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レファレンス協同データベース(レファ協)は、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、レファレンス(調べものの相談)のデータベースです。詳しくは「事業について」の各ページをご覧ください。
分類<019(読書、読書法)>の棚をブラウジングした。 (読みたい本を更に増やしてしまうかもしれないが、)読書法に関する資料を、積読に触れているものを中心に紹介する。 (1)本を速く読む方法・通読しなくてもいいという意見 資料1 『超速読力』 「超速読力」とは、本や書類を見た瞬間に内容を理解し、コメントを言えるという新しい力であるとし、その意義とトレーニング法について書いている。 資料2 『大学生のための速読法』 接する文献の多い大学生や大学院生のために、楽にポイントを読み取ることができる速読法を紹介している。 資料3 『読まずにすませる読書術』 読む必要のない箇所を見抜く技法や、本を読まずにすませる技法を紹介している。 資料4 『時間がない人のための即効読書術』 バスで読書する際に酔いにくい席の選び方(p.17-18)など、読書を効率化する具体的な技術を紹介している。 (2)多読や乱読な
調査した結果、もともと「てふ」は「ちょう」とは読まなかったことが判明した。 調査した資料に書かれていたことをまとめると次の通り。 ・昆虫の蝶は、昔は和語の「カハヒラコ」と呼称されていたが、平安時代、外来語の呼称「tiep」に取って代わられた。 この発音「tiep」をそのまま文字に書き写したものが「てふ」だった。 ・この発音「tiep」は、時代を下るにつれて変化していく。 具体的には、平安中期以降から鎌倉時代にかけて「てう」に変化し、 江戸時代までには「ちょお」と発音するようになった。 ・ところが「てふ」という表記だけは変わらずに「てふ」のまま残り続けた。 このずれのために、「てふ」と書いて「ちょう」と読むようになった。 〇調査した資料 ・『国語科図説:図説全集』(石井 庄司/編著 岩崎書店 1960) p.238-239「歴史的かなづかいは、われわれ現代人の発音を写し書くには、まことに不便
①では、「ポルトガルから日本へやってきた」の項目では、「日本では16世紀の南蛮貿易のころにトランプの元となるものがポルトガルから輸入されたようです。ポルトガル語ではカードのことを「カルタ」というので、当時の日本でも「カルタ」とよばれていました。その後、19世紀の明治時代になると、今度は欧米流のトランプが日本でもはやりました。欧米の人がゲームをしているときに「トランプ(切り札)」といっているのを聞いた日本人が、カードそのものを「トランプ」とよぶようになったのではないかと考えられています。」と記載されている。 ②では、「室町時代に日本伝来!」の項目では、「トランプが日本につたわったのは、16世紀ごろのこと。ポルトガルの宣教師によって持ち込まれ、当時は、「南蛮かるた」と呼ばれていました。というのも、トランプは、ポルトガル語で「かるた(carta)」を意味するからです。」とあり、さらに、「ちなみに
事例作成日 2016年01月13日 登録日時 2016/03/22 09:37 更新日時 2016/03/22 09:37 お役に立ちそうな資料は以下のとおりです。 ➀『新聞報道と顔写真』小林弘忠著 中央公論社 1998 <070.17GG/3> (21070552) 「残酷現場はいつから載らなくなったか」(p173~180) 新聞における遺体写真の掲載状況の変化について、記載があります。 ②『人権と報道を考える(法学セミナー増刊総合特集シリ−ズ39)』日本評論社 1988 <070.1W/178> (12295515) 「⑨誘拐支店長監禁事件写真報道・藤沢バラバラ事件 配慮と品位に欠けた残酷報道」 (p71-72)に 「遺体写真も含めた残酷な写真の掲載に関して、新聞各社は具体的な報道基準は決めていない。しかし遺体写真については、明文化されていない掲載基準はある。外国の戦争報道で戦争の悲惨
父が言っていることと違う事実が書いてある 本があります。本棚に並べておいてよいのですか? (4年生児童) 日頃からお父様に対して尊敬の念をいだいている該当児童。 たまたま借りた本の中の日中戦争に関する説明文で、 お父様から伺っていたことと違った記述を発見したようだ。 精神科医・作家・評論家であるなだいなださんの著書である 『心の底をのぞいたら』に、こどもはある時期まで 両親の考えや意見を絶対的なものとして信じるとあることや 発達心理学上もそのような分析がなされていることから、 該当児童の訴えはごく自然なものと考えられる。 また、一方で「図書館の自由に関する宣言」で触れられているとおり、 図書館には「資料収集の自由」と「資料提供の自由」が存在する。 該当児童のお父様を思う気持ちに配慮しながら、「図書館の本棚には、 いろいろな考えを持つ方々がお書きになった様々な本が並んでいて よいのです。」と
(1)辞典類の「数詞」の項(資料①p1231、資料②p641、資料③p537)を確認する。日本における数詞について質問に関連する記述があるが、誰が説いたものであるかはわからない。資料①、②には、「ミ-ム、ヨ-ヤのような対立は…倍数法による命名と説かれ…」とあり。 (2)当館OPACを「数詞」をキーワードに検索した結果から資料に当たってみる。 資料④「数詞の歴史」p54、資料⑤「日本語の数詞の語源」(安田尚道)p41に、「荻生徂徠」とあり、資料提供した。 資料⑤には、「日本語の数詞には倍数法が見られる、という説がある。…このことを最初に説いたのは荻生徂徠(1666~1728)である。…」として、随筆集『南留別志』からの引用を載せている。
日本の新聞記事や放送映像で「死体」の掲載をしなくなったのはいつごろからか知りたい。 参考になる資料を紹介してほしい お役に立ちそうな資料は以下のとおりです。 ➀『新聞報道と顔写真』小林弘忠著 中央公論社 1998 <070.17GG/3> (21070552) 「残酷現場はいつから載らなくなったか」(p173~180) 新聞における遺体写真の掲載状況の変化について、記載があります。 ②『人権と報道を考える(法学セミナー増刊総合特集シリ−ズ39)』日本評論社 1988 <070.1W/178> (12295515) 「⑨誘拐支店長監禁事件写真報道・藤沢バラバラ事件 配慮と品位に欠けた残酷報道」 (p71-72)に 「遺体写真も含めた残酷な写真の掲載に関して、新聞各社は具体的な報道基準は決めていない。しかし遺体写真については、明文化されていない掲載基準はある。外国の戦争報道で戦争の悲惨さを訴え
「ことばはどうやってうまれたの?」という小1の息子の質問にこたえられるような本を探しています。どのように調べたらいいでしょうか。言語なのか歴史なのか、どんな分野の本を探せばいいのかも分かりません。普段から時々大人びた質問をします。私が読んで子どもに紹介してもいいし、子ども向けで一緒に読める本がもしあったらいいなと思います。 ●ことばの誕生 〇児童書 *難しい場合は大人が一緒に読んであげてください。 ・『それ日本と逆!?文化のちがい習慣のちがい 第2期2』須藤健一/監修 学研プラス 2017.2 ISBN:978-4-05-501222-5 *P40“ことばはどのようにして生まれたの?” ・『ことばのふしぎなぜ?どうして? 1・2年生 』村山哲哉/監修 高橋書店 2012.11 ISBN:978-4-471-10322-4 *P12~15“じゃあ、言葉を最初に話した人はだれ?”“言葉のはじま
(1)日本国語大辞典で、まず「壱」をひいてみたところ、”【壱=壹】大字として、数の一に代用する”とあり。 (2)”大字”を複数の国語辞典でひき、壱から拾まで記載がある資料を紹介。 (3)金額を記載する時の文字として使う場合の考え方については、日本語の事典、書類の書き方の事典などを調べる。 NDC 日本語 (81 8版) 参考資料 (1)『日本国語大辞典 第1巻』(小学館・2000)|R813.1/ニ/1 (2)『広辞苑』(岩波書店・1998)|R813.1/コ (3)『大辞林』(三省堂・2006)|R813.1/タ (4)『日本語事典』(東京堂出版・1992)|R810.33/ノ (5)『事典日本の文字』(大修館書店・1985)|R811/シ (6)『便利な書類の書き方事典』(三省堂・1993)|R816.4/タ キーワード 大字 壱 弐 参 拾 照会先 寄与者 備考 その他、ビジネスマナ
『魔女図鑑 魔女になるための11のレッスン』マルカム・バード∥作・絵 岡部 史∥訳 金の星社 『魔女・魔法使い大図鑑 魔女からの招待状』平林 知子∥文・絵 国土社 上記2点を貸出。 1.児童室のカウンターにて男の子に「魔法の本ありますか?」と聞かれる。詳しく聞くと、魔法が使えるようになりたいということらしい。お母さんと一緒に来館。お母さんもどう説明していいか困っているとのこと。年齢は6歳。ちょっと難しい本でもがんばって読む、と言う。 2.本を見てもらうことに。38の棚に案内し、魔女や妖精の本を一緒に見ながら探す。 『魔女図鑑 魔女になるための11のレッスン』、 『魔女・魔法使い大図鑑 魔女からの招待状』、 『魔法使いの秘密パーティー 魔法の世界を作って、みんなで遊ぼう 魔法使いが教える、パーティーの開き方』 を見てもらうと、魔法を使うためには修行が必要、ということが書いてあった。魔法のつか
①スーパー戦隊シリーズの各戦隊の概要がわかるものが見たい。敵が地球を攻める目的などがわかるといい。父親が子どもと一緒にどの敵が一番凶悪か考えるため。 ②「マスクマン」では、リーダーと敵の姫が恋仲だった。どんな結末だったか。小さい頃見ていたが、覚えていない。 ①『全スーパー戦隊パーフェクト超百科 決定版』ではゴーカイジャー(2012年2月まで放送)までの戦隊の概要が子どもにもわかりやすく書いてある。 また大人向けには『スーパー戦隊画報 正義のチームワーク三十年の歩み 第1巻・第2巻』があるが、こちらはカーレンジャー(1997年2月まで放送)までの掲載。 「スーパー戦隊百科」というホームページではトッキュウジャー(2014年2月より放送)までの解説が見られる。 ②『スーパー戦隊画報 正義のチームワーク三十年の歩み 第2巻』p24には、「光戦隊マスクマン」の解説の中で、「リーダータケルの恋人・美
生徒と一緒に書架を巡り、生徒が興味を持てる本を探した結果、大野更紗『困ってるひと』ポプラ社など、数点の本を選ぶことができたので、これを貸出した。 はじめの質問は、「夏目漱石の本はどこに有りますか?」だった。 その生徒は3年生だが、ほとんどはじめて図書館を使う様子であり、普段はあまり読書をしていない感じを受けたため、疑問を感じた。 案内しつつ、どうして急に夏目漱石を読みたくなったのかを訊いたところ、入試の面接で「最近読んだ本」を尋ねられたときのために読みたい、ということがわかった。 面接練習で上記の質問をされた際に(普段まったく本を読んでいないので)答えられず、先生から図書館で何か本を借りることを勧められたとの由。 また、生徒は看護系の大学を受験していること、面接まで2週間程度しか時間がないこと、2週間では1冊しか読めそうにない(本人談)こと、夏目漱石を選んだのは高尚な感じがするから(要約)
正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句の後に「それにつけても金の欲しさよ」と下の句を続けたものを見たが、意味のつながりがわからない。解説してある資料はあるか。 「それにつけても金の欲しさよ」は、金欲し付合(つけあい)と言われるもので、連歌でどんな上の句につけてもそれらしく聞こえるという。江戸中期に流行した。前半の句との関連はない。 古い記録では、藤原行定著『雑々拾遺 二』(1695(元禄8)年)に山崎宗鑑(1465?-1553?)(連歌師・俳諧師)が使ったことが記されている。『雑々拾遺』は早稲田大学古典籍総合データベースで閲覧可能。 このエピソードは、向坂咬雪軒「老士語録」(1731(享保16)年序)にも書かれており、天野政徳(1784-1861)(国学者)が随筆集『天野政徳随筆』(刊年不明)の中で「宗鑑の句」と題して「老士語録」を引いて紹介している。『天野政徳随筆』は『日本随
清沢哲夫(のちの暁烏哲夫)氏の詩「道」が該当の詩です。 この詩は、初出「同帰」第335号(昭和26年10月1日発行)。 『無常断章』1966.5 法蔵館に所収されています。 なお、『猪木寛至自伝』には、一休宗純の言葉として以下の詩が掲載されています。 「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」 これにより、アントニオ猪木氏がこの言葉を一休宗純の言葉として認識しているということはわかりました。 またインターネットサイトでも、一休宗純の言葉として扱っているページが複数存在することもわかります。 しかしながら、一休宗純の言葉であることを示す根拠となる資料は、発見できませんでした。 したがって、アントニオ猪木氏の座右の銘は、一休宗純よりも 清沢哲夫氏の詩の改変である可能性が高いと考えます。 インタ
竹田恒泰著『現代語古事記』の「序にかえて」のなかに、20世紀を代表する歴史学者アーノルド・J・トインビー(1889-1975)の遺した言葉として、 「12、13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」という一文があった。この言葉の出典が知りたい。 下記の資料及びデータベースを調査しましたが、「十二、十三歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」という文の出典は判明しませんでした。 なお、資料1、2にご照会の文と類似の文言をトインビーの発言として紹介していますので、参考までにご紹介します。 (【 】内は当館請求記号。データベースの最終アクセス日は2013年1月30日) 資料1 戸松慶議 著. 生存法則論 :日本民族の世界観. 第1巻 (古事記篇). 綜合文化協会, 1959. 【170.8-To462s】 * 「はしがき」のpp.1-2.に、
以下の資料をご紹介した。ただし、目に見えない生物という設定のため、ほとんどの資料が文章のみ。 【資料1】『世界の怪物・神獣事典』 → P.22に”姿は目に見えず…”との記述あり。 【資料2】『幻獣辞典』 → P.17・18に以下の記述あり。”勝利の塔の階段には、時のはじまり以来、人間の影に敏感なア・バオ・ア・クゥーという生き物が棲んでいる”、”半透明にちかい皮膚”、”それが放つ青味を帯びた光”、”体全体でものをみることができ、触れると桃の皮のようだともいわれている。” 【資料3】『世界文学にみる 架空地名大事典』 → P.245に「勝利の塔」の項目あり。文中で「ア・バオ・ア・ク」について”ほとんど透明”との言及あり。 【資料4】『図説・世界未確認生物事典』 → P.82に”透明に近い姿の怪獣”との記述あり。図版は”推定や資料に基づき、著者が書き起こしたもの”とのことで、「ア・バオ・ア・クゥ
最初に紹介したのは、『てふてふ荘へようこそ』乾ルカ著 格安のボロアパートはいわくつきの理由があって・・・というほのぼの幽霊小説。 生徒「それほど幽霊でほのぼのしたいっていう気分じゃないな」 と却下。 次にすすめてみたのは、映画にもなった『百瀬、こっちを向いて。』中田永一著 クラスの中でも恋愛には無縁そうな登場人物たちがおりなす恋物語。 生徒「単行本しかないの?文庫本じゃないと重たくていやです」 と却下。 その後も生徒は 「さわやかスポーツ話はいやだ」「シリーズは今は読む気分じゃない」「ミステリーは頭をつかう」 と、ことごとく紹介した作品を断り、 最終的に 『佐藤さん』片川優子(講談社) を借りていきました。 司書「この本も幽霊がらみのほのぼのストーリーだけど?」 生徒「いい、いい。さらっと読めそうだし、苗字が題名って面白い!」 数日後には、「なかなかいい話だった!」 と笑顔で返却しに来た
西尾維新の「化物語」に登場する〈戦場ヶ原ひたぎ〉の名前は、他の登場人物の台詞によると建築関係の用語らしい。建築の辞書などに載っていたら見たい。 「化物語」本文では、正確には「土木関係の用語」ではなかったか、とされていたので当館所蔵の主な土木関係の用語辞典等を検索してみたが、見あたらなかった。 インターネット上の掲示板や個人のサイトでは、各種の説が見られるが、いずれも根拠は記載されておらず、掲示板等の発言者による造語かもしれない。 1 直木説について-土木・建築辞典等で用語として確認できない。 2 したぎ(下木)の江戸なまり説について-江戸なまりでは通常、「ひ」が発音できず「し」になる、とされる。例:火箸-しばし、火の出-しので、と発音。「し」が「ひ」になる、というのでは逆。 3 日田木説について スギは日田市の特産であることが確認できたが、日田木という名称はないか、あったとしても一般的とは
花柄家電(魔法瓶など)が昭和41年頃から出てきたようだが、なぜその時代からなのか。印刷技術のせいなのか?実際にどのような技術が使われたのか。 魔法瓶や炊飯ジャーの花柄について記述があった資料は下記社史。 『タイガー魔法瓶70年のあゆみ 1923-1993』 p.83 「また昭和42年(1967)には、花柄模様入りのジャー、ポットを"モードシリーズ製品"として売り出した。この時期、業界をあげて花柄模様の製品に熱中したが、当社の製品は塩化ビニール鋼板に特殊印刷をほどこしてあり、さびたり、はげたりしない点を最大の特徴としてPRしたのである。」 p.94 「商品の変遷 1 ハンディポット」 1950年代からの商品の変遷を写真で掲載。50年代のクロームから、60年代の木目、そして花柄への変遷なども一目でわかる。 「戦後の混乱期が過ぎた昭和30年頃から急速に普及しはじめた。」 「食卓を飾るインテリアと
下記の資料およびインターネットサイトを確認いたしましたので、ご紹介いたします。 1.本人公式サイト 本名の記載はありませんでした。 さかなクンオフィシャルホームページ http://www.sakanakun.com/ 2.水産庁サイト 「水産政策審議会特別委員の任命について - 水産庁・2006年2月14日」 http://www.jfa.maff.go.jp/j/press/18/021403.html に ※ 宮澤 正之 お魚イラストレーター (さかなクン) と記載されています。 3.東京海洋大学サイト 海洋科学部の教員紹介には、客員教授の掲載がありませんでした。 教員紹介があるページの「スタッフ紹介」に、「客員スタッフ」の記載があり、 宮澤正之の名前があります。さかなクンという記載はありません。 ただし、所属として記載されている(株)アナンインターナショナルは、 さかなクンが所
第二次世界大戦中に、ワインからできる酒石酸が、潜水艦や魚雷を探知するレーダーに使用されたことから、山梨県ではワインが盛んに製造されたということについて書かれている資料を紹介してほしい。 『ぶどう酒物語』(山梨日日新聞社 1978年)、『山梨のワイン発達史:勝沼ワインの100年の歩み』(上野晴朗著 勝沼町 1977年)、『勝沼町誌』(勝沼町誌刊行委員会編 勝沼町 1962年)などに関連の記述がある。詳細については、照会資料をご確認ください。 1.山梨県のワインの歴史に関する図書を調査。 ・『ぶどう酒物語』(山梨日日新聞社 1978年)→p135-138「ブドウは兵器だ」、p138-140「全国から酒石の結晶体」の項。 ・『山梨のワイン発達史:勝沼ワインの100年の歩み』(上野晴朗著 勝沼町 1977年)→p246-252「酒石酸カリウム・ナトリウムの生産」の項。 2.『勝沼町誌』(勝沼町誌刊
確かな根拠を示す資料を見つけることはできませんでした。 参考文献: ○英語教師としての漱石 ・川島幸希/著 『英語教師夏目漱石』(新潮社 2000) ・大村喜吉/著『漱石と英語』(本の友社 2000) ・夏目金之助/著『漱石全集 別巻 漱石言行録』(岩波書店 1996) ・野谷士 玉木意志太牢/著『漱石のシェイクスピア』(朝日出版社 1974) p.71「演技する女性」の章に漱石の愛情表現について記載がありますが、i love youの表現については 記載がありませんでした。 ○明治期の英語表現 ・福原麟太郎/著『日本の英語』(恒文社 1997) ・金田一春彦/著『日本人の言語表現』(講談社 1975) p.237二葉亭四迷とI love youについての記述はありますが、漱石については記載はありません。 ○漱石と逸話 ・『珈琲店のシェイクスピア』 p.236につかこうへいの発言で、夏目漱
「ミヤケン?」 「はい,ミヤケン。」 「ミヤケンって?・・・」 「宮沢賢治。」 OPACにて著者「宮沢賢治」で検索。
『禁帯出』という、いわゆる図書館用語がある。語感からすると、漢語めいているが、この語源、あるいは初出用例について言及した論考・書籍(あるいは漢籍用例)など、紹介してほしい。 ご参考になりそうな資料は以下の通りです。一部旧字を新字に改めている箇所があります。ご了承ください。 〇初出について ①「「禁帯出図書」に関する文献抜すい」『みんなの図書館』29号(1979.11)p27~35<Z010.5/42/79 常置>に、1952年刊の『図書館ハンドブック』(当館所蔵あり)に次のような記述があると記載されていました。 ②『図書館ハンドブック』日本図書館協会 1952<010.36/4 常置>(10007078) p466に「2 貸出さない図書」として「禁帯出の文字を表したラベルを付けて区別すること」の記述があります。 「「禁帯出図書」に関する文献抜すい」には上記資料より前に刊行された文献も掲載さ
セブンイレブンに入ると流れている曲というのは、 ザ・タイマーズの「デイ・ドリーム・ビリーバー」であることが分かった。 当館では、ザ・タイマーズが歌う「デイ・ドリーム・ビリーバー」が入っているCDは所蔵がないが、 モンキーズが歌う「デイ・ドリーム・ビリーバー」が収録されているCDの所蔵はあった。 ①まず、「セブンイレブンに入ると流れている曲」を知るため、ヒアリングを行う。 →タイトルや歌手名は分からない。おにぎり100円の時のCMなどでも流れるとのこと。 ここで、別の職員が口ずさんでみると、それで一致するとのこと。 (歌詞に“ずっと夢を見て”と入っていることが判明。) ②Googleで「セブンイレブン CMソング ずっと夢を見て」をキーワード検索。 →YAHOO!知恵袋に質問と回答があり、ザ・タイマーズの「デイ・ドリーム・ビリーバー」という曲であることが判明。 ( http://detail
「無事是名馬」という言葉は本当にあるのか。鹿児島県立図書館で20冊以上のことわざ事典や仏教語辞典、馬関係の資料も見たが、「無事是貴人」しか出てこない。インターネットでは「無事是名馬」で400件ぐらい出る。「無事是貴人」が変化して「無事是名馬」になったのか、新しいことわざなのか、知りたい。 「無事これ名馬」とは菊池寛の造語。「無事これ貴人」をもじって作った、と菊池寛自身のエッセイ「無事之名馬」で語っている。『優駿』創刊2号(1941年6月号)に掲載されたが、都立図書館に所蔵なし。 資料4:『優駿』2002年4月号に「特集 『優駿』にみる日本の競馬60年」として、「無事之名馬」のエッセイが復刻されている。(p85~86) 調査経過 漢和辞典類は見ていないとのことなので、諸橋『大漢和辞典』の「無事」「名馬」「貴人」を見るが、「無事是名馬」はなし。資料1の馬に関するコラムにもなし。 インターネット
外務省記録「各国国名及地名称呼関係雑件」のなかに、1930年(昭和5年)10月に、浜口雄幸内閣が中国の呼称を常則として「中華民国」とするとの閣議決定を行った際の記録が残されています。 この閣議決定が行われるまで、日本政府は、条約や国書を除いて中国を「支那」と呼称するとの閣議決定(1913年6月)に基づき、中国の呼称として通例「支那」を使用していました。しかし、中国は侮蔑的なニュアンスの強い「支那」という呼称を好まず、「中華民国」を用いるよう求めていました。たとえば、中国国民政府文書局長であった楊煕績は、1930年5月に日本と中国との間で結ばれた関税協定において、日本が条文中に「支那」という字句を使用した事を批判し、「今後日本側カ重ネテ斯ノ如キ無礼ノ字句ヲ使用スルトキハ我方ハ之ヲ返附スルト共ニ厳シク詰責シ以テ国家ヲ辱シメサルコトヲ期スヘシ」と論じていました。 こうした中国官民の感情に配慮して
山形県庄内地方の「5俵かつぎ」について、昭和の初めごろの雑誌において、実際に女丁持ちをしていてこの5俵担ぎを行って写真撮影された女性がインタビューに答えており、「撮影のために行っただけで、普段はやらない。上からどんどん積まれて一歩も動けなかった」と答えていたという話を聞いたのですが、出典がわかりません。なんらか探し出す方法はないでしょうか。 ご照会文にある、女丁持ちのインタビュー記事と同内容と思われる記事が、下記新聞(資料1「山形新聞マイクロフィルム 昭和59年9月」)に掲載されています。 発行は昭和59年9月で、お尋ねにある「昭和の初めごろの雑誌」ではありませんが、紙名及び記事の概略等を下記にお知らせします。 <紙名及び掲載箇所> 山形新聞 昭和59年9月29日(土曜日) 朝刊 10面 庄内版 <見出し> しょうない散策 山居倉庫と女仲仕 米5俵を担ぐ? 観光写真、実は3俵」 <記事の
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