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ブックマーク / www.anlyznews.com (42)

  • 功利主義で表現の自由をどこまで擁護できるか

    …と言うネット論客の青識亜論氏から御題があって、だらだら話していたところをまとめておきたい。幾つか観点を追加している。 功利主義は人々の快苦の多寡や選好の強さを合計する快楽計算によって物事の是非を判断し、表現の自由も快楽計算によって判断する道徳的立場。ある表現物の是非を考える場合は、その表現物が誰かに与える快楽と、その表現物が与える苦痛の大きさを比較して、快楽が大きければ善しとする。 物事の良い面と悪い面をそれぞれ評価して是非を定める帰結主義の代表。単純明快な判断基準が特徴だが*1、18世紀にベンサムが原案を考案したあと、19世紀のシジウィックとミル、20世紀のブラントとヘアと受け継がれ、発展してきた。実社会に対する影響も大きく、J.S.ミルの『自由論』が古典的自由主義の礎になっている他、ここ何十年かは応用倫理学者のピーター・シンガーが安楽死や動物の倫理を考えるのに使っている*2。最近は幸

    功利主義で表現の自由をどこまで擁護できるか
  • サトウヒロシさん(@satobtc)、感染者数のピークを抑えるということは、感染者や死亡者数の延べ人数も減らすということだから

    ビットコイン好きの個人投資家らしきサトウヒロシ氏が、ゆっくりとみんながコロナに罹ることによって感染者数のピークを抑えるピークカット戦略が最終的に破綻し、より多くのコストを払うことになると、ネット界隈の人々を煽っている*1のだが、出だしから変なことになっている。デマを流して楽しむにしても、もっと上手くやって欲しい。 感染者数が山なりになるグラフは、SIRモデルかその派生によって計算されているわけだが、まず、ピークが急でも緩やかでも集団免疫を獲得することになる。「集団免疫を獲得しよう」は戦略であり得ない。次に、ピークカットをするためには、基再生産数(R₀)を引き下げる必要があるのだが、これによって感染者の延べ人数も延べ死亡者数も減ることになるから、「ピークカットでは感染者数が減るのではなく、後ろにずれるだけだ」と言うことは無い。 実際に数値演算をして感覚を掴んでみよう。公開されているRのコー

    サトウヒロシさん(@satobtc)、感染者数のピークを抑えるということは、感染者や死亡者数の延べ人数も減らすということだから
  • ネット界隈の風紀委員型リベラリズムは異端とは言えない

    文筆家になっていた御田寺圭氏の『「不快なポスターを許せない」保守化するリベラルの末路』と言うエッセイを読んでいて気になったのだが、リベラルが信奉しているのがリベラリズム、リベラリズムとは古典的自由主義と言う前提で話がされていてよろしくない。 ツイフェミが「保守的な風紀委員」になっていると言うのには異論はないし、表現物に関するツイフェミの議論が公正さを欠くと言うのには同意するのだが、かなり昔にリベラルの主義主張は古典的自由主義ではなくなっている。 1. ソーシャル化したリベラリズム Tiwtterのフェミニストの皆さんの思想的背景を断定するのは難しいのだが、米国流リベラル、ソーシャル・リベラリズムの影響が強いとは言える。この立場では、公権力による市民の自由の制約はそう毛嫌いされているわけではない。ソーシャル・リベラリズムの観点からは、不快を理由にして規制をかけたり、公正さを破るような多様性を

    ネット界隈の風紀委員型リベラリズムは異端とは言えない
  • はあちゅうさんにも、二重盲検のランダム化比較実験と治験について学んで欲しい

  • ジェンダー社会学者の皆さん、ミソジニーを家父長制から定義しようとすると、意味不明になるからね!

    ジェンダー社会学者の江原由美子氏が、ケイト・マン氏の家父長制秩序を支える機能をもつ人を支配するためのシステムの一形態としてミソジニーと言う概念を理解しようとする議論を紹介するエッセイ*1が話題になっているのだが、家父長制への理解が怪しい意味不明な議論になっている。フェミニストが振り回しているからと言ってミソジニーと言う単語に独自定義を与える必要はないわけで、話が混乱するだけの有害無益な議論だから止めて欲しい。 このエッセイでは家父長制の説明が、女性が男性に付き従う社会となっている*2のだが、まったくもっておかしい。家父長が他の家族に対して指揮命令をし、家計の財産の処分権を持つような社会制度が家父長制であり、家父長制の社会の女性は家父長に従う義務はあるが、他の男性に従う義務は無い。江原氏のエッセイでは、「女の子の誰一人として僕に振り向いてくれなかったから、大学の女子学生を無差別に殺した」犯人

    ジェンダー社会学者の皆さん、ミソジニーを家父長制から定義しようとすると、意味不明になるからね!
    sc_watcher
    sc_watcher 2020/02/10
    ミソジニー、本来学問的な議論で使う類のワードではなく、フェミニストを自称した上で使ってこなかったのは評価できるのに、そこでボケをボケで重ねるみたいなことになっていて、フェミニズムは大変だなぁと思った。
  • 過去のフェミニズムの議論からは、性的モノ化された萌え絵が有害の可能性は低い

    ネット界隈での表現の是非に関する話題において、性的モノ化(sexual objectification)*1と言う単語を見かけることが多くなった。性の商品化などとも表現される概念で、萌え絵の是非が問題になる文脈では、概ね女性キャラクターの性的魅力を過度に強調する、もしくは性行為を連想させる表情や仕草をさせる作画のことを指している。 牟田和恵氏あたりのジェンダー社会学者は、この性的モノ化と言う単語を議論に持ち込んだ上で、特に詳しい説明なくこの性的モノ化を悪として、性的モノ化されているとして萌え絵を非難することがある。しかし、実はフェミニストの議論において性的モノ化されたキャラクターの表現物が問題なのか、どのように問題なのかは自明ではない。 ジェンダー社会学者の小宮友根氏の昨日のエッセイ*2でも、著名フェミニストのヌスバウムとイートンに言及した上で、独自の性的モノ化の倫理的問題点を議論していた

    過去のフェミニズムの議論からは、性的モノ化された萌え絵が有害の可能性は低い
  • 韓国政府、韓国国民へのメッセージは具体的かつ明確に

    韓国の文在寅大統領がASEAN訪問で各国に協力を求めると言い出し、韓国の康京和外相がBBCのHARDtalkと言う番組に出演したり、文在寅大統領の政策ブレーンとして知られる延世大学の金基正教授がThe National Interestと言う雑誌に寄稿*1したりと、日韓関係の悪化に関して韓国首脳は自己正当化に余念が無い。さらには福島第一原発のトリチウムを含む処理水の投棄や旭日旗の問題など次々に話題をつくってくれるわけだが、おかげでちょっと困ったことなっている。皆さん、日政府の主張が何であったか覚えているであろうか? 復習しておこう。日政府は徴用工問題に関しては、(1a)韓国政府が代理で補償を行うか、(1b)日韓請求権協定の解釈が異なったときのために、同協定で規定された対話手段である仲裁委員会の設置を行うか、(1c)国際司法裁判所による紛争解決を求めている。大韓民国向け輸出管理の運用の見

    韓国政府、韓国国民へのメッセージは具体的かつ明確に
  • どこに行きたいのか文在寅

    対日批判を続けてきた韓国の文在寅大統領だが、2019年8月15日の光復節のスピーチではそれをトーンダウンさせ、日が対話を望めば「喜んで手を結ぶ」 と柔軟な態度を見せた。しかし、日韓請求権協定に規定された、日韓で協定解釈が異なったときの対話手段である仲裁委員会の設置については拒絶し続けているし、日国民を挑発するかのように、福島第一原発の災害・事故から8年以上経った今頃になって、日品の放射線検査強化をはじめたり*1、韓国も海洋投棄を行っているトリチウムの廃棄に関して日政府に説明を求めだしている*2。昨日はとうとう、GSOMIAの破棄を決定した。文在寅政権は、一体どうしたいのであろうか? 1. 文在寅氏は反日・親北・親中ではない 文在寅氏が反日・親北・親中と判断している人々が多いわけだが、そういう行動原理ではない。筋金入りの反日家族と言うわけでもない*3し、北朝鮮からの反応を計算して

    どこに行きたいのか文在寅
    sc_watcher
    sc_watcher 2019/08/23
    支持者も含めとにかく国際感覚がないという感じを受けるが、そういうものだとはっきりしたことは良かったのかもしれない。
  • 小泉進次郎衆院議員、政府の役職につくまで国会質問はして来ていますよ

    Twitterで小泉進次郎衆院議員が10年間の議員生活で一度も国会で質問を行っていないと言う噂が駆け抜けた*1のだが、国会会議録検索システムで確認したところ、野党時代も与党時代も国会質問をしていたのでガセであった。内閣府大臣政務官と言う謎の役職についてからは、政府側の人間になるので政府に議員としては質問していないと思うが、代わりに両院に呼び出されてあれこれ発言をしている。忙しい方では無いであろうか。 そもそも、国会質問をしたり、質問主意書をつくったり、議員立法を提出したりしたかで、与党議員の活動を評価するのは無理筋だ。日の議会制度だと政府が法案を提出できるので、与党が議員立法を目指す必要性はまず出てこないし、与党自民党は政務調査会で与党議員の意見を拾い集めているので与党議員が国会で質問して政府姿勢を問いただす必要性もほとんど無い。委員会や研究会に出席しているかなど、別の指標をつくる方がよ

    小泉進次郎衆院議員、政府の役職につくまで国会質問はして来ていますよ
  • 開催側の配慮の足りなさ、根性の無さが伝わる「表現の不自由展・その後」

    国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の中の「表現の不自由展・その後」の一部の展示物が物議を醸し、開催側の愛知県知事の大村秀章氏と芸術監督の津田大介氏が中止を決定する事態に至った*1。そして一部の展示中止を求めていた河村たかし市長が関係者に謝罪を要求している*2のだが…この芸術祭の運営会議・会長代理は誰であったか忘れてしまったのであろうか。 表現の自由は、政府や地方自治体の予算や催し物で自由に表現できると言う話ではなく、公権力によって自由な表現を阻害されないと言う話なので、地方自治体が主催する美術祭で無難な展示物を選ぶと言うのは理解できる。しかし、今回、物議を醸す作品が入り込むことは、最初から分かったいたはずだ。特別展示の趣旨がそういうシロモノになっている。 主催者ウェブサイトの説明によると、「表現の不自由展・その後」は、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品、公立美

    開催側の配慮の足りなさ、根性の無さが伝わる「表現の不自由展・その後」
  • 求められる査読付き新書レーベル

    文学者/エッセイストの池内紀氏の『ヒトラーの時代』の記述に多くの誤りがあると歴史研究者から指摘されており*1、特にある章は正誤表での訂正が困難なレベルであるそうだ。歴史を題材にした文学者の随筆だと捉えればよい気もするのだが*2、良質の歴史書が並ぶ中公新書が出してしまったので失望が大きい。中央公論新社が既刊への批判をどう処理するかが注目されるが、もう少し制度的に製作過程を改善すべきかも知れない。 査読システムを入れるべきでは無いであろうか。今回の件は、解釈に飛躍があると言う問題ではなく、固有名詞が一般的な表記とずれている、ドイツ近現代史に詳しい人であればすぐ気づく事実誤認があると言うことで、校閲が頑張れば問題は起きなかったと言う話もあるが、一般的には社会科学や人文科学でも学問的蓄積が進んでおり、出版社の人間がキャッチアップするのは困難になりつつある。また、校閲も何冊も同時に担当しており、十分

    求められる査読付き新書レーベル
  • ジェンダー社会学者の皆様、無根拠・無条件にDV防止法の保護命令は役に立たないと言うのは、DV被害者の利益にならないですよ

    社会学者の千田有紀氏が配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(DV防止法)にある、加害者が被害者への接近を禁じる「保護命令なんて、なかなかなかなか出ませんよね」と主張し、「保護命令の申立ての約8割、取下げを除けば9割以上が認容されている」から事実誤認だと批判され、「保護命令のハードルは高く、却下されたときのリスクを考えて、みんな申請を控えている」「保護命令自体が、加害者を刺激する割に使い出がない」と反論している。千田氏の主張は根拠やそれが当てはまる条件が明示されておらず*1、当は保護適当なのにDV被害者にその申請を躊躇わせる可能性があるのだが、弱者女性の不利益になる可能性について考慮されているのであろうか。 申し立てが認められる割合は、不確実性が低いことしか意味しないことは確かだが、千田有紀氏の前後ツイートを見ても保護命令のハードルに該当するような事実の指摘が無い。秦真太郎

    ジェンダー社会学者の皆様、無根拠・無条件にDV防止法の保護命令は役に立たないと言うのは、DV被害者の利益にならないですよ
  • 北田暁大さん、山岡重行『腐女子の心理学2』はオーソドックスに分析していますよ

    社会心理学者の山岡重行氏の『腐女子の心理学2』(以下、山岡)の統計解析について、社会学者の北田暁大氏が色々と批判している*1のだが、地に足が着かない批判になっている。山岡を流し読みだが確認してみたのだが、後半の統計概念の説明に難が無いわけではないが、山岡氏の分析手順はオーソドックスな範囲のものであり、大きな問題がある部分は見当たらない*2。利用した分析手法で言える範囲のことしか言っておらず、大きな問題だと主張するのは無理である。そもそもこの手の実証研究は分野ごとの慣習に習うものなので、下手に難癖をつけてもなかなか的を得た批判にはならない。 山岡の統計的仮説検定の説明に難がある*3のはそうなのだが、文中で行われている統計解析である標平均と特定の値の一群のt検定、群と群の平均値の差の二群のt検定の解釈は、帰無仮説が棄却されれば対立仮説を採用し、棄却されなければ対立仮説が真とは言えない

    北田暁大さん、山岡重行『腐女子の心理学2』はオーソドックスに分析していますよ
  • 山岡重行が批判する北田暁大『社会にとって趣味とは何か』の標準得点の問題点について

    社会心理学者の山岡重行氏が、社会学者の北田暁大氏が『社会にとって趣味とは何か』*1で行った、「夫は外で働き、は家庭を守るほうがよいと思う」*2などの質問に、あてはまる(4点)/ややあてはまる(3点)/あまりあてはまらない(2点)/あてはまらない(1点)の4択で答えてもらったアンケート結果の集計方法について、批判を通り越した非難を展開している*3。分析手法はすべて公開されているのだから、不適切な分析であっても捏造とは言えないと思うのだが、それはさておき標準得点は使わない方が良かった。 北田氏は著作で標準得点のグラフ(図8-4;p.291)を参照しつつ、「二次創作好きの女性オタクと、男性二次創作好きオタクとで正負が逆」(p.292)としているのだが、標準得点なのでここでのゼロは平均値でしかない。標準化前の数字であれば、回答の文面から2.5点を基準にジェンダー規範は逆と解釈することができるのだ

    山岡重行が批判する北田暁大『社会にとって趣味とは何か』の標準得点の問題点について
  • 元財務官僚・高橋洋一の教科書にある中心極限定理の説明について

    東京大学理学数学科卒で、常日頃、文系の経済学者は数学や統計が分からないと罵ってまわっている元財務官僚・高橋洋一氏の著書『図解 統計学超入門』の中心極限定理の説明「相互に独立な確率変数X1、X2、X3、…、Xnがあるとき、これがどのような確率分布であっても、nが大きくなればなるほど、正規分布に近づいていく」がデタラメだと話題になっている。確かに、初学者向けの説明としても、2点、看過できない誤りがある。 まず、古典的な中心極限定理*1は、分布に期待値と分散ががあることが前提で、コーシー分布など当てはまらない分布もあることから、「どのような確率分布であっても」と言うのは誤りであり、次に、「正規分布に近づいていく」のは確率変数Xの平均値の分布であって、確率変数Xが従う分布ではないから、「確率変数Xの平均値が」と言う補足を加えないといけない。 他のでも誤った言及を見かけたことがあり頻出の間違いであ

    元財務官僚・高橋洋一の教科書にある中心極限定理の説明について
  • 稲葉振一郎『社会学入門・中級編』の計量経済学に関する説明はデタラメなことを社会学徒に知って欲しい

    第1章の内容で全体がどうこうと言う話ではないのだが、社会学者の稲葉振一郎氏の『社会学入門・中級編』の第1章にある計量経済学に関する説明はデタラメなので、他の社会学徒の皆様は騙されないように注意して欲しい。ネット界隈の印象に過ぎないが、社会学者の集団はサークルをつくって思い込みを共有しだすので、由々しき事態である。ミクロやマクロの計量分析をしている経済学者たちに草稿をチェックしてもらうなりすれば、ここまで露骨に変なことにはならなかったと思うのだが。 1. 構造推定への誤解 「実証社会科学への影響—計量経済学の場合」(pp.27—30)に「二〇世紀末」に「(「昔ふうの法則定立を目指しての構造推定」(p.43)とされる)理論モデルから得られた経済法則を表す方程式を、直接回帰分析にかけて検証する、といったやり方は社会経済データには通用しない、ということがわかってきた」(p.28)とあり*1、「大雑

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  • 山岡重行の統計的仮説検定の説明に対する北田暁大の批判について

    社会心理学者の山岡重行氏の『腐女子の心理学2』の巻末の統計学用語の説明に関して、社会学者の北田暁大氏が色々と批判している*1。しかし、あれこれ経緯がある*2からだと思うが、全般的に勇み足になっているので指摘しておきたい。山岡氏の記述にも問題が無いとは言い切れないのだが、統計学を学んでいない人向けの説明であろうことを念頭に置くと、山岡氏が統計学に無理解であるかのような批判は適切ではないと思われる。 1. P値の解釈について 北田氏は、山岡氏のように統計的仮説検定で「事実認定」をすることは、アメリカ統計学会(ASA)の声明*3に合致しないと主張しているのだが、何を「事実認定」するのかについて注意が払われていない不適切な批判になっている。 山岡氏の説明では、分類したグループ間の平均値に差があるのか「事実認定」するために、統計的仮説検定を用いることになっている(pp.72–73)。つまり、データと

    山岡重行の統計的仮説検定の説明に対する北田暁大の批判について
    sc_watcher
    sc_watcher 2019/07/08
    色々な意味でコスパが悪い論争になってきた感じだが、泥仕合に持ち込むのも一つの戦略ということなんだろうか。
  • 落合陽一×古市憲寿の終末期医療削減による医療費抑制論について

    社会学者というかコメンテーターの古市憲寿氏が前衛芸術家の落合陽一氏との対談*1で、終末期医療の打ち切りによる医療費の削減が必要と主張してネット界隈で論争を呼んでいる。「優生思想に他ならない」と優生思想が何かも分かっていないヒステリックな糾弾はどうかと思う*2のだが、古市氏も医療費全体に占める終末期医療のボリューム感を見誤っている可能性が高い*3。 高齢者の増加で医療費が増加しているのは事実だ。死亡まで数ヶ月間の治療費が高くなる傾向も指摘されている。終末期の胃ろうや点滴は過剰であり、後期高齢者において回復見込みの低い状態での延命治療は打ち切るべきという議論は以前からある*4。このように列挙していくと衝撃的でも正しいことを言っているように思えてくるが、やはり医療費全体に与える影響は概算でも出さないと議論がおかしくなる。 日医師会の『後期高齢者の死亡前入院医療費の調査・分析』の「高齢者の医療費

    落合陽一×古市憲寿の終末期医療削減による医療費抑制論について
    sc_watcher
    sc_watcher 2019/01/05
    あまり分かってない人がコスパの話をして、雑だと突っ込まれていると、コスパの話は絶対にするな勢がどっと押し寄せてきた感。
  • 稲葉振一郎「因果因果いうようになったの割合最近」に引っかかった点と、リプライで指摘し損なったこと

    明治学院大学の稲葉振一郎氏が「因果因果いうようになったの割合最近」と言うツイートに、因果と相関の違いを気にするのは昔からでは無いかなと(やや意地悪な)リプライをつけてみたことから派生した議論なのだが、稲葉氏が途中で怒り出したために言及しそこなったポイントがあるので、リプライで指摘したことを繰り返すと同時に、言い損なったことを補足しておきたい。 1. 「因果」が統計的因果推論を意味するのであれば無問題 「因果因果いうようになったの割合最近」と言う稲葉氏のツイートを見かけて思ったことは、以下の二点だ*1。 因果が統計的因果推論を意味していて、社会科学分野におけるその利用と言う話であれば、「因果因果いうようになったの割合最近」と言う主張にとくに違和感は無い。統計的因果推論といえば、ランダム化比較実験(RCT)か自然実験を利用した計量手法を指すが、経済学におけるランダム化比較実験の導入で成果を挙げ

    稲葉振一郎「因果因果いうようになったの割合最近」に引っかかった点と、リプライで指摘し損なったこと
  • ニュースの社会科学的な裏側: ジェンダー社会学者が隠す恋愛観、結婚観

    誰しも誰かに恋心を抱くもので、多くの人は私と違って何らかの恋愛経験を持つものだからか、恋バナは個人の主観が雑に入ったものになりがちだ。一週間前も、ジェンダー社会学者の澁谷知美氏が乱暴な言い回しで持論を主張し、炎上気味に非難されていた*1。会話が捩れていて澁谷氏だけが悪いとも言えないし、御題に対する結論の是非は何とも言えないのだが、澁谷知美氏が自身の恋愛観、結婚観を隠しているように思えたので指摘しておきたい。 議論の流れは次のようなものである。どこかの男性の「誰かの唯一無二に選ばれたということが自信になるし、周囲からの信用にもつながるので、恋人が欲しい」と言う主張を、すずもと氏が「誰からも承認の得られない男性が必然的に至る主張」だと話を不用意に変形させ*2、澁谷知美氏が「誰からも承認されないのがそんなに苦しいんなら同じような男同士集まってバーベキューでもしたらいいのでは」「男の汚れ、男の中(

    ニュースの社会科学的な裏側: ジェンダー社会学者が隠す恋愛観、結婚観
    sc_watcher
    sc_watcher 2018/12/19
    恋に恋することの倫理的検証、意外と面白いテーマかもしれない。