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宅八郎の検索結果1 - 31 件 / 31件

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宅八郎に関するエントリは31件あります。 訃報オタク芸能 などが関連タグです。 人気エントリには 『熊谷朋哉 on Twitter: "今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせ… https://t.co/ljpzjEuIKr"』などがあります。
  • 熊谷朋哉 on Twitter: "今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせ… https://t.co/ljpzjEuIKr"

    今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせ… https://t.co/ljpzjEuIKr

      熊谷朋哉 on Twitter: "今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせ… https://t.co/ljpzjEuIKr"
    • 宅八郎は何をした人物なのか

      宅八郎が亡くなったというニュースが流れて、彼に関するツイートが増えているがどれも彼の全体を捉えていないように思う。宅の活動はざっくりと前期、中期、後期と分けられるだろう。 前期:おたく評論家期 宅八郎のデビューは90年に出たSPA!のおたく特集。ここで宅は長髪眼鏡、よれよれのシャツ、マジックハンドというすでに完成された姿で登場する。 この特集は日本のアニメ、特撮文化のすごさやそれらがこれからの日本の経済を引っ張っていくだろうというもの。のちに言われるオタク文化論がここで完成されているところにも今なら注目できるが、当時は宅の風貌とキャラクターだけが注目されたようだ。この記事は宮崎事件によってオタクへ偏見を持っていた世間へのカウンターとして作られていて、宅の問題意識もそこにあることが記事を読むとわかる。 いかにもオタクっぽい風貌をして特撮やアイドルを語る宅を面白がったのは電気グルーヴやフリッパ

        宅八郎は何をした人物なのか
      • 宅八郎に救われた夜 追悼:宅八郎|Takuma Kaga

        今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせる選曲とトラックメイキングを見せる一面もありました。 — 熊谷朋哉 (@tomoyakumagai) December 3, 2020 Twitterのタイムラインに宅八郎氏が亡くなったと上がってきた。これは実は生きていて「宅八郎死亡説が流れた」なんてことになるネットの祭りなのかなと思った。しかし複数の人が同じ内容をツイートしているところを見ると、どうやら本当のようだ。 宅八郎は1990年に「オタク評論家」と言う肩書きでテレビに出始めた。1989年に幼女連続誘拐殺人事件があり「オタク」という呼称は蔑称の意味合いを強く含んでいる中での登場だった。 宅八郎を知ったのは

          宅八郎に救われた夜 追悼:宅八郎|Takuma Kaga
        • さらば宅八郎 - Pithecanthropus Collectus(蒐集原人)

          2020年12月3日 宅八郎の訃報を知った。ご家族の話ではどうやら8月に脳出血で倒れ、そのまま還らぬ人となったらしい。 彼はミニコミ『東京おとなクラブ』のスタッフだった人で、本名を矢野守啓という。ぼくは同時期に刊行されていた歌謡曲ミニコミ『よい子の歌謡曲』のスタッフだった関係で、『東京おとなクラブ』の編集部にも出入りしていた。時期を考えると彼と知り合ったのは1985年くらいのはずだが、直接会って話をしたような記憶はない。 やがてぼくはフリーライターになって、下北沢に仕事場用のアパートを借りた。ある日、仕事もなく部屋でゴロゴロしていたら、彼から電話がかかってきた。そのとき彼は「覚えてますか、矢野です」と言い、ぼくは少し考えたのち「ああ、おとなクラブの!」と言った記憶がある。ということはやはり一度は会っているのだろう。 電話の要件は仕事の依頼だった。その頃の彼は『週刊SPA!』で仕事をしていて

            さらば宅八郎 - Pithecanthropus Collectus(蒐集原人)
          • 急逝した「おたく評論家」宅八郎さんの実弟が明かす兄の知られざる素の姿、晩年の様子(ENCOUNT) - Yahoo!ニュース

            「おたく評論家」宅八郎さん(本名:矢野守啓さん)が8月11日に亡くなっていたことが、12月4日に明らかになり驚いたファンも多かった。ENCOUNT編集部では実弟の雄康(たけやす)さんに緊急取材。お兄さんの思い出や知られざる素顔を語ってもらった。 【画像】浜松の実家や弟・雄康さんと釣りをした時の素顔の宅八郎さん 兄が亡くなってから4か月近くたってみなさんにお知らせしたのは、家族としては兄が最後にテレビなどに出ていた頃からもう10年以上たつし、お騒がせもいろいろしたので、亡くなったことをお知らせしたら、また兄のことを悪く書かれるんじゃないか、とか、そもそもお知らせするほどのことなのか、分からなかったからです。 でも、兄が10年ほど前から一緒に暮らしてきた内縁の妻の嘆きが大きく、せめて兄の付き合いが深かった方にお知らせすることにしました。世間にどう思われても、妻にとっては兄は大事な人ですから。一

              急逝した「おたく評論家」宅八郎さんの実弟が明かす兄の知られざる素の姿、晩年の様子(ENCOUNT) - Yahoo!ニュース
            • 宅八郎さんの死去・トランプの敗北・ポストモダニズムの終焉 - 香山リカ|論座アーカイブ

              宅八郎さんの死去・トランプの敗北・ポストモダニズムの終焉 「真実は存在せず、すべてが許される」時代をどう生きる 香山リカ 精神科医、立教大学現代心理学部教授 宅八郎さんが亡くなった、というニュースがネットを駆け巡った。享年・57歳。 「まだ若いのに」と言われる年齢だが、私は「そうか、彼ももうそんな年齢になっていたのか」と思った。 実は、私は彼を「宅八郎さん」とか、彼と直接の知り合いだった人がそう言っていたように「宅ちゃん」とかではなく、本名の「矢野くん」と呼ぶことが多かった。彼も私の本名で呼んでいた記憶がある。私たちはそれぞれがペンネームというか芸名というか、そういうものを持つ前からの知り合いだったのだ。 自分の昔ばなしで申し訳ないが、私は国立大学受験に失敗し、滑り込んだ私立医大になかなかなじむことができず、松岡正剛氏が率いていた出版社・工作舎やそこから分派した人たちの編集プロダクションな

                宅八郎さんの死去・トランプの敗北・ポストモダニズムの終焉 - 香山リカ|論座アーカイブ
              • 香山リカ on Twitter: "彼が「宅八郎」になる前からの知り合いでした。だんだん強烈なキャラから素の繊細な青年に戻る時間が減っていき、距離ができたままになってました。才人であったことは確かです。ご冥福をお祈りします。サブカル全盛の良い時代でしたね、あの頃…。 https://t.co/d3bLgVRwIq"

                彼が「宅八郎」になる前からの知り合いでした。だんだん強烈なキャラから素の繊細な青年に戻る時間が減っていき、距離ができたままになってました。才人であったことは確かです。ご冥福をお祈りします。サブカル全盛の良い時代でしたね、あの頃…。 https://t.co/d3bLgVRwIq

                  香山リカ on Twitter: "彼が「宅八郎」になる前からの知り合いでした。だんだん強烈なキャラから素の繊細な青年に戻る時間が減っていき、距離ができたままになってました。才人であったことは確かです。ご冥福をお祈りします。サブカル全盛の良い時代でしたね、あの頃…。 https://t.co/d3bLgVRwIq"
                • 急逝した「おたく評論家」宅八郎さんの実弟が明かす兄の知られざる素の姿、晩年の様子

                  「おたく評論家」宅八郎さん(本名:矢野守啓さん)が8月11日に亡くなっていたことが、12月4日に明らかになり驚いたファンも多かった。ENCOUNT編集部では実弟の雄康(たけやす)さんに緊急取材。お兄さんの思い出や知られざる素顔を語ってもらった。 「おたく評論家」宅八郎さん(本名:矢野守啓さん)が8月11日に亡くなっていたことが、12月4日に明らかになり驚いたファンも多かった。ENCOUNT編集部では実弟の雄康(たけやす)さんに緊急取材。お兄さんの思い出や知られざる素顔を語ってもらった。 兄が亡くなってから4か月近くたってみなさんにお知らせしたのは、家族としては兄が最後にテレビなどに出ていた頃からもう10年以上たつし、お騒がせもいろいろしたので、亡くなったことをお知らせしたら、また兄のことを悪く書かれるんじゃないか、とか、そもそもお知らせするほどのことなのか、分からなかったからです。 でも、

                    急逝した「おたく評論家」宅八郎さんの実弟が明かす兄の知られざる素の姿、晩年の様子
                  • MIB@Skeb受付中 on Twitter: "オタクに「なんでアメリカの黒人は他国の人間が顔を黒塗りにしてどうこう、ってだけの芸をブラックフェイスだなんだと噛みつくんだ」って説明、ある程度年が上の人なら「宅八郎のオタク芸を今放映されたら本気で不快感表明するだろ」でだいたい通じるのアレだなっていう。"

                    オタクに「なんでアメリカの黒人は他国の人間が顔を黒塗りにしてどうこう、ってだけの芸をブラックフェイスだなんだと噛みつくんだ」って説明、ある程度年が上の人なら「宅八郎のオタク芸を今放映されたら本気で不快感表明するだろ」でだいたい通じるのアレだなっていう。

                      MIB@Skeb受付中 on Twitter: "オタクに「なんでアメリカの黒人は他国の人間が顔を黒塗りにしてどうこう、ってだけの芸をブラックフェイスだなんだと噛みつくんだ」って説明、ある程度年が上の人なら「宅八郎のオタク芸を今放映されたら本気で不快感表明するだろ」でだいたい通じるのアレだなっていう。"
                    • 宅八郎さん、おたく像刷新の執念とズレ 旧知の作家語る:朝日新聞デジタル

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                        宅八郎さん、おたく像刷新の執念とズレ 旧知の作家語る:朝日新聞デジタル
                      • 宅八郎が死んでも恨みは忘れず。 - FANTA-G:楽天ブログ

                        2020.12.04 宅八郎が死んでも恨みは忘れず。 (2) カテゴリ:カテゴリ未分類 人の死を喜ぶ、ということについて。 私は、「亡くなった人を悪く言うもんじゃない」「死体に鞭打つのはみっともない」という感覚が嫌いです。それは「生前にその人間にされた悪行の被害を死という区切りで許せ」という圧力を感じるからです。 オタク評論家の宅八郎 がなくなったということで。個人的には「私のようなオタクに世間的イメージを作り上げた芸人」として、それを面白おかしく取り上げたとんねるずとならんで最悪の芸人だと思い、いまだに許してません。 忘れもしません。とんねるずの「生でダラダラいかせて」という番組内でオタクキャラを笑いにした。が、その笑いというのは「オタクでない側の笑い」であり、いわゆる学校でのスクールカーストの底辺の人間としてオタクをいじって笑うことを「面白いこと」としてあつかった番組でもあり。 当時は

                          宅八郎が死んでも恨みは忘れず。 - FANTA-G:楽天ブログ
                        • 評論家の宅八郎氏死去 57歳、「イカす!おたく天国」 | 共同通信

                          宅 八郎氏(たく・はちろう=評論家、本名矢野守啓=やの・もりひろ)8月11日、小脳出血のため東京都府中市の病院で死去、57歳。浜松市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。 著書に「イカす!おたく天国」「処刑宣告」があり、雑誌のコラムなどで活躍したほか、「おたく評論家」の肩書でテレビ番組にも出演した。

                            評論家の宅八郎氏死去 57歳、「イカす!おたく天国」 | 共同通信
                          • 宅八郎氏はyoutube以前に「メディアを逆取材/逆撮影」という奇手を考案した不思議な人だった。 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                            編集者の熊谷朋哉氏のほか 今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせる選曲とトラックメイキングを見せる一面もありました。— 熊谷朋哉 (@tomoyakumagai) 2020年12月3日 こちら、作曲家の片岡宏介氏が「実弟から聞いた」と情報の伝わった経路を明示して語っている。先ほど宅八郎さんの弟さんから電話があり、宅さんが8月に脳出血で亡くなられたとのこと。 一時期は一緒にバンドもやり、アイドルのリミックスも一緒にやってCD出したり、ホントに毎日のように連絡とって仲良くしてました。ここ10年くらいは疎遠になっていましたが、突然の連絡で本当に驚いています。。— 片岡宏介 / IL GATTO (@Kosu

                              宅八郎氏はyoutube以前に「メディアを逆取材/逆撮影」という奇手を考案した不思議な人だった。 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                            • 宅八郎さん死去 57歳 「おたく評論家」の肩書でテレビ番組出演 - 毎日新聞

                              評論家の宅八郎(たく・はちろう、本名・矢野守啓=やの・もりひろ)さんが8月11日、小脳出血のため死去した。57歳だった。葬儀は近親者で営んだ。 浜松市出身。著書に「イカす!おたく天国」「処刑宣告」があり、雑誌のコラムなどで活躍したほか、… この記事は有料記事です。 残り28文字(全文147文字)

                                宅八郎さん死去 57歳 「おたく評論家」の肩書でテレビ番組出演 - 毎日新聞
                              • おたく評論家の宅八郎さん死去 著書「イカす!おたく天国」

                                評論家の宅八郎(たく・はちろう、本名・矢野守啓=やの・もりひろ)さんが8月11日、小脳出血のため東京都内の病院で死去していたことが4日、分かった。57歳。浜松市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。

                                  おたく評論家の宅八郎さん死去 著書「イカす!おたく天国」
                                • 追悼・宅八郎氏というトラウマ 「僕は宅さんとモメて十二指腸潰瘍になりました」 | TABLO

                                  出版界において、「筋を守る」「矜持」ということはどういうことなのでしょう。例えば、「反論権を守る」「公人でない人を記事に載せない」「弱者を叩かない」などなどがあるでしょう。 もう一つ、著作で書いたようしたように「言論の自由とは何を書いてもいい。その代わり何を反論されてもいい」ということだと思っています。要するにこれは「反論権を担保する」という事なのですけれど。意外とこれを忘れている編集者、雑誌が多いのに気づきます。 で、僕はほぼ、それを頑なに守っているつもりでしたが、そのせいで十二指腸潰瘍になってしまったことがあります。ヤクザから「殺したるからなぁ」(http://tablo.jp/archives/4142)とか「東京一危険な男」から「刺すぞてめぇ」と言われたのに大丈夫だったのに(http://tablo.jp/archives/4147)。 「十二指腸潰瘍」になった相手は有名ライター・

                                    追悼・宅八郎氏というトラウマ 「僕は宅さんとモメて十二指腸潰瘍になりました」 | TABLO
                                  • 浜松南高校 16期生 同窓会ブログ:宅八郎

                                    同窓会懇親会「波濤に集う」の記念会誌が完成いたしました 当日来られる方、楽しみにしていてくださいね この記念会誌には同級生の矢野守啓さん(宅八郎さん)が取材協力してくださいました 誌面にはスペースの都合上一部しか掲載出来なかったため、全文ママ、ブログにて紹介させて頂きます。 矢野君の南高時代の奮闘ぶりから近況までがよくわかるようです♪ ありがとう矢野君 益々のご活躍を16期生みんなで応援しています。 アンケートより 1.高校時代のエピソード ボクはこの20年ほど「オタク評論家」という肩書きのもとに「宅八郎」というペンネームで仕事をしています。まさに「オタク第一世代」と言えるのがボクたちの世代です。例を少し挙げてみます。 オタクというキーワードがクローズアップされたのは1989年のことですが、それは最もマイナスの形で社会に認知されました。連続幼女誘拐殺害事件の犯人・宮崎勤(死刑執行)が、19

                                    • おたく評論家・宅八郎さん、今年8月に死去していた 57歳 脳出血のため 5月に自宅で倒れる(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

                                      おたく評論家やコラムニストとして幅広く活動した宅八郎さん(本名・矢野守啓)が8月11日に都内の病院で脳出血のため死去していたことが4日、分かった。57歳だった。親族が明らかにした。 【写真】近年の宅八郎さん 親族によると、5月に都内の自宅で倒れ、病院に搬送された。小脳からの出血で、当初は意識はあったという。その後、別の病院に転院したが、意識不明の状態が続き、8月11日深夜に亡くなった。音楽に詳しい宅さんは最近では、2017年に亡くなった作曲家・中西俊夫さんの作品について論評したり、追悼イベントに参加していた。インターネットが急速に広がる中、「情報がタダで手に入る時代になり、昔と違って、活字の本が売れなくなった」などと嘆いていたという。 宅さんは静岡県浜松市生まれ。法政大在学時は漫画研究会に所属した。1986年、CM制作会社に入社後は白元の「ダニ殺し」のCMを手がけた。その後、退社し、フリー

                                        おたく評論家・宅八郎さん、今年8月に死去していた 57歳 脳出血のため 5月に自宅で倒れる(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
                                      • 宅八郎さん 8月に死去していた、57歳 オタク文化世に広めた評論家(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

                                        1990年代に「オタク」の象徴的存在として一世を風靡(ふうび)した「おたく評論家」の宅八郎(たく・はちろう=本名矢野守啓=やの・もりひろ)さんが8月11日午後10時ごろ、小脳出血のため東京都府中市の病院で死去した。57歳。浜松市出身。葬儀は近親者で行った。鮮烈なキャラクターで、漫画やアニメ、アイドルを中心とするサブカルチャー愛好家を「オタク」として浸透させた。 【写真】特注品の森高千里の人形を手に持つ宅八郎さん 宅さんは今年5月、小脳から出血して都内の自宅で倒れ、病院に搬送された。当初は意識があり会話もできたが、6月末に再出血。その後意識が戻らないまま8月11日に息を引き取った。 実弟の矢野雄康さん(52)によると、持病は特になく、近年は執筆活動や楽曲制作、DJなどの音楽活動をしていた。熱烈なファンだったテクノポップバンド「プラスチックス」のボーカルで、17年に亡くなった中西俊夫さん(享年

                                          宅八郎さん 8月に死去していた、57歳 オタク文化世に広めた評論家(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
                                        • 宅八郎は保毛尾田保毛男だったって事?

                                          自分は世代じゃないので宅八郎の事は名前位しか聞いた事が無かったんだけど、今回色々書かれている中で何となくイメージが分かってきた つまり保毛尾田保毛男みたいな存在だったって事? 被差別階層の人間をカリカチュアライズして演じる事で「笑える対象」「いじっていい物」にしてしまった、と、成程、完全に保毛尾田保毛男だな、と思うのだけど、この解釈で合ってるのかな?(まぁ、保毛尾田保毛男も世代じゃないので、ただの伝聞とイメージなんだけど・・・・・) しかし、だとしたら肯定的に評価している人が居るのは今の時代だと不思議だな、まぁ現代でも保毛尾田保毛男も擁護してる人は居るし、そういう類の人なのかな?

                                            宅八郎は保毛尾田保毛男だったって事?
                                          • 宅八郎のいいエピソードが何一つない…。

                                            おてんば丼 @lafoliee 宅八郎さんは優れた批評家ではなかったし『オタク』世代の代表の様に扱ったひとたちにもひたすら『齟齬』を感じたし、当時からいまにかけて何一つ正確なものはない 2020-12-03 21:14:32 「山本ニュー」 ,Must @MeshiMazuMonika 宅八郎といえば、オレがちょっとだけ知り合いだったライターの人(無面識)にいきなり絡んできて脅迫しながらずっと粘着してた人。というイメージしかないんだわオレの中では。 2020-12-03 21:18:07

                                              宅八郎のいいエピソードが何一つない…。
                                            • 「おたく評論家」宅八郎さん急逝 享年57 晩年はダンディーに変身していた

                                              「おたく評論家」として活躍した宅八郎さんが8月11日に亡くなった。宅さんと生前、交流のあった芸能記者の野島茂朗さんがENCOUNT編集部に追悼文を寄せた。 「おたく評論家」として活躍した宅八郎さんが8月11日に亡くなった。宅さんと生前、交流のあった芸能記者の野島茂朗さんがENCOUNT編集部に追悼文を寄せた。 軽トラからセンチュリー、バイクにバギー…大御所タレントの仰天愛車遍歴(JAF Mate Onlineへ) 90年代に「おたく評論家」として一世を風びした宅八郎さんが、8月に脳出血で逝去したとの情報が12月3日に宅さんの関係者のSNS上に発信された。 「先ほど宅八郎さんの弟さんから電話があり、宅さんが8月に脳出血で亡くなられたとのこと。一時期は一緒にバンドもやり、アイドルのリミックスも一緒にやってCD出したり、ホントに毎日のように連絡とって仲良くしてました。ここ10年くらいは疎遠になっ

                                                「おたく評論家」宅八郎さん急逝 享年57 晩年はダンディーに変身していた
                                              • 宅八郎さん死去 作曲家片岡宏介氏や香山リカ氏悼む - おくやみ : 日刊スポーツ

                                                「おたく評論家」として知られた宅八郎さんが8月、小脳出血で死去していたことが分かった。訃報に、ネット上では多くの関係者らから驚きと悲しみの声があがっている。 宅さんと交流のあった作曲家の片岡宏介氏が3日、ツイッターで「先ほど宅八郎さんの弟さんから電話があり、宅さんが8月に脳出血で亡くなられたとのこと」と伝え、「一時期は一緒にバンドもやり、アイドルのリミックスも一緒にやってCD出したり、ホントに毎日のように連絡とって仲良くしてました。ここ10年くらいは疎遠になっていましたが、突然の連絡で本当に驚いています。。」とした。 片岡氏のツイートを受け、ツイッター上では著名人らからも驚きと悲しむ声が相次いでいる。精神科医の香山リカ氏や、劇作家のケラリーノ・サンドロヴィッチ氏らが追悼した。 宅さんは1990年代に「おたく評論家」として多くのテレビ番組に出演。2007年には東京都渋谷区長選に出馬し落選した

                                                  宅八郎さん死去 作曲家片岡宏介氏や香山リカ氏悼む - おくやみ : 日刊スポーツ
                                                • オタクの元祖?オタクを搾取した人?宅八郎さんはどういう存在だったのか

                                                  まとめ 宅八郎氏死去 「逮捕されても、彼には、自他の利害を超えて、自らの「書き手」としての立場をきちんと守り抜こうとする気概がありました。その意味で、もはや数少ない昭和の書き手のひとりが息を引き取ってしまった」 8899 pv 18 1 user 238 リンク nikkansports.com 宅八郎さん死去「おたく評論家」小脳出血、57歳 - おくやみ : 日刊スポーツ 「おたく評論家」としてテレビ番組などに出演した宅八郎(たく・はちろう)さん(本名矢野守啓=やの・もりひろ)が8月11日、小脳出血のため東京都府中市の病院で死去… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com) 1 user 252

                                                    オタクの元祖?オタクを搾取した人?宅八郎さんはどういう存在だったのか
                                                  • 宅八郎さん死去 森高フィギュア&紙袋…オタク開拓 - おくやみ : 日刊スポーツ

                                                    「おたく評論家」としてテレビ番組などに出演したコラムニスト宅八郎(たく・はちろう)さん(本名矢野守啓=やの・もりひろ)が8月11日に、小脳出血のため東京・府中市の病院で死去していたことが4日、分かった。57歳。葬儀・告別式は近親者で行った。 90年代にオタク文化の盛り上がりとともにブレーク。長髪のめがね姿で、森高千里のフィギュアや紙袋を持つ姿で異彩を放った。日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」や「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」などに出演するなど活躍。「イカす!おたく天国」「処刑宣告」などの著書も出版した。 また07年には東京・渋谷区長選に出馬。第一声では、トレードマークだったマジックハンドを手に「『渋谷系』といわれた時代は何だったのでしょうか。あのころのきらめきを今、取り戻そうではありませんか。渋谷を『萌える街』にしたい」と訴えた。落選したが「こういう機会が与えられる

                                                      宅八郎さん死去 森高フィギュア&紙袋…オタク開拓 - おくやみ : 日刊スポーツ
                                                    • おたく評論家・宅八郎さん「今年8月に脳出血で逝去」

                                                      90年代以降、おたく評論家として活躍していた宅八郎さんについて、12月3日夜、身近な人たちから続々とSNS上で訃報が伝えられている。 今年8月、脳出血により帰らぬ人に 情報を総合すると宅さんが亡くなったのは今年8月。脳出血により帰らぬ人となったという。宅さんの誕生日は1962年(昭和37年)8月19日のため、57歳もしくは58歳での死去と見られている。 「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」企画で絶叫マシンに乗る宅八郎さん マジックハンドと森高千里のフィギュア マジックハンドを片手にリカちゃん人形、森高千里のフィギュアを持った独特なスタイルで「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!」(いずれも日本テレビ系)など多数のバラエティ番組に出演していた宅さん。 漫画家・小林よしのりと対立 「週刊SPA!」に連載していた「週刊宅八郎」で当時オウム真理教の幹部だっ

                                                        おたく評論家・宅八郎さん「今年8月に脳出血で逝去」
                                                      • 『宅八郎に救われた夜 追悼:宅八郎|Takuma Kaga|note』へのコメント

                                                        ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有

                                                          『宅八郎に救われた夜 追悼:宅八郎|Takuma Kaga|note』へのコメント
                                                        • 「おたく評論家」の宅八郎さん、8月に死去 小脳出血で:朝日新聞デジタル

                                                          ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                            「おたく評論家」の宅八郎さん、8月に死去 小脳出血で:朝日新聞デジタル
                                                          • 片岡宏介 / IL GATTO on Twitter: "先ほど宅八郎さんの弟さんから電話があり、宅さんが8月に脳出血で亡くなられたとのこと。 一時期は一緒にバンドもやり、アイドルのリミックスも一緒にやってCD出したり、ホントに毎日のように連絡とって仲良くしてました。ここ10年くらいは疎… https://t.co/z5W3ZjTvXv"

                                                            先ほど宅八郎さんの弟さんから電話があり、宅さんが8月に脳出血で亡くなられたとのこと。 一時期は一緒にバンドもやり、アイドルのリミックスも一緒にやってCD出したり、ホントに毎日のように連絡とって仲良くしてました。ここ10年くらいは疎… https://t.co/z5W3ZjTvXv

                                                              片岡宏介 / IL GATTO on Twitter: "先ほど宅八郎さんの弟さんから電話があり、宅さんが8月に脳出血で亡くなられたとのこと。 一時期は一緒にバンドもやり、アイドルのリミックスも一緒にやってCD出したり、ホントに毎日のように連絡とって仲良くしてました。ここ10年くらいは疎… https://t.co/z5W3ZjTvXv"
                                                            • 追悼・宅八郎さん、筆者に見せていた「意外すぎる素顔」(片岡 亮) @gendai_biz

                                                              ずっとライターを続けていた 「イカす!おたく天国」などの著書で知られる「オタク評論家」として知られた宅八郎さん(本名・矢野守啓)が、8月11日、小脳出血のため東京都内の病院で死去していたことが伝えられた。57歳だった。 最近は別名でDJの活動をしていたが、あまり表には出ず、ペンネームでのライター活動を密かに行なっていた。 筆者は約1年半前、宅さんから、編集者を通じて、ある人に「謝ってほしいことがある」と仲介の依頼を受けたことがあった。 「オオツキ先生をご存じですよね。かなり昔の話ですけど、彼のことをペンネームでジャイアンと書いてしまったことがあって、いまも先生が怒っていたらと気になっておりまして」 オオツキさんとは民俗学者の大月隆寛氏のことである。こうしたことも気にするのが宅さんだった。当時、大月氏にそのことをメールしておいたが、話題は宅さんが「連載黄金期」と呼ばれる頃の話になった。 宅さ

                                                                追悼・宅八郎さん、筆者に見せていた「意外すぎる素顔」(片岡 亮) @gendai_biz
                                                              • 死去・宅八郎さんの素顔「森高千里は営業上のファン。実際は…」 | 東スポWEB

                                                                1990年代のオタクブーム時にすい星のごとく現れ、おたく評論家やコラムニストとして活動した宅八郎さん(本名・矢野守啓)が8月11日に東京都府中市の病院で小脳出血のため死去していたことが4日、分かった。57歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。 著書に「イカす!おたく天国」「処刑宣告」があり、雑誌のコラムなどで活躍したほか、「おたく評論家」の肩書でテレビ番組にも多く出演し、一世を風靡したが、業界内でのトラブルも少なくなく、メディア露出は激減した。 「夢中になると周りが見えなくなるタイプだったかもしれないですね。歩きながら本を読んだり、超人的な集中力の天才でした」 こう宅氏をしのぶのは、1992年から翌年にかけて毎日のように会っていた本橋信宏氏だ。本橋氏の原稿を読んだ宅氏が編集部に手紙を送ったことで交遊が始まったという。交際していた女性とトラブルが発生し、ワイドショー、週刊誌に追いかけられた

                                                                  死去・宅八郎さんの素顔「森高千里は営業上のファン。実際は…」 | 東スポWEB
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