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『ネット炎上の研究』 →〈「はじめに」ページ(pdfファイル)〉 →〈目次・書誌情報はこちら〉 【本文特別公開!】 〈炎上事例(第2章)〉〈炎上参加者は少ない(第5章)〉〈炎上の原因とサロン型のアイデア(第7章)〉〈高校生のための炎上リテラシー(付録)〉 【お知らせ】『ネット炎上の研究:誰があおり、どう対処するのか』刊行記念・公開コロキアム「ネット炎上の真実」が5月10日に開催されます。→【詳細】 【ネット書店へのリンク】 Amazon 紀伊國屋書店 honto ブックサービス ehon 全国書店ネットワーク Honya Club.com セブン ネットショッピング ローチケHMV 楽天ブックス TSUTAYA online
筆者はいわゆるロースクールに所属している。法曹養成を任務とするロースクールでは、ソクラティック・メソッドと呼ばれる問答を通じた教育が推奨されている。アメリカのロースクールでは、そうした教育方法がとられているらしいので*1、それを輸入しようということのようである。 ロースクールで行われるはずのソクラティック・メソッドが、ソクラテスが行ったと伝えられる問答法(dialectic)とどのような関係にあるかは、判然としないところがある。ロースクールの教員のすべて(あるいは大部分)が、ソクラテスの問答を描いたプラトンの著作の熱心な読者かと問われると、はなはだ心許ない。 とはいえ、ソクラティック・メソッドを標榜する以上、ソクラテスの問答法との関係について、全く無関心というわけにはいかないであろう。プラトンの描くソクラテスは、たしかに問答を通じて「徳とは何か」「知とは何か」等の深遠な問題を探究しているよ
コロナ時代の疫学レビュー 第6回 Covid-19ワクチンによる「発症」予防と「感染」予防――ファイザー社とモデルナ社のmRNAワクチンの前向きコホート研究 ランダム化比較対照試験(RCT)、後向きコホート研究にひきつづき、今回は前向きコホートという手法を使ったワクチンの研究結果について解説します。なぜこの手法が使われたのか、どういう側面があるのか、ぜひこの機会に具体例とともに読んでみてください。[編集部] 米国の新型コロナウイルス感染症の蔓延は、2020年春の第1波、夏の第2波を経て、10月には最大の第3波が到来した。第3波がピークを迎える2020年12月11日、米国FDA(食品医薬品局)がファイザー社mRNAワクチンを緊急使用承認した。3日後の12月14日には、米国で1人目のワクチン接種が行われ、全国的な接種が開始された。 この12月14日の米国の新規感染者は189,236人ときわめて
5年ぶりの更新! どんどんあたらしい問題がでてきます。[編集部] Vtuberと名誉毀損――メタバースに関する法律問題の一部を考える はじめに しばらくの間、ウェブ連載版『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』を休んでいましたが、その間に、従来の対象者(被害者)の代理、表現者(加害者)の代理、プロバイダ・プラットフォームの代理に加え、(代理人の弁護士の先生に依頼されて)「(私的)鑑定意見書の提出」の業務が増える等、新たな展開が生じています。そのような新たな展開の1つがVtuber関連の案件に関する寄稿であり、筆者は平成時代から関連する案件を経験し、東京地裁でVtuberを代理して国際動画共有プラットフォームを訴えた事案について、特別に依頼者から守秘義務解除の同意を得て、情報法制研究に寄稿しました(注1)。 現在注目されるメタバース法務の一部の法律問題を検討する一環として、ま
平山亮著『介護する息子たち』(2017年2月刊)では、「感覚的活動」と名付けられた、“sentient activity”の議論に多くの反響が集まりました。ツイッター上の「#名もなき家事」「#名前のない家事」ハッシュタグなど、SNS上で現在注目を集めているこのsentient activityの全容を、介護や放射能汚染と母親の責務など、家事にとどまらぬ各種事例のケーススタディを通じて明らかにし、日常生活に織り込まれた見えないジェンダー不均衡を可視化すべく、平山亮氏と山根純佳氏が6つの同じテーマを月替わりで交互に書き下ろしていきます。これまで語りようにも言葉がなかったところへ切り込む、いま、この二人だからこその連載が始まります。どうぞお楽しみください。[編集部] ――“気づき・思案し・調整する”労働のジェンダー不均衡 vol.01 見えないケア責任を語る言葉を紡ぐために 山根純佳さま 冬の足
《ジェンダー対話シリーズ》第3回 平山亮×上野千鶴子:息子の「生きづらさ」? 男性介護に見る「男らしさ」の病 ――『介護する息子たち』刊行記念トーク この4月に始まった《ジェンダー対話シリーズ》第3回は、平山亮著『介護する息子たち』刊行記念に上野千鶴子さんをお迎えして3月14日に行われた、平山亮さんとのトークイベントを採録します。親を介護する息子の増加は著しく、その割合は娘や義理の娘(「嫁」)による介護とあまり差がなくなりました。結婚していようと、仕事をしていようと、今や男性が親の介護から「逃げる」ことはできなくなっているというデータもあります。それなのに男性のなかには、親の老いにいつまでも見て見ぬふりを決め込む人も少なくなく、また、いざ親の介護者になれば、今度は「問題事例」として周囲をやきもきさせることも多いことがわかっています。 そんな息子介護の研究を通して、弱者をコントロールせずには
この連載では、数回前から美術史的著述における「触覚」をめぐる議論について辿り直している。辿り直す、といっても、それらの諸議論はわかりやすい一本の系譜を成しているわけではない。それぞれの著者は、別の著者の「触覚」の議論と共通の知識や前提から出発している場合もあるのだが、そこからどのように作品分析に展開していくのか見ていくと、この連載の他の記事でも述べてきたように、驚くほどの多様性に満ちていることがわかる。過去の「触覚」の議論を承けていることを明らかにしている著述でさえ、具体的な作品分析を通して、別の議論を生じさせていく。気づけばそのロジックは、影響源となったはずの著述におけるロジックとは別のものになっていく。過去の触覚論を辿り直すことで浮かび上がるのは、「系譜」と呼べるような大きな幹を持たない諸議論のつながりと対立である。それは一本の幹から派生する枝葉の構造というよりも、縦横無尽に広がりなが
シリーズ第1回は、隠岐さや香さんと重田園江さんをお迎えして開催された『愛・性・家族の哲学』(ナカニシヤ出版)出版関連イベントでのお話を前篇後篇の2回に分けてお届けします。前篇では背景説明にひきつづいて、隠岐さん、重田さんお二人が提供された話題からどうぞ。 第2回 隠岐×重田:性 ――規範と欲望のアクチュアリティ(後篇)はこちら→ 筒井晴香(司会) それでは、ワークショップ「性――規範と欲望のアクチュアリティ」を始めたいと思います。きょうのワークショップについて一言で言いますと、今日の性をめぐる規範ないし欲望の実情、具体的な話題としては、学術業界における、あるいはより広い一般社会における性をめぐるさまざまな現象について、実情やその捉えられ方に迫る議論をざっくばらんにお話しいただくというものです。まずは企画・主催の藤田さんから、簡単に趣旨説明をお願いしたいと思います。 [このシンポジウムの意図
2018年、勁草書房は創立70周年を迎えました。[けいそうブックス]を創刊するとともに、この1年、勁草書房の70年をいろいろな角度から改めて紹介していきたいと思っています。 その一環として、勁草書房の書籍を手に取ると奥付で必ずご覧になっている名前の持ち主、そう、井村寿人社長に、ゆるくあれこれ聞きながら振り返るシリーズを設けてみました。というわけで、あちらこちらに寄り道しながら、井村社長に勁草書房の70年(とこれから?)を、あまり会社のことを知らない編集部員相手にのんびり道案内してもらいます。[編集部] ――こんにちは。今日から仕事のあいまによろしくお願いします。 井村寿人社長 こんにちは。井村寿人(ひさと)です。こちらこそよろしくお願いします。 ――勁草書房70年なので井村寿人社長に登場いただきますが、お父さんである創業の先代の井村寿二(じゅうじ)さんにつづいての2代目社長ということでした
現実は変えられないという「現実主義」に抗するためにフィクションは意味をもち得るか、SFアニメで考える骨太フィクション論。 科学、技術の急速な発展をうけて、現実主義者は、フィクションは意味がないしくだらない、あるいは、無責任で害悪でさえあるという。それに対し、そのような態度こそがわたしたちの現実を堅く貧しくしているのだと反論することはできるのだろうか。名作SFアニメを題材に、フィクション、現実、技術について、深く検討する。本連載を大幅修正加筆し、2018年12月末刊行。 【ネット書店で見る】 古谷利裕 著 『虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察』 四六版判上製・304頁 本体価格2600円(税込2808円) ISBN:978-4-326-85196-6 →[書誌情報] インターネットに代表されるこの20年の技術の進展は、生活環境を大幅に改変し、これまで以上にわれわれの身の回りは技術に
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。 ケヴィン・レイランド 著 豊川 航 訳 『人間性の進化的起源 なぜヒトだけが複雑な文化を創造できたのか』 →〈「日本語版への序文」「はじめに」「訳者あとがき」(pdfファイルへのリンク)〉 →〈目次・書誌情報・オンライン書店へのリンクはこちら〉 *サンプル画像はクリックで拡大します。「訳者あとがき」ほかの本文はサンプル画像の下に続いています。 日本語版への序文 『種の起源』を読み終えたときのことは今も鮮やかに覚えている。大学院生の頃だった。ダーウィンの自宅ダウンハウスの窓から覗く「植物に覆われミミズが這い回っている土手」の風景で締めくくられる最終段落を読み終え、私もロンドンのオフィスビルから街を見下ろしてみ
21世紀の現在、医学はたしかに進歩を続けている。そのおかげで、より多くの人命が救われ、病気が治って幸福で充実した人生に再び帰ることができる人々が増えている。完全な治療ではなく、医療によって死亡が防がれて、その後に続くある種の障碍や医療への依存を抱えて生きる人々が増えているということでもあるが、たとえそうであったとしても、多くの場合において、それを可能にした医療の進歩はプラスに捉えるべきである。 それにもかかわらず、私たちは、現代の医療の問題を考える時に、進歩する医学を賞賛してそれで事足れりとしない。医療という現象を、医科学の発展と治療技術の革新のみを軸にして捉えることを、日本も含めて先進国の社会はしなくなっている。仮定法的に言うと、もしそうしているとしたら、現代の医療に対する評価は賞賛に満たされたものになり、現代の医者たちは、新記録を出したスポーツ選手や心に響く唄を歌う人気歌手のように、栄
《要旨》 紀元前500年から紀元500年ほどの1000年の間に、ギリシア医学とキリスト教という2つの現象が、のちのヨーロッパ医学の原型を作り出した。医学と宗教はこの時期において密接に連関していたが、紀元前5世紀から、ギリシア、その植民地、そしてローマ帝国において、ギリシアの思想を背景にした新しい医学が発展した。次いで紀元1世紀に登場したキリスト教は、身体、疾病、倫理に関する新しい文化と制度を作り出し、ギリシア由来の医学がその中で発展する新しい構造を作り上げた。ギリシア医学とキリスト教は、対立を含みながら共存して、現在にいたるまで医療にさまざまな影響を与える伝統を作り上げた。 古代ギリシア文明とヒポクラテス集成の医学 医学の太古の起源を神々にさかのぼるのは、世界各地の神話において見られ、そのような神話の解釈を通じてある特定の医学を正当化しようという動きは近現代においても見られる。病気とその治
治らない病気を抱えながら、なお社会で人として生きるとは、いかなることであるのか 第1回 難治性疾患の患者として生きるということ 「これで、終わりにしよう」と決めた――20代半ばで自己免疫疾患系難病患者となった著者は、いかにして難病医療の世界の住人たちと出会い、孤独な経験から抜け出す糸口を得たか。 指1本を動かせなくても、医師、ケアに従事する専門職、研究者、官僚、政治家、企業、それらのネットワークの中心にいてつなぎとめ事態の進展を促すというあり方も現実にあり得るのだ――治らない病を抱え生きることの意味は、多元化し、かつてとは異なる病者/患者が出現しようとしている。[編集部] 私は普段、「難病」と呼ばれる医療政策について、医療社会学の研究をしている。自分自身が自己免疫疾患系難病の患者でもある。 現代の日本社会において、難治性疾患の患者として生きるということは、いくつものコンテクストに否応なくさ
「名もなき家事」の、その先へ――“気づき・思案し・調整する”労働のジェンダー不均衡 vol.06 なぜ男性はつながれないのか――「関係調整」のジェンダー非対称性を再考する/山根純佳 「名もなきケア責任」は今どう配分されていて、これからどう配分しなおせるのか――平山亮さんと山根純佳さんの往復書簡連載、今回は山根さんから平山さんへの応答です。[編集部] 平山 亮さま 梅雨明けが待ち遠しい今日この頃、いかがお過ごしですか。ケアの「協働」をめぐる刺激的な論考ありがとうございました。平山さんの論考から、〈思案・調整〉の「分有」に向けた課題が新たにみえてきました。姉妹と協働してくれない息子介護者の例から、平山さんは以下のようなご指摘をくださいました。男性が〈思案・調整〉に参加してくれても、協働してくれるつもりがなければ、かえって女性の負担は増えるばかり。「男性なりのやり方で、自由にケアに参加させてあげ
本社公式ウェブサイト http://www.keisoshobo.co.jp/ 哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。 工藤庸子 著 『政治に口出しする女はお嫌いですか? スタール夫人の言論vs.ナポレオンの独裁』[けいそうブックス] →〈「はじめに─政治と女性とヨーロッパをめぐるいくつかの問題提起」(pdfファイルへのリンク)〉 →〈目次・書誌情報はこちら〉 はじめに─政治と女性とヨーロッパをめぐるいくつかの問題提起 ヨーロッパは「民主主義」のモデルだろうか? 女性の社会進出と政治参加をともなわぬ民主主義はありえないという大前提に立つことにしよう。国家元首の選出、国政選挙、国会での討論、社会・経済的格差を是正する努力、公共放送の報道の質……。日々、海外のニュースを見ながら考える。やはりヨーロッパ・モデルにはそれなりの説得力
「ジェンダーとかセクシュアリティとか専門でも専門じゃなくてもそれぞれの視点から語ってみましょうよ」というコンセプトのもと、《ジェンダー対話シリーズ》が始まりました。誰でも性の問題について、馬鹿にされたり攻撃されたりせず、落ち着いて自信をもって語ることができる場が必要なはずです。そんな場所を模索していきたいと考えています。 シリーズ第2回は、第1回めにひきつづき、隠岐さや香さんと重田園江さんをお迎えして開催された『愛・性・家族の哲学』(ナカニシヤ出版)出版関連イベントでのお話をお送りします。隠岐さん、重田さんの話を受けて、宮野さん、藤田さんのコメントを織り交ぜ、熱いトークが繰り広げられます。シリーズ早々、前後篇にわたってのスタートとなりましたが、身近な人たちと語り合うきっかけになることを願っています。【勁草書房編集部】 第2回 性 ――規範と欲望のアクチュアリティ(後篇) 隠岐さや香×重田園
現実は変えられないという「現実主義」に抗するためにフィクションは意味をもち得るか、SFアニメで考える骨太フィクション論。 科学、技術の急速な発展をうけて、現実主義者は、フィクションは意味がないしくだらない、あるいは、無責任で害悪でさえあるという。それに対し、そのような態度こそがわたしたちの現実を堅く貧しくしているのだと反論することはできるのだろうか。名作SFアニメを題材に、フィクション、現実、技術について、深く検討する。本連載を大幅修正加筆し、2018年12月末刊行。 【ネット書店で見る】 古谷利裕 著 『虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察』 四六版判上製・304頁 本体価格2600円(税込2808円) ISBN:978-4-326-85196-6 →[書誌情報] 徹底した再現へのこだわりと、フィクションであること 今回は、SFから少し離れたところからフィクションについて考えたい
レオ・シュトラウスは、クルト・リーツラーの思想に関する記念講演で、マルティン・ハイデガーについて次のように語っている*1。 [ハイデガーと]同じ程度にドイツの、いやヨーロッパの思想に影響を与えた哲学教授を見出そうとすれば、ヘーゲルまで遡る必要がある。それでもヘーゲルの同時代には、ヘーゲルと並ぶ、少なくとも明白な愚かしさに陥ることなく、彼と比較し得る哲学者がいた。ハイデガーは彼の同時代人をはるかにしのいでいる。それは、彼の名が世間に知れ渡るはるか以前から分かっていた。登場するや否や、彼は中央に屹立し、支配を開始した。彼の支配はその範囲と強度をほぼとどまることなく拡張していった。彼はその明晰さと堅固さとで、時代を覆う不安と不満を、そのすべてを十分に表現したとは言えないまでも、少なくともその最初の確たる表現へと踏み出した。興奮と動揺は次第におさまり、ついには、外から見れば批判能力の麻痺として描か
2016年10月にフランスのライシテ研究の重鎮、ジャン・ボベロ氏が来日し、今日のフランスにおけるライシテについて講演を行ないました。その2回の講演「続発するテロに対峙するフランスのライシテの現状と課題」と「今日のフランスにおけるライシテ――イスラームと〈宗教的なもの〉のグローバル化に直面して」の日本語訳を掲載いたします。 掲載をお許しくださったジャン・ボベロ先生、訳文掲載にご尽力くださった伊達聖伸先生、増田一夫先生、ミカエル・フェリエ先生、赤羽悠さん、西村晶絵さんにお礼申し上げます。[編集部] 【訳者による導入解説】 2015年1月7日~9日の「シャルリ・エブド」襲撃事件、警官殺害事件、ユダヤ系食料品店襲撃事件。そして同年11月13日の大規模なパリ襲撃事件。2016年7月14日にはニースでトラックが暴走して多くの死傷者を出し、7月26日にはルーアン近郊の教会で老神父が殺害された。このような
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。 ナンシー・スタンリック 著 藤井翔太 訳 『アメリカ哲学入門』 →〈「日本語版への序文」/「訳者解題」(pdfファイルへのリンク)〉 →〈目次・書誌情報・オンライン書店へのリンクはこちら〉 *サンプル画像はクリックで拡大します。「訳者解題」本文はサンプル画像の下に続いています。 日本語版への序文 私が『アメリカ哲学入門』〔の原著〕を執筆した二〇一三年のアメリカ社会を振り返ってみると、現在の、あるいは二〇一六年以降のアメリカ社会とは、かなり異なったものだったように(私には)思われる。二〇一六年以前の数年間、「希望〔hope〕」という言葉は単なる流行語(バズワード)ではなく、アメリカやアメリカ国民が目指すべき理
《ジェンダー対話シリーズ》第9回は、重田園江さんの#MeTooです。私たちはある環境に適応し、そこでなるべくストレスのない状態を(意識的にも無意識的にも)模索しながら生きています。そしてその環境で生じる出来事に対し、主体的に自由意志によって対応して生きていると思っています。しかしその環境自体(の異常さ・特異さ)が、ある特定の言動へと人を強いていることもあるはずです。ある場所をあてがわれた人がどのように思考し、その場所の異常さが見えなくなっていくか、その場所の多くの人間に(結果的に)都合のよいふるまいをしてしまうか、胸に手をあてて考え込みました。【勁草書房編集部】 第9回 日本で沈黙させられてきたことについて 重田園江 #MeToo ――。この運動は私たちの世界の見方、世界に向けての行動をどのように変えてきただろうか。#MeToo運動が爆発的に広がったきっかけは、ハリウッドの著名プロデューサ
あらま、顔がヴァイオリンに…… この春ヴェルサイユ宮殿で、19世紀に活躍したフランス人画家オラース・ヴェルネの展覧会が開催されていた。ヴェルネは、オリエンタリズムや歴史画を手がけたアカデミズムの画家として語られることの多い画家だ。しかしこの展覧会は、意外にもロマン主義と古典主義をつなぐような革新的潜在性を秘めた画家であったことを示す点で、実に発見の多い企画だった。なかでも興味深かったのが、最後の部屋にひっそりと展示されていた風刺的自画像(図1)である。ここでヴェルネは、60歳を迎えた自己の頭部を、ヴァイオリンに見立てている。 図1 オラース・ヴェルネ《ヴェルネ自身によるオラース・ヴェルネ》1850年ごろ、フランス国立図書館 出典:Valérie Bajou (dir.), Horace Vernet (1789-1863), cat. exp., Château de Versailles
ふるや・としひろ 画家、評論家。1967年、神奈川県生まれ。1993年、東京造形大学卒業。著書に『世界へと滲み出す脳』(青土社)、『人はある日とつぜん小説家になる』(青土社)、共著に『映画空間400選』(INAX出版)、『吉本隆明論集』(アーツアンドクラフツ)がある。 『君の名は。』は、世界そのものが忘れてしまったものを決して忘れないという物語でした。そして『輪るピングドラム』は、純粋な贈与の力となって世界から積極的に消えることで、「存在するより前に消えてしまう(非)存在」を肯定する物語だと言えます(これは、主人公が、世界の潜在性そのもの=唯一神のようなものになるという、『serial experiments lain』や『魔法少女まどか☆マギカ』とは、微妙ですが決定的に違っています)。それはどちらも、「このわたし」とは別様であり得るわたしを、「この世界」とは別様であり得る世界を、存在し
現実は変えられないという「現実主義」に抗するためにフィクションは意味をもち得るか、SFアニメで考える骨太フィクション論。 科学、技術の急速な発展をうけて、現実主義者は、フィクションは意味がないしくだらない、あるいは、無責任で害悪でさえあるという。それに対し、そのような態度こそがわたしたちの現実を堅く貧しくしているのだと反論することはできるのだろうか。名作SFアニメを題材に、フィクション、現実、技術について、深く検討する。本連載を大幅修正加筆し、2018年12月末刊行。 【ネット書店で見る】 古谷利裕 著 『虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察』 四六版判上製・304頁 本体価格2600円(税込2808円) ISBN:978-4-326-85196-6 →[書誌情報] なぜアニメなのか ここで考えようとしているのは「フィクションはなぜ必要か」ということです。つまり、フィクションという
創立70周年を迎えた勁草書房の話を、井村寿人社長に、あちらこちらに寄り道しながら、ゆるく聞いて振り返る(社員もけっこう知らない)シリーズ。前回は現社長の自己紹介で、勁草書房先代社長の息子であるがゆえに巡り合ったフィリピンの大学進学の話から始まりました。第2回目は大学卒業後、勁草書房入社につながるお話です。[編集部] ――前回にひきつづき、現・井村社長の自己紹介的振り返りをお願いしたいんですが、フィリピンの大学を卒業後、就職は? 井村寿人社長 1983年3月に卒業して、入社式の前々日に日本に帰ってきました。 ――でも、勁草書房に入社されたんではないんですよね。 井村 なんでだか、商事会社かホテルに入りたいと思ってたんです。商社のダイナミズムに憧れたんですかね。商社いいなぁと思う一方で、ホテルマンにも憧れていました。ちょうどロッキード事件とかもあった時代で、商社に関する実務書や小説とかそういう
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページを、pdfファイルでご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からご覧いただけます。 アレックス・ラインハート著/西原史暁訳『ダメな統計学 悲惨なほど完全なる手引書』 →〈「はじめに」ページ(pdfファイル)〉 →〈目次・書誌情報はこちら〉 ※すでに公開されているウェブ版との違いなどの説明も含めた、訳者・西原史暁さんによる本書の紹介はこちらからどうぞ!→〈『ダメな統計学――悲惨なほど完全なる手引書』の翻訳出版〉 ※同じく訳者の西原さんによる統計学の読書案内もぜひ!→〈ダメな統計学を防ぐための書籍11冊〉
サンスティーンとセイラーが広めた「ナッジ」という考え方、そのベースにあるリバタリアン・パターナリズムという理論。この視点を中心に、自由や幸福、社会制度、私たちの生活をめぐって、京都大学教授の那須耕介さんが「いま、ちゃんと話を聞くべき人びと」に会いに行ってきました。 法哲学をご専門とする、京都大学教授・那須耕介さんが、2021年9月7日、お亡くなりになりました。2017年に初期の膵臓がんが見つかり、手術を経て、抗がん剤治療などに取り組んでいらっしゃいましたが、2019年に再発。さらなる治療を続けられましたが、2021年8月半ばより容態が悪化し、9月、永眠なさいました。 このインタビューは、『ナッジ!?』の企画が立ち上がり、那須さんが対談連載用の取材を始める前に、「那須さんに話をうかがっておきたい」という『ナッジ!?』共編者の北海道大学教授・橋本努さんのお申し出によって実現しました。写真はすべ
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