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中東情勢
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生まれて初めて中東の国を訪問したのは90年代半ばのことだった。かつて「パンのみに生きるにあらず」 という記事にも書いたが、季節はまだ確か5月か6月、本当の真夏になる前だった。でも、好奇心から持っていった温度計で、ホテルの裏の路地を測ってみて、気温34度と言う数字にぶったまげた。 「なんて暑いんだ。」日本では信じられないほどの暑さだ。・・実際、その頃、関東では真夏になっても、気温が33度を超えることなど、めったになかったのだ。 暑いだけではない。ペルシャ湾(アラビア湾)に面したその国では、大気中の湿度が非常に高いのだった。これは現地に行ってみるまでわからない、意外な事実だった。砂漠の国=カラカラに乾燥した土地、と言うイメージしか持っていなかったからだ。湿度がほとんど100%なのに、半年間、一滴の雨も降らないような天候が存在するなど、誰が想像できるだろうか。
単身で海外に出て1〜2週間たち、日本語をほとんど使わない日々が続くと、英語で夢を見ることがある。夢の登場人物たちと英語で話し、夢の状況について英語で自問自答する。目が覚めると我に返ったような、ちょっと不思議な気分になる。だが、日中も同じようにしているから、そんな夢をみるようになるのだろう。 昭和の頃、ある有名な英語学校が「英語で考える」を教育スローガンにしていた。その広告を見るたびに、なんだか奇妙な感じがした。言いたいことはもちろん、わかる。英語で文章を作るときは、日本語の発想とは全く異なる仕方で、最初から英語的に組み立てないと、まともな英文にならない。自分の頭の中で日本語を介在させても、時間と思考力のムダになるだけだ。 わたしが昨年、出版の取りまとめと編集をお手伝いした恩師の著作「 気品あるアタマと冒険ある実践」(西村肇・著)の中に、「人間と言葉 〜人は言葉で考えるか 科学者とコトバ〜」
サプライチェーンサイエンス 「サプライチェーンサイエンス」(W・J・ホップ著)刊行のお知らせこの7月に、近代科学社さんからW・J・ホップ著「サプライチェーンサイエンス」 の翻訳書を刊行しました。電子書籍と、紙の本(オンデマンド出版)の両方で販売されます。すでにAmazon, honto等のサイトからも注文可能です。 本書は、慶應義塾大学・管理工学科教授の松川弘明先生(日本経営工学会の前会長でサプライチェーンマネジメントの権威)と、わたしが監訳者となっており、実際の翻訳は、「次世代スマート工場のエンジニアリング研究会」 の技術開発分科会メンバーが担当しました。また出版にあたり、(財)エンジニアリング協会から助力を得たことも付記し、感謝の意を表します。もっともわたし自身は、翻訳にそれほど大きな貢献をしているわけではなく、本来であれば監訳者としては、本書の重要性を早くから見出して、初期の版の仮訳
世界史をモデリングするーーシステム分析家やシステム・モデラーだったら、そういう課題に挑戦したいと思うかもしれない。そうでなくても、中国という隣国の成り立ちと行く末について、俯瞰的な立場から考えてみたいと感じる人は少なくあるまい。そういう人におすすめなのが、本書である。 著者は大学の先生で、歴史学者である。ふつうプロの学者というと、実証的で専門的な、ある意味で重箱の隅をつつくような、分野に特化した人を思う。分析的な、細かく分けて識別していくタイプの知的専門家だ。だが著者はまったく逆である。この人は、モデリングの人なのだ。 著者のアプローチは、梅棹忠夫の「文明の生態史観」などに通じる。事実、冒頭の章で梅棹の文明的な地域区分の図が出てくる。ユーラシア大陸を、ざっくり東西に伸びた楕円形に模して、その中心を斜めに走る砂漠と周囲の乾燥地帯、そして両端のより湿潤な地域に区分した図である。乾燥地帯には遊牧
先日のエントリ「物流は本当に付加価値がない業務なのか」 (2023-06-04)でも書いたことだが、国交省は「高度物流人材」の育成策を講じている。わたし自身も昨年度から、日本ロジスティクスシステム協会の「ストラテジックSCMコース」の講師をお手伝いすることになったので、少しばかり身近に感じる立場である。 ただ、そこにも書いた通り、物流業務はふつう、付加価値を生まない業務として低く見られている。理由は、モノを保管したり需要地に移したりしても、会計上は価値が変わらないことになっているからだ。モノの価値は、その市場価格によって客観的に決まる。産地の米を消費地に移しても、価値が変わるわけではない。むしろ原価が上がるだけ。これが会計学の主流の考え方だ。 これに対して、同じモノでも、需要に近いほうが価値が高い(在庫毀損のリスクが小さい)と考えれば、物流にも付加価値が生じてくる。これがわたしの考え方だが
「デジタル人材をとれない」という声を、よく耳にします。「せっかく育てても、辞めていってしまう」とも。中途採用をかけようにも、ウチの会社の処遇じゃ、殆ど応募も来ないんだ・・そんな嘆きを聞いたのも、一度や二度ではありません。 実はこの悩み、日本だけではないようです。わたしは先週アムステルダムで開かれたエネルギー業界向けのデジタル技術とDXに関するカンファレンス「Go Digital Energy 2023」に参加してきました。この会議に出席するのは3回目ですが、欧米のエネルギー企業も、似た悩みを抱えているようです。石油メジャーのような高処遇の大企業でも、ITエンジニアの確保に苦心していると聞きました。 もっとも欧米の場合、ITプロフェッショナルとは、大学でComputer scienceを専攻し、最低でも修士号を持っている人間のことを指します。企業はそうした専門職を社内に抱えて処遇し、設計開発
先週の5月26日に、「アジア・シームレス物流フォーラム」https://mf-p.jp/aslf/ のパネル・ディスカッションに参加してきた。このフォーラムは日本マテリアルフロー研究センター(JMFI)が主催する展示会で、国内外の大手物流関連企業が集まっている。コロナ禍が過ぎて3年ぶりにリアル展示となり、来場者数も多くかなり盛況だった。物流関係の催しなので、本サイトの読者からは縁遠いかと考え、とくにお知らせもしていなかったが、SCMの関連テーマもあり、広報すべきだったかもしれない。
昨年後半から何回か、スマート工場に関連し、製造実行システムMESに関するレクチャーをしたり、人前でお話しする機会があった。その中でいただいた質問やコメントについて、ここで少しばかり解説を補足させていただこうと思う。 最初の論点はMESとMOMの違いである。私が幹事を務める(財)エンジ協会「次世代スマート工場のエンジニアリング」研究会 では、一昨年、そして昨年と2回にわたって、MESに関するシンポジウムを開催した。そのシンポジウムでは、あえてMESとMOMをあまり区別せず、一括してMESと呼ぶことにした。また、野村総研・経産省に提出した「国内工場におけるMES(製造実行システム)導入動向等調査レポート」 では、MES/MOMという書き方をした。つまり、あえて両者を区別しなかったわけだ。しかしこの2つは同一の概念だろうか? 本当は、両者は違う。MESとMOMは、それぞれ別のグループの人たちが、
考える技法、思考のノウハウについては、世の中に数多くの本やコンテンツがある。しかし、いつ考えるべきかという問題については、あまり論じたものを見たことがない。今回はこれについて考えてみよう。 Systems Thinkingの方法論などで知られるジェラルド・M・ワインバーグの名言に、「やり方(Know-how)よりも大事なのは、しおどき(Know-when)だ」と言う言葉がある。良い結果を得るためには、どのようにやるかの方法を知ることも必要だが、いつどんな時にその方法を用いるべきかを知ることの方が大切だ、と言う意味である。
プロジェクト型の事業はふつう、初期には費用を使って、成功するとリターンを得るというキャッシュフロー構造をしている。言いかえれば、最初に投資が必要で、完了時に回収する仕組みである。受注型プロジェクトでも、最初は人件費や外部コストがかかり、成功裏の完了すると支払を得るわけだから、時間的な構造は同じである(会計的には「投資」扱いにならないとか、一部の「前払金」があり得るなど、細かな差違はある)。 いうまでもなく、多くのプロジェクトは失敗のリスクをともなっている。すなわち、初期の投資を回収できずに終わる可能性が(大小はともあれ)存在する。いま、プロジェクトの初期投資額をC、成功時の収入をSとし、かつ途中で中断失敗するリスク確率をrとすると、プロジェクトの生み出す価値の期待値は、非常に単純化して言うならば (1 - r)S - C (1) で表されることになる。これがプラスでなければ、そ
考え事をするのが、趣味である。あなたの趣味はなんですかと、もし聞かれたら、読書とか音楽とか、当たり障りのない答えをするかもしれない。でも、本当の趣味は何かと自問したら、きっと「考える」ことなのだろう。暇さえあれば、考え事をしている。趣味とは自由な時間ができたとき、真っ先にすることだとしたら、「思考」がわたしの趣味なのだ。 何を考えるのかって? いろいろなことをだ。仕事に関わることを考えることもあるが、職場を離れたら、それ以外のことを考えることの方が多い。それも具体的な問題より、抽象的な問題を考えることを好む。じつは最近、ずっと休眠していたTwitterのアカウント(tomoichi_sato )を復活させ、毎日思いついた思考のエレメントというか、フラグメントを少しずつ流している。ご興味があったら参照されたい。 ちなみに、このところしばらくは、SCMに関わる「システム=仕組み」というものの性
パウロという人は、「キリスト教」を作った人だ。——こう書くと、「え、キリスト教ってイエス・キリストが始めた宗教じゃないの?」という疑問の声が上がりそうな気がする。それはYesでもありNoでもある。 ナザレのイエスという人は、ユダヤ教から出てきた宗教改革者だった。ローマ帝国支配下にあえぐユダヤ人社会にあって、かなりラディカルな改革の主張と宣教をし、結局はユダヤ人支配階層から憎まれて、首都エルサレムで十字架刑で亡くなった。だが彼は、自分がキリスト(これ自体はギリシャ語で、ヘブライ語のメシア=油を注がれ聖別された者、に相当する)だと皆に言って回った訳でもなく、自分は神の子だと宣伝した訳でもない(自分は「人の子」だといっている)。 では、彼が神の子であり、人類皆の罪をあがなうために十字架上で亡くなった、という主張(信仰)は誰がはじめたか。それは彼の弟子たちだった。イエスに直接付き従った12人の弟子
サプライチェーン・マネジメントの話をもう少し続けたい。SCMは非常に広義な概念である。曖昧と言っても良い。そこで、その中身を区分し、分類しておかないと、何の話をしているか分からなくなりがちだ。 サプライチェーンには、自社内で閉じた範囲と、他の企業を含む広い範囲の2種類があることを、前回記事では書いた。自社内での原料調達から製品の保管・出荷までは、基本的に自社が統括する業務から成り立っているので、やろうと思えば、全体を調和的にマネジメントすることができる。 もちろん、マネジメント「できる」と、マネジメント「できている」は全く違う。できている企業は、滅多にない。なぜできないかと言うと、日本企業では経営層も中間管理職も縦割り思考が強く、その必要性を理解していないからだ。求めないものが実現する訳がない。 さらに言うと、製造業では、「マネジメントとはPDCAサイクルを回す事である」との理解が強い。だ
先週の金曜日に、東京・浜松町で開催された「ストラテジックSCMコース」の終了発表会に参加してきた。これは日本ロジスティクスシステム協会が主催する、社会人向け半年コースのセミナーで、今期からわたしも講師陣の一員としてお手伝いをしている。3月の卒業式シーズンにしては、雨が降る寒い天気だったが、3年ぶりにリアル発表会とのことで、発表する受講生の皆さんも熱がこもっていた。 このコースは今回で第26期になる。1期は半年制なので、13年前の2010年から開始したことになる。2010年と言えば、日本経済はまだ、リーマンショックの落ち込みから脱出しようと、もがいていた時期だ。受講者数は毎回約30人。それが26期だから、SCMに理解と見識のあるOBOGを、合計で650人以上育てたことになる。これはなかなかの成果だと思う。 コースは全体で20回の講義と、課題研究発表会の集合研修からなる。社会人向けなので、講義
さて、製造スタッフレベルの仕事、すなわち「製造マネジメント業務」の機能をサポートするために、MES/MOMと呼ばれるITシステムが登場してきた訳ですが、これが、工場の外にいる(つまり本社や営業畑の)人たちには分かりにくい。というのは、すでにたいていの会社では、「生産管理システム」と呼ばれるソフトが動いているからです。 それは自社の手作りソフトだったり専用パッケージだったり、あるいはERPのサブモジュールだったりしますが、とにかく中規模以上の会社では、生産管理システムと呼ばれるものを持っています。では、MES/MOMシステムは、それと何が違うのでしょうか。
今月の14日に、「計装制御技術会議」という催しで、『ディスクリート・ケミカル工場 ~ そのスマート化を考える』というテーマの講演を行った。『ディスクリート・ケミカル工場』とは、わたしが2019年に「化学工学」誌4月号の解説論文で提唱した概念で、このサイトでも少し紹介したことがある(お知らせ:『化学工学』誌に論文『ディスクリート・ケミカル工場の生産システムを考える』が掲載されました2019-03-30)。 実はこのコンセプト自体は、その前年に、同じ「計装制御技術会議」で披露したものだった。したがってある意味、今回の講演はその続編にあたるが、幸い、今回も比較的好評だった。ただ、この会議は文字通り計装制御系(とくにプラント分野)の専門技術者が集まる場のため、他分野の方にはあまり知る機会がなかったと思う。そこで、当サイトで紙上再現をすることにしたい。全体は50分程度と長いため、多少細部は省略してお
思考とモデリングの技術に関する解説を、当サイトでとりあげるべく、構成と切り口について考え続けている。そもそも、思考とはどういう営為なのか。その技術を学ぶには、どういうやり方がベストなのか。第一、わたし達は本当の意味で、「考える方法」を教わったことがあるのか。 わたし達は学びの姿勢を、自分が受けた教育の中で身に付けてきた。思考とモデリングのスキルを学ぶ際にも、それが無意識に影響する。そして、わたし達の社会における教育のあり方は、今ひとつ、考える力を育てる方向に向いていない。学ぶ側も、思考の方法を身に着けたいとは思っていないらしい。そのことを、この1年で何度か痛感することがあった。 というのも、どういうめぐり合わせか、昨年は人材教育カリキュラムの開発に、複数の場面で携わることになったからだ。相手は社会人で、テーマは主に「スマート工場」ないし「製造のデジタル化」であった。今、日本の製造業では『デ
好著である。まず、題名がうまい。「そうか、君は課長になったのか」というタイトルからは、課長というマネジメント職の仕事の心得を書いた本、というメッセージが自然に伝わってくる。おまけに、この口ぶりは上から目線だから、書いた人は会社社長か、少なくとも経営層の一員であることが分かる。それも、大企業のだ。 なぜ、大企業か。それは、君(たぶんかつての部下)が課長になったことを、著者が知らずにいて、気付かされたことを示すからだ。それは大きな会社でないと起こり得ない。経営者が部課長の顔と名前まで、すべてそらんじているような会社は、(売上や上場にかかわらず)中小企業と呼ぶべきなのである。著者は、大企業の経営層にいる。これが、読者に無意識な信頼度を与える。 本書は、「石田君」という架空の相手に向かって、アドバイスを送る形式になっている。文体は、「ですます調」だ。これも好ましい。ていねいな文体、漢字とかなの比率
久しぶりに(たぶん何十年ぶりかに)、ロバート・A・ハインラインの『月を売った男』を読み直した。1953に書かれた本作は、20世紀米国を代表するこのSF作家の、初期の代表作である。 そして、『月を売った男』こそ、ビジネスとマネジメントの本質を理解したい人にとって、いや、少なくとも米国のビジネスを知りたい人にとって、必読の書だと、あらためて感じた。もしあなたが米国企業と一緒に仕事をしようとしている立場の人なら、世のビジネス書を差し置いて、真っ先に読むべき本である。 ハインラインは「未来史」と呼ばれる独自の史観に沿って、多数の作品を発表している。日本ではおそらく『夏への扉』が、一番人気の高い作品だろうと思う。わたし自身は『月は無慈悲な夜の女王』がもっとも好きだ。主人公が自らの才覚を駆使して、世の荒波を乗り切っていく、というのが米国好みのストーリーだ(これに対し、身分制社会を経験した欧州は、人生を
一つ目は「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」で、小川明彦様にRedmineを応用した「チケット駆動開発の解説」のご講演をいただきます(1/11夜)。
今年も節分が近づいてきた。何だか年を経る毎に、1月の過ぎるのがあっという間に感じられるようになってくる。 ところで、もう10年以上前から、節分になると「恵方巻き」を方々の店で売るようになった。しかも、この宣伝を始めるタイミングが、毎年だんだん早くなっている。最近では、まだ年が明けて松の内なのに、コンビニでは恵方巻のポスターが、「年賀状あります」の張り紙の横に並ぶようになった。 わたしはこの、松の内の恵方巻の広告を見るたびに、なんだかせわしなく感じて、疲れるのである。そして、B2Cビジネスで働かなくてよかった、とつくづく思ってしまう。お節料理と年賀状の次は、恵方巻と節分豆。その次はバレンタインデーのプレゼント。さらにその次は桃の節句。そして卒業式と入学祝い・・。こうして、季節ごとに次々とイベントを打ち、新しくヒットしそうな商品を並べ、その売れ行きに一喜一憂する。そういうビジネスに、自分はとて
プロジェクト・マネージャーの教育について、ときどき社外の方から相談を受けることがある。こうしてプロジェクト・マネジメントについてBlogで書いたり、あるいはPMをテーマとした研究部会を主催したりしているからだろう。「社内のプロマネをどう育成したら良いか」だとか、「ちゃんとPMの方法論を勉強したいのだが、PMBOK Guideを読むだけで良いのだろうか」といったご相談である。前者は主に、社内のPMO的な立場の方が多く、後者は個人単位の自己啓発を考えておられる方だ。 前者のような問いに対するお応えの仕方は、様々なパターンがあり、ときには先方の社内研修などを引き受けることもある。後者のような問いだったら、たとえば「基礎知識として、PMBOK Guideくらいは一応お読みになってもいいと思いますが」とは申し上げている。 だが、PMの勉強としてPMBOKで十分かというと、答えはNOだろう。PMBOK
2月の中旬、まだ大勢の人の集まる会合が可能だった頃(なんだか遠い昔のようだが)、「日本学術振興会 プロセスシステム工学第143委員会」(通称「PSE143委員会」)という場に招かれ、講演をさせていただいた。会合全体のテーマは「新しい設計手法・視点」で、わたしは『システム設計は果たして工学たりうるか?』と題するお話をした。 設計とは何か、という問題について、最近あれこれの角度から考えてみている。わたし自身はエンジニアリング会社でずっと働いており、とくに駆け出しの頃は、設計部門でキャリアを積んだ。今は設計の現場から離れてしまったが、今でも設計の良し悪しこそ、その後の仕事の質や利益を、大きく左右すると信じている。そして、プロジェクト・マネジメントの分野に設計論が欠けていることが問題だ、とは以前も書いたとおりだ。 では、ひるがえって、設計とはどういう行為なのか、設計の質とは何が決めるのか、そして昨
エンジニアとは、考える仕事である。わたし達にとって、思考は仕事の中心プロセスであり、一番大事な商売道具である。である以上、自分の思考は有用で、正確で、かつ効率的であることが望ましい。知識労働者たるべきエンジニアが、肉体労働だとか、果ては感情労働(上司や顧客や仲間との感情的なフォロー等)について忙殺されているとしたら、嘆かわしいことだ。
今年の正月は、5日と6日も休んで、比較的長く休暇をとった。昨年、比較的多忙だったので、少しは休養を取りたいと思ったからだ。しかし残念ながら、やるべき宿題を抱えていて、あまり十分に休めなかった。いや、もっと正直に言おう。わたしはじっくり考える時間を取りたかったのだ。だが年末年始の間も、やるべきことに追われて、あまり考える時間を取れなかった。 忙しさに追われて、考える時間がない。これはわたし達の社会の、共通の病気かもしれない。忙しいから、深く考える暇がない。深く考えないから、その場しのぎの仕事が増えていく。結果としてあまり大きな成果が上がらず、瑣末な問題ばかりが増えて、その解決に時間が取られる。おかげで深く考えることができないから…
受注ビジネスに従事しているので、入札に応じる経験を何度もしてきた。公的な本式の入札もあるし、私企業を相手とする略式の競争もあった。提案書を作り、値段を決めて、期限の日までに客先に提出する。客先はその日になると、各社から出てきた提案書を開封して比較し、一番良いと考える候補者を選ぶ。 本格的な国際入札になると、「技術提案書」と「商業提案書」を別々に出すことが求められる。客先は、最初に技術提案書を開封して、内容を比較吟味する。この時点で技術審査に通らないと、商業提案書は開封してもらえない。かりに1円入札、いや1ドル入札をしたとしても、技術点で落第したら仕事は取れない訳だ。 入札のことを英語でBidという(Tenderというときもある)。入札への参加要請を、Invitation to Bid、略して「ITB」という。ITBには普通、入札提案書に記載すべき要件、契約書のドラフト、そしてプロジェクトの
「プロジェクト・マネージャー」という職種のイメージは、人によってまちまちだ。ある時、職場で専門誌の記者に取材を受けていた。会社の総合受付を見下ろす場所の会議室で、沢山の人が出入りするのが見える。しばらく話した後、帰りがけに、その記者はいった。「あんまり、プロマネ的なタイプの人を見かけないですね。」
——ほほう、お煎餅ですか。じゃあ、いただきます。(ぱりっ)ふむ、歯ごたえがありますが、美味しいですな。・・うっ・・むむっ、こ、こりゃ辛い!
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