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  • “戦後日本人第一号”~真珠湾攻撃の捕虜・酒巻和男の生涯 | NHK | WEB特集

    真珠湾攻撃から80年。 『特殊潜航艇』と呼ばれる小型の潜水艦で出撃し、ただ1人生き残って“太平洋戦争の捕虜第一号”となった日本海軍の軍人がいました。 過酷な環境の中を果敢に生き抜き、帰国後は日本の戦後復興を支えた男性の軌跡は今の私たちに何を示しているのでしょうか。 (名古屋放送局・徳島放送局・ネットワーク報道部)

      “戦後日本人第一号”~真珠湾攻撃の捕虜・酒巻和男の生涯 | NHK | WEB特集
    • 終戦記念日によせて | KATSUYOレシピ カツ代の家庭料理

      終戦記念日によせて 小林カツ代 「キッチンの窓から見えるもの」 2004年8月28日須坂市メセナホールにて 第6回信州岩波講座での講演要旨 2004年8月31日 信濃毎日新聞に掲載 《キッチンから戦争反対》 私が戦争を体験したのは、まだ小さい頃のことだった。ある日、空襲警報が鳴り、母に手を引かれて逃げ回った。焼夷弾で焼けた死体をたくさん見たけれど、幼かったのでそれほど深く何かを感じることもなく大人になった。 父は生粋の大阪の商人で、よく笑い話をする面白い人だった。けれども、毎晩、睡眠薬を飲んでいた。そして、お酒を飲むと、戦争中に中国で体験したことを話した。 「お父ちゃんは気が弱くて一人も殺せなかった」。上官の命令に背いて、どれだけ殴られたか、日本軍がどんなに残酷なことをしたか…。父は泣きながら話していた。 まるで「遊び」のように現地の人を殺す日本兵もいたそうだ。ギョーザや肉饅頭の作り方を教

        終戦記念日によせて | KATSUYOレシピ カツ代の家庭料理
      • ユダヤ人虐殺、早期に把握か ローマ教皇「黙認」で新資料:時事ドットコム

        ユダヤ人虐殺、早期に把握か ローマ教皇「黙認」で新資料 2023年09月18日13時30分配信 1939年から58年まで在位したローマ教皇ピウス12世=撮影日時不明、バチカン市(ANSA通信配信)(AFP時事) 【ベルリン時事】第2次大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺「ホロコースト」について、当時のローマ教皇ピウス12世が、1942年時点で把握していた可能性を示す新たな資料が見つかった。ロイター通信が17日、イタリア紙コリエレ・デラ・セラを引用して伝えた。 〔写真特集〕アウシュビッツの記憶 教皇庁はこれまで検証可能な情報がないとの見解を示してきた。ピウス12世はナチス批判に抑制的だったことで知られ、ユダヤ人迫害を黙認したと非難されてきた。 新資料は反ナチス運動に加わっていたドイツの神父が、ピウス12世の秘書を務める旧知の神父に宛てた42年12月14日付の手紙。この中で、ポーランド西

          ユダヤ人虐殺、早期に把握か ローマ教皇「黙認」で新資料:時事ドットコム
        • なぜメトロポリタン美術館に第二次大戦中の「日本のプロパガンダ写真」が大きく掲げられたのか | 米紙が辛口批評「性別を理由に無闇に称賛していないか」

          抑圧された生きづらい社会を生き抜いて活躍した女性たちの姿を見ると、勇気づけられるものだ。だが女性という「性別」だけにとらわれ、残した功績の裏側にある歴史を見落とすことは本末転倒なのではないか──男性優位の写真の分野で活躍した日本人女性、笹本恒子の作品が展示されたことを受け、歴史家が米紙「ワシントン・ポスト」に寄稿している。 2021年7月2日~10月3日にかけて、「カメラの背面に立つ新しい女性(The New Woman Behind the Camera)」と銘打った特別展がニューヨークのメトロポリタン美術館(MET)で開催された(現在はワシントンのナショナル・ギャラリーに巡回中。会期は2022年1月30日まで)。これは、20世紀前半に活躍した重要な女性写真家の作品を紹介した写真展になる。 ニューオーリンズの黒人コミュニティで写真スタジオを開いて成功した女性写真家たちをはじめ、世界各地で

            なぜメトロポリタン美術館に第二次大戦中の「日本のプロパガンダ写真」が大きく掲げられたのか | 米紙が辛口批評「性別を理由に無闇に称賛していないか」
          • 真珠湾攻撃から80年・・・103歳元搭乗員語る|ドウスル?

            吉岡政光さん103歳。 魚雷を落とす雷撃機の搭乗員として 真珠湾攻撃に参加。 当時23歳でした。 ○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳) 「私が魚雷を落とした時間がですね 日本時間の午前3時33分 真っ白い水柱がこう浮かび上がってくる 『ああ当たったぞ!』と」 魚雷を落としたい、 あてたいということしか考えてなかった」 80年前、 旧日本軍がアメリカ・ハワイを 奇襲した「真珠湾攻撃」。 その後に続く太平洋戦争の始まりとなりました。 この時、吉岡さんが乗っていたのが 97式艦上攻撃機。 今回、その攻撃機の初期型のレプリカが 制作されている場所を訪ねました。 ○櫻井 「吉岡さん覚えてますか?」 ○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳) 「はい」 重さ800キロを超える 魚雷を抱え飛行した攻撃機。 ○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳) 「ちょっと降ろさせていただいていいですか」 吉岡

              真珠湾攻撃から80年・・・103歳元搭乗員語る|ドウスル?
            • ◎「朝鮮人は給料をもらっていたんだから強制労働ではない」という主張は大間違い 「徴用工」問題を考えるために

              戦時労務動員における朝鮮人の「強制労働」について、インターネット上では、以下のような書き込みをたくさん見かけます。 「一般的に『強制労働』とはシベリア抑留のような『奴隷的強制労働』を指します。給与がもらえる時点で当てはまりません」 「給与帳簿が残っているから強制労働でなかったことは明らかです」… どうも彼らは、「強制労働」とは給与が支払われない労働のことを指すと考えているようです。しかしこれは全くの間違いです。 なぜなら、賃金が支払われていても、そこに強制があれば「強制労働」だからです。 ILO「賃金や報酬が提供されているかどうかは関係ない」 労働者を保護するため、国際的な労働基準を設定するなどの活動を行う国連の専門機関であるILO(国際労働機関)のサイトでは、強制労働について、以下のように定義しています。 強制労働とは、ある者が処罰の脅威の下に強要され、かつ、右の者が自ら任意に申し出たも

                ◎「朝鮮人は給料をもらっていたんだから強制労働ではない」という主張は大間違い 「徴用工」問題を考えるために
              • 旧日本海軍“最後の大仕事”=人類史上稀な民族大移動だった「復員事業」 かき集めた日本の艦艇227隻の“使い分け”とは | 乗りものニュース

                太平洋戦争の終結後、遠く太平洋島嶼部、中国大陸などに取り残された日本軍将兵の復員と民間人の帰国事業が始まりました。その対象者の数はおよそ660万人。史上稀に見る民族大移動のために、戦争で疲弊していた日本はともかく使えそうな船を集めます。 最優先だった復員輸送 船が全然ない! 1945(昭和20)年8月の終戦後、日本政府が最優先で取り組まなければならなかったのは軍隊の武装解除と復員でした。これは、日本の無条件降伏に際して戦勝国が発したポツダム宣言にあった「日本の武装解除」と「兵員を家庭に帰す」という条文によって日本に課にされたものでした。 1946年1月、5000人の復員兵を乗せてラバウルで給油中の「葛城」(画像:オーストラリア戦争記念館)。 このうちの後者、つまり太平洋の広範囲にわたる島嶼部とアジア大陸の各地に取り残されたおよそ660万人もの軍人と軍属、民間人を日本に帰還させるというのは、

                  旧日本海軍“最後の大仕事”=人類史上稀な民族大移動だった「復員事業」 かき集めた日本の艦艇227隻の“使い分け”とは | 乗りものニュース
                • 板垣勝彦 on Twitter: "さきの大戦の最後のほうの沖縄戦や本土空襲、原爆投下などを事後的な視点のみで振り返ると、なぜこんなになる前にさっさと降伏しなかったんだと思ってしまうけれど、通常の戦争では降伏イコール徹底的な収奪、殺戮、破壊を意味するからそれは受け容れられなかったということ。"

                  さきの大戦の最後のほうの沖縄戦や本土空襲、原爆投下などを事後的な視点のみで振り返ると、なぜこんなになる前にさっさと降伏しなかったんだと思ってしまうけれど、通常の戦争では降伏イコール徹底的な収奪、殺戮、破壊を意味するからそれは受け容れられなかったということ。

                    板垣勝彦 on Twitter: "さきの大戦の最後のほうの沖縄戦や本土空襲、原爆投下などを事後的な視点のみで振り返ると、なぜこんなになる前にさっさと降伏しなかったんだと思ってしまうけれど、通常の戦争では降伏イコール徹底的な収奪、殺戮、破壊を意味するからそれは受け容れられなかったということ。"
                  • 田母神俊雄 on Twitter: "ゼ大統領が真珠湾攻撃を引き合いに出したそうだが彼が生まれる前の遠い国の事件を知っていたとは思えない。真珠湾攻撃を露の侵攻と同列に見るのも気に入らないがどこかの国か誰かの入れ知恵なのかも。分断が仕掛けられている可能性もある。ゼ大統領よ、日本からの支援はいらないのか。"

                    ゼ大統領が真珠湾攻撃を引き合いに出したそうだが彼が生まれる前の遠い国の事件を知っていたとは思えない。真珠湾攻撃を露の侵攻と同列に見るのも気に入らないがどこかの国か誰かの入れ知恵なのかも。分断が仕掛けられている可能性もある。ゼ大統領よ、日本からの支援はいらないのか。

                      田母神俊雄 on Twitter: "ゼ大統領が真珠湾攻撃を引き合いに出したそうだが彼が生まれる前の遠い国の事件を知っていたとは思えない。真珠湾攻撃を露の侵攻と同列に見るのも気に入らないがどこかの国か誰かの入れ知恵なのかも。分断が仕掛けられている可能性もある。ゼ大統領よ、日本からの支援はいらないのか。"
                    • 一水会 on Twitter: "ウクライナ政府の公式ツイッター動画に「ウクライナはレイシズムと戦ってる」と称して、ヒトラー、ムッソリーニと一緒に何と昭和天皇の顔まで出している。レイシスト認定とその様な歴史観だ。散々日本に支援を要請しておきながらこれだ。結局は、日… https://t.co/WckkNodseR"

                      ウクライナ政府の公式ツイッター動画に「ウクライナはレイシズムと戦ってる」と称して、ヒトラー、ムッソリーニと一緒に何と昭和天皇の顔まで出している。レイシスト認定とその様な歴史観だ。散々日本に支援を要請しておきながらこれだ。結局は、日… https://t.co/WckkNodseR

                        一水会 on Twitter: "ウクライナ政府の公式ツイッター動画に「ウクライナはレイシズムと戦ってる」と称して、ヒトラー、ムッソリーニと一緒に何と昭和天皇の顔まで出している。レイシスト認定とその様な歴史観だ。散々日本に支援を要請しておきながらこれだ。結局は、日… https://t.co/WckkNodseR"
                      • 戦争でPTSDに…日本兵の苦しみ 「ふぬけ」と軽蔑した家族の後悔(西日本新聞) - Yahoo!ニュース

                        戦争体験のトラウマ(心的外傷)の悲惨さはベトナム戦争から帰還した米兵の事例で注目されたが、日中戦争や太平洋戦争に従軍した日本兵もまた、同様に苦しめられていた。精神障害の発症者は戦時中、千葉県の国府台陸軍病院を中心に収容され、戦後も偏見からほとんど顧みられることはなかった。戦後75年がたち、トラウマを抱えた元軍人らの家族が体験を語り合う活動も出ており、忘れられた戦争被害に光が当たりつつある。 【写真】自宅敷地内の交流館で「駄目人間とレッテルを貼り、俺は父の姿を見誤ったのではないか」と話す黒井秋夫さん ≪隣デ私ヲ殺ソウト相談シテイル声ガ聞コエマス。衛生兵ニ殺サレルヨリムシロ自決シマス≫ 九十九里浜に近い同県東金市の浅井病院に、精神障害を発症した日本兵約8千人分の「病床日誌」が残る。戦闘の恐怖や部下を死なせた自責の念から追い詰められ、心が壊れていく様子が記されている。 初代院長の故浅井利勇氏は戦

                          戦争でPTSDに…日本兵の苦しみ 「ふぬけ」と軽蔑した家族の後悔(西日本新聞) - Yahoo!ニュース
                        • 日中戦争の戦地で何が起きていたのか 従軍日記に「加害の日常」淡々と|社会|地域のニュース|京都新聞

                          1939年、日中戦争の従軍中に撮影された小林太郎氏の写真(8月8日、京都市北区・立命館大国際平和ミュージアム) 日中戦争に約2年間従軍した男性の日記が、遺族から立命館大国際平和ミュージアム(京都市北区)に寄贈された。中国軍の敗残兵や農民を殺害した「加害の日常」を淡々とした筆致で書き残しており、ミュージアムは「普通の市民だった末端の日本兵が、罪の意識もなく残虐な行為に及んでしまう戦争の恐ろしさを伝えている」としている。 京都市伏見区に司令部があった陸軍第16師団第9連隊に歩兵一等兵や上等兵として所属した小林太郎氏=1972年に61歳で死亡。37年8月に召集されて39年8月に帰国するまで、天津の戦闘や南京占領などに加わった。出征当時は27歳で、京都市左京区に本籍があり、前年に日本大学工学部を卒業していた。 日記は縦23センチ、横19センチで厚さ6センチ。従軍中のメモを帰国後にまとめたとみられ、

                            日中戦争の戦地で何が起きていたのか 従軍日記に「加害の日常」淡々と|社会|地域のニュース|京都新聞
                          • 読者「歴史知らないことにショック」 富士山の麓に米軍基地 沖縄に移転 山梨日日新聞が連載「Fujiと沖縄」 差別投稿やヘイト取材 | 沖縄タイムス+プラス

                            シンポジウムに登壇された田岡氏、小西氏のこれまでの軍事分析は傾聴すべきものだと思いますが、この記事に書かれてある主張にはやや違和感を覚えます。田岡氏は、台湾の独立は内政問題として「どの国でも国家を分裂しようとすれば取り締まるのは当然」と主張し、台湾を独立させようと武力行使することはロシアのウクライナ侵略と同類、と発言されたそうです。 シンポジウム全体を聞いていないので、一部の発言が強調されているだけかもしれません。しかし前提として確認しなければならないのは、台湾が主張しているのは「現状維持」であって「独立」ではないということです。確かに、今日、台湾は、民主化し、自立したアイデンティティーを持つようになっており、中国と異なる存在として自らを見るようになっています。 しかし、「独立」を宣言すれば中国が反発し、軍事侵攻を仕掛けてくることは分かっているので台湾はそうせず、「現状維持」を当面の目標と

                              読者「歴史知らないことにショック」 富士山の麓に米軍基地 沖縄に移転 山梨日日新聞が連載「Fujiと沖縄」 差別投稿やヘイト取材 | 沖縄タイムス+プラス
                            • テリマカシ 。。 on Twitter: "① 『はだしのゲン』の残虐非道な日本兵 ② ちうごくのチビッ子と遊ぶ日本兵 ③ ちうごく人を治療する日本兵 ④ ちうごく人にお米を配る日本兵 大人になるまでずっと信じてたよ、『はだしのゲン』は本当だって。 ( ˘•ω• ) https://t.co/HMwH4ilxy9"

                              ① 『はだしのゲン』の残虐非道な日本兵 ② ちうごくのチビッ子と遊ぶ日本兵 ③ ちうごく人を治療する日本兵 ④ ちうごく人にお米を配る日本兵 大人になるまでずっと信じてたよ、『はだしのゲン』は本当だって。 ( ˘•ω• ) https://t.co/HMwH4ilxy9

                                テリマカシ 。。 on Twitter: "① 『はだしのゲン』の残虐非道な日本兵 ② ちうごくのチビッ子と遊ぶ日本兵 ③ ちうごく人を治療する日本兵 ④ ちうごく人にお米を配る日本兵 大人になるまでずっと信じてたよ、『はだしのゲン』は本当だって。 ( ˘•ω• ) https://t.co/HMwH4ilxy9"
                              • 「憲法には究極の理想を盛り込めばいいのだ」という発想は、むしろ『立憲主義』から遠い、という話〜5月3日に寄せて - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                                続いて信濃毎日に「憲法記念日によせて」760字。憲法と現実は「乖離していて当然」という話を書きました。「憲法は空語である。空語で何が悪い」という話です。なんとか宣言というのはすべて空語です。人権宣言も独立宣言もシュールレアリスム宣言も未来派宣言も、すべて空語です。— 内田樹 (@levinassien) May 2, 2023 ※以下、内田氏の連ツイで続いています。クリックすれば読めます。一応、この記事も後ろにつけておこうかな… 「憲法は理想を宣言するものだから現実とは乖離していて当然で、憲法の条文を変える必要はない」というのは、一つの立場としてはありですが、それは「立憲主義」とは全く違う別な何かでしょう。 (今の条文を維持するという意味では「護憲主義」の一種かも知れませんが)https://t.co/LslR7C3dDo— Shin Hori (@ShinHori1) May 2, 20

                                  「憲法には究極の理想を盛り込めばいいのだ」という発想は、むしろ『立憲主義』から遠い、という話〜5月3日に寄せて - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                                • 旧日本軍開発「風船爆弾」 基地についての調査資料見つかる | NHK

                                  太平洋戦争末期に旧日本軍が開発した「風船爆弾」の攻撃拠点となった基地について、旧厚生省が調査した資料が残されていたことが分かりました。基地の詳細な設置計画などのほか、戦後、基地があった土地の原状回復を求めて地元の住民らが国に陳情を行っていた経緯などが明らかになりました。 「風船爆弾」は、戦況が悪化する中、旧日本軍がアメリカ本土を直接攻撃しようと開発した兵器で、3か所の基地から放たれたおよそ9000個のうち300個ほどがアメリカに到達し民間人が犠牲になったとされています。 作戦に関連する資料は終戦時に処分が命じられたため、詳細な記録は残されていないとされていましたが、明治学院大学国際平和研究所の松野誠也研究員が国立公文書館に保管されていた文書を調査したところ、茨城県の大津基地について旧厚生省が調査した資料が見つかりました。 資料は、基地があった土地がどのように使用されてきたかをまとめたもので

                                    旧日本軍開発「風船爆弾」 基地についての調査資料見つかる | NHK
                                  • 助け待ち続ける“残留日本人”「棄民です」 フィリピン各地で…無国籍のまま戦後78年

                                    我々が上陸したのは電気も道路もないフィリピンの小さな島。出迎えてくれたのは「私たちは日本人なんです」という高齢の女性でした。その後もフィリピン各地で「自分は日本人」という人たちに次々遭遇。こんな秘境になぜ? 彼らは国籍を持たない残留日本人2世でした。フィリピンには戦前、多くの日本人が移り住み、麻の栽培などに携わっていました。現地のフィリピン人女性と結婚し、家族を作る人も多く、最盛期の日系人コミュニティーは3万人に上ったといいます。 しかし、日米の開戦とともに、現地で暮らしていた邦人は日本軍への戦争協力を強いられます。寺岡カルロスさんは母と弟、妹を米軍の攻撃で亡くし、長兄は日本軍にスパイ容疑をかけられ銃殺、次兄はフィリピンゲリラに殺されました。 戦後、残留日本人2世にはさらなる苦難が続きます。激しい反日感情が続くなか、身を潜めて暮らすばかりか、当時のフィリピンは父親の国籍に属すると定められて

                                      助け待ち続ける“残留日本人”「棄民です」 フィリピン各地で…無国籍のまま戦後78年
                                    • SIVA on Twitter: "50年ほど前はこれが日常風景だったんですなあ。1967年のTBSドラマ。ちなみに”傷痍軍人”が援助を乞うも人々に無視されてるシーン。 https://t.co/a9sdUZjXK9"

                                      50年ほど前はこれが日常風景だったんですなあ。1967年のTBSドラマ。ちなみに”傷痍軍人”が援助を乞うも人々に無視されてるシーン。 https://t.co/a9sdUZjXK9

                                        SIVA on Twitter: "50年ほど前はこれが日常風景だったんですなあ。1967年のTBSドラマ。ちなみに”傷痍軍人”が援助を乞うも人々に無視されてるシーン。 https://t.co/a9sdUZjXK9"
                                      • 朝ドラ『エール』は史実に基づくドラマのモラルを逸脱していないか?(中川 右介) @gendai_biz

                                        これでいいのか? 朝ドラ『エール』の、10月12日から16日の回が、「戦争を真正面から描いた」として評判がいい。 「戦場」シーンを出して、その残酷さと非情さ、理不尽さ、虚しさといったものをストレートに描き、号泣しない演技、音楽も排した抑制された演出も称賛に値するだろう。 これまでの朝ドラは主人公の大半が女性だったので、実在の人物をモデルにした一代記ものでも、「戦争」を描くとしても、間接的だった。 ヒロインの夫や恋人、あるいは息子が戦死する、本人も空襲で家が焼けるといった悲劇はあっても、戦争は背景としてあるだけだった。その戦争を背景とした物語において、ヒロインは戦争の被害者にすぎなかった。 だが『エール』では、主人公が男性であり、戦争に積極的に加担した加害者側の人物がモデルなので、戦争を避けて通れない。その物語が要請する「戦争」をしっかりと描いた。 『エール』が純粋なフィクションで、窪田正孝

                                          朝ドラ『エール』は史実に基づくドラマのモラルを逸脱していないか?(中川 右介) @gendai_biz
                                        • JALの行き先表示『出発便 硫黄島』……??民間機は基本飛ばないはず「二度見した」「激レア」を目撃した人たち

                                          リンク Wikipedia 硫黄島の戦い 硫黄島の戦い(いおうとうのたたかい、いおうじまのたたかい、Battle of Iwo Jima, 1945年2月19日 - 1945年3月26日)は、第二次世界大戦末期に東京都硫黄島村に属する小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間で行われた戦いである。アメリカ軍側の作戦名はデタッチメント作戦(Operation Detachment)。 1944年8月時点での連合軍の戦略では、日本本土侵攻の準備段階として台湾に進攻する計画であった。台湾を拠点とした後に、中国大陸あるいは沖縄のいずれかへ進撃する 41 users 729 NHKアーカイブス @nhk_archives 【#硫黄島 守備隊壊滅から79年】 1945年3月26日、硫黄島を守る日本軍の守備隊はアメリカ軍に総攻撃をかけましたが壊滅し、組織的な戦闘が終結しました。 2万1000人の

                                            JALの行き先表示『出発便 硫黄島』……??民間機は基本飛ばないはず「二度見した」「激レア」を目撃した人たち
                                          • 封印されていた300人以上の戦争証言、公開向け一歩前進 慎重だった自民含め都議会主要会派が前向きに:東京新聞 TOKYO Web

                                            東京大空襲など戦争体験の記録として、東京都が1990年代後半に収録した300人以上の都民の証言ビデオが未公開となっている問題で、本紙が都議会主要各会派に質問したところ、いずれも公開に前向きか容認する姿勢を示した。特に慎重とみられていた最大会派の自民が「広く見てもらえるよう取り組むべき時だ」と初めて明言、都に働きかけていることを明らかにした。他会派も公開の必要性は認識しており、公開に向けて環境が整いつつあることが分かった。(井上靖史)

                                              封印されていた300人以上の戦争証言、公開向け一歩前進 慎重だった自民含め都議会主要会派が前向きに:東京新聞 TOKYO Web
                                            • ソ連軍、北海道全体の占領を検討・対馬や済州島にも野心…ロシアの公文書に記録(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

                                              ソ連海軍が作成した地図。北海道や対馬など占領を検討した地域には印がしてある(ロシア連邦外交政策文書館所蔵) 第2次世界大戦の日本の敗戦を機に、当時のソ連軍が北海道全島をはじめ、対馬や朝鮮半島南部の港など広範囲の占領を検討していたことが、ロシア連邦外交政策文書館がオンラインで公開している公文書に記録されていた。記載内容を、岩手大の麻田雅文准教授(東アジア国際政治史)が確認した。 【動画】「前にいた軍人が爆弾の直撃受け…」満州でソ連軍の侵攻を経験した男性の証言 確認されたのは、1945年8月16日にソ連首相のスターリンが、北海道北半分をソ連軍の占領地域とするよう米側に要求した内容の基になった草案。ソ連の赤軍参謀総長アレクセイ・アントーノフらが同日にモロトフ外務人民委員に提出したもので、「日本の主要な島々を、連合国のための占領地域に分割し、特にソ連には北海道を割り当てる」と、北海道全島占領を求め

                                                ソ連軍、北海道全体の占領を検討・対馬や済州島にも野心…ロシアの公文書に記録(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
                                              • 日本はなぜ大戦中、秩序だった捕虜の扱いができなかったのか? | 日本軍の行動に浮かび上がってくる別の様相

                                                広範な文脈に照らして捕虜の経験を捉え直す 連合軍捕虜がきわめて残酷な行為と考えた平手打ち、強制的な行進、貧弱な米粥の食事は、大日本帝国陸軍の兵士にとってべつだん珍しいことではなかったのである。それにもかかわらず、日本軍が捕虜虐待の嫌疑で監視兵を軍法会議にかけていたことは、注目に値する。 戦争中には、連合国政府に捕虜にかかわる情報を提供するための行政体制も大幅に拡充された。 日本は、〈大東亜共栄圏〉構想の受益者とされていた中国、インドやフィリピンの捕虜が、日本兵と同等もしくはそれ以下の扱いを受けてアジア諸国がどう反応するかということより、西洋諸国からの評価を重視していたのは明らかであった。 本書は、一見すると矛盾しているこれらの行動を可能な限り広範な文脈に照らし、捕虜の経験を考察する。 そのなかには、国際機関に参加したり、欧米の植民地主義を模倣したりする形で、西洋とかかわり、競争しようとして

                                                  日本はなぜ大戦中、秩序だった捕虜の扱いができなかったのか? | 日本軍の行動に浮かび上がってくる別の様相
                                                • 広島原爆の日、黙とう呼び掛けず IOC、閉会式で思い共有 | 共同通信

                                                  東京五輪・パラリンピック組織委員会は1日、国際オリンピック委員会(IOC)が五輪開催期間中の「広島原爆の日」の8月6日に、選手や大会関係者に黙とうを呼び掛けるなどの対応をしない方針だと明らかにした。広島市や広島県原爆被害者団体協議会(坪井直理事長)が、黙とうの呼び掛けを要請していた。 IOCによると、2016年リオデジャネイロ大会以降、歴史の痛ましい出来事や、さまざまな理由で亡くなった人たちに思いをはせるプログラムが閉会式に盛り込まれている。広島の人たちへの思いも8日の閉会式で共有したいとの意向という。

                                                    広島原爆の日、黙とう呼び掛けず IOC、閉会式で思い共有 | 共同通信
                                                  • 従叔父から聞いた「北方領土にてソ連軍と茶番を行い、故意に戦線を膠着させお互いに無意味な犠牲を避けた話」

                                                    須臣 @snafkin161 父のいとこに聞いた、祖父の兄の北方領土での話。 所属していた部隊にロシア語を話せる士官がおり、進軍してくるソ連軍とお互いに談合し「明日はあそこに砲撃するから逃げといてね」という具合に、故意に戦線を膠着させお互いに無意味な犠牲を避けたとのこと。 つづく↓ 2021-11-04 13:51:27 須臣 @snafkin161 また、ソ連側は損害が出なくては報告を不審に思われる可能性があるので、国に帰っても貧乏で生活が苦しい者を選んで書類上戦死扱いにしていたとのこと。 国には二度と帰れないが家族には保障が出るらしい。 戦死扱いになり帰れないソ連兵は日本の引き上げ船に乗り、途中の島で下りていったとのこと。 2021-11-04 13:57:39

                                                      従叔父から聞いた「北方領土にてソ連軍と茶番を行い、故意に戦線を膠着させお互いに無意味な犠牲を避けた話」
                                                    • 飢餓、自殺強要、私的制裁--戦闘どころではなかった旧日本軍

                                                        飢餓、自殺強要、私的制裁--戦闘どころではなかった旧日本軍
                                                      • フェイクをうんだ大本営とメディア いま向き合うべき「報道責任」:朝日新聞デジタル

                                                        ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                          フェイクをうんだ大本営とメディア いま向き合うべき「報道責任」:朝日新聞デジタル
                                                        • ノーベル賞益川敏英さんが死去、その戦争体験と軍事研究反対の言葉|社会|地域のニュース|京都新聞

                                                          ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英さんが29日までに、81歳で亡くなった。京都大名誉教授、京都産業大名誉教授。益川さんは科学者の立場から軍事研究への荷担に反対してきた。その背景には戦争の体験があった。2017年の京都新聞インタビューに、研究者の倫理や平和への希求を、京大で先輩教員にあたる湯川秀樹博士への複雑な思いを語っていた。 「終戦は5歳ぐらいで記憶はない。名古屋市内の神社の近くに住んでいたが、3月の大空襲は鮮明に覚えている。B29は高度1万メートルを飛ぶが、日本の高射砲は7千メートルまでしか届かない。歓迎の花火を打ち上げているようなものだった。焼夷弾が自宅の屋根を突き破り、目の前に転がった。不発弾で助かったけれども周囲は焼け野原。リヤカーに家具や布団を積んで火の海の中を両親と逃げ惑った」 -防衛省は科学者に研究費を支給する「安全保障技術研究推進制度」を本年度、110億円規模に一気に増額し

                                                            ノーベル賞益川敏英さんが死去、その戦争体験と軍事研究反対の言葉|社会|地域のニュース|京都新聞
                                                          • 「シュン@ひろしまタイムライン」について出典元やその他の書籍との比較 - 電脳塵芥

                                                            「シュン@ひろしまタイムライン」についての朝鮮人記述と実際の「日記」との比較 - 電脳塵芥 NHKが出典としている『激動の昭和史を生きて : 戦争の時代を乗り越え半世紀』を読んだので新しく記事を……、なのですがその前にタイムリーにも新井氏が朝日新聞の取材に答えていたので、その記事を少しだけ引用します。 "新井の日記をシュン日記として出すのは、私の日記の偽造では」と言った。すると担当者が、「新井さんの日記を原作として、子どもたちと一緒に創作をしている」と言った。私はそんなことを許した覚えは一切ないと激怒” (中略) ――「朝鮮人の奴(やつ)らは『この戦争はすぐに終わるヨ』『日本は負けるヨ』と平気で言い放つ」という6月16日のツイートも問題となっています。 朝鮮人の「奴ら」とかは一切話をしておりません。「軍国少年」シュンちゃんの日記だから、子どもたち(投稿を担当した高校生たち)がそういう表現で

                                                              「シュン@ひろしまタイムライン」について出典元やその他の書籍との比較 - 電脳塵芥
                                                            • 「まずいな、と思いました」30年寄り添った日本人が語る「慰安婦問題」の真実 | 文春オンライン

                                                              「慰安婦を利用した。私を裏切って、国民を裏切って、全世界の人々を裏切ってだました」 こう挺対協(現・「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」)の不実について告発した元慰安婦李容洙(イ・ヨンス)氏の記者会見によって韓国社会は大揺れに揺れている。 韓国メディアでは連日、挺対協と、元代表で先の韓国総選挙で国会議員となった尹美香(ユン・ミヒャン)氏の疑惑が報じられた。この内部分裂が意味するところは、慰安婦問題が“偽物の人権”を掲げる団体に長らく支配されていたということだ。 挺対協の罪は大きい。時にウソの理屈を振りかざし韓国人の中にある反日感情を刺激し、不条理な発言を繰り返すことで日本人の中に“嫌韓”という意識を根付かせた。 はたして挺対協とはいかなる組織なのか。 彼女らの実態をよく知る日本人がいる。 その女性の名前は臼杵敬子氏という。ライターとして女性問題に関心を深く持っていた臼杵氏の人生は

                                                                「まずいな、と思いました」30年寄り添った日本人が語る「慰安婦問題」の真実 | 文春オンライン
                                                              • 民間人に対する機銃掃射についての体験談(第二次世界大戦、日本)

                                                                発端となったのは、「田舎の風景に佇む白いワンピースの少女にノスタルジーを感る」という話題でした。 「夏の葬列」(青空文庫より) これについて、教育出版刊行の中学生向け国語科の教科書に掲載されております山川方夫「夏の葬列」の影響がかねて指摘されている旨の発言をさせていただきましたところ、「民間人の、それも子供を米軍の戦闘機がわざわざ機銃で射撃するなんてことがあったのだろうか」(概要)という、否定というよりも今ひとつピンとこないという反応を数件見かけました。次のTweetは、そうした反応を受けての発言となります。 森瀬 繚@びょういんぐらし @Molice 「夏の葬列」に描かれる、民間人の子供に機銃を撃ち込んでくる米軍機の存在を疑問視する向きがあるようですが、佐藤さとる氏の実体験がベースだという『だれも知らない小さな国』の戦時中エピソードにもあって、こちらは子供達が鬼ごっこのような感覚でそれを

                                                                  民間人に対する機銃掃射についての体験談(第二次世界大戦、日本)
                                                                • 安野光雅 19歳で召集されると棒で殴られ、ギザギザの茎の上を裸足で歩かされて。いやだったのは『戦争』そのものじゃない。意味なんかない、上官の楽しみのための「いじめ」だった 私と戦争|人間関係|婦人公論.jp

                                                                  終戦から77年。戦争の時代に少年少女だった人たちが高齢になっています。平和な時代を生きる私たちにとって戦争は無縁に思えますが、過去の大戦を体験した人々も、平穏な日常生活を送っていたのです。画家、絵本作家、装丁家として幅広く活躍し、2020年に逝去された安野光雅さんもその一人。その緻密で不思議な作品世界は、国境を越えて子どもから大人までを魅了し続けていますが、安野さんは19歳の時に召集されて兵隊になりました。安野さんの体験した「戦争」とは──(聞き手=堤江実 撮影= 藤澤靖子) 「生きて虜囚の辱を受けず」 僕は最後の兵隊なんですよ。僕より下に兵隊はいなかったから、ずっといじめられっぱなしで、いじめたことがない。(笑) 生まれたのは1926年3月20日です。島根県の津和野で旅館を営む両親のもとに生まれました。早生まれで体は小さかったけれど、すごく元気な子どもだったの。何しろ赤ん坊の品評会で健康

                                                                    安野光雅 19歳で召集されると棒で殴られ、ギザギザの茎の上を裸足で歩かされて。いやだったのは『戦争』そのものじゃない。意味なんかない、上官の楽しみのための「いじめ」だった 私と戦争|人間関係|婦人公論.jp
                                                                  • 第五福竜丸も削除 中学生向け平和教材 広島市教委「被爆実態継承する学習内容でない」 | 中国新聞デジタル

                                                                    広島市立校の平和教育プログラムを巡り、小学生向け教材から漫画「はだしのゲン」の削除を決めた市教委が、米国の水爆実験で被曝(ひばく)した静岡県のマグロ漁船第五福竜丸の記述も中学生向け教材からなくすことが1日、分かった。「世界の被曝の実態を確実に継承する学習内容になっていない」と説明している。

                                                                      第五福竜丸も削除 中学生向け平和教材 広島市教委「被爆実態継承する学習内容でない」 | 中国新聞デジタル
                                                                    • 日本軍兵士の多くは餓死や自決、ときには「処置」も――死者からわかる戦争の実像 #戦争の記憶(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

                                                                      インパール作戦でビルマのジャングルを行く給水部隊( 1944年06月05日 、写真:毎日新聞社/アフロ 先の大戦で日本軍の死者は軍人・軍属を合わせて約230万人にのぼる。ソ連は1360万人、ドイツは325万人と多数の死者が出たが、日本軍の死の内実は欧州戦線とは大きく異なる。死者の9割は1944年以降に絞られ、さらにその死の半数ほどが病死、とくに餓死が占めていたことが戦史研究からわかった。日本軍兵士の戦場での実像を研究した吉田裕・一橋大学名誉教授に尋ねた。(ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

                                                                        日本軍兵士の多くは餓死や自決、ときには「処置」も――死者からわかる戦争の実像 #戦争の記憶(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
                                                                      • Sonota on Twitter: "日本各地の朝鮮人慰霊碑から「強制連行」という言葉を消すために、極右が各自治体へ電凸等で大量動員してることが分かった。言葉を刈れば「朝鮮人強制連行はなかったことにできる」と考えているらしい。#報道特集 1944年の内務省公文書には「… https://t.co/1rawMXYb0t"

                                                                        日本各地の朝鮮人慰霊碑から「強制連行」という言葉を消すために、極右が各自治体へ電凸等で大量動員してることが分かった。言葉を刈れば「朝鮮人強制連行はなかったことにできる」と考えているらしい。#報道特集 1944年の内務省公文書には「… https://t.co/1rawMXYb0t

                                                                          Sonota on Twitter: "日本各地の朝鮮人慰霊碑から「強制連行」という言葉を消すために、極右が各自治体へ電凸等で大量動員してることが分かった。言葉を刈れば「朝鮮人強制連行はなかったことにできる」と考えているらしい。#報道特集 1944年の内務省公文書には「… https://t.co/1rawMXYb0t"
                                                                        • 1945年8月に日本で革命があった?|弁護士ほり

                                                                          八月革命説 憲法の議論で「八月革命」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは1945年8月に日本に「革命」が起こったという説です。(★以下、憲法の教科書で『八月革命』説についての説明を承知している方は、お読みいただく必要はありません。) これに対しては「日本は1945年8月に第二次世界大戦で負けて、確かに大きな変動を経験したが、別に革命なんか起こっていないではないか?」という反応が、当然出てくると思います。 しかし、ここでいう「革命」という単語は、一般に使われているような意味、つまり反政府勢力や群衆が武装蜂起して政権を倒すような意味での「革命」ではなく、憲法の根本原理が変更されたという意味で使われています。 憲法の改正か、革命か? ある国の憲法が一定の手続を踏んで変わる場合、普通は「憲法改正」と呼ぶのが一般的なので、わざわざ「革命」という大げさな言葉を使って呼ばなくても良いように思え

                                                                            1945年8月に日本で革命があった?|弁護士ほり
                                                                          • 昭和天皇『拝謁記』12月から公刊へ 初代宮内庁長官が書き残す | NHKニュース

                                                                            昭和天皇の実像に迫る第一級の資料を、手に取って読めるようになります。 初代宮内庁長官が戦後占領期などの5年近くにわたる昭和天皇との対話を詳細に書き残した『拝謁記』が、今年12月から順次公刊されることがわかりました。 『拝謁記』は、戦後の日本国憲法のもとで昭和23年から5年半にわたり宮内庁やその前身の宮内府のトップを務めた田島道治が、手帳やノートあわせて18冊に在任中の600回余りの昭和天皇との対話を詳細に書き留めたもので、長年極秘に保管されたあと、おととし夏に内容が明らかにされ、大きな反響を呼びました。 『拝謁記』によって、昭和天皇が ▽敗戦後の退位を巡る問題が決着したとされる東京裁判の後にも、退位の可能性に言及していたことや、 ▽独立回復後の安全保障が現実的な課題となる中で、戦前のような軍隊を否定しつつも、再軍備やそれに伴う憲法改正の必要性に繰り返し言及していたことが初めて明らかになりま

                                                                              昭和天皇『拝謁記』12月から公刊へ 初代宮内庁長官が書き残す | NHKニュース
                                                                            • 長崎にあった「幻の原爆ドーム」は、なぜ撤去されてしまったのか?

                                                                              Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you.

                                                                                長崎にあった「幻の原爆ドーム」は、なぜ撤去されてしまったのか?
                                                                              • https://twitter.com/kozawa/status/1527963987920310273

                                                                                  https://twitter.com/kozawa/status/1527963987920310273
                                                                                • https://twitter.com/zackys/status/1539434505395912704

                                                                                    https://twitter.com/zackys/status/1539434505395912704