現在のJR山手線の外周にもうひとつ線路を敷設する――そのような計画が過去にありました。題して「山手急行電鉄線」、通称「第二山手線」です。結局、実現には至りませんでしたが、どのような構想だったのかを探ります。 計画区間は大井町~洲崎 東京で1920年代半ば、通称「第二の山手線」と呼ばれた私鉄路線が、実現に向けて動き出していました。会社名は「東京山手急行電鉄」。社名には「(現在のJR)山手線の少し外側エリアを急行(高速度)運転する電車」という意味が込められました。何とも魅力的な響きを感じさせます。 拡大画像 山手線に「第二」構想があった…? 社長は小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)社長の利光鶴松。発起人には第三十四銀行常務取締役の太田一平、京阪電気鉄道社長の太田光凞、東京電燈(現・東京電力)社長の若尾璋八といった錚々たる面々が連ねていました。 山手急行線の起点は、品川からJR京浜東北線で1駅目の