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  • 元稲荷古墳 京都府向日市向日町北山 - 墳丘からの眺め

    前回の五塚原古墳からは、南に500mの元稲荷古墳へ。 緩やかな舌状台地の尾根を下ります。左奥が元稲荷古墳と向日神社がある丘。 西方向は小畑川が流れる広い谷。 向日神社から、桜が帯状に植えられています。 舌状台地先端頂上の元稲荷古墳に到着。 前方部左裾から。左側面で一心不乱にキャッチボールをしてる方々が。 前方部先端側にある説明板。3世紀後半の、墳頂94mの前方後方墳です。 元稲荷古墳 所在地:京都府向日市向日町北山 元稲荷古墳は3世紀後半ごろにつくられた最古の大型前方後方墳で、桂川流域を束ねた王の墓と考えられています。 この古墳は京都盆地が一望できる丘陵の先端部に位置します。墳丘は王の亡骸を埋葬した後方部と祭りの場や葬列の道として使われた前方部からなります。 後方部は三段に築かれ50m四方の正方形に、前方部は二段で側面の形は「ハ」の字形に大きく直線的に広がります。墳丘全体が小畑川から採取し

      元稲荷古墳 京都府向日市向日町北山 - 墳丘からの眺め
    • 蛇行剣は刀と剣の特徴持つ「ハイブリッド」 古墳時代の刀剣ルーツか | 毎日新聞

      表面に付着した土などの除去作業が終わり、報道陣に公開された富雄丸山古墳出土の蛇行剣=奈良県橿原市で2024年3月26日、川平愛撮影 奈良市の国内最大の円墳、富雄丸山(とみおまるやま)古墳(4世紀後半、直径109メートル)から出土した「蛇行剣(だこうけん)」を分析したところ、刀と剣の特徴を併せ持つ類例のない「ハイブリッド」なデザインだったことが判明した。奈良県立橿原考古学研究所と市教委が26日、発表した。ヤマト王権の管理下で作られた儀礼用刀剣のルーツと考えられるという。 蛇行剣は全長237センチ、幅6センチ。古墳時代の鉄剣としては東アジア最大で、蛇行剣としては国内最古。2022年12月、市教委の発掘調査で未盗掘の埋葬施設から盾形銅鏡と共に出土した。その後、同研究所が保存処理の過程で表面に付着した土を針などで取り除き、慎重に調べていた。 出土時、装具は形をとどめていなかったが、刃などには木片が

        蛇行剣は刀と剣の特徴持つ「ハイブリッド」 古墳時代の刀剣ルーツか | 毎日新聞
      • 小田原市で前方後円墳見つかる 神奈川で2番目の古さ(tvkニュース(テレビ神奈川)) - Yahoo!ニュース

        小田原市は、市内で初めてとなる前方後円墳が見つかったと発表しました。3世紀末の古墳時代初頭に作られたものとみられていて、神奈川県内では、2番目の古さだということです。 小田原市の担当者によりますと、見つかった古墳は、土が盛られた「墳丘」部分は削り取られてしまっていましたが、その周りの溝である「周溝」が前方後円墳の形に残っていて、8月9日に、東海大学の専門家が確認したところ、古墳と認められたということです。 この古墳は、長さが35メートル、幅が25メートルほどとみられていて、中からは、祭祀に使われたり、墓に入れられたりする底部穿孔土器(ていぶせんこうどき)は見つかりましたが、棺は削り取られた部分に入っていたとみられ、見つからなかったということです。 この遺構は、個人住宅の地下から見つかったことや、史跡として保存する必要がないと判断されたため、写真や図面を記録したあと、8月中に埋め戻す予定だと

          小田原市で前方後円墳見つかる 神奈川で2番目の古さ(tvkニュース(テレビ神奈川)) - Yahoo!ニュース
        • 最古級の銅鏡が出土した「安満宮山古墳」の謎(歴史人) - Yahoo!ニュース

          銅鏡が出土した状況を展示したもの(筆者撮影)。貴重な銅鏡は布に包まれていた痕跡がある。よく見ると木片もあり、木棺墓であったことが伺える。 今から約四半世紀前に、大阪府高槻市の山の中腹にある安満宮山(あまみややま)古墳から、国内最古級の銅鏡が発見された。銅鏡に記された最古級の年号は、同古墳の製作年代を考察するヒントとなる一方で、謎も残しているという。前回に続いて、弥生時代と古墳時代の境目について考察する。 種類の異なる5枚の青銅鏡が発見される 3世紀半ばに、現在の大阪府高槻市御所の町(ごしょのちょう)に造営された安満宮山古墳は、山の中腹の実に景色の良い場所にあります。眼下には安満遺跡という弥生時代初期に始まる大環濠集落遺跡が見えます。 ここに埋葬された人物は、おそらく安満集落の王だったのでしょう。内部には割竹型木簡(わりたけがたもっかん)が埋葬されていて、真っ赤に朱が塗られた立派な土壙墓(ど

            最古級の銅鏡が出土した「安満宮山古墳」の謎(歴史人) - Yahoo!ニュース
          • 神奈川最大級の前方後円墳、整備工事が終了へ 逗子・葉山境、4月から公開 | カナロコ by 神奈川新聞

            逗子市と葉山町にまたがり、現存する遺構で県内最大級の前方後円墳「長柄桜山古墳群第1号墳」の整備工事がようやく終了する。両市町が連携して、墳丘保護のための盛り土や植栽工事などを10年がかりで実施。貴重な文化遺産を保護しながら、4月から一般公開される予定だ。 同古墳群は1999年、葉桜団地西側に位置する標高120メートルの山頂(第1号墳)で葉山町民が埴輪(はにわ)片を発見したことをきっかけに存在が知られることになった。その後、約500メートル離れた西側の丘陵部(第2号墳)も同様の古墳であることが判明した。両古墳とも2002年に国指定史跡となった。 第1号墳は全長91メートル、後円部の直径52メートル。古墳の上には円筒埴輪とつぼ型埴輪が並べてあり、後円部の中央では木棺を粘土で覆った埋蔵施設が1基築かれていた。保存状態が良好で、古墳時代前期の4世紀ごろとみられる築造当時の姿をよく残している。 ハイ

              神奈川最大級の前方後円墳、整備工事が終了へ 逗子・葉山境、4月から公開 | カナロコ by 神奈川新聞
            • 巨大な前方後円墳は誰のもの? 五色塚古墳のナゾ | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

              神戸市垂水区の海辺からほど近い閑静な住宅街に、全長194メートルという巨大な前方後円墳「五色塚古墳」が横たわっている。 大きさでは全国で約40番目、誰もが古墳の頂上にまで登ることができる。そもそも古墳といえば、樹木が茂り、森のようになっているので、仮に登ることができても、頂きからの景色は期待できない。ところが五色塚古墳は、1975年に約1600年前の姿に復元され、古墳の上からは淡路島や明石海峡大橋が望める絶景が楽しめるのだ。 また、この古墳に眠る人物は「この周辺を支配した豪族」といわれているが、いまだに正確に誰であるかは明らかになっていない。そのミステリアスな成り立ちもあってか、パワースポットとしても注目され、兵庫県内だけでなく関東や九州からもこの古墳を訪れる人が後を立たず、特に若い女性が多いという。 謎の多い五色塚古墳だが、誰によって、なぜこの地に造られたのか、五色塚古墳を管理する神戸市

                巨大な前方後円墳は誰のもの? 五色塚古墳のナゾ | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
              • 高松塚古墳の国宝壁画、13年の修理完了 飛鳥美人など:朝日新聞デジタル

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                  高松塚古墳の国宝壁画、13年の修理完了 飛鳥美人など:朝日新聞デジタル
                • 「いつ崩れても…」 熊本地震5年、被災古墳の復旧は:朝日新聞デジタル

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                    「いつ崩れても…」 熊本地震5年、被災古墳の復旧は:朝日新聞デジタル
                  • 富雄丸山古墳、埴輪でも新たな発見 隣の古墳、前方後円墳か:朝日新聞デジタル

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                      富雄丸山古墳、埴輪でも新たな発見 隣の古墳、前方後円墳か:朝日新聞デジタル
                    • 記事が見つかりませんでした|秋田魁新報電子版

                      地方創生 第6部 まだないしごとを興す急激な人口減少時代を秋田はどう歩んでいけばいいのか。地方の今後を考える地方創生 第6部 まだないしごとを興す

                        記事が見つかりませんでした|秋田魁新報電子版
                      • 砂に消えた1700年前の「貿易都市」 竪穴建物跡320棟以上、ヤマト王権と関係か

                        令和4年度から行われている長瀬高浜遺跡の発掘調査。遺跡は厚さ約2~6メートルのシロスナ層の下に眠っている=鳥取県湯梨浜町(松田則章撮影) 鳥取砂丘から西に約35キロ離れた鳥取県湯梨浜(ゆりはま)町の海岸近くの砂の下に「古代の大集落」が眠っている。冒険映画に出てきそうなこの遺構は「長瀬高浜遺跡」。昭和と平成の2次にわたる発掘調査で約260棟の竪穴建物跡が鉄器や青銅器とともに見つかり、交易で栄えた古墳時代前期(3世紀半ば~4世紀後半ごろ)の大集落跡と判明している。昨年度からは、前回調査からほぼ四半世紀ぶりに令和の調査がスタートし、すでに60棟以上の建物跡を確認。調査は来年度も予定されており、さらなる発見に期待が高まっている。 重文の埴輪群出土「弥生の王国を掲げる鳥取県では青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡や妻木晩田(むきばんだ)遺跡が有名だが、かつては鳥取といえば長瀬高浜遺跡というくらい全国に知

                          砂に消えた1700年前の「貿易都市」 竪穴建物跡320棟以上、ヤマト王権と関係か
                        • 岡山県内初 古墳から「煙突」出土 朝鮮半島の百済と関係している可能性 | KSBニュース | KSB瀬戸内海放送

                          岡山県古代吉備文化財センターは、2020年10月から津山市の高尾北ヤシキ古墳で発掘調査を行っています。 こちらが出土した6世紀末ごろの煙突「筒形土製品」です。韓国や近畿地方では多く見つかっていますが岡山県では初めてです。 「筒形土製品」は炉やかまどの煙を外に出すものですが、今回の出土品にはススの付着がなく実際に使用されたものではないとみられています。 今回の発見について、岡山理科大学の亀田修一教授は「煙突など、かまど関連の製造技術が朝鮮半島の百済と関係している可能性」に注目しています。 (岡山理科大学/亀田修一 教授) 「極めて珍しいものだということです。今回、発見っていうのはそういうところ(渡来系文化)との結びつきも含め、県北の製鉄文化とも関わってくる。県北の重要性が見えてくる」

                            岡山県内初 古墳から「煙突」出土 朝鮮半島の百済と関係している可能性 | KSBニュース | KSB瀬戸内海放送
                          • 【THE古墳】「卑弥呼超え」銅鏡103面 桜井茶臼山古墳が示すヤマト王権の産業革命

                            桜井茶臼山古墳から出土した「三角縁神獣鏡」の破片=奈良県橿原市の橿原考古学研究所(恵守乾撮影)「銅鏡百枚」。魏志倭人伝は、倭国の女王・卑弥呼(ひみこ)が中国皇帝から与えられた鏡をこう表現する。象徴的な数字にも見える「百枚」。それを上回る103面以上の銅鏡が、奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳で確認された。本来は200~300面あったといい、多くても数十面といわれた古墳のイメージを覆した。 中国製だけでなく大型の国産鏡も出土。被葬者は、卑弥呼の時代から受け継いだ銅鏡とともに、鏡の国産化を進めることで「脱中国」を図り、強大なヤマト王権を目指した。その姿は、国力充実へ金属器生産を重視した「産業革命」でもあった。 卑弥呼の数世代後の王邪馬台国(やまたいこく)有力候補地の奈良盆地東南部に位置する全長204メートルの巨大前方後円墳。築造時期は、卑弥呼の時代から半世紀後の3世紀末だが、卑弥呼の影が見え隠れする

                              【THE古墳】「卑弥呼超え」銅鏡103面 桜井茶臼山古墳が示すヤマト王権の産業革命
                            • 吉野ヶ里遺跡で見つかった「石棺墓」…「朱の痕跡」は邪馬台国論争に一石投じたか

                              【読売新聞】編集委員 丸山淳一  国指定特別史跡の吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼市、吉野ヶ里町)で、弥生時代後期の有力者の墓の可能性がある 石棺墓 ( せっかんぼ ) が見つかり、覆っていた4枚の石蓋を外して内部の調査が行われた。残念なが

                                吉野ヶ里遺跡で見つかった「石棺墓」…「朱の痕跡」は邪馬台国論争に一石投じたか
                              • 【THE古墳】吉野ケ里遺跡 最大の謎「王墓」はどこに? 卑弥呼の墓と様相異なる石棺墓

                                発掘調査が進む吉野ケ里遺跡の石棺墓=6月12日(佐賀県提供)邪馬台国(やまたいこく)九州説の候補地・吉野ケ里(よしのがり)遺跡(佐賀県吉野ケ里町、神埼市)で石棺墓が見つかり、一躍脚光を浴びている。有力者の墓とあって、女王・卑弥呼(ひみこ)との関連も取り沙汰される。ただし、石棺墓は3メートルあまりで墳丘もなく、魏志倭人伝が「径百余歩の塚」(約144メートル)と記す卑弥呼の墓とは印象が異なる。それでも注目されるのは、吉野ケ里の「王墓」の可能性があるためだ。そして古墳時代、この地には「前方後方墳」が築かれた。ヤマト王権のシンボル「前方後円墳」でないところに、畿内と一線を画した独自性もうかがえる。

                                  【THE古墳】吉野ケ里遺跡 最大の謎「王墓」はどこに? 卑弥呼の墓と様相異なる石棺墓
                                • 上島古墳 島根県出雲市国富町 - 墳丘からの眺め

                                  上島(あげしま)古墳は、前回の国富中村古墳の約450m南南西に立地。 「高砂醤油本店」の看板下に、「上島古墳」への表示もありました。 矢印の方向へ進むと私有地の看板がありますが、古墳はまだ先。 その奥にさらに「上島古墳」とのサイン。 ここが登り口(だったはずです) すぐに覆い屋のある石棺に到ります。 柵の間から。蓋石材はコンクリートのような感じでした。 そばにあった説明板。国指定史跡です。 国指定史跡 上島古墳 この古墳は昭和24年(1949)開墾中に石棺と石室が発見され、優れた遺物が出土して有名となった。築造されたのは古墳時代後期はじめ(6世紀中頃)と考えられる。 墳丘は急斜面に造られた径約13m、高さ約2mの円墳と推定されている。墳丘周辺からは須恵器や土師器の破片が発見されているが、埴輪や葺石は確認されていない。 埋葬施設は2つある。一つは出雲地方では類例の少ない刳り抜きの家形石棺で蓋

                                    上島古墳 島根県出雲市国富町 - 墳丘からの眺め
                                  • 【THE古墳】「最も掘りたい古墳」卑弥呼の箸墓に迫った2メートル

                                    箸墓古墳の墳丘(上)近くで見つかった葺石。宮内庁管理の区域の2メートル手前まで迫った=平成7年2月、奈良県桜井市「考古学者が一番掘りたい古墳」ともいわれるのが、奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳(3世紀後半、墳丘長約280メートル)。日本で最初に造られた巨大前方後円墳で、邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓との説が戦前から唱えられているからだ。卑弥呼が中国から贈られた「金印」が見つかれば、邪馬台国畿内説を決定づけるとの期待は大きい。しかし、宮内庁が第7代・孝霊天皇の娘の墓として立ち入りを禁じ、発掘もできない。この謎のベールに包まれた古墳に、果敢に挑んだ発掘調査があった。 古墳研究が何十年も遅れる

                                      【THE古墳】「最も掘りたい古墳」卑弥呼の箸墓に迫った2メートル
                                    • 考古学者・大塚初重さん死去 虎塚古墳「地域の宝に」 茨城県内に功績、悼む声

                                      ひたちなか市埋蔵文化財調査センターの虎塚古墳石室のレプリカを背にした大塚初重さん=2011年11月 虎塚古墳の見学者に説明する大塚さん(手前)=1973年9月、いずれも同市教育委員会提供 日本の考古学研究をけん引し、幾何学文様の彩色壁画で知られる「虎塚古墳」(茨城県ひたちなか市中根)を発掘した考古学者で明治大名誉教授、大塚初重(はつしげ)さんが先月21日に亡くなった。95歳だった。発掘調査するだけでなく、市民に公開することで「身近な存在」「地域の宝」として根付かせた虎塚古墳の功労者だ。茨城県考古学に広く関わり、教えを受けた研究者も多い。茨城県内関係者から「地域との関わりを大切にしてくれた」と追悼の声が相次いでいる。 ■彩色壁画に歓声 大塚さんは登呂遺跡(静岡市)をはじめ、綿貫観音山古墳(群馬県高崎市)など数々の遺跡の発掘調査に関わり、戦後の日本考古学の礎を築いた。東京都出身。2005年、瑞

                                        考古学者・大塚初重さん死去 虎塚古墳「地域の宝に」 茨城県内に功績、悼む声
                                      • 古都北部に点在する「空白の4世紀」古墳群 ヤマト王権と豪族の抗争が原因か

                                        4世紀から5世紀にかけて築造された大型前方後円墳が集中する奈良盆地北部の佐紀古墳群。それ以前のヤマト王権の墓域は盆地の東南部にあったが、なぜ場所が移されたのか。研究者たちはさまざまな手がかりから、中国の史書に記述がない「空白の4世紀」の解明に挑んでいる。 200メートル超古墳8基奈良時代の8世紀に宮殿や役所が並んだ平城宮跡から北西へ進み、集落が途切れると森が現れる。その中に、佐紀古墳群で最古となる4世紀中頃築造の佐紀陵山(さきみささぎやま)古墳はある。 全長約210メートルの前方後円墳で、宮内庁が第11代垂仁天皇の皇后、日葉酢媛(ひばすひめ)陵に治定。日本書紀では、殉死の風習に天皇が心を痛め、野見宿禰(のみのすくね)の進言によって人に代わり初めて埴輪(はにわ)を並べたのが日葉酢媛の墓と伝えられている。 佐紀陵山古墳の北西には五社神(ごさし)古墳(神功皇后陵)、東約1キロに5世紀のヒシャゲ古

                                          古都北部に点在する「空白の4世紀」古墳群 ヤマト王権と豪族の抗争が原因か
                                        • 大阪・高槻に古代のタイムカプセル 希少な未盗掘古墳 とことん調査隊 - 日本経済新聞

                                          大阪府高槻市にある闘鶏山(つげやま)古墳(4世紀前半)で発掘計画の検討が進んでいる。注目されるのは、前期古墳では珍しい未盗掘である点だ。未盗掘古墳は調査のたびに数々の大発見が話題となってきた千数百年前のタイムカプセル。なぜ長年、盗掘を免れることができたのか、次代にいかに継承するか探った。名神高速道路が東西に走る高槻市郊外の小高い尾根の上に闘鶏山古墳はある。全長約88メートルの前方後円墳だが墳丘

                                            大阪・高槻に古代のタイムカプセル 希少な未盗掘古墳 とことん調査隊 - 日本経済新聞
                                          • 県内最大規模の前方後方墳見つかる 中央|NHK 山梨県のニュース

                                            中央市教育委員会が行っていた発掘調査の中で、県内2つ目で最大規模の前方後方墳が見つかり、市は県内の古墳の歴史を考える貴重な事例ではないかとしています。 見つかった古墳は中央市大鳥居の大鳥居宇山平遺跡にあり、前方部は台形、後方部は四角形の前方後方墳としては県内2つ目となります。 前方と後方あわせて全長およそ50メートルと、これまでに唯一見つかっていた甲府市の前方後方墳のおよそ45メートルを超え、県内最大規模になるということです。 市が去年7月から農地整備のため行っていた発掘調査作業の中で見つかり、付近には深さ1メートルの溝や円墳3基が見つかっていて、古墳群が形成されていたとみられます。 市によりますと、この前方後方墳は4世紀後半から5世紀ごろに作られたとみられ、旧豊富村の記録でなくなったとされていた「二子塚古墳」ではないかということです。 市はこれまで見つかっている甲府市を中心とした古墳群か

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                                            • キトラ古墳 | 国営飛鳥歴史公園

                                              キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳です。檜前の集落を越えて阿部山に向かう山の中腹にあります。二段築成の円墳で、上段が直径9.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さは上段・下段あわせて4mを少し超えると推測されています。 名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説、古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎) から「亀虎」と呼ばれていたという説など、いろいろな説があります。 1983年11月7日に石室内の彩色壁画のひとつである玄武が発見されて、世間や学会から注目を集めました。2000(平成12)年には国指定史跡に指定され、続いて特別史跡に指定されました。 石室の天井には本格的天文図が

                                              • 「異様」な副葬品 奈良・富雄丸山古墳の木棺、被葬者の謎に迫る:朝日新聞デジタル

                                                ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                  「異様」な副葬品 奈良・富雄丸山古墳の木棺、被葬者の謎に迫る:朝日新聞デジタル
                                                • 木棺も「類例のない」良好さ 盾形銅鏡など出土の奈良・富雄丸山古墳:朝日新聞デジタル

                                                  ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                    木棺も「類例のない」良好さ 盾形銅鏡など出土の奈良・富雄丸山古墳:朝日新聞デジタル
                                                  • 【THE古墳】満身創痍の仁徳天皇陵「誰かが手をつけないと…」発掘決断

                                                    世界文化遺産の仁徳天皇陵古墳(堺市、墳丘長486メートル)に平成30年と昨年、本格的な発掘調査のメスが入った。水をたたえた周濠(しゅうごう)と2重の堤に囲まれた国内最大の前方後円墳。研究者から「なぜいきなり掘るのか」との声も上がったが、墳丘は大きく崩れ、周濠の水による浸食が進んでいた。「今、誰かが手をつけないといけなかった」。宮内庁陵墓調査官を今春退職した徳田誠志・関西大客員教授(60)は語る。保全整備は十年単位ともいわれる巨大プロジェクト。天皇陵の中の天皇陵ともいえる歴史遺産を未来に残すため、果敢な挑戦が始まっている。

                                                      【THE古墳】満身創痍の仁徳天皇陵「誰かが手をつけないと…」発掘決断
                                                    • 奈良 富雄丸山古墳で“湧水施設形埴輪”見つかる 国内最古か|NHK 奈良県のニュース

                                                      奈良市の富雄丸山古墳で、水が湧き出る場所の上に作られた建物を表現したとみられる埴輪が見つかりました。 こうした埴輪では国内最古のものとみられ、水に関する祭りの歴史を探る手がかりとして注目を集めそうです。 奈良市の富雄丸山古墳は、4世紀後半に造られた国内最大の円墳で、▼盾のような形をした鏡や▼波打つような形をした長さ2メートルを超える剣などが見つかっています。 奈良市教育委員会がこれらが見つかったエリアとは別の場所を発掘調査したところ、1辺およそ30センチの四角形をした家形の埴輪が見つかりました。 この埴輪の内側には、水をためる水槽のような埴輪も置かれていて、奈良市教育委員会は、これらの埴輪全体で、水が湧き出る場所の上に作られた建物を表現した「湧水施設形(ゆうすいしせつがた)埴輪」とみているということです。 こうした埴輪はこれまで全国で10例ほど確認されていますが、今回のものは最古とみられる

                                                        奈良 富雄丸山古墳で“湧水施設形埴輪”見つかる 国内最古か|NHK 奈良県のニュース
                                                      • 「変わりダネ」古墳 変わった形、あり得ない場所に保存 | 毎日新聞

                                                        上空からは前方後円墳の形になった墓地の区画がはっきりとわかる。古くから地域の墓地として利用されていたという=大阪府柏原市の玉手山2号墳、本社ヘリから加古信志撮影 世界遺産に登録されている古市、百舌鳥(もず)古墳群がある大阪府には大小さまざま、数多くの古墳がある。 有名なものは大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵)や誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神天皇陵)などの巨大古墳が挙げられるが、歩いて見て回ることができる小さな古墳の中には、「変わりダネ」と言える…

                                                          「変わりダネ」古墳 変わった形、あり得ない場所に保存 | 毎日新聞
                                                        • 古墳と人々の関わりたどる 高崎市の県立歴史博物館で企画展:東京新聞 TOKYO Web

                                                          群馬県内に残る多数の古墳と人々との関わりをたどる企画展「古墳大国群馬へのあゆみ」が、高崎市綿貫町の県立歴史博物館で開かれている。当時の文献や記録、古墳から出土した副葬品など計約五百点を展示。江戸時代以降を中心に、時代の変遷とともに人々が古墳といかに向き合ってきたかを解説している。九月五日まで。(安永陽祐)

                                                            古墳と人々の関わりたどる 高崎市の県立歴史博物館で企画展:東京新聞 TOKYO Web
                                                          • 【THE古墳】天皇陵を発掘して30年 元宮内庁調査官が語る陵墓の尊厳

                                                            国内最大の仁徳天皇陵古墳=堺市国内最大の前方後円墳の仁徳天皇陵古墳(堺市)、邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓ともいわれる箸墓古墳(奈良県桜井市)など宮内庁が管理する陵墓を30年以上にわたって調査してきたのが、同庁陵墓調査官を務めた徳田誠志さん(60)。今年3月末に退職し、現在は関西大客員教授として若い世代に天皇陵の意義などを伝えている。現役最後の発掘調査となったのが、昨年冬の仁徳天皇陵古墳。「仁徳陵に入るのはこれで最後かと寂しい思いもあった」と振り返りながら「陵墓としての尊厳を守り、保全するのが宮内庁の本義」とし、「文化財としての価値を否定しているものではない」と語った。 報道陣を前に仁徳天皇陵古墳の発掘現場で説明をする徳田さん。これが宮内庁での最後の発掘調査となった=令和3年11月19日、堺市 最後の発掘は仁徳陵徳田さんが同庁に入ったのは平成2年4月。その半年あまり後

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                                                            • 長野には2800基を超える古墳…各地の勢力が独自に朝鮮半島などとの関係を構築

                                                              【読売新聞】 長野県内の古墳の出土品などから古墳時代の信州の実像に迫る企画展「主張する古墳~新たなシナノの古墳時代像~」が、長野県立歴史館(千曲市屋代)で開かれている。同館が古墳に関する展示を行うのは25年ぶりで、この間の研究の成果

                                                                長野には2800基を超える古墳…各地の勢力が独自に朝鮮半島などとの関係を構築
                                                              • 京都・南丹の墳丘墓卑弥呼以前を示す前方後円墳の「前史」

                                                                南丹の墳丘墓「黒田古墳」 世界文化遺産に登録された百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群はヤマト王権の大王らの墓とされ、鍵穴のような形をした巨大な墳墓を見たことがあるかもしれません。 これらは前方後円墳と呼ばれ、3世紀から6世紀(古墳時代)に築かれた日本独自の古代の王墓ですが、その誕生には「前史」があったことが近年分かってきました。「墳墓」や「墳丘墓」などとも呼ばれるやや小さな前方後円形の墓です。大型の前方後円墳が築かれ始める直前の弥生時代から古墳時代へ、時代が移り変わる頃、各地に築かれはじめました。どういったものか、南丹市に所在する「黒田古墳(墳丘墓)」を一例に紹介しましょう。 黒田古墳は1990年、南丹市園部町で計画された工業団地造成に伴って発掘調査されました。築かれたのは、弥生時代最終末期の3世紀前半頃と位置づけられています。邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説があり、最古の前方後円墳と

                                                                  京都・南丹の墳丘墓卑弥呼以前を示す前方後円墳の「前史」
                                                                • 美術展ナビ

                                                                  空前前後の「かつてない空海展」と評判の特別展「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」が6月9日まで、奈良国立博物館で開催されています。ショップでも「かつてない」レベルのグッズが並んでいました。 いざ、開封!

                                                                    美術展ナビ