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増田と読み物に関するrindenlabのブックマーク (17)

  • 家電の機嫌を取るのは難しい

    今日は日曜なので10時半に起きた。遅い朝を取ろうと炊飯器を開けようとすると、スイッチが開かない。 私が「おーい、」と言いながら蓋のところを叩くと、炊飯器は伸びをしたように一度体を震わせて、ボコりと蓋を開けた。 「もう昼前なのに寝ぼけてんのかね」 私がそう言いながらしゃもじでご飯をよそっていると、炊飯器は寝起きのだるそうな声をしながら、 「買い主がものぐさだと家電もそうなるんですよ、私はあなたに似たんです。」 と言ったので、少し強めに蓋を閉めた。 「昼にもごはんべるから、ちゃんと保温しといてよ。昼寝しないでよ。」 そう言い返したが、返事はなかった。 居間で朝べながら、家電について考えた。 最近、うちの家電たちが私に冷たいのはおそらく気のせいではない。 原因は分かっている。 この前、酔って帰ってきたときに、うっかり一晩じゅう冷蔵庫の扉を半開きにしていたことがあり、中のべ物を半分駄目

    家電の機嫌を取るのは難しい
  • ホチキス貯金してる

    ボトルガムの箱に、ホチキスの芯を貯めている。綴じたあとに間違いに気づいて外したホチキス、上司から「以下の通り」を「以下のとおり」に修正しろといわれて外したホチキス、書類の順番が違うと経理に言われて外したホチキス、を、捨てないで、延々と溜めている。 このボトルガムの箱がいっぱいになったら辞表をだすのだ。 理不尽に電話口で怒鳴られたとき、ボトルガムの箱をみると気持ちが安らぐ。あともう少し。 ときどきとなりの席のひとが、私のボトルガムの箱に、捨てるはずのホチキス芯を入れているのを知っている。

    ホチキス貯金してる
  • 35年勉めて幹部もやった会社を辞めることになったので、愚痴る。

    結局何が悪かったのかわかるようでわからんようで、まだ正直気持ちの整理もできていないが、落ち着かせる意味で増田に書かせてもらう。 今度、35年つとめた会社を退職することになった。いや、正確には一応は役員になっているから、解任か。 解任理由は簡単、 俺の事業が非主流だったが成功したこと会社が傾いたとき、主流が駄目になって俺の事業が成功して助けたことしかしそれが、専務や社長の考えとは違って逆鱗に触れたから。会社人生ではいろいろやった。自分なりに会社に貢献してきたつもりだったし、事実、苦しいときには俺がやった事業が会社の新しい展開をやれたとは思う。 ただ、その事実そのものを、専務の奴は気にくわなかったんだと思う。 もういい加減、愛想が尽きた。今は、あんな会社は徐々に腐っていけばいいと思う。 入社したころ入社したときは、企画職でも営業でもなく事務職だった。ただ、ちょうどその頃会社はその頃の看板商品が

    35年勉めて幹部もやった会社を辞めることになったので、愚痴る。
  • 選挙カーがはた迷惑な大声で名前を連呼する理由を知った時のこと

    サイバーメガネさんの「政治・選挙業界の闇の用語集」 というエントリを目にして、学生時代、東京都議選候補者の事務所で働いた時のことを思い出したので、つらつら書いてみる。 その自民党候補者の事務所で働き始めたのは、べつに支持者だったからではない。 むしろ、当時の若者の常で「それほど政治に興味はないが、しいて言えば左寄り」だったと思う。 なのに、なぜ働いたかといえば、単に友人から「とっぱらいの、面白いバイトがある」と紹介されただけの話である。 9時から18時まで日給1万円、延長の時は時給1000円、半日しか来れないときはそれでも良い、しかも昼付きという条件に魅力を感じて、 選挙公示日の2週間前くらいから、そのバイトにはいることになった。 なお、現在、選挙事務所が、ウグイス嬢などの特殊技能を持っていない単純な運動員をバイトとして雇うのは、公職選挙法で禁じられている筈である。 当時の規定がどうだっ

    選挙カーがはた迷惑な大声で名前を連呼する理由を知った時のこと
  • Yahoo!チャットって場所があったんだよ

    昔さ、Yahoo!チャットって場所があったんだよ。お前は知らないかもしれないがな。 当時はみんなホームページってやつを持っててな、誰が読むんだかしらねえ自己紹介とか何番目の訪問者です!ってのやっててな、ひどいとこになると熊のアイコンみたいなのがビュンビュンとカーソルを追いかけてくんだ。ありゃ恐怖だったね。 誰が興味あるんだかしらねえ、使用パソコンのスペック書くヤツまでいてな、「CPU: PentiumII、350MHz」とかドヤ顔で書いてたんだよ。タワー型のパソコンの写真まで載せてな。なんのため?しらねえよ、人に聞け。 でな、そういうところには必ず掲示板ってやつがあってな。BBSとか言ってたな。山陰放送じゃねえぞ。で、キリバン踏んだらBBSに報告することが義務付けられてて、しなかったら末代まで祟られて呪詛にかけられるんだけど、熱心なヤツになるとチャットっていう、リアルタイムに文字でお喋り

    Yahoo!チャットって場所があったんだよ
    rindenlab
    rindenlab 2015/06/26
    職場で吹き出した
  • うちの金魚の半生

    うちの金魚は5歳である。名前はあるが、個魚情報なので一応伏せておく。うちにやって来たときには生まれていたから、正確な誕生日はわからないけれど、まあとにかく大体5歳である。金魚の年齢で5歳というと、まだまだ生きられそうに思えるが、実のところすでに寿命は近い。うちの金魚は金魚すくいでよく見かける赤いやつではなく、背ビレのない、背中が丸みを帯びているあの形である。たまにテレビに映る何十歳のでっかい老魚とちがって、このタイプは比較的るい弱だし、体もそこまで大きくはならない。ましてうちの子はあまりべずに育ったから、年のわりに貫禄がなく子供っぽくみえる。 でも小さいくせしてなかなか骨の折れる魚生を送ってきた。うちの水槽に来た当初は2匹の仲間と一緒に泳いでいたが、いつか彼らはこの世を去り、今では大きすぎる住処に1匹で生活している。氷水みたいに冷たくなった冬の水中で、じっと身を縮めるところなどを見ると、

    うちの金魚の半生
  • 百鬼夜行――増

    増田はとある集落に生まれた。 その集落には増田と云う名の者しか居らず、集落の名もまた増田と云った。偶に、『村』とか云う場所から何某と名乗る者が訪れたが、それは飽くまで珍客であった。 増田は他の増田に親しみ、或いはまた別の増田を罵り、増田に囲まれて成長していった。増田にとって、集落の誰もが増田と云う名であることは至極当然であり、疑問に思うこともなかった。自分は増田であり、他者もまた増田であった。 余所では一人一人に異なる名があると云うのは増田も識っていた。しかしそれは、想像するだけで厄介そうな世界だ、と思った。此処では、誰かが「増田」と呼びかければ、自らが呼ばれたと思った増田が応え、そうでない増田は黙っている。ある増田の発言に何か云いたければ、直接云えばいいだけのことだ。 自分は増田でいい。名前など要らぬ。そう思っていた。 *** 増田は冗談を好む性分であった。増田たちを相手に、度々麺類に関

    百鬼夜行――増
  • 僕はもうプログラミングしなくていいんだ

    大学四回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。 パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビで常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001をパソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、

    僕はもうプログラミングしなくていいんだ
  • 嘘日記

    ■中学生の頃まで親の事を「パパ、ママ」と呼んでいたので高校入学と同時に一気に「おやじ、おふくろ」に変えたらおふくろが笑い過ぎて呼吸困難に成ったので今でもパパ、ママって呼んでる。 ■結局呼び方を変えない内に、ママが死んでしまった。 葬式の日、雨が降ったのでつい「見よ、天も泣いておるわ…」と言ったら弟に「なんでそんなふざけた事を言えるんだよあんたって人は!」とマジギレされた。 因みに弟は小学校の頃から父さん母さんって呼んでる。俺よりずっとマザコンの癖に。 ■先週帰省したら父から思わぬ物を見せられた。子供の頃のホームビデオ。 父から将来の夢を訊かれた小さい頃の俺が「おいしゃさんーー!!みんなのびょうきをかいふくさせるのー!」なんて可愛い事を言っているんだよ。父溜息俺苦笑い。父は「この儘素直に育っていればパパも病気診て貰えたのになあ」と嘆いて見せてくる。返す言葉も無い俺。 ところがビデオの中では当

    嘘日記
    rindenlab
    rindenlab 2014/08/27
    定期的に投稿して欲しい/あ、追記してるのか
  • ドケチだった親父の話

    俺の親父はドケチだった. とにかくドケチだった. 口を開けば「カネがない」とグチった. 貧乏だった. お袋は貧乏が嫌で俺を置いて出て行ったらしかった. う物と言えばパンの耳,着るものと言えばボロ雑巾みたいな古着だった. ガキだった俺は友達が持っているスーファミが羨ましくて親父にせがんだ. 帰ってきたのはゲンコツだった. そんなカネねえ,と. ドケチなクソ親父め. でも俺はあきらめなかった. キャラクターをテレビの中で自由に動かせるのに,熱中していた. 根負けしたのか,なんとかしてやると言い出した. 俺は興奮で眠れぬ夜を過ごした. 翌週親父が持ってきたのは,中古のPC98だった. どうやら友人から譲ってもらったらしい. なんだか嫌な予感がしながら電源を入れたら,文字しか出てこねぇし,なにすりゃいいのか分からないし, まさに「コレジャナイ~」と泣きながら手足をバタバタさせてダダをコネたい気持

    ドケチだった親父の話
    rindenlab
    rindenlab 2014/08/21
    "家の家計は諸事情により逼迫している.さて,どうやって安上がりにすませようか." ニヤッとする
  • 草野球チームにやってきた助っ人外国人

    学生時代に仲が良かった連中と、週末に集まって草野球をやっていたことがある。 チーム創設当初は昔の仲間が中心だったんだけど、人伝てだったりブログ経由だったりで徐々に大所帯になっていった。 そうやって少しずつ人数を増やしながらワイワイ楽しくやっていたら、あるとき外国人の青年がやってきた。 私たちが盛り上がっているのをブログで知って、仲間に入れてほしいとメールをくれたのだ。 監督も兼任していた私は、とりあえず見学に来てくれないかと提案した。 チームとしてはそこそこの規模だったけど、外国人が入ってくるのは初めてだったので、みんな彼には興味津々だった。 もちろん事前に彼のプロフィールは知ってたんだけど、それでも見学当日はチーム全体がソワソワしていた。 結果から言うと、彼はあっさりとチームに溶け込んでしまった。 もちろん、みんなが歓迎ムードだったことや彼の人柄や優れていたことも大きかった。 でもそれと

    草野球チームにやってきた助っ人外国人
  • ガンダムUC最終話の劇場における卓袱台返しについて。

    ガンダムUC」の最終話ついてちょっと書きたい(ネタバレあり)。 最初に立場を明らかにしておくと、増田は、典型的な富野信者であって、ガンダムプロレスにはあんまり興味がもてない人間だ。バイアラン・カスタムとかシュツルム・ガルスのトコとか、こんな意味ねーシーン全部削って、会話に尺まわせよと怒っていた。そーいう面倒くさいやつが書いたもんだという前提で読んで欲しい。それと後半は電波。富野信者なので。 で、この「ガンダムUC」、MSチャンバラについては絶賛されているが、ストーリーの方は賛否両論がある。だが私は批判することに意味があるのかと当惑している。こーいうのは、主張者が主張した内容をマジに信じている、という前提がなければ、なりたたない。私は、そこが信じられないのだ。 「UC」最終話を劇場で見て愕然とした。「送り手はこの物語のメッセージをまるっきり信じていないのではないか」と衝撃を受けた。この作品

    ガンダムUC最終話の劇場における卓袱台返しについて。
  • とりがくる

    友人の話。 彼女には二つ下の妹がいるのだが、この妹には幼いころ夢遊病の気があったのだという。 夢遊病といえば寝ている間に歩き回ったりするくらいのものだと思っていたのだが、どうやら彼女の妹の場合はもう少し激しいものだったらしい。 寝静まった頃、突然起き上がって暴れまわる。そして毎回「とりがくる」「森のほうにとりがいるよ」などと泣き叫んだ。 この発作が起こると、同室で寝ていた友人にはどうしようもないので両親を呼んで取り押さえてもらう。押さえられると数分で大人しくなった。 そして朝目を醒ますと、昨夜のことは何も覚えていないという。 毎日ではないものの、ひどいときは週に一回くらいの割合で起こっていた。 妹はしばらく通院して治療をした結果、小学校低学年のころにはもう発作も起こらなくなった。 友人の二の腕には、発作を起こした妹に引っかかれたという傷跡が、まだうっすら残っている。 この話を先日友人が思い

    とりがくる
  • 給食の思い出

    小学生のころは、給を残してよく昼休みまで居残りさせられたものだった。 どうしてもダメだったのが、血である。パック入りの血は毎日の献立に必ず組み込まれていて、何とも逃れようがなかった。 血を飲めずに俯く私を担任が呆れて見つめているうちに、昼休みは終わる。そんなことは頻繁にあって、おかげで私は昼休みに友達と遊んだ記憶が希薄である。 給を残した児童を拘束するのは、まったく人権を無視した扱いだと思う。実際、現在の小学校ではそんなことはほとんど行われなくなったと聞く。 担任や両親はことあるごとに、血は体にいいだの、血を飲むと背が伸びるだのと言う。しかしどうも、あのドロッとした喉越しといい、鉄臭さといい、到底受け付けられるものではなかった。 飲んだあとに口の端でパリパリに乾いて固まるのも嫌だった。 クラスのほかの子供たちが抵抗なく、むしろ美味そうにストローに吸いついているのが不思議でならなかったも

    給食の思い出
  • 村上春樹的桃太郎

    昔、とは言ってもだいぶ昔のことなのだけれど、僕はある町(名前もない小さい町だ)にと二人で暮らしていた。 多くの夫婦がそうであるように、僕たちの間にもいささかの問題があった。 他人からしてみれば些細な問題かもしれないのだけれど、はよくそのことで自分自身を責め、彼女が来持つ良さを損なっていたと思う。それは2月に突然降る冷たい雨のように僕たちを苦しめた。 「あなたはどう思うの?私たちに子供がいないことについて」とが言った。そのとき僕たちはボンゴレ・ビアンコといんげんのサラダをべ終え向かい合って座っていた。テーブル越しのはなんだかいつもより疲れているように見えた。 「ねぇ、最初に言っておきたいんだけど」と僕は言った。 「僕は特に子供が好きじゃない。それに子供がいないことは夫婦の自由な選択の結果であって、君が苦しむべき問題じゃないと思う」 は頬杖をついて僕の方をじっと見つめ、(あるいは

    村上春樹的桃太郎
  • プログラミング出来ない奴ちょっと来い

    プログラミング出来る方法教える。 世の中「プログラミング言語」を説くはごまんとあれど「プログラミング」を説くやブログはあまりない。 いや実際に "ない" というのはかなり語弊があるかもしれない。 しかし、通常この種の説明しているに辿り着くまでには多くの時間が必要だ。 普通の人は、多くの間違った方法を試し、その都度試行錯誤を重ね、プログラミング経験を経ることよって、重要な概念を獲得するのだと思う。 例えば、「計算機プログラムの構造と解釈」や「実用 Common Lisp」、「コンピュータプログラミングの概念・技法・モデル」などの書籍は現実の問題に対し "プログラム" をどう書くかという問題に正面から取り組んでいる良書だ。 しかし、どれだけ”普通の”プログラマが上記のような書籍を読んでいるのだろうか。 そして、"普通のプログラマ" がプログラミングを学ぶ書籍として、それらは果たして適切と

    プログラミング出来ない奴ちょっと来い
  • エヌ氏の一日

    エヌ氏の一日は、「いいね!」ボタンをクリックすることから始まる。 「いいね!」ボタンは、エヌ氏が参加している仮想世界上の友達の日記やひとりごとつぶやき機能についているお手軽評価ボタンのことだ。 エヌ氏の友達は、熱心に仮想世界上の日記に日々のできごとを綴っていた。 朝ごはんにべたもの、今いる場所、気がついたこと、天気のこと、や花の写真とありとあらゆるものが仮想世界上の日記としてほぼリアルタイムに書き込まれていた。 エヌ氏は仮想世界上の友達との友好的なコミュニケーションを円滑に果たすために、早起きしてエヌ氏が就寝してから起きるまでの間に書かれた日記にたいして、「いいね!」ボタンを次々と押していった。 来は、どういうふうに「いいね!」なのかを感想コメントとして残すべきなのだが、何せエヌ氏が読まなければならない日記の量は膨大で一日のうちのかなりの時間をそれに費やしていた。そんな状態だったので

    エヌ氏の一日
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