村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」(第3部 鳥刺し男編)を読了した。 この錯綜した筋書きを持つ長大な物語の概要を、何かしらの理論的な構図の中に縮約して織り込めるという自信は、少なくとも現在の私の持ち物ではない。敢えて私見を述べるならば「未整理の作品」という形容が相応しいように感じられる、この「ねじまき鳥クロニクル」という小説においては、総ての伏線や謎めいた要素が充分に回収されたり解決されたりしているとは言い難い。だが、それらの整理されない細部と細部の整合性を確保する為に強引に理路を切り拓こうとすれば、この小説が小説として構築された意義が失われてしまうようにも思える。 「ねじまき鳥クロニクル」の主要な筋書きが、失踪した妻クミコとの平穏な生活の「奪還」に存することは確かである。だが、その主要な筋書きに限ってさえ、それが具体的にどのような構造的真実を指し示しているのか、明瞭に把握することは困難で