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半藤一利の検索結果1 - 37 件 / 37件

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半藤一利に関するエントリは37件あります。 歴史訃報history などが関連タグです。 人気エントリには 『悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問 | FRIDAYデジタル』などがあります。
  • 悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問 | FRIDAYデジタル

    はんどう・かずとし/昭和5(1930)年生まれ。東大文学部を卒業後、文藝春秋入社。専務取締役を経て文筆業に。『日本のいちばん長い日』は終戦の日を描いたベストセラーとなり、映画化もされている。『ノモンハンの夏』『昭和史』『文士の遺言』など著書多数 「昨年、当時の天皇陛下の侍従から、『秋篠宮悠仁(ひさひと)殿下に、太平洋戦争はなぜ起こったのかを、わかりやすく話してください』という依頼があった。ですが、私は最初断ったんです。だって相手は小学校6年生の坊やですよ。そんな幼い子に単純明快に話せるようなことじゃない、無理です、と。だけど何度もお願いされて、じゃあさわりだけでも話しましょう、と出かけていったのが、8月15日でした」 秋篠宮悠仁親王は、まさに次代の天皇家を背負って立つ。その進講役として白羽の矢が立ったのが、昭和史研究家でもある作家・半藤一利氏(89)だ。秋篠宮家の”家庭教師”になったのが「

      悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問 | FRIDAYデジタル
    • 作家の半藤一利さん死去 90歳 | おくやみ | NHKニュース

      昭和史の研究で知られ、戦争などをテーマに数多くのノンフィクション作品を発表してきた、作家の半藤一利さんが亡くなりました。90歳でした。 半藤一利さんは、昭和5年に東京で生まれ、東京大学文学部を卒業後、出版社の文藝春秋に入社して、「週刊文春」や「文藝春秋」の編集長などを歴任しました。 探偵のような鋭い目で歴史を探究する「歴史探偵」を名乗り、昭和史などをテーマに数多くのノンフィクションを発表してきました。 昭和20年8月15日の玉音放送に至る24時間を綿密な取材で再現した「日本のいちばん長い日」などの作品で知られ、昭和の歴史を読みやすい文章でつづった「昭和史」は、ベストセラーになりました。 昭和14年に起きた旧ソビエト軍との軍事衝突、ノモンハン事件での旧日本軍のエリート参謀の無謀な作戦ぶりを批判した「ノモンハンの夏」で、平成10年に山本七平賞を受賞したほか、平成27年には優れた文化活動に携わっ

        作家の半藤一利さん死去 90歳 | おくやみ | NHKニュース
      • 歴史研究家・半藤一利さんが語っていた令和の日本人への懸念 | FRIDAYデジタル

        はんどう・かずとし/昭和5(1930)年生まれ。東大文学部を卒業後、文藝春秋入社。専務取締役を経て文筆業に。『日本のいちばん長い日』は終戦の日を描いたベストセラーとなり、映画化もされている。『ノモンハンの夏』『昭和史』『文士の遺言』など著書多数 作家で歴史研究家の半藤一利さんが1月12日に亡くなった。享年90。東大文学部を卒業後、文藝春秋入社した半藤さんは、専務取締役を経て文筆家に。終戦の日を描いたベストセラー『日本のいちばん長い日』をはじめ、『ノモンハンの夏』『昭和史』『文士の遺言』など数々の作品を書き残した。 歴史とは何か、戦争とはなにかという問いに徹底的に向き合った半藤さん。その根底にはどんな思いがあったのか。フライデーが2019年6月、ご本人にその壮絶な半生を聞いてまとめたインタビューをここに再掲する。 「オマエは非国民だ」 半藤氏は昭和5年、東京の下町、向島(現・墨田区)に生まれ

          歴史研究家・半藤一利さんが語っていた令和の日本人への懸念 | FRIDAYデジタル
        • 古川 on Twitter: "朝のNHKニュースで半藤一利の話をやってて、「負ける戦争をなぜ始めてしまったのか、それを考えてほしいという半藤さんの思いを伝えていきたいと思います」とまとめたあと、直後に「それでは次は東京五輪の話題です!(ガンギマリ)」と始まったので、ほんと日本人そういうとこやぞってなった"

          朝のNHKニュースで半藤一利の話をやってて、「負ける戦争をなぜ始めてしまったのか、それを考えてほしいという半藤さんの思いを伝えていきたいと思います」とまとめたあと、直後に「それでは次は東京五輪の話題です!(ガンギマリ)」と始まったので、ほんと日本人そういうとこやぞってなった

            古川 on Twitter: "朝のNHKニュースで半藤一利の話をやってて、「負ける戦争をなぜ始めてしまったのか、それを考えてほしいという半藤さんの思いを伝えていきたいと思います」とまとめたあと、直後に「それでは次は東京五輪の話題です!(ガンギマリ)」と始まったので、ほんと日本人そういうとこやぞってなった"
          • 「国民的熱狂をつくってはいけない」半藤一利さんが残した昭和史5つの教訓:東京新聞 TOKYO Web

            「薩長史観」に彩られた明治150年、勝者が裁いた東京裁判、平成と象徴天皇、トランプ米大統領就任後の世界―。本紙は2015年から、半藤一利さんとノンフィクション作家の保阪正康さん(81)を招いて、上記のテーマで対談していただいた。終了後、一献傾けながら昭和史の秘話を伺う時間は至福のひとときだった。

              「国民的熱狂をつくってはいけない」半藤一利さんが残した昭和史5つの教訓:東京新聞 TOKYO Web
            • 作家の半藤一利さん死去、90歳 「ノモンハンの夏」:朝日新聞デジタル

              「日本のいちばん長い日」「ノモンハンの夏」など昭和史に光をあてた作家の半藤一利(はんどう・かずとし)さんが12日、死去した。90歳だった。 東京生まれ。東京大卒業後、文芸春秋に入社。編集者として軍事評論家の故伊藤正徳さんの仕事を手伝ったことなどから、戦史や昭和史研究を深めていった。 1965年には同僚の編集者らとともに執筆した「日本のいちばん長い日」を大宅壮一名義で発表した。太平洋戦争終結を決定した45年8月15日正午までの24時間を、軍人など当事者の聞き取りでまとめた作品はベストセラーとなり、映画化もされた。95年には半藤一利名義で追加取材を含めた決定版を出した。 編集者として培った取材力を生かし、存命する当事者からさまざまなエピソードを聞き出し、改版過程で偽証をふるい落としていく手法はオーラルヒストリー研究の先駆としても評価されている。 文芸春秋では「週刊文春」編集長、「文芸春秋」編集

                作家の半藤一利さん死去、90歳 「ノモンハンの夏」:朝日新聞デジタル
              • (ひもとく)追悼・半藤一利さん 日本人は「そんなに」悪くはない 加藤陽子:朝日新聞デジタル

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                  (ひもとく)追悼・半藤一利さん 日本人は「そんなに」悪くはない 加藤陽子:朝日新聞デジタル
                • 作家の半藤一利さんが死去 昭和史研究で著書多数、90歳 | 共同通信

                  「日本のいちばん長い日」などの著作で知られる作家の半藤一利(はんどう・かずとし)さんが12日午後、東京都世田谷区の自宅で倒れているのが見つかり、死亡が確認された。関係者への取材で分かった。90歳。東京都出身。 東京大を卒業して文芸春秋に入社。「週刊文春」「文芸春秋」編集長を歴任、1994年から著述に専念した。 編集者として坂口安吾らを担当し、歴史研究に開眼。終戦時の軍部関係者らを集めた座談会「日本のいちばん長い日」は、雑誌「文芸春秋」の記事となった後に単行本化され、映画化された。 憲法9条と平和の大切さを次世代に説き続け、2015年に菊池寛賞を受けた。

                    作家の半藤一利さんが死去 昭和史研究で著書多数、90歳 | 共同通信
                  • 悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問(FRIDAY) - Yahoo!ニュース

                    「昨年、当時の天皇陛下の侍従から、『秋篠宮悠仁(ひさひと)殿下に、太平洋戦争はなぜ起こったのかを、わかりやすく話してください』という依頼があった。ですが、私は最初断ったんです。だって相手は小学校6年生の坊やですよ。そんな幼い子に単純明快に話せるようなことじゃない、無理です、と。だけど何度もお願いされて、じゃあさわりだけでも話しましょう、と出かけていったのが、8月15日でした」 秋篠宮悠仁親王は、まさに次代の天皇家を背負って立つ。その進講役として白羽の矢が立ったのが、昭和史研究家でもある作家・半藤一利氏(89)だ。秋篠宮家の“家庭教師“になったのが「終戦記念日」だったのは、偶然ではないのだろう。平成から令和へと新時代を迎えた今、半藤氏がその日のことを本誌に明かした。 「最初に秋篠宮父子にお会いしたときに言ったんです。私は東京下町生まれなものですから、“ひ“と“し“が上手く発音できません。だか

                      悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問(FRIDAY) - Yahoo!ニュース
                    • 【文藝春秋 目次】芥川賞発表 受賞作品全文掲載&選評 宇佐見りん「推し、燃ゆ」/<総力特集>コロナ第三波「失敗の本質」/<追悼>半藤一利 三月特別号 | 文藝春秋2021年3月号 | 文春オンライン

                      【文藝春秋 目次】芥川賞発表 受賞作品全文掲載&選評 宇佐見りん「推し、燃ゆ」/<総力特集>コロナ第三波「失敗の本質」/<追悼>半藤一利 三月特別号 2021年3月号 2021年2月10日 発売 / 定価1000円(税込) 分科会メンバー 特別寄稿 コロナ第三波「失敗の本質」 ▶︎GoTo継続には政府内の深刻な情報ミスマッチがあった ▶︎緊急事態宣言は「出さない」が暗黙の了解になっていた 小林慶一郎 <日本人へ特別編>ロックダウンしなかったヴェネツィア 塩野七生 「自由」を制限してもウイルスは消えない 東浩紀 「コロナの壁」を乗り越えよ 養老孟司 東京五輪を中止すべき「7つの理由」 後藤逸郎 「尾身会長vs政府」苦悩する科学者たち 広野真嗣 菅総理よ、異論を聞く耳を持て 橋下 徹 ​◎議事堂乱入、コロナ死者40万人──米国民主主義の危機 それでも中国の時代は来ない J・ダイアモンド 「慰安

                        【文藝春秋 目次】芥川賞発表 受賞作品全文掲載&選評 宇佐見りん「推し、燃ゆ」/<総力特集>コロナ第三波「失敗の本質」/<追悼>半藤一利 三月特別号 | 文藝春秋2021年3月号 | 文春オンライン
                      • 昭和史の巨人、半藤一利先生 追悼記事 - 幸せなことだけをして生きていきたい

                        昭和史の巨人、半藤一利先生が亡くなられました。 www3.nhk.or.jp 私はすごく影響を受けたので、追悼記事を書く気になかなかなりませんでした。 特集TV放送に合わせて書きました。 ETV特集「一所懸命に漕(こ)いできた~“歴史探偵”半藤一利の遺言~」 (NHKEテレ1・東京)1月30日(土)午後11:00~午前0:00(60分) (NHKEテレ1・東京)2月4日(木)午前0:00~午前1:00(60分) 昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー 671) 作者:半藤 一利 発売日: 2012/01/01 メディア: Kindle版 昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー 672) 作者:半藤 一利 発売日: 2012/01/01 メディア: Kindle版 読み直しました。 ほんとに勉強になります。 例えば 半藤一利さんは、40年周期の日本史を語られていま

                          昭和史の巨人、半藤一利先生 追悼記事 - 幸せなことだけをして生きていきたい
                        • 作家、半藤一利さんの死因は老衰 直前まで家族と会話 | 共同通信

                          12日死去した作家半藤一利さんの死因は老衰で、東京都世田谷区の自宅で息を引き取ったことが13日、妻の末利子さんの話で分かった。 末利子さんによると、数日前から歩行が困難になり、死の直前まで30分ほど末利子さんと会話していたという。かかりつけ医が連絡を受けて自宅に駆けつけ、死亡診断を行った。 数日後に家族葬を行う予定という。

                            作家、半藤一利さんの死因は老衰 直前まで家族と会話 | 共同通信
                          • 歴史を“探偵”し続けて 作家 半藤一利が遺したもの | NHK | WEB特集

                            「昭和史と太平洋戦争の“事実”を探偵することにのめりこんできて、いつの間にか九十歳の老耄れ(おいぼれ)となってしまった」 ことし1月に亡くなった、作家の半藤一利さん。 自身最後となる原稿に、みずからの人生を振り返るように、こう書き残していた。みずからを“歴史探偵”と呼び、当事者への徹底的な取材、そして、史料の検証によって昭和という時代に向き合い続けた半藤さん。私たちに遺したものは、いったい何だったのか。 「遺稿」を手がかりに、そばにいた人たちのことばに耳を傾けた。 (社会部 記者 横井悠) これが、確認されている中では最後となった、半藤さんの「遺稿」だ。 「半藤文字」とも称される、独特の柔らかな字体。愛用していたという3Bの鉛筆で、原稿用紙6枚にわたって、したためられている。 2月19日に出版された自身の随筆集「歴史探偵 忘れ残りの記」のあとがきとして、去年11月末、古巣の文藝春秋社に託さ

                              歴史を“探偵”し続けて 作家 半藤一利が遺したもの | NHK | WEB特集
                            • 追悼・半藤一利 ジャーナリズムの歴史家かくありき|辻田真佐憲|文藝春秋digital

                              1月12日、作家の半藤一利さんが他界した。享年90。今日の昭和史研究に大きな影響を与えた半藤さんだが、「直接会ったことで感化された」と語る一人が、近現代史研究者の辻田真佐憲さんである。 アカデミズムではない、ジャーナリズムの歴史家としての半藤さんの功績とは――。辻田さんが振り返る。 「それが、直に会うとまったく反省してないんだよ。部署が違うとか言って。官僚なんだな」。とある陸軍軍人の、悔恨に満ちた回想録について訊ねると、半藤一利は江戸っ子らしい歯切れのよさですぐそう応じた。同席した保阪正康も直ちに同意し、話を繋いだ。「何回会いました?」「4回」。2018年、『文藝春秋』の企画で鼎談したときのことである。 そのあともオフレコで繰り出される、昭和史を彩る大物たちの知られざるエピソードの数々に、目がくらむ思いだった。「あの人ならよく会社に来たな。ちょうどその席に座っていたよ」。 資料的根拠がない

                                追悼・半藤一利 ジャーナリズムの歴史家かくありき|辻田真佐憲|文藝春秋digital
                              • “悠仁さまの家庭教師”半藤一利89歳が振り返る「太平洋戦争開戦の興奮」 | 74年、あの戦争を語り継ぐ | 文春オンライン

                                「歴史探偵」として、日本近現代史を見つめ続けてきた作家・半藤一利氏は、昨年、当時の天皇陛下の侍従から依頼を受け、悠仁さまに講義を行った。テーマは「太平洋戦争はなぜ起こったのか?」。半藤氏が2時間半にわたり悠仁さまの“家庭教師”を担ったその日は、奇しくも8月15日だったという。 そして今年も8月15日を迎えた。戦後74年というタイミングで、私たちは半藤氏に「自身の戦争体験」について語ってもらうことにした。のちに太平洋戦争研究の第一人者となる半藤氏も、開戦時は11歳の小学5年生。東京の下町に住む“半藤少年”の目に、あの戦争はどう映っていたのか――。 取材・構成=稲泉連 (全3回の1回目/#2、#3へ続く) ◆◆◆ 私はこれまで長いあいだ、日本の戦争の歴史についての本をたくさん書いてきました。そのなかで骨身に染みていることがあります。それは、歴史を語るというのは本当に難しいことなんだな、という思

                                  “悠仁さまの家庭教師”半藤一利89歳が振り返る「太平洋戦争開戦の興奮」 | 74年、あの戦争を語り継ぐ | 文春オンライン
                                • 半藤一利さんを偲ぶ - さすらう隠居人の日記

                                  年末近くなるとテレビや新聞でその年に亡くなった方のことが取り上げられる。私も今年を思い返してみると、7月6日にブログを始め、特に印象に残っている大島康徳さん、柳家小三治さん、瀬戸内寂聴さん、中村吉右衛門さんについて追想を書いた。 しかし、今年1年間で言うとブログを始める前の1月12日に90歳で亡くなられた半藤一利さんから、私は最も影響を受けている。 半藤一利(bunshun.jpより) 最初は夏目漱石のエピソードや俳句についての著書から影響を受け、漱石がますます好きになり、漱石の俳句に興味を持つとともに、俳句そのものにも興味が深まっていった。 半藤一利の本① その後、半藤さんが昭和史、特に日本が戦争に進んで行った過ちについて、歴史を綿密に検証しながら反省すべきとの考えで、分かりやすく書かれた著書を読み、私の浅薄な歴史観を見つめ直す機会を与えられた。 半藤一利の本② 半藤さんは戦争は避けなけ

                                    半藤一利さんを偲ぶ - さすらう隠居人の日記
                                  • 【半藤一利×青木理 対談】歴史は繰り返すのか? 『世界史のなかの昭和史』より|じんぶん堂

                                    半藤一利氏(右)と青木理氏(左)。平凡社総合文芸誌『こころ』Vol.42掲載の対談記事より転載。(撮影=川島保彦) 書籍情報はこちら 欧米列強の政略や戦略に翻弄された昭和の歴史を「世界史の視野から」「現代の視点で」時系列に辿った“半藤昭和史”完結篇 『世界史のなかの昭和史』。本書の平凡社ライブラリー版に収載された青木理氏との対談では、政治やメディアによって煽られた国民の侮蔑感情が、取り返しがつかない結果につながってしまうことに警鐘を鳴らしている。 侮蔑感情の因果関係 青木 本書の中で他にも印象的だったのは、大正末ぐらいから、中国人に対する日本人の侮蔑のような感情が「民草」にも非常に広がっていたという部分です。「民草は怪(け)しからんにも程があると敵愾心(てきがいしん)をつのらせる、なかば侮蔑を加えながら」と書かれていますね。つまり、敵対する国や民族に対して人びとが侮蔑まじりの敵愾心を抱く─

                                      【半藤一利×青木理 対談】歴史は繰り返すのか? 『世界史のなかの昭和史』より|じんぶん堂
                                    • 半藤一利さん:亡くなる日の明け方、病床で語った 日本人への最期のメッセージ 独占手記・半藤末利子 | 毎日新聞

                                      戦争の悲惨を伝え、平和のための昭和史を書き続けた作家・半藤一利さんが亡くなってからひと月。夫人であるエッセイストの末利子さんが、半藤さんの最晩年の姿と、日本人の良心に訴えたその最期の言葉を明かす。半藤史観を最も深く理解する保阪正康氏の解説とともに――。 「日本人は悪くないんだよ。墨子を読みなさい」 朝、目覚めると8時半だった。隣を見ると夫は例の如(ごと)くに口を開けたまま、すやすやと眠っている。 「かったるいなあー」とため息が出るが、自分を奮い立たせるように服を着替えて、「今日も一日戦いだぞ!」と階下に下りた。 冷や飯をレンジで温めて卵をかけ、醬油(しょうゆ)をたらして口にかき込む。熱い煎茶をゆっくりと啜(すす)る。さ、そろそろ開始しようか、と洗濯機をまわしたり、昨夜散らかしたものを片づけてから、2階に上がった。 夫の顔を入り口から見ると、まだぐっすりと眠っているようである。どうやらもう一

                                        半藤一利さん:亡くなる日の明け方、病床で語った 日本人への最期のメッセージ 独占手記・半藤末利子 | 毎日新聞
                                      • 《追悼》半藤一利さんが89歳で語っていた“原点”「小学5年生のとき太平洋戦争が始まりました」 | 文春オンライン

                                        昭和史研究の第一人者であり、『日本のいちばん長い日』や『ノモンハンの夏』などの著作でも知られる作家の半藤一利さんが、1月12日、東京都世田谷区の自宅で亡くなりました。90歳でした。 「文春オンライン」では、戦後74年を迎えた2019年夏に、半藤さんの“原点”に迫るインタビューを行っていました。少年時代に東京大空襲を経験し、火の海となった町を前に、半藤さんは何を思ったのか――。当時の記事を再公開します。(初公開:2019年8月15日。記事中の肩書・年齢等は掲載時のまま) ◆ 「歴史探偵」として、日本近現代史を見つめ続けてきた作家・半藤一利氏は、昨年、当時の天皇陛下の侍従から依頼を受け、悠仁さまに講義を行った。テーマは「太平洋戦争はなぜ起こったのか?」。半藤氏が2時間半にわたり悠仁さまの“家庭教師”を担ったその日は、奇しくも8月15日だったという。 そして今年も8月15日を迎えた。戦後74年と

                                          《追悼》半藤一利さんが89歳で語っていた“原点”「小学5年生のとき太平洋戦争が始まりました」 | 文春オンライン
                                        • 昭和史検証は“共有財産”だった…磯田道史が振り返る「半藤一利さんが日本人に遺したもの」 | 文春オンライン

                                          〈半藤さんは、司馬遼太郎と並んで「日本人の歴史観」をつくったお一人です。かけがえのない“語り部”を失って、いま大きな喪失感に襲われています〉 「週刊文春」や「文藝春秋」の編集長などを歴任した後、作家・ジャーナリストとして、昭和史を中心に多くの著作を残した半藤一利さん。1月12日に享年90で亡くなった、その死をこう惜しむのは、歴史家の磯田道史さんだ。 〈半藤さんは40歳も離れた私にも、何かと気遣ってくださいました。現上皇上皇后陛下に保阪正康さんと共に会われる際にも、お誘いいただきました。「若い歴史家に語り継いでおかなければ」という思いがあったんだと思います〉 「起きて困ることは起らないと信じこむ」 その磯田さんは、半藤さんによる「昭和史の検証」は、まさに「国民の共有財産」と言えるほど貴重なものであり、「今日のコロナ対応」にもそのまま活用できると指摘する。 〈もし半藤さんがお元気でいらっしゃっ

                                            昭和史検証は“共有財産”だった…磯田道史が振り返る「半藤一利さんが日本人に遺したもの」 | 文春オンライン
                                          • 半藤一利さん死去-歴史探偵を偲ぶ

                                            2021年(令和3)1月12日、半藤一利さんが亡くなりました。 (写真:時事通信より) 享年90歳、まだ若いのに…なんて言えない年齢であり、結果的には大往生ではありますが、惜しい人を亡くした感は強いです。ご冥福をお祈り致します。 半藤氏と言えば昭和史。私は司馬遼太郎の「私には昭和史は書けない。次の世代に託す」という言葉を胸に昭和史(特に戦前史)をライフワークにしていますが、特に先生というものを持たない独学の身である私にとって、半藤氏は師範のような感じの存在でした。なので、半藤氏の死は師匠を亡くしたに等しい。 歴史学者でも歴史家でもない「歴史探偵」という立場で、自由にかつ辛辣に、旧制中学生の悪ガキで止まったかのように、時には海軍の提督に向かい「あんたそれでも男か帝国軍人かっ!」と怒鳴ってまで昭和史に向き合った姿は、私にとって指針でもありました。歴史家として年取るならこういう感じが良いなと。

                                            • 追悼・半藤一利さん、本でひもとく業績 日本人は「そんなに」悪くはない 東京大学教授・加藤陽子さん|好書好日

                                              今年1月に長逝した半藤一利さん。穏やかな死の床で生涯の伴侶・末利子夫人にこう語ったという。「墨子を読みなさい。/日本人はそんなに悪くはないんだよ。/ごめんね、先に死にます」。日本人は悪くない、ではなく、「そんなに」悪くはないんだよ、と言い遺(のこ)した半藤さん。編集者として初めて仕えた作家・坂口安吾から歴史探偵学を継承した歴史探偵が、「そんなに」に込めた含意は何であったのか。作品からたどってみたい。 軍事力への洞察 作家にとって最初の作品には、作家の特徴の全てが内包されているという。35歳の半藤が書いた『日本のいちばん長い日』(1965年)にもこれは当てはまる。玉音盤による終戦の詔書がラジオで放送されたのは45年8月15日正午。そこに至る内閣・宮中と徹底抗戦派との攻防の24時間に光を当てた。多くが存命だった当事者に徹底的に取材し、史料を博捜した半藤。ポツダム宣言受諾による終戦がいかに紙一重

                                                追悼・半藤一利さん、本でひもとく業績 日本人は「そんなに」悪くはない 東京大学教授・加藤陽子さん|好書好日
                                              • 半藤一利さんの「遺言」――記者に語った「歴史から何も学ばぬ日本人」 - 伊藤千尋|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

                                                日本人は戦争の激震をどうやって乗り切ったのか 昭和史に光をあてた作家でジャーナリストの半藤一利さんが1月12日に亡くなった。90歳だった。 『文藝春秋』の編集長を長く務めた保守の論客だが、反戦の意志も明確に打ち出した気骨ある信念のジャーナリストだ。代表作に、終戦の日に軍部が天皇の玉音放送を阻止しようと反乱を起こした宮城事件を書いた『日本のいちばん長い日』がある。岡本喜八監督らの手で映画化されヒットした。 なぜこの本を書こうとしたのか。 半藤さんは、著書『あの戦争と日本人』に、一億玉砕を豪語して戦いつづけた大日本帝国がいかにして戦争をやめることができたのか、日本人はその「激震」をどうやって乗りきったのか、知りたかったと書いている。 軍国主義の反省を捨て去った安倍政権をどう見たのか 当時の取材から半藤さんは何を知ったのか、さらに今の日本がどう見えるのだろうか。 私が半藤さんに単独インタビューし

                                                  半藤一利さんの「遺言」――記者に語った「歴史から何も学ばぬ日本人」 - 伊藤千尋|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
                                                • 半藤一利さん死去、90歳 ノンフィクション作家、「日本のいちばん長い日」:時事ドットコム

                                                  半藤一利さん死去、90歳 ノンフィクション作家、「日本のいちばん長い日」 2021年01月13日16時35分 半藤一利さん 昭和史に関する研究で知られたノンフィクション作家の半藤一利(はんどう・かずとし)さんが12日正午ごろ、老衰のため東京都世田谷区の自宅で死去した。90歳だった。葬儀は故人の遺志により家族葬で行われる。 作家・半藤一利氏インタビュー(2014年6月) 東京都生まれ。1945年3月の東京大空襲の戦火をくぐり抜けた。戦後、東京大を経て文芸春秋に入社し、作家の坂口安吾や元海軍記者の伊藤正徳らとの出会いをきっかけに戦史を研究するように。「文芸春秋」63年8月号に、自ら司会を務めた戦争当事者による座談会を掲載。さらに取材を加え、65年に単行本「日本のいちばん長い日 運命の八月十五日」として刊行、2度映画化されるなど大きな話題を呼んだ。 同社では週刊文春、文芸春秋編集長や専務取締役を

                                                    半藤一利さん死去、90歳 ノンフィクション作家、「日本のいちばん長い日」:時事ドットコム
                                                  • 〈新作公開〉宮﨑駿・半藤一利との対話が反映された「あの場面」 | 週刊文春 電子版

                                                    宮﨑駿監督(82)10年ぶりの新作『君たちはどう生きるか』が公開された。舞台は戦中・戦後の日本。作品では、敬愛する歴史探偵・半藤一利氏との対話の“成果”が見え隠れしていた。 10年ぶりの新作 同作は戦時下の日本、母を失った少年が父とともに疎開する場面から始まる。 「ファンタジーと冒険活劇の一方で、市井の人々の見た戦争が描かれています」(映画ライター) 前作『風立ちぬ』(2013年)の公開前に、宮﨑氏には大きな出会いがあった。その相手が、『日本のいちばん長い日』で知られる作家の半藤氏だ。2人は『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』(小社刊)と題した書籍も刊行した。

                                                      〈新作公開〉宮﨑駿・半藤一利との対話が反映された「あの場面」 | 週刊文春 電子版
                                                    • 『君たちはどう生きるか』 宮﨑駿監督が最新作に秘めた空襲体験と半藤一利氏の縁を鈴木敏夫プロデューサーが初めて語った | 文春オンライン

                                                      7月14日、宮﨑駿監督の10年ぶりの新作『君たちはどう生きるか』が公開された。同作は、事前の宣伝をほぼ出さず、あらすじやキャストに至るまで、あらゆる情報が伏せられていた。今回、「週刊文春」の取材にスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが、作品のワンシーンとその背景について初めて明かした。 スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー ©文藝春秋 同作は公開4日間で観客動員135万人、興行収入21.4億円を突破する大ヒットを記録。戦中、戦後の日本を舞台にしたこの作品では、宮﨑監督が敬愛するある人物との対話の成果が反映されていたという。 その人物とは、2021年に亡くなった作家・昭和史研究の第一人者で“歴史探偵”と名乗った半藤一利氏。前作『風立ちぬ』の公開を前に対談をした2人は意気投合し、対談本『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』(小社刊)を刊行するなど親交が深かった。 2人の対談本『半藤一利と宮崎

                                                        『君たちはどう生きるか』 宮﨑駿監督が最新作に秘めた空襲体験と半藤一利氏の縁を鈴木敏夫プロデューサーが初めて語った | 文春オンライン
                                                      • 東京新聞:「令和の平和」親友対談 半藤一利さん×中西進さん:社会(TOKYO Web)

                                                        半藤 向島(現在の墨田区)に住んでいて、昭和二十年三月十日の東京大空襲に遭いました。危うく死ぬところで、九死に一生で助かった。目の前でたくさんの人が燃え上がって、女の人の髪がかんなくずのようにばあっと燃えるんですね。十五歳になるころです。悲惨な光景を見てもボーッとして何も感じない。後で考えると人間性を失っていたんじゃないか。 家を焼かれて移った茨城県の下妻では、戦闘機の機銃掃射を受けました。その場で腰を抜かしちゃって、十~二十センチのすぐ横の所に銃弾がダッダッダと。これはおっかなかったです。操縦席で操縦士がにやりと笑っているのも見えて、許せない怒りが湧きました。

                                                          東京新聞:「令和の平和」親友対談 半藤一利さん×中西進さん:社会(TOKYO Web)
                                                        • 「これは『昭和天皇独白録』と同じくらいの衝撃だ」歴史的スクープを後押しした、昭和史研究家・半藤一利の言葉とは | 文春オンライン

                                                          戸髙 半藤さんは文藝春秋入社以来、旧軍人の取材をすることが多く貴重な証言に接してこられましたし、歴史研究者との交流も多く、中でも東大ボート部以来のご友人・秦郁彦氏、中央公論「歴史と人物」編集長の横山恵一氏とは銀座のバーに頻繁に集まっては、雑誌の企画や歴史談議に時を過ごしていました。 私は当時、海軍関係の史料を収集する「財団法人史料調査会」で司書として勤務していた関係で、時折この集まりに呼ばれていました。私の記録によれば、1992年6月9日、文藝春秋社近くの「二葉鮨」で半藤さんが「ひとつこのメンバーで歴史探偵団ってのをやらねえか。もちろん団長は俺だな」と言い出したのが始まり。 ここからほぼ毎月途絶えることなく、2021年に半藤団長がお亡くなりになったあとも活動を続けて、今年は「歴史探偵団」結成32年目になりました。難しい話をするのではなく、歴史上の話題に関して興味の赴くままに談笑し、酒を呑む

                                                            「これは『昭和天皇独白録』と同じくらいの衝撃だ」歴史的スクープを後押しした、昭和史研究家・半藤一利の言葉とは | 文春オンライン
                                                          • 歴史探偵の半藤一利氏が死去したとのこと - 法華狼の日記

                                                            文芸春秋の編集者として司馬遼太郎や松本清張を支えて、自身もそれに近い「作家」だった。あくまで歴史学者ではないが、読み物としては興味深い著作が多かった。 www3.nhk.or.jp 秦さんは「ジャーナリストとして、イデオロギーを超えた中立な視点で、歴史の謎や課題を検証する姿勢を持っていた。昭和史については専門家と並ぶほどの知識を持ち、編集者として一緒に仕事をした、松本清張や司馬遼太郎からも一目置かれていた。また、その知識を一般に広めたことも半藤さんの大きな功績だ」と話しました。 富田メモなどの資料検証や、実体験からくる証言など、貴重な仕事も少なくない。近年の仕事では、個人的な興味関心もあって、宮崎駿との対談をおもしろく読んだ。 半藤一利と宮崎駿の 腰ぬけ愛国談義 (文春ジブリ文庫) 作者:一利, 半藤,駿, 宮崎発売日: 2013/08/06メディア: 文庫 保守派の天皇主義者だったことも

                                                              歴史探偵の半藤一利氏が死去したとのこと - 法華狼の日記
                                                            • 作家・半藤一利が明かす「秋篠宮に説明した『統帥権』とは何か」 | FRIDAYデジタル

                                                              悠仁親王の前で語られた「太平洋戦争」 5月1日、明仁天皇が退位して「平成」から「令和」へと時代が変わった。それに伴い、今上天皇の弟である秋篠宮文仁親王(以下・秋篠宮)が「皇嗣」となり、彼の一人息子・悠仁親王が皇位継承第二位となった。現行の皇室典範では、“次代の皇位資格者”は、悠仁親王ただ一人。秋篠宮家は、大きな役割を担うことになる。 その秋篠宮家に乞われ、「太平洋戦争はなぜ起こったか」を悠仁親王にご進講する大役を担ったのが作家・半藤一利氏(89)だ。 このご進講は、昨年8月15日に秋篠宮邸で行われた。ひと通りの話の後、同席していた父・秋篠宮から半藤氏に質問があったという。それは「『統帥権』とは何か」ということだった。事前に半藤氏の著作を読み、十分に勉強をしていたという秋篠宮が、あえて口にした問いに対して、半藤氏はどう説明をしたのだろう? 以下は半藤氏のインタビューである。 作家の半藤一利氏

                                                                作家・半藤一利が明かす「秋篠宮に説明した『統帥権』とは何か」 | FRIDAYデジタル
                                                              • 『焼けあとのちかい』(大月書店) - 著者:半藤 一利,塚本 やすし - 磯田 道史による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

                                                                著者:半藤 一利,塚本 やすし出版社:大月書店装丁:単行本(48ページ)発売日:2019-07-15 ISBN-10:4272408577 ISBN-13:978-4272408573 人間が人間でなくなる戦争の怖さ八月十五日が近い。令和になって、はじめての敗戦の日がくる。天皇陛下も戦後のお生まれとなり、昭和の戦争は、どうしても遠のいた感がある。若い国会議員は酔っぱらって「北方領土は戦争で解決できないのか」と言った。不安がつのる。八十歳代、九十歳代の戦争体験者は、この風潮を心配されているのを、ひしひしと感じる。 令和の元号の考案者と目される万葉学の中西進氏は、広島から東京に引っ越したあと、同級生たちが原爆で焼き殺された。会えば、平和への思いを諄々(じゅんじゅん)と説かれる。女優で作家の岸惠子氏は、横浜空襲のなかを一人で逃げ回った。とめる大人をふりきって、防空壕を出て、樹に登り、かろうじて助

                                                                  『焼けあとのちかい』(大月書店) - 著者:半藤 一利,塚本 やすし - 磯田 道史による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
                                                                • 《太平洋戦争終戦》「日本人の男は一生奴隷に、女は鬼畜のアメ公の妾に…」多くの“虚偽報道”に半藤一利の父が叱責した理由 | 文春オンライン

                                                                  「特攻作戦を中止す。内地へ帰投すべし」 これをうけた駆逐艦は4隻のみです。その名を残しておきましょうか。雪風、初霜、冬月、涼月の4隻です。いい名前ですね。これらは作戦中止命令をうけると同時に、空襲のやんだ合間をぬって、海上に浮いている生存者の救助にかかり、大和の生き残りも、ほかの艦の生き残りも全員を、海上から救いあげました。もし伊藤の中止命令がなければ、そのまま沖縄へ突っ込んでいき、ほんとうに全滅するところでした。 大和の乗組員3332名のうち戦死は3056名。他の艦も合計すると、437名がこの特攻作戦で戦死しました。これは、8月15日までの飛行機の特攻隊の陸海合計の死者数4600余人に近い死者数でした。それもたった1日で。何ともいいようがありません。 伊藤は幕僚たちとの別れを終え長官室に入ると、内側から錠をおろしました。上からの命令に反するかのような意志決定によって、生き残った多くの部下

                                                                    《太平洋戦争終戦》「日本人の男は一生奴隷に、女は鬼畜のアメ公の妾に…」多くの“虚偽報道”に半藤一利の父が叱責した理由 | 文春オンライン
                                                                  • 『日本のいちばん長い日』著者の半藤一利は、あの「8月15日」をどう過ごしたのか? | 74年、あの戦争を語り継ぐ | 文春オンライン

                                                                    「今まで言われていたことは全て嘘だったんだ」 終戦の日で最も印象に残っているのは、家に帰った時のことですね。かつてこの戦争が始まった日に「負けるぞ」と言った親父が、憮然とした顔をして待っていたからです。とくに話すこともなく夕食となり、お粥を啜りながら私は不安になって聞いたものです。「男はみんな奴隷になって、女はみんなアメリカ兵の妾になるんだよね」と。 そのとき親父が言った言葉は今でも忘れられません。 「馬鹿もん! おまえ、なにを考えているんだ。空襲で川の中に落ちて、水をガブガブ飲んで、まだ頭に水が溜まっていて変になったんじゃないか? 日本の男を全員奴隷にしてどこかへ連れていくのに、どれだけの船がいると思う? そんな船があるわけはない。女たちを妾にする? それをアメリカの女たちが黙って見ていると思うか? そんなことはできっこないんだ」 そのとき初めて、私は自分の親父を尊敬しました。「リアリズ

                                                                      『日本のいちばん長い日』著者の半藤一利は、あの「8月15日」をどう過ごしたのか? | 74年、あの戦争を語り継ぐ | 文春オンライン
                                                                    • 昭和史の誤りを克服、継いでいかねば 半藤一利さんを悼む ノンフィクション作家・保阪正康:朝日新聞デジタル

                                                                      半藤さんとはこの20年、対談や共著など仕事を通じて日常的に話をしてきたが、「自分は『絶対』という言葉を原稿で使わない」と言っていた。旧制中学のときに敗戦を迎え、「お国のために死ね」という時代から民主主義へと社会の価値観ががらっと変わるのを体験したからだ。「大東亜戦争」など戦前の価値観にもとづく言葉…

                                                                        昭和史の誤りを克服、継いでいかねば 半藤一利さんを悼む ノンフィクション作家・保阪正康:朝日新聞デジタル
                                                                      • 半藤一利さんは、なぜ「墨子を読みなさい」 と言い遺したのか|じんぶん堂

                                                                        記事:平凡社 『墨子よみがえる』の著書、半藤一利さん 書籍情報はこちら 墨子ぼくしが読まれるべき秋とき いまの山東省西部から浙江省や江西省にかけて存在した宋・斉・楚の国々の帝王や政治家を歴訪して、理想とする非戦と兼愛とを説いて回った。いわゆる遊説ゆうぜい の士のひとりというわけで、帝王や諸侯はこれら遊説の士を厚遇したのである。その過程で、宋の昭公につかえ大夫たいふ になったとの説もあるが、はたしてどんなものか。むしろ墨子は生涯をとおして、官につかえることを欲しなかった自由人とみたほうがいい。 活躍の時期は、前に書いたように紀元前五世紀後半で、孟子よりも少し前の時代である。いずれにせよ二千五百年も前の人物ということになる。 平凡社ライブラリー『墨子よみがえる “非戦”への奮闘努力のために』(半藤一利著) 『墨子』十五巻七十一篇が残されたとされているが、現存するのは五十三篇である。ここには「子

                                                                          半藤一利さんは、なぜ「墨子を読みなさい」 と言い遺したのか|じんぶん堂
                                                                        • 「太平洋戦争への道 1931-1941」 半藤一利、加藤陽子、保阪正康 - 手探り、手作り

                                                                          「太平洋戦争への道 1931-1941」 半藤一利、加藤陽子、保阪正康 NHK出版 2021 第一章 関東軍の暴走 第二章 国際協調の放棄 第三章 言論・思想の統制 第四章 中国侵攻の拡大 第五章 三国同盟の締結 第六章 日米交渉の失敗 第一章 関東軍の暴走 1929年 世界恐慌:経済が低迷、農村は困窮。「生命線」である満州の確保へ。 1931年 満州事変:関東軍が柳条湖で鉄道を爆破、これを中国軍によるものとして攻撃開始、満州全域を制圧、傀儡国家樹立。 加藤 では、次に「なぜ関東軍による独走、独断」が許されてしまったのか」について。 当時、大日本帝国の出先軍、現地軍というと、朝鮮軍二個師団がいて、中国には関東軍がいました。外地ですので、中央からの制御ができにくい。天皇の命令を現地軍に伝える奉勅命令というものがありますが、これで現地軍をとめるというのも、なかなか政党内閣ではやりにくかったと思

                                                                            「太平洋戦争への道 1931-1941」 半藤一利、加藤陽子、保阪正康 - 手探り、手作り
                                                                          • 終戦の日を描いた半藤一利の名作をコミカライズ!「運命の1日は尊皇攘夷から始まった」 | 文春オンライン

                                                                            終戦の日を描いた半藤一利の名作をコミカライズ!「運命の1日は尊皇攘夷から始まった」 「日本のいちばん長い日」第1話(前編)

                                                                              終戦の日を描いた半藤一利の名作をコミカライズ!「運命の1日は尊皇攘夷から始まった」 | 文春オンライン
                                                                            1

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