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ブックマーク / mihiromer.hatenablog.com (15)

  • 捨て鉢の飛翔―ナサニエル・ウエスト『いなごの日 / クール・ミリオン―ナサニエル・ウエスト傑作選―』 - 言葉でできた夢をみた。

    今回紹介するはこちら。 ナサニエル・ウエスト 著、柴田元幸 訳『いなごの日 / クール・ミリオン―ナサニエル・ウエスト傑作選―』(新潮社、2017年) いなごの日/クール・ミリオン: ナサニエル・ウエスト傑作選 (新潮文庫) 作者: ナサニエルウエスト,Nathanael West,柴田元幸 出版社/メーカー: 新潮社 発売日: 2017/04/28 メディア: 文庫 この商品を含むブログを見る 1930年代にアメリカで活動したナサニエル・ウエスト。あまり有名な作家というわけではなく、大戦後アメリカのブラックユーモア文学ブームの際に再評価されるまで長らく過小評価されていたらしい。私も今回初めて手に取った。主な作品に『バルソー・スネルの夢の生』『孤独な娘』『クール・ミリオン』『いなごの日』などがある。 今回紹介するにおさめられている作品は「いなごの日」「クール・ミリオン」と短篇の「ペテン

    捨て鉢の飛翔―ナサニエル・ウエスト『いなごの日 / クール・ミリオン―ナサニエル・ウエスト傑作選―』 - 言葉でできた夢をみた。
  • 忘れること、思い出すこと、ことばでつなぎ合わせること―古川真人「四時過ぎの船」 - 言葉でできた夢をみた。

    今回は、第48回新潮新人賞を受賞してデビューした古川真人の新人賞受賞第一作「四時過ぎの船」について書いていきたいと思う。 デビュー作である『縫わんばならん』は芥川賞候補になり、単行も出版されている。『縫わんばならん』について、小説家の小山田浩子は「記憶し語りあい分かちあう営みが布地を複雑に織り上げ、自分と繋がる大きな流れを実感させる。そのことが人の心を暖める。力づける。」(「新潮」2017年3月号掲載、小山田浩子「記憶の布地」より引用)と書いた。先祖から子孫へ代々受け継がなければならないという命のバトンという言い回しを引き合いに出しながら、小山田浩子はそれとは違う人と人とのつながりにあたたかさを見出していたように思う。「親やきょうだいや義理の何やかにや、友達、知りあい、複雑に延びた糸が重なりあい織り上げられつつある布のごく一部、先端などなく、前にも後ろにも横にも斜めにも連綿と繋がっている

    忘れること、思い出すこと、ことばでつなぎ合わせること―古川真人「四時過ぎの船」 - 言葉でできた夢をみた。
  • 憑依? いつもと違う文体でお送りします、だって作者が否応なしにノリウツッテ来るんだもの。 - 言葉でできた夢をみた。

    気になっていた小説家の作品を、4月5月と縁がありようやく読む事ができた。 その小説家というのは笙野頼子という人で、名前くらいはうっすら聞いたことがあったが、実際にはなかなか読む事ができないでいた。で、どうして今年になって急に読み始めたかというと……? この国この社会? なんか最近様子がおかしくないですかね? 大きいメディアで報道されない何かが変な法律がある日突然「可決」されたりして「なになに? え? そんなの聞いてないんですけど?」みたいな謎の日々。そんな日々を送ってればそりゃあ文学で戦争を止めようとしている人がいるらしいと聞いたら、読んでみたくなるよね? 「戦争を止める?」いや、戦争まだ起きてないし起きるとも聞いてないんですけど? うーん、でも「戦争やりまーす」なんてテレビで宣言される頃にはもうけっこう人、死んでるんじゃない? もしかしたら今「戦前」なのかもしれない。いや、こんなことは全

    憑依? いつもと違う文体でお送りします、だって作者が否応なしにノリウツッテ来るんだもの。 - 言葉でできた夢をみた。
    q52464
    q52464 2017/05/11
    これは読んでみなければ。
  • 人物の秘匿性 / 可能性の選択と抹消―カルロス・フエンテス『テラ・ノストラ』 - 言葉でできた夢をみた。

    二段組みで1000頁もある大長編小説『テラ・ノストラ』。この作品にはものすごく膨大な時間が流れている。時系列(直線的な時間理解)で整理して読めば、アステカ文明やイエス・キリストが活動していた頃のローマ帝国、15~16世紀のスペインの「新大陸」発見という黄金期、それから、19世紀のメキシコ皇帝マクシミリアンに、20世紀に入ってから起きた様々な闘争(アメリカによるベラクルス占領)、スペイン内戦により犠牲になった者たちのための記念碑、そして1999年12月31日までの時間が詰め込まれていることがわかる。「トラテロルコの三文化広場」という場には3つの悲劇的な記念碑があり、それが現在のメキシコという場にかつて流れた時間を刻み付けている。 ただ単純に作品自体が「長い」というだけで、これだけの時間を描くことはできなかっただろう。これほど多くの時を作品内に収めるための方法として「人物の秘匿性」と「可能性の

    人物の秘匿性 / 可能性の選択と抹消―カルロス・フエンテス『テラ・ノストラ』 - 言葉でできた夢をみた。
  • 二重の円 / 唯一と多様―カルロス・フエンテス『テラ・ノストラ』 - 言葉でできた夢をみた。

    前回に引き続き、今回もカルロス・フエンテス『テラ・ノストラ』を読んだ感想を書いていきたいと思う。 カルロス・フエンテス 著、田誠二 訳『テラ・ノストラ』(水声社、2016年) 前回記事↓↓ mihiromer.hatenablog.com ■二重の円構造 この作品の構造が「円環」になっているということは、同じイメージが何度も反復されることや、「回帰」への志向を感じさせる記述があることから、小説を読み始めてかなり早い段階でわかってしまう。この「円環」構造についてはいろいろな人がいろいろなところで言及しているので割愛するけれど、今回私は作品を形作る円が「二重」になっているように思われてならないのでそのことを以下にまとめておく。 ふたつの円を仮定する。「大きな円」と「小さな円」。 この二重の円の上を作品内の時間は回っている。一つ目の「大きな円」とは例えば、ローマ帝国の時代から現在まで受け継がれ

    二重の円 / 唯一と多様―カルロス・フエンテス『テラ・ノストラ』 - 言葉でできた夢をみた。
  • 悪夢と数珠つなぎの呪い―カルロス・フエンテス『テラ・ノストラ』を読んで - 言葉でできた夢をみた。

    この小説は「悪夢」に似ている。それをみている間、確かに私を支配していた秩序が、目覚めとともに支離滅裂になって霧散する。嘘くさいとか、あり得ないとか、そういう言葉で割り切ることができない確かに存在した「悪夢」であったはずなのに、そこにあった時間や空間の確かさ(恐怖や説得力)は目が覚めるとあっけなく崩れ落ちる。たとえば「悪夢」の中で「私」は一人じゃない。「私」を見ている「私」が出て来ることも、一貫性のない「私」が数珠つなぎになって現われることもある。それは「悪夢」に登場する他人にもいえる。 今回紹介するは、カルロス・フエンテス 著、田誠二 訳『テラ・ノストラ』(水声社、2016年)。 長らく日語訳が待ち望まれていたカルロス・フエンテスの長篇小説で、昨年はじめて日語による完訳が出版された。1頁二段組みで1000頁を超える大著だ。今月はずっとこのにかかりっきりになってしまっていた。全体が

    悪夢と数珠つなぎの呪い―カルロス・フエンテス『テラ・ノストラ』を読んで - 言葉でできた夢をみた。
  • パースペクティヴ――磯﨑憲一郎『往古来今』 - 言葉でできた夢をみた。

    今回ご紹介するはこちら。 磯﨑憲一郎『往古来今』(文春文庫、2015年) 往古来今 (文春文庫 い 94-1) 作者: 磯?憲一郎 出版社/メーカー: 文藝春秋 発売日: 2015/10/09 メディア: 文庫 この商品を含むブログを見る このをはじめて目にした時、なにかが違うような違和感を抱いた。往古来今? 古今往来ではなく? この違和感は単に自分の語彙力の無さに起因するらしいことが文庫の解説を読んでわかった。参考までに書いておくと、往古来今という言葉は前漢に編纂された思想書『淮南子』斉俗訓「往古来今、之を宙と謂い、四方上下、之を宇と謂う」とあるそうだ(金井美恵子さんによる文庫の解説によると「新明解四字熟語辞典」(三省堂)に載っているとのこと)。往古来今、時間と空間の限りない広がりを表すこの言葉ほど、この短篇集を的確に表現したタイトルはないのではないだろうか。金井美恵子は解説でこの小

    パースペクティヴ――磯﨑憲一郎『往古来今』 - 言葉でできた夢をみた。
  • 三人のアルテミオ・クルス、未来が過去を予言する??―カルロス・フエンテス『アルテミオ・クルスの死』 - 言葉でできた夢をみた。

    2017年もまだ始まったばかりだというのに、さっそく素晴らしい長篇小説に出会うことができた。今回はカルロス・フエンテス『アルテミオ・クルスの死』(新潮社、1985年)というを紹介したい。 ちなみに以前カルロス・フエンテス『澄みわたる大地』について感想を書いたものはこちら(合わせてどうぞ)↓↓ mihiromer.hatenablog.com 外国文学を読んでいて特に感嘆するのは全体の構成……だろうか、と最近思う。小説についての認識が広がっていくのがとても楽しい(日小説を読んでいると構成よりは表現に目がいってしまう。逆にラテンアメリカ文学は表現より構成に目がいってしまう……。これはおそらく自分の日常の延長にあるのはラテン国ではなく、日国だからだろう、いやでも自分自身にしみこんでいる感覚は日の感覚なのだ)。 「わしには分らん……彼がわしで……お前が彼で……わしが三人の人間なのかどうか

    三人のアルテミオ・クルス、未来が過去を予言する??―カルロス・フエンテス『アルテミオ・クルスの死』 - 言葉でできた夢をみた。
  • スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い』を読んで考えたこと - 言葉でできた夢をみた。

    昨年末から年始にかけて、しばらくスーザン・ソンタグの著作を読んできたわけだが、今回の更新で一旦終わりにしたいと思う。今回は『隠喩としての病い』を読んで考えたことをまとめておきたい。 スーザン・ソンタグ 著、富山太佳夫 訳『隠喩としての病い』(みすず書房、1982年) 隠喩としての病い 作者: スーザン・ソンタグ,富山太佳夫 出版社/メーカー: みすず書房 発売日: 1982/04 メディア: 単行 クリック: 5回 この商品を含むブログ (14件) を見る 私の書いてみたいのは、病者の王国に移住するとはどういうことかという体験談ではなく、人間がそれに耐えようとして織りなす空想についてである。実際の地誌ではなくて、そこに住む人々の性格類型についてである。肉体の病気そのものではなくて言葉のあやとか隠喩(メタファ)として使われた病気の方が話の中心である。私の言いたいのは、病気とは隠喩などではな

    スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い』を読んで考えたこと - 言葉でできた夢をみた。
  • たとえ新しい感情がわきあがっても―スーザン・ソンタグ『ハノイで考えたこと』 - 言葉でできた夢をみた。

    今回はスーザン・ソンタグの『ハノイで考えたこと』というを取り上げたい。 スーザン・ソンタグ 著、邦高忠二 訳『ハノイで考えたこと』(晶文社、1969年) ハノイで考えたこと (晶文選書) 作者: スーザン・ソンタグ,邦高忠二 出版社/メーカー: 晶文社 発売日: 1969 メディア: 単行 この商品を含むブログ (1件) を見る ソンタグは1968年5月にベトナム戦争真っただ中のハノイ(北ヴェトナム)を訪れている。書はその時の直接体験をもとにソンタグが考えた事柄(文化や彼女自身の意識について)をまとめた記録である。知識の上ではよく知っているはずの異文化に実際に触れてみた時の著者の純粋な驚きや戸惑いが、なぜそういう感情として表出するのかというところまで含む深い洞察である。 ここでベトナム戦争やハノイについて簡単にまとめておこうと思う。 私達がよく聞くベトナム戦争は、1955年11月から

    たとえ新しい感情がわきあがっても―スーザン・ソンタグ『ハノイで考えたこと』 - 言葉でできた夢をみた。
  • 写真ってなんだ?―スーザン・ソンタグ『写真論』 - 言葉でできた夢をみた。

    今回はスーザン・ソンタグの『写真論』を読んで考えたことを書いてみようと思う。このを読むまで、そもそも写真とは何か? どういう性質のものであるか? などと考えたことはなかった。考える暇もなく、現代の我々はスマホで気軽に写真を撮るのである。このが書かれた頃に比べて、現代の我々はより写真に囲まれて生きているだろう。写真、大半の写真は物体として印刷されることもなく、画像データとして端末に保存されている。情報としての大量の写真に我々は囲まれているのだろう。このブログもそうだけれど、今の私たちの物の見方や考え方から画像を抜きにすることはできないと思う。 スーザン・ソンタグ著、近藤耕人 訳、『写真論』(晶文社、1979年) 写真論 作者: スーザン・ソンタグ,近藤耕人 出版社/メーカー: 晶文社 発売日: 1979/04 メディア: 単行 購入: 7人 クリック: 53回 この商品を含むブログ (

    写真ってなんだ?―スーザン・ソンタグ『写真論』 - 言葉でできた夢をみた。
  • <既知>なるものからにじみ出る<変>―コルタサル『海に投げこまれた瓶』 - 言葉でできた夢をみた。

    久しぶりにフリオ・コルタサルの短篇集を読んだ。やっぱり好きである。今回読んだのは、『海に投げこまれた瓶』という短篇集で、収録されている作品は以下の八作品である。 ・「海に投げこまれた瓶」 ・「局面の終わり」 ・「二度目の遠征」 ・「サタルサ」 ・「夜の学校」 ・「ずれた時間」 ・「悪夢」 ・「ある短篇のための日記」 海に投げこまれた瓶 作者: フリオコルタサル,フリオ・コルタサル,鼓直,立花英裕 出版社/メーカー: 白水社 発売日: 1990/01 メディア: 単行 この商品を含むブログ (1件) を見る フリオ・コルタサル 著、鼓直・立花英裕 訳『海に投げこまれた瓶』(白水社、1990年) 今回はこの中から特に気に入った作品である「局面の終わり」「サタルサ」「ずれた時間」の感想を書いていこうと思う。題に入る前に、訳者あとがきに引用されていたコルタサルの言葉を紹介しておこうと思う。「短

    <既知>なるものからにじみ出る<変>―コルタサル『海に投げこまれた瓶』 - 言葉でできた夢をみた。
  • 弔いのかたち―杉本裕孝「弔い」 - 言葉でできた夢をみた。

    人は二度死ぬ。一度目は生物として死んだ時、二度目は人に忘れ去られた時だ、なとどいうのは一体どこで聞いた言葉だったかあやふやだが、馴染のある感覚である。 杉裕孝「弔い」という作品では、人は二度生きる。一度目は死ぬ前の生、つまりふつうに生きているという状態、二度目は死後、遺された誰かによって思い出される回想の中の生だ。こんなふうに書いてしまうと、なんだ、この作品は単なる「いい話」なのか、と思われてしまいそうだが、それだけではたぶんない。面白いのは、回想の中の生は別の角度(違う人間の回想)から見た時にイメージが百八十度変わってしまうこともあるということだ。 杉裕孝「弔い」(文學界2016年11月号掲載) 文學界2016年11月号 出版社/メーカー: 文藝春秋 発売日: 2016/10/07 メディア: 雑誌 この商品を含むブログ (2件) を見る 作者はデビュー作「ヴェジトピア」から「花の守

    弔いのかたち―杉本裕孝「弔い」 - 言葉でできた夢をみた。
  • 読書はひとを連れてくる、そうしてひとを連れ去っていく―稲垣足穂について - 言葉でできた夢をみた。

    今回は稲垣足穂(1900-1977)を紹介しようと思う。 稲垣足穂『現代詩文庫1037 稲垣足穂』(思潮社、1989年) 稲垣足穂『ちくま日文学全集 稲垣足穂』(筑摩書房、1991年) 稲垣足穂 [ちくま日文学016] 作者: 稲垣足穂 出版社/メーカー: 筑摩書房 発売日: 2008/05/08 メディア: 文庫 購入: 3人 クリック: 13回 この商品を含むブログ (14件) を見る そもそも私が足穂を知ったのはごく最近、このブログ記事を書いたことがきっかけだった。 mihiromer.hatenablog.com この記事にコメントをくれた人が「稲垣足穂」という作家を私に教えてくれたのだ。これはさっそく読んでみようと思った。そこで図書館で、稲垣足穂『現代詩文庫1037 稲垣足穂』(思潮社、1989年)、稲垣足穂『ちくま日文学全集 稲垣足穂』(筑摩書房、1991年)の二冊を借り

    読書はひとを連れてくる、そうしてひとを連れ去っていく―稲垣足穂について - 言葉でできた夢をみた。
  • 自分で自分をなげるように―エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』 - 言葉でできた夢をみた。

    この社会に生きていると、嫌な思いをすることが多々ある。困難が降りかかってくることもしょっちゅうだ。そういう諸々の面倒事を、こんなふうにさらっとかわして生きていけたら、どんなに幸せなことだろう、と思ってしまう。 彼らと争ってみても全然歯が立たないことは火をみるより明らかだったので、わたしは三十六計逃げるにしかずとばかりに、命からがら一目散に逃げ出した。だが、ものの三百ヤードもいかないうちに、わたしは、彼らにとっ捕まってしまい、まわりをグルッととりかこまれ、袋のネズミ同然だった。そこで彼らがわたしに何か手を出す前に、わたしは自分を、さっさと、平たい小石に姿を変えてしまい、自分で自分を投げながら、故郷への道を急いだ。 エイモス・チュツオーラ作、土屋哲 訳『やし酒飲み』岩波文庫2012、160頁-161頁より引用) と、こんなふうに書き出したブログの記事であるが、別に「生き方」について自分の考えを

    自分で自分をなげるように―エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』 - 言葉でできた夢をみた。
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