビールは香り付けとしてホップではなく、複数のハーブの集合体「グルート」を使うのが特徴。国内外の文献を基に検証し、主原料のヤチヤナギは北海道立総合研究機構林業試験場から提供を受けた。タイム、ローズマリーなど8種類を混合し、グルートをよみがえらせた。 醸造実験は農学部の木村洋子教授(細胞生物学)の協力を得た。鍋で麦汁を煮沸し、グルートと酵母を

      中世のビールどんな味? 静岡大教授とゼミ生、文理協働で再現|あなたの静岡新聞
    • 北条時政と大庭景親の罵り合いに見る、当時の「現金」な主従関係(呉座 勇一)

      「御恩と奉公」という言葉があるように、中世の武士といえば、強い主従関係で結ばれているというイメージを抱きがちです。しかし史料を紐解いてみると、鎌倉幕府成立以前の主従の絆は、意外にも脆かったようです。 『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で日本中世史が専門の歴史学者・呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第5回「兄との約束」について、専門家の視点から見たみどころを解説します。 第1回:いよいよ放送開始!『鎌倉殿の13人』第1話を歴史学者はどう観たか 第2回:仲が悪いけど実は〇〇〇!?伊東祐親と工藤祐経の複雑すぎる関係 第3回:源平合戦の幕開け! なぜ以仁王と源頼政は挙兵するに至ったのか? 第4回:頼朝軍の最初のターゲット! 山木兼隆と堤信遠って何者?? 『鎌倉殿の13人』の第5話では、山木邸討ち入りから石橋山合戦までの怒涛の展開が描かれた。主人公の北条義時は初めて体験する合戦の恐

        北条時政と大庭景親の罵り合いに見る、当時の「現金」な主従関係(呉座 勇一)
      • 〝南北朝武将総選挙〟結果発表!|戎光祥出版

        皆さま明けましておめでとうございます、戎光祥出版の丸山です。 旧年中は格別のご愛顧を賜りまして、誠にありがとうございました。 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 さて、2020年12月29日から2021年1月4日正午までの期間で開催いたしました〝南北朝武将総選挙〟ですが、最終的に「617票」という多くの方からご投票いただくことができました。 ご投票いただいた皆さま、ありがとうございました! 気になる結果ですが、栄えある1位は北畠顕家でした!! せっかくですので、ベスト20を1位から紹介いたします!! 1位   北畠顕家 57票 2位   楠木正成 51票 3位   佐々木道誉 48票 4位   足利尊氏 47票 5位   高師直 36票 5位   新田義貞 36票 7位   楠木正儀 32票 8位   足利直義 27票 9位   足利直冬 13票 9位   菊池武光 13票 11位 

          〝南北朝武将総選挙〟結果発表!|戎光祥出版
        • 【イタリア】水の底に沈んでいた12世紀の村が来年、ダムのメンテナンスにより姿を現す可能性があるらしい「カリオストロの城ラストシーンか」

          ヤギの人🐐 @yusai00 イタリア、ダムの底に沈んだ12世紀の村。それが来年、ダムがメンテナンスで水を完全に抜くので姿を現す可能性があるそう。ロマンだ… twitter.com/UrbanFoxxxx/st… 2020-06-27 11:36:21 Irène DB @UrbanFoxxxx The ruins of Fabbriche di Careggine, a 12th c. village in Tuscany submerged under the artificial Lago di Vagli since the construction of a dam in 1946. Occasionally seen when the lake is drained during maintenance work, it could resurface again in 20

            【イタリア】水の底に沈んでいた12世紀の村が来年、ダムのメンテナンスにより姿を現す可能性があるらしい「カリオストロの城ラストシーンか」
          • 歴史学者・呉座勇一が深く探究「北条義時は何をしたのか?」(呉座 勇一)

            2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公は北条義時である。ドラマで彼がどう描かれるかはさておき、歴史学の立場からの評価を解説しておきたい。 教科書的には「北条政子の弟で、承久の乱の時の鎌倉幕府執権」といったところだろう。しかし私に言わせれば、北条義時は「鎌倉幕府、ひいては武家政治を完成させた男」である。 「イイクニ」ではなく「イイハコ」? 北条義時が鎌倉幕府を完成させた男だと述べたが、そもそも鎌倉幕府はいつ成立したのだろうか。 年配の方なら「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」という語呂合わせを覚えたのではないだろうか。少し歴史に詳しい人なら「最近はイイクニではなくイイハコ(1185)に変わった」と言うかもしれない。 1192年とは、源頼朝が征夷大将軍に任官した年のことである。通常、幕府のトップは征夷大将軍であるから、この年に幕府が成立した、という説は分からないでもない。だが

              歴史学者・呉座勇一が深く探究「北条義時は何をしたのか?」(呉座 勇一)
            • 日本の古典籍中の「赤気」(オーロラ)の記載から発見された宇宙変動パターンの周期性と人々の反応に関する記述 | 2023年度 研究成果 | 国立極地研究所

              日本の古典籍中の「赤気」(オーロラ)の記載から発見された宇宙変動パターンの周期性と人々の反応に関する記述 2023年4月27日 大学共同利用機関法人情報・システム研究機構 国立極地研究所 国立極地研究所の片岡龍峰准教授は、日本の古典籍に残る、過去1400年にわたる「赤気」(オーロラの意)の記録から、太陽活動と地磁気の基本的な変動パターンが読み取れることを明らかにしました。これは、将来起こりうる巨大フレアや巨大磁気嵐への備えとなる重要な知見です。 また、個々の古典籍について、改めて丁寧に見直していくことによって、興味深い記述・表現・絵図が幾つも残されていることも確認されました(図1に一例)。オーロラを見た当時の人々の反応の記録からは、その驚きの表現などに関して、時代によって変わらないこと、あるいは時代によって変わることについて、さまざまなヒントを伺い知ることができます。このような調査は、当時

                日本の古典籍中の「赤気」(オーロラ)の記載から発見された宇宙変動パターンの周期性と人々の反応に関する記述 | 2023年度 研究成果 | 国立極地研究所
              • 「軍事要塞・征服の象徴としての首里城」について

                🌈白石草 @hamemen 非営利の独立メディアOurPlanetTV代表。「ビデオカメラでいこう」(七つ森書館)「メディアをつくる〜「小さな声」を伝えるために」「ルポ チェルノブイリ28年目の子どもたち」(岩波ブックレット) ourplanet-tv.org 🌈白石草 @hamemen こんなに首里城の火災。何故、こんなに胸が苦しいのかなと考えてみると、日本のお城が「戦」をイメージするのに対し、首里城は「平和」のシンボルなんですよね。そして、沖縄戦で丸ごと焼かれた。 沖縄の人だけでなく、みんなに愛されているのは、そういう特別さを感じられるからじゃないかな。 2019-10-31 16:12:02

                  「軍事要塞・征服の象徴としての首里城」について
                • 中学校則「下着は白」、教員が目視で確認…弁護士会「明らかな人権侵害」

                  【読売新聞】 下着は白、マフラー禁止、髪形のツーブロック禁止――。中学校の校則の見直しに向け、佐賀県弁護士会(富永洋一会長)が、判断基準などを示した提言書をまとめた。13日に県教委に提出し、県内各市町教委や県PTA連合会にも送る。(

                    中学校則「下着は白」、教員が目視で確認…弁護士会「明らかな人権侵害」
                  • ノルマン人の南イタリア征服 -ノルマン朝シチリア王国の成立- - 歴ログ -世界史専門ブログ-

                    南イタリアの支配者となったヴァイキングの末裔たち 西ローマ帝国崩壊後、現在の西ヨーロッパと北アフリカはゲルマン系民族によって大部分が占領されました。 イタリア半島ではオドアケルの王国を廃した東ゴート王国が建国されましたが、東ローマ帝国によって倒され再び皇帝の下に再統一されました。しかし6世紀半ばにロンゴバルド族が北から侵入してロンゴバルド王国を築きますが、彼らはイタリア半島を統一できず、北イタリアとスポレート公国、ベネヴェント公国を支配しました。一方で東ローマ帝国はシチリアやカラブリアをはじめ、断片的な領土を支配しました。 その後、ロンゴバルドと東ローマ帝国の領土からは都市国家や公国が分裂していきます。このような複数の勢力が対立する政治的状況が、北方のノルマン人が南イタリアに地盤を築く機会を提供することになります。ノルマンディからやってきたロベール・ギスカールや弟のロジェール一世、息子のロ

                      ノルマン人の南イタリア征服 -ノルマン朝シチリア王国の成立- - 歴ログ -世界史専門ブログ-
                    • 中世ヨーロッパで作られたファンタジーで「主人公が生き残るために重要な7つのポイント」とは?

                      中世ヨーロッパの物語には「ガウェイン卿と緑の騎士」「Sir Orfeo(サー・オルフェオ)」など、不思議な存在や勇敢な騎士、美しい女性に彩られたものが多く存在します。そんな中世ヨーロッパのファンタジーにおいて、「主人公が生き残るために重要な7つのポイント」について、中世英文学の研究者であり、イギリス・リーズ大学の国際中世会議で会議責任者を務めるMarta Cobb氏が解説しています。 A Survival Guide to Medieval Fairy Tales - Medievalists.net https://www.medievalists.net/2020/11/medieval-fairy-tales/ Cobb氏は中世ヨーロッパのファンタジーについて、男性と女性の両方が楽しむことができるロマンスが描かれると同時に、男性の主人公が危険な冒険を通じて自らの存在を確立する物語だと

                        中世ヨーロッパで作られたファンタジーで「主人公が生き残るために重要な7つのポイント」とは?
                      • ガス管敷設中に800年前の遺骨発見 ペルー

                        ペルーのチルカで発見された約800年前の副葬品のパープルコーン。ガス会社カリダ提供(2021年9月17日撮影)。(c)AFP PHOTO / CALIDDA / Jesus BAHAMONDE 【9月23日 AFP】南米ペルーのガス管敷設工事現場で約800年前の共同墓地が発掘され、大人と子ども計8人の遺骨が見つかった。考古学者が22日、明らかにした。 現場は、首都リマの南約60キロに位置する町チルカ(Chilca)。 工事を行っていたガス会社の依頼を受けた考古学者セシリア・カマルゴ(Cecilia Camargo)氏によると、遺体は植物性の物質に包まれており、トウモロコシや皿のほか、フルートなどの管楽器と一緒に埋葬されていた。 頭に貝殻をつけた状態で、興奮剤としてかまれていたコカの葉が入った袋と一緒に埋葬されていた人もいる。 「スペイン人による征服以前のチルカの歴史について、より多くの情報

                          ガス管敷設中に800年前の遺骨発見 ペルー
                        • 1110年、ヨーロッパで月が完全消失。暗黒の皆既月食の原因は日本の火山噴火だった可能性(スイス研究) : カラパイア

                          1110年5月、中世のヨーロッパで月が完全に消えてしまうほど異常に暗い皆既月食が観測された。 ノルマン・コンクエスト後のイングランド史を記した『ピーターバラ年代記』にはこのような記述がある。5月の5番目の晩、夜の月は明るく輝いていたが、それから少しずつ陰り始め、夜が訪れるとまもなく完全に消えてしまった。それどころか光も輪郭も、見えるはずのものが一切消えてしまった その原因はこれまで謎であったが、ジュネーヴ大学(スイス)の古気候学者チームによると、日本の火山噴火によって噴き上げられた硫黄エアロゾルによるものである可能性があるという。

                            1110年、ヨーロッパで月が完全消失。暗黒の皆既月食の原因は日本の火山噴火だった可能性(スイス研究) : カラパイア
                          • 日本で「城(=恒久的防衛施設)」が生まれた時期は?『鎌倉時代は、発想自体が無い』~長篠合戦と「野戦築城」の話も。

                            エリザ @elizabeth_munh 鎌倉は防衛に向いてないとは最近よく言われるようになったね。 というか概念がどうも現代と異なって、このくらいの時代の人たちは、逆茂木を並べてバリケードを連ねた物を『城』と称したらしく、恒久的な防衛拠点を作ろうという発想そのものがなかったみたい? pic.twitter.com/yJd3kJJz4l 2023-06-05 19:43:35

                              日本で「城(=恒久的防衛施設)」が生まれた時期は?『鎌倉時代は、発想自体が無い』~長篠合戦と「野戦築城」の話も。
                            • 「長篠の戦い」古戦場から新発見~鉄砲玉の鉛の「同位体比」で分かったことは?(平山優)

                              K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN 山梨在住の歴史学者。健康科学大学特任教授。ポニーキャニオン所属。著作は、『戦国大名領国の基礎構造』(校倉書房)、『天正壬午の乱』(戎光祥出版)、『武田氏滅亡』(角川選書)、『戦国の忍び』(角川新書)など多数。 K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN え?新聞に発表してしまったの?5月解禁ではなかったのかな?この科学分析による新発見は非常に大きい。長篠古戦場から発見された鉄炮玉(鉛)のなかに、古戦場近くの睦合鉱山より採掘された鉛と、同位体比が同じものがあることが立証された。これは大発見。tonichi.net/news/index.php… 2021-03-28 23:26:06 K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN この睦合鉱山は山家三方衆菅沼氏の支配領域に存在し、井代菅沼氏の拠点井代城のすぐ側に位置

                                「長篠の戦い」古戦場から新発見~鉄砲玉の鉛の「同位体比」で分かったことは?(平山優)
                              • ルネサンス初期の絵画、台所から見つかる フランス

                                フィレンツェ派絵画の祖チマブーエが描いた「あざ笑われるキリスト」。仏パリで(2019年9月23日撮影)。(c)Philippe LOPEZ / AFP 【9月24日 AFP】フィレンツェ派絵画の祖チマブーエ(Cimabue)によるルネサンス(Renaissance)初期の作品「あざ笑われるキリスト(Christ Mocked)」が、パリ近くの町に住む高齢女性宅の台所から見つかった。推定400万〜600万ユーロ(約5億〜7億円)の価値があるという。美術商エリック・テュルカン(Eric Turquin)氏の事務所が23日明らかにした。 【関連記事】屋根裏から「カラバッジョ名画」発見 推定150億円の価値 仏 チマブーエは13世紀の画家で、巨匠ジョット(Giotto)の師でもある。 発表によると、「あざ笑われるキリスト」はフランス北部の町、コンピエーニュ(Compiegne)に住む高齢の女性が所

                                  ルネサンス初期の絵画、台所から見つかる フランス
                                • アフリカの村をのみ込んだ津波、千年前の証拠発見

                                  タンザニア、パンガニ川沿いの灰色の砂からのぞく人間の頭蓋骨。かつてはスワヒリ族の初期の漁村だった遺跡から発掘された。約1000年前、突然の津波で村が破壊され、多くの村人が犠牲になった。(PHOTOGRAPH BY VITTORIO MASELLI) およそ1000年前、今のアフリカ、タンザニアの沿岸から数キロ内陸に入ったパンガニ川のほとりには、スワヒリ人の初期の村が栄え、賑わいを見せていた。格子に組んだ木に土を塗って家を建て、魚や貝殻でビーズを作り、簡素で機能的な陶器も使っていた。 だがある日、はるかに離れた東インド洋で発生した地震による津波が、村を襲った。 この大惨事について調査した新たな論文が、5月12日付けで学術誌「Geology」に発表された。なお、この研究はナショナル ジオグラフィック協会の支援を受けたものである。 村人たちに激流から逃れる術がなかったのは明らかだ。家は破壊され、

                                    アフリカの村をのみ込んだ津波、千年前の証拠発見
                                  • 前篇 室町時代は「自習の時間」? | ヤマザキマリ×清水克行「歴史は民衆によって作られる」 | ヤマザキマリ , 清水克行 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社

                                    『室町は今日もハードボイルド』刊行記念対談 著者: ヤマザキマリ , 清水克行 室町時代という「最も日本らしくない」時代の庶民を生き生きと描いて話題となった『室町は今日もハードボイルド』。著者の清水克行氏は、『テルマエ・ロマエ』や『プリニウス』で古代ローマの生活文化を描き続けるヤマザキマリ氏にずっと親近感を持ってきたという。一方のヤマザキマリ氏も、清水氏の同書を「思い込みや予定調和から解放される本」と絶賛。中世日本と古代ローマをとおして人々やその生活文化について考え続けてきたお二人が、コロナ下の日本と世界について縦横無尽に語り合いました。 日本中世の「ステイホーム」 ヤマザキ まさか自分の人生でパンデミックを経験することになるとは思いませんでした。 清水 疫病なんて歴史の年表の中の話でしたよね。皆が疫病のリアリティーを知ってしまったので、これからは創作の中でも疫病の描き方が変わってくるので

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                                    • 北米の古代都市カホキアはなぜ衰退? 「過剰な伐採」説を否定

                                      カホキアの中央広場。現在、この一帯は史跡となり、世界遺産にも登録されている。最近の研究から、この古代都市の住民は、それまで考えられていたような環境破壊を引き起こしてはいなかったことが明らかになった。(PHOTOGRAPH BY IRA BLOCK, NAT GEO IMAGE COLLECTION) 世界遺産にも登録されている米国の古代都市カホキア。今から1000年ほど前、現在の米国イリノイ州にあるこの町は、メキシコより北の北米大陸で最大の人口を誇るまでに急成長した。そこで暮らす人々は、町の中だけで1万5000人、周辺部も入れるとその倍ほどだったと考えられている。しかし、わずか数百年後には人口が減りはじめ、1400年ごろには誰も住まない場所になってしまった。 ミシシッピ川の氾濫原にあったこの古代都市で多くのマウンド(墳丘)が見かってから、考古学者たちはその謎に挑み続けてきた。マウンドの中で

                                        北米の古代都市カホキアはなぜ衰退? 「過剰な伐採」説を否定
                                      • いわゆる「薩摩隼人」は言うほど「狂戦士」的ではなかったのでは?という話「特筆するほど強かったわけでない」

                                        まとめ管理人 @1059kanri そもそも「薩摩隼人」が狂戦士だったか、という部分が既に大きな疑問で、少なくとも戦国期の島津軍というのは現代の一般的(?)認識とは異なり、狂戦士でもなければ、他地域と比べて特筆するほど集団として強かったわけでもない 2023-02-18 22:09:52 まとめ管理人 @1059kanri 現代の極端に戦闘的な「薩摩隼人」イメージは、絶望的な戦況の中で「狂戦士」に成らざるを得なかった西南戦争時の西郷軍のそれを過去に訴求させた面が非常に多いと思っている。太平洋戦争末期の特攻玉砕の日本兵士像が過去に遡及されたようなものかと。 2023-02-18 22:09:52 リンク Wikipedia 薩摩藩 薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代の藩。藩庁は鹿児島城(鹿児島市)、藩主は島津家。薩摩・大隅の2か国および日向国諸県郡の大部分(現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部)

                                          いわゆる「薩摩隼人」は言うほど「狂戦士」的ではなかったのでは?という話「特筆するほど強かったわけでない」
                                        • ワラキア公ヴラド3世が使用したカルバリン砲の砲弾がブルガリアで発見

                                          2019年5月30日、十五世紀のワラキア公ヴラド3世(在位1448年、1456~1462年、1476~1477年)が対オスマン戦争で使用したと思われるカルバリン砲の砲弾がブルガリア北東部、ドナウ川沿いの町スヴィシュトフ(Svishtov)の発掘現場で発見されたと“Archaeology in Bulgaria”が報じている。 Culverin Cannonballs from Vlad Dracula’s 1461 Victory over Ottoman Turks Found in Danube Fortress Zishtova in Bulgaria’s Svishtov - Archaeology in Bulgaria. and Beyond Cannonballs from culverins – primitive early medieval cannons – most

                                            ワラキア公ヴラド3世が使用したカルバリン砲の砲弾がブルガリアで発見
                                          • 信仰と史実と~湊川神社(祭神は楠木正成)の「足利尊氏Dis」をめぐる、歴史学者との議論から~

                                            湊川神社【公式】-楠公さん- @minatogawajinja 智・仁・勇の三徳を備える南北朝時代の名将、楠木正成公と御一族をお祀りする神戸の名社。愛称「楠公(なんこう)さん」。幕末志士たちの心の拠り所。JR神戸駅山側すぐ。阪急・阪神・山陽「高速神戸駅」西改札直結。境内は楠の緑陰鮮やかな都会のオアシス。安産・初宮・七五三・厄除・車祓い。ご参拝お待ちしております。 https://t.co/wpKISTcmaN 湊川神社【公式】-楠公さん- @minatogawajinja #雪組 #桜蘭記 玉骨はたとえ南山の苔に埋るとも魂魄は常に北闕の天を望んと思ふ! 後醍醐天皇の難しいセリフ 怨霊のような執念、実は 国の健全性、道義道徳、民の幸せを、新しい国づくりで取り戻そうとされた、揺るぎない決意の裏返し・・・ 弁内侍の父や正成の忠義を思うと尚更、後には引けぬ南朝 2021-06-09 19:48:5

                                              信仰と史実と~湊川神社(祭神は楠木正成)の「足利尊氏Dis」をめぐる、歴史学者との議論から~
                                            • 源頼朝の墓所にはなぜ島津家の家紋が付いている?御家人が西国に移住した理由 鎌倉殿の時代(43)西遷御家人って、知ってますか? | JBpress (ジェイビープレス)

                                              (城郭・戦国史研究家:西股 総生) 大江広元の子孫は毛利氏 鶴岡八幡宮や大倉幕府跡にほど近い山裾に、頼朝の墓所があります。もともとは頼朝の法華堂があった場所ですが、堂が廃れて墓所として伝わっているわけです。 この墓所をよく見ると、丸に十文字のマークがついています。島津家の家紋です。そう、この頼朝墓所は、実は江戸時代に島津家が整備したものなのです。なぜかというと、島津氏が、始祖は頼朝の御落胤だと標榜してきたからです(事実ではありませんが、女好きの頼朝ならありそう、と思われたのかもしれません)。

                                                源頼朝の墓所にはなぜ島津家の家紋が付いている?御家人が西国に移住した理由 鎌倉殿の時代(43)西遷御家人って、知ってますか? | JBpress (ジェイビープレス)
                                              • 中世セルビア王国の勃興と野望 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

                                                東方キリスト教世界の王を目指したバルカンの大国セルビア 旧ユーゴスラヴィア連邦は南スラブ系民族を中心とした連邦国家でしたが、その中心にあったのはベオグラードを都に構えるセルビア人でした。 セルビアは現在でも様々な民族・宗教・言語が入り混じるバルカン半島内において、経済力・政治力・文化力で頭一つ抜け出した存在ですが、故に周辺国との摩擦が絶えません。セルビア王国は中世でもバルカンの有力な国家で、一時はバルカンの半分を占領しビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを脅かすほどでした。しかしオスマン帝国に敗れ、併合されてしまいます。 歴史はセルビア人がバルカン半島にやってきた7世紀ごろから始まります。 1. セルビア国家形成の動き 初期セルビア国家の形成 セルビア人は南スラブ系民族に属し、モンテネグロ人、クロアチア人、スロベニア人、マケドニア人と系統は同じです。南スラブ系民族は、7世紀ごろに遊牧民

                                                  中世セルビア王国の勃興と野望 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
                                                • アーサー王の宮廷キャメロット――語源、伝承、想定の候補地まとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー

                                                  このようなローマ時代への憧憬からクレティアン・ド・トロワがカムルス神あるいはカムロドゥヌムをもじってキャメロットと名付けたといわれる。ただし、コルチェスターとカムロドゥヌムとが結びつけて理解されるようになるのは十八世紀のことで(注1)、キャメロットの名が登場する十二~十三世紀にカムルス神/カムロドゥヌムがどれだけ知名度があったかは大いに疑問があり、カムルス/カムロドゥヌム語源説はあくまで説の一つに留まる。 また、キャメロットの名の初出である「ランスロまたは荷車の騎士」の著者クレティアン・ド・トロワがアーサー王最後の戦いである「カムランの戦い」の地名を改作して名付けたとする説の他、ウェールズ語の「カンボランダ(cambolanda:円形の囲い地の意)」や「カンボグランナ(camboglanna:湾曲した岸、または囲い地)」などに関連付ける説や、「カムランの戦い」の舞台となったとみられるコーン

                                                    アーサー王の宮廷キャメロット――語源、伝承、想定の候補地まとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー
                                                  • オモコロ on Twitter: "【急募】中世ヨーロッパの文化などに詳しい方を募集しています。添付画像を見てピンと来た方はDMでご連絡ください! https://t.co/9ot3WRcl0K"

                                                    【急募】中世ヨーロッパの文化などに詳しい方を募集しています。添付画像を見てピンと来た方はDMでご連絡ください! https://t.co/9ot3WRcl0K

                                                      オモコロ on Twitter: "【急募】中世ヨーロッパの文化などに詳しい方を募集しています。添付画像を見てピンと来た方はDMでご連絡ください! https://t.co/9ot3WRcl0K"
                                                    • 「ジャンヌ・ダルクの指輪」真贋論争

                                                      【3月21日 AFP】フランス史上最も有名な殉教者ジャンヌ・ダルク(Joan of Arc)のものとみられる指輪が20日、西部バンデ(Vendee)県にあるピュイ・デュ・フー(Puy du Fou)の歴史テーマパークで公開された。 ジャンヌ・ダルクの三つの指輪記録に残る限りでジャンヌ・ダルクにまつわる指輪は三種類ある。 第一の指輪は1429年6月、ジャンヌ・ダルクからジャンヌ・ド・ラヴァルという女性へ送られた金の指輪である。ジャンヌ・ド・ラヴァルはシャルル5世に仕えてフランスの勝利に貢献した名将ベルトラン・デュ・ゲクランの後妻だった老女で、ジャンヌ・ダルクの戦友としてともに戦っていたギー・ド・ラヴァルとアンドレ・ド・ラヴァルの祖母にあたる。 第二の指輪は兄から送られたという指輪で、ジャンヌ・ダルク処刑裁判の証言によれば裁判中、この指輪は裁判長ピエール・コーションによって保管されている。ジャ

                                                        「ジャンヌ・ダルクの指輪」真贋論争
                                                      • 『動物裁判 西欧中世・正義のコスモス (講談社現代新書)』池上俊一 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

                                                        十二世紀から十八世紀にかけて、フランス・ドイツを中心とした西ヨーロッパ一帯で盛んにおこなわれていたのが、動物や昆虫を被告として正規の裁判にかけて裁く「動物裁判」という慣習であった。この中世・近世期ヨーロッパに特異な法慣行はなぜ行われていたのか、その実態を浮き彫りにする、1990年の発売以来ロングセラーとなっている一冊である。 本書は二部構成で、第一部では史料に登場する多数の動物裁判事例が紹介される。例えば、冒頭に紹介されている動物裁判の例は1457年1月10日、フランス・ブルゴーニュ地方サヴィニー村で起きた、五歳の少年を食い殺した雌豚に対する裁判である。前年1456年末、仔豚たちに餌をやっていた被害者ジャン・マルタンに突然襲いかかった母豚が食い殺してしまった。これに対し、ブルゴーニュ公の侍臣を裁判官とし、豚の所有者と「実行犯」の母豚および仔豚六匹を被告、サヴィニー村の領主を原告、さらに検察

                                                          『動物裁判 西欧中世・正義のコスモス (講談社現代新書)』池上俊一 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
                                                        • ももしきや on Twitter: "5歳「なんで鎌倉殿の人はみんな弓持ってるの?鉄砲を持ってないの?」 10歳「銃が初めて出てきたのがチャルディラーンの戦いっていって鎌倉殿から300年くらいあとで、日本に鉄砲が来たのはそっからさらに30年あとの話だからまだ鉄砲がない… https://t.co/PxoSukMFfv"

                                                          5歳「なんで鎌倉殿の人はみんな弓持ってるの?鉄砲を持ってないの?」 10歳「銃が初めて出てきたのがチャルディラーンの戦いっていって鎌倉殿から300年くらいあとで、日本に鉄砲が来たのはそっからさらに30年あとの話だからまだ鉄砲がない… https://t.co/PxoSukMFfv

                                                            ももしきや on Twitter: "5歳「なんで鎌倉殿の人はみんな弓持ってるの?鉄砲を持ってないの?」 10歳「銃が初めて出てきたのがチャルディラーンの戦いっていって鎌倉殿から300年くらいあとで、日本に鉄砲が来たのはそっからさらに30年あとの話だからまだ鉄砲がない… https://t.co/PxoSukMFfv"
                                                          • 武田信玄ゆかりの城から堀跡を発見 日本唯一の「穴城」:朝日新聞デジタル

                                                            ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                              武田信玄ゆかりの城から堀跡を発見 日本唯一の「穴城」:朝日新聞デジタル
                                                            • YOKO@DEMOCRACY on Twitter: "ちょっと待て!!ごらぁ!!!! 下着を白にすることがマナー? 周囲を不快にさせない配慮だ?! てめぇは何色の下着を着てんだよ!! https://t.co/6v5V0WS24L"

                                                              ちょっと待て!!ごらぁ!!!! 下着を白にすることがマナー? 周囲を不快にさせない配慮だ?! てめぇは何色の下着を着てんだよ!! https://t.co/6v5V0WS24L

                                                                YOKO@DEMOCRACY on Twitter: "ちょっと待て!!ごらぁ!!!! 下着を白にすることがマナー? 周囲を不快にさせない配慮だ?! てめぇは何色の下着を着てんだよ!! https://t.co/6v5V0WS24L"
                                                              • 頼朝軍の最初のターゲット! 山木兼隆と堤信遠って何者??(呉座 勇一)

                                                                『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で日本中世史が専門の歴史学者の呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送内容をレビューする本企画。第4回目となる今回は、山木邸討ち入りに向けて戦支度を進める様子を描いた昨日放送の第4話「矢のゆくえ」について、さまざまな史料や最新の学説を参照しつつ、専門家の視点から見たみどころを解説してもらいました。 第1回:いよいよ放送開始!『鎌倉殿の13人』第1話を歴史学者はどう観たか 第2回:仲が悪いけど実は〇〇〇!?伊東祐親と工藤祐経の複雑すぎる関係 第3回:源平合戦の幕開け! なぜ以仁王と源頼政は挙兵するに至ったのか? 『鎌倉殿の13人』の第4話では、山木邸討ち入りの準備が描写された。本作の主人公である北条義時は相変わらず周囲に振り回されているものの、要所要所での説得は頼もしい。八重の貢献はフィクションだが、源頼朝たちが何らかの方法で山木兼隆の在宅

                                                                  頼朝軍の最初のターゲット! 山木兼隆と堤信遠って何者??(呉座 勇一)
                                                                • 中近世ヨーロッパ史のフロンティア - 株式会社昭和堂

                                                                  ■第I部 地域のネットワークとコミュニケーション 第1章 中世後期ドイツの政治的コミュニケーションと秩序(服部良久) 第2章 スティーヴン王期のチェスター伯と北部ウェールズ(中村敦子) 第3章 中世盛期スコットランドにおける教皇特任裁判官による紛争解決(西岡健司) 第4章 一三世紀半ば北イタリアにおける河川交通と紛争(高田京比子) 第5章 現下の悪だくみ、それはハプスブルクか(田中俊之) 第6章 ネットワーク上の学識者たち(中田恵理子) 第7章 近世ドイツ帝国最高法院における法曹のネットワーク形成(渋谷聡) ■第Ⅱ部 統治のダイナミクスと政治文化 第8章 異端者の情報にアクセスする(図師宣忠) 第9章 救霊から共通善へ(轟木広太郎) 第10章 聖人に囲まれた国王(藤井真生) 第11章 「暴君」リナルド・ダ・モンテヴェルデとフェルモの反乱(佐藤公美) 第12章 都市反乱と暴力の諸形態(青谷秀

                                                                    中近世ヨーロッパ史のフロンティア - 株式会社昭和堂
                                                                  • 英国シャフツベリー修道院遺跡で石像の頭部が発見。エドワード2世王か? | Call of History ー歴史の呼び声ー

                                                                    イングランド南部ドーセット州にあるシャフツベリー修道院(Shaftesbury Abbey)跡を調査していた考古学者のチームが十四世紀頃の石像の頭部を発見した。イングランド王エドワード2世(在位1307-1327年)のものではないかと見られている。 シャフツベリー修道院は888年、アルフレッド大王の名で知られるウェセックス王アルフレッドによって女性のための修道院として創建され、王女の一人エゼルイヴが初代修道院長となった。以後、ウェストミンスター寺院と並ぶイングランド屈指のキリスト教施設として繁栄したが、1539年、宗教改革を進めるイングランド王ヘンリ8世の命で解散・破壊された。 考古学者ジュリアン・リチャーズ氏が率いる発掘チームは2019年夏からシャフツベリー修道院跡の発掘調査を行い、同修道院の構造を明らかにした他、中世の床タイルやコイン、修道女のロザリオの一部だったとみられる黒色ビーズな

                                                                      英国シャフツベリー修道院遺跡で石像の頭部が発見。エドワード2世王か? | Call of History ー歴史の呼び声ー
                                                                    • 中世ヨーロッパ、戦場のやじり | ウルフバート + トーキョー!

                                                                      鉄砲が無かった時代、長距離から敵を攻撃する手段は弓矢かクロスボウでした。 クロスボウにせよロングボウにせよ、矢の先に鏃 (やじり/矢尻) がついており、これがなければ矢はただの木の棒です。 鏃が付いて初めて凶器になるのですが、鏃といっても多種多様な形が存在し、用途に応じて適切なものを使うことで弓矢の威力を最大限に発揮します。 弓やクロスボウについては議論される事が多いと思いますが、鏃については意外と注目されていないのではないでしょうか。 クロスボウ vs ラメラーアーマー 先日、ヴァイキング バトルクラブのご好意でビザンティン スタイルのラメラーアーマー (小札鎧) に中世クロスボウを発射させてもらいました。 (標的にさせてもらったラメラーアーマーとヘルム) 射撃距離は10メートル以内、使用したのはボドキンと呼ばれる、中世で使用された四角錐の鏃 (やじり) の複製。 (使用した中世スタイル

                                                                        中世ヨーロッパ、戦場のやじり | ウルフバート + トーキョー!
                                                                      • 元寇のいかり引き揚げへ 鎌倉時代に沈没、740年ぶり 長崎・松浦市 | 西日本新聞me

                                                                        長崎県松浦市は同市鷹島沖の海底から元寇(げんこう)船のいかりを引き揚げるため、インターネットで寄付を募っている。鎌倉時代から海中に眠る歴史資産を740年ぶりによみがえらせ、松浦市の知名度アップや観光客の呼び込みを狙う。 1281年の弘安の役で鷹島沖に停泊していた元軍の船は、暴風雨で多くが沈没したとされる。鷹島沖にある国内初の海底遺跡「鷹島神崎(たかしまこうざき)遺跡」からは、元軍の船2隻、武器の「てつはう」、陶磁器など4千点を超える遺物が見つかり、国史跡に指定されている。 引き揚げを計画しているいかりは長さ約2メートル、幅約25センチの木製で、沈没船のそばで2013年に確認された。市は今年9月以降に引き揚げ作業を始め、保存処理する。いかりは過去にも引き揚げたことがあるが、昨年は海中調査開始から40周年の節目だったため、PRに力を入れてきた。 寄付額の目標は1千万円で、これまでに709万5千

                                                                          元寇のいかり引き揚げへ 鎌倉時代に沈没、740年ぶり 長崎・松浦市 | 西日本新聞me
                                                                        • 延暦寺の麓に中世の集落跡 湖上交通の拠点、繁栄示す | 共同通信

                                                                          天台宗総本山の比叡山延暦寺(大津市)の麓にある比叡辻遺跡で13~15世紀の集落跡が見つかり、市文化財保護課が1日発表した。集落跡は推定されていたが、発掘で確認されたのは初めて。香道や茶の湯の道具も出土し、文化的水準が高い人物が居住し、繁栄したことがうかがえるという。 同課によると、遺跡付近は湖上交通による流通の拠点として発展した。平安時代後期からは物資を馬や荷車で京都などへ運搬する「馬借」「車借」が集住。室町時代の史料には、高利貸を示す「土倉」や問屋である「問丸」の記述があり、延暦寺や麓の日吉大社(大津市)の門前町としてにぎわった。

                                                                            延暦寺の麓に中世の集落跡 湖上交通の拠点、繁栄示す | 共同通信
                                                                          • 「下着の色は白」校則で指定、市立中の8割…「廊下でシャツ開け確認」「違反して脱がされた」

                                                                            【読売新聞】 学校現場の不合理なルール「ブラック校則」に関して、福岡県弁護士会は22日、福岡市立中学校全69校を調査した結果を発表した。下着の色を指定する学校が約8割に上った。弁護士会は「理不尽な校則が多く、人権侵害に当たるものもあ

                                                                              「下着の色は白」校則で指定、市立中の8割…「廊下でシャツ開け確認」「違反して脱がされた」
                                                                            • 足利義教はなぜ北海道から沖縄までを支配したスーパーマンとなったのか - 室町・戦国時代の歴史・古文書講座

                                                                              足利義教はしばしば織田信長のモデルともなった強力なリーダーシップを持った強烈な独裁者というイメージを持たれています。もっとも織田信長は足利義教のことを「悪御所」とディスっていますから、信長が義教のことを基本的には評価していなかったことが伺えます。義昭に対して「義教様は悪御所と呼ばれてますが何ででしょうねぇ(何かを見た)」と皮肉をかましていますが、部下に殺されてしまうまでそっくりなため、信長が殺された時に義昭は「特大ブーメラン乙」と思ったでしょう。 義教はその強烈なリーダーシップを生かして北海道から沖縄まで支配したことになっています。 もちろん誤りです。琉球に関しては現在研究上琉球を支配したことになっている論拠である「嘉吉附庸説」は完全に否定され尽くしており、これを事実として取り上げる著作物は歴史の著作ではなく、政治イデオロギーを主張するものでしかありません。イデオロギーを主張するのはよいの

                                                                                足利義教はなぜ北海道から沖縄までを支配したスーパーマンとなったのか - 室町・戦国時代の歴史・古文書講座
                                                                              • 欧州の謎の変形頭蓋骨、「民族の目印」だった?

                                                                                この異様に長い頭骨は、現在のクロアチアにあたる地域で1500年前に死亡した、東アジア系の祖先をもつ10代の少年のもの。当時は乳幼児の頭を締め付けて変形させる風習があり、頭の形で民族や階級を示していたのではないかと考えられている。(PHOTOGRAPH BY M. CAVKA, UNIVERSITY HOSPITAL DUBRAVA, ZAGREB) ローマ帝国崩壊後の欧州には、ゴート族やフン族などの異民族が進出してきた。いわゆる「民族移動時代」(西暦300~700年頃)である。この時代の遺跡からは、人為的に変形させた跡がある頭骨が見つかっているが、この風習は、自らのアイデンティティを表明する極端な方法の1つであった可能性がある。考古学者は今、DNA分析によってこの謎を解明しようとしている。 考古学者たちは最近、クロアチア東部のヘルマノブ・ビノグラード遺跡で、10代の少年の遺体が3体埋められ

                                                                                  欧州の謎の変形頭蓋骨、「民族の目印」だった?
                                                                                • 円卓の騎士ベディヴィア卿(Sir Bedivere)の伝承と物語のまとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー

                                                                                  ベディヴィア(英語”Bedivere”)卿はアーサー王物語に登場する伝承上の人物。ベドウィール(ウェールズ語” Bedwyr”)、ベドウェルス(ラテン語”Beduerus”)、ベドワイエ(フランス語” Bédoier”)などの名で登場する。 ウェールズの諸伝承ではブリテン島最強を謳われた隻腕の戦士。ジェフリー・オブ・モンマス作「ブリタニア列王史」(1138年)ではアーサー王の献酌侍従でノルマンディー公に叙されローマ帝国との戦いで壮絶な戦死を遂げた勇将。トマス・マロリー作「アーサー王の死」(1485年)では円卓の騎士の一員で、カムランの戦い後、重傷のアーサー王の命で宝剣エクスカリバーを湖に投げ入れ、アーサー王がアヴァロンへ去るのを見送る忠臣であった。 初期のベディヴィアブリテン最強の戦士ベドウィールベディヴィア卿はウェールズの伝承に登場する戦士ベドウィール(ウェールズ語” Bedwyr”)を

                                                                                    円卓の騎士ベディヴィア卿(Sir Bedivere)の伝承と物語のまとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー