サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
掃除・片付け
mediag.bunka.go.jp
メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 CMにアニメーションは付き物だ。酒造メーカーの黄桜がマンガ家の清水崑を起用し始めた、かっぱのキャラクターが動くアニメCMは、1959年から長く続いたアニメCMの代表格。1978年より放送されたヤクルト「ミルミル」のCMは、粘土のキャラクターが変形していくコマ撮りのクレイアニメで目を引いた。そうしたトラディショナルなアニメCMとは別に、テレビで番組として見る商業アニメ作品と似たテイストの絵柄やキャラクターが使われたアニメCMを、ウェブでの展開も含めてよく見かけるようになった。最近
メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 トップページ ≫ 記事一覧 ≫ 「台帳」なくして文化なし!? マンガ・アニメ・ゲーム・メディアアート文化を次の1000年に残す「メディア芸術データベース」の意義を「電ファミニコゲーマー」が訊く 現在も整備が進む「メディア芸術データベース」は、マンガ、アニメ、ゲーム、メディアアートの全4分野を総合的に検索できる、分野横断型のデータベースだ。2019年11月からはベータ版がリリースされ、誰でもアクセスし、活用できるサイトとして公開されている。本稿ではゲームメディアの「電ファミニコ
2004年2月に放映を開始した『ふたりはプリキュア』以来、2019年2月より放送を開始した『スター☆トゥインクルプリキュア』で16作目となった「プリキュア」シリーズ。一貫して東映アニメーションが制作を手がけ、女児を主要ターゲットに毎年続いてきた本シリーズは、子どもたちにとって親しみ深いアニメのひとつである。東映アニメーションが培ってきたアニメの技術と演出を未来につなぐ作品として、「プリキュア」シリーズのこれまでとこれからを考えてみたい。 『映画 HUGっと!プリキュア♡ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』ポスタービジュアル 地上波放送アニメの家庭における視聴形態は、ここ10年ほどで大きく変化した。大容量のハードディスクを搭載した録画機器が普及し、NetflixやAmazonプライムをはじめとするサブスクリプション型の動画配信サイトの利用が一般的になった現在、時間や場所を問わずに番
青年コミック誌のパイオニア 双葉社の「漫画アクション(以下、アクション)」の創刊は1967年7月。創刊当時は週刊だったが、2003年に一旦休刊後、月2回刊でリニューアル復刊して現在に至っている。 創刊当時は、それまでの大人向けマンガ週刊誌とも少年週刊誌とも違う、若者向けをコンセプトとした新カテゴリーである青年コミック誌のさきがけとして人気を集め、モンキー・パンチの『ルパン三世』(1967~69)や永島慎二の『若者たち』(1968~70)、小池一夫・原作、小島剛夕・作画の『子連れ狼』(1970~76)、上村一夫の『同棲時代』(1972~73)などで劇画ブームを牽引。その後も、長谷川法世の『博多っ子純情』(1976~83)、どおくまんの『嗚呼!! 花の応援団』(1975~79)、はるき悦巳の『じゃりん子チエ』(1978~97)などをヒットさせた人気雑誌である。70年代には大友克洋を発掘したこと
「ピクセルアート」という視覚表現がある。ピクセルアートは、1970~90年代のビデオゲームのグラフィックの主流であったおかげで、「レトロなゲームのグラフィック」という含みを持っている。そのいっぽうで、近年では「古くて新しい」ひとつのグラフィック・スタイルとしての地位が確立されつつある。このシリーズでは、そうした現代の動向も含めたピクセルアートの特徴と魅力について紹介していく。第2回は、ピクセルアートにはさまざまなタイプのものがあることを示したうえで、その多様さを「様式」という美術史的な視点から考える。 『スキタイのムスメ:音響的冒剣劇』(Superbrothers & Capybara Games、2011) いろいろなピクセルアート 第1回では、ピクセルアートとは何かをはっきりさせた。簡単に言えば、ピクセルアートとは、〈正方形に類する形をした互いに大きさが等しいピクセルの集まりでできてお
概要 平成29年度の連携促進事業「アニメ制作従事者に関する記録の調査及び活用のための準備作業」で特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)が調査を行った原口正宏氏(リスト制作委員会)によるクレジットデータベースは、一定の信頼性と継続性があり、アニメ界全体を見通せるデータベースとしてほぼ唯一の存在である。しかし、その構築と運用は個人的な献身と努力に支えられており、今後の継続性にはさまざまな問題を抱えている。そこで本事業は、アニメのタイトル、スタッフに関する網羅的なデータベース構築を補強し発展させていくための方策の一環として、放映中の地上波TVアニメ番組の網羅的な録画と、クレジット記録の根拠となるデータ抽出を行い、システムにより自動化する試行を中心に研究する。 最終報告会レポート 報告者:特定非営利活動法人 アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC) 大坪英之 リスト制作委員会で実施して
メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 2019年初頭に集英社が始めた海外向けマンガ配信サービス「MANGA Plus by SHUEISHA」。「週刊少年ジャンプ」「週刊ヤングジャンプ」などに連載されているマンガ作品の正規版を同時配信する本サービスは、マンガのデジタル海賊版の蔓延を抑止する有用な方法となっている。今回は番外編として、その立ち上げに携わった「週刊少年ジャンプ」編集部「少年ジャンプ+」副編集長・籾山悠太氏と編集総務部部長代理 法務グループ・伊東敦氏へ、2019年12月下旬にインタビューした内容を紹介。集
2020年2月16日(日)、国立新美術館にて「2019年度メディア芸術連携促進事業 研究成果マッピング シンポジウム」が開催された。「研究マッピング」は、「文化庁メディア芸術連携促進事業」の一環として、平成27年度から令和元年度にわたって実施されたプロジェクト。会場では、5年間の成果として制作されたマンガ・アニメ・ゲーム・メディアアートの4分野の「研究の手引き」が配布された。以下に、PDF版を掲載する。 『メディア芸術・研究マッピング マンガ研究の手引き』 監修:吉村和真 編著者:石川優 発行日:2020年3月16日 第2版 manga_guidance.pdf *2020年2月16日発行『メディア芸術・研究マッピング マンガ研究の手引き』第1版におきまして、年表に一部誤りがありました。謹んでお詫び申し上げますとともに、第1版の紙冊子をお持ちの方は、第2版年表をご参照くださいますよう、お願
メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 海外においてまだ日本のマンガが浸透していなかった90年代に、アメリカのファンダムで“最もよく知られた日本のMANGA家のひとり”であったまんが家・一本木蛮(いっぽんぎ・ばん)。「コスプレアイドル」の元祖でもある彼女は、アメリカの出版社から多数の著作を出版していたのみならず、現地のコンベンションに積極的に参加し、ファンとの交流をはかっていた。そんな特異な存在になるまでにはどのような経緯があったのか。当時のアメリカにおける日本のマンガの出版事情も交えながら、本人の言葉を伝えていく。
メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)は2019年10月、次世代ゲーム機「PlayStation®5」(PS5)を2020年の年末商戦に発売するとあきらかにした。2013年11月に現世代機の「PlayStation®4」(PS4)が発売されて以来、7年ぶりのフルモデルチェンジになる。PS5はゲーム業界にどのような影響を及ぼすのか、現状の情報をもとに考察する。 東京ゲームショウ2019におけるSIEブースの様子 PS5はカジュアルなゲーミングPCである 20
海外長編アニメーションの国内での公開が相次いでいる。その制作国はフランスをはじめとしたヨーロッパだけでなく、アジアにも及ぶ。そこで本稿では、世界各地で広がりを見せている長編アニメーションの世界から、社会・戦争、子ども向け、エンターテインメントといったそれぞれの切り口から、現在未公開の各国の作品を紹介する。 『Ville Nueve』ポスタービジュアル 2019年は日本で過去に例がないと思えるほどに海外長編アニメーションが多く公開される年となった。しかも、そのそれぞれがきっちりとファンの心を掴み、愛されている印象だ。 ハリウッド製の作品以外にも、ヨーロッパからは『ホフマニアダ ホフマンの物語』(スタニフラフ・ソコロフ監督、ロシア、2018)、『アヴリルと奇妙な世界』(クリスチャン・デスマール&フランク・エキンジ監督、フランス/ベルギー/カナダ、2015)、『ディリリとパリの時間旅行』(ミッシ
海外の盛り上がりとは裏腹に、国内で活躍の場を失いつつある怪獣たち。かつて銀幕やブラウン管で所狭しと暴れ回っていた彼らは、もはや絶滅危惧種と言ってもいいだろう。しかし日本の子どもたちが、かの恐ろしくも愛らしい異形の獣に対する興味の一切を失ってしまったわけではない。地上から滅び去ったかに見える恐竜が、鳥となって繁栄を続けているように、怪獣もまた姿を変えて生き延びようとしている! 左から「スーパーマリオ」シリーズ(1985~)より大魔王クッパ、『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(1987)よりシドー。ビデオゲームの敵キャラクターに、怪獣のようなデザインが採用されることは珍しいことではない 怪獣、冬の時代 2019年5月、マイケル・ドハティ監督による『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』が公開された。前作のメガホンを取ったギャレス・エドワーズと同様、ゴジラや怪獣に一家言ある人物が撮ったものである
メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 「ピクセルアート」あるいは「ドット絵」という視覚表現がある。ピクセルアートは、1970~90年代のビデオゲームのグラフィックの主流であったおかげで、「レトロなゲームのグラフィック」という含みを持っている。そのいっぽうで、近年では「古くて新しい」ひとつのグラフィック・スタイルとしての地位が確立されつつある。このシリーズでは、そうした現代の動向も含めたピクセルアートの特徴と魅力について紹介していく。第1回は、ピクセルアートとはそもそも何なのかを考える。 eBoy『Rio』(2011
メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 今でこそ日本マンガは世界中で熱狂的なファンを獲得している。しかし、日本マンガの海外進出のきっかけが個人の情熱であったこと、その苦労の道のりをご存知だろうか。本コラムでは、海外コミックの翻訳や海外の日本マンガ事情に関する記事を執筆する筆者が、日本マンガを海外に紹介した先人たちを取材し、知られざる日本マンガの国際化の一端を探る。 『MANGA』表紙 日本マンガをアメリカへ 日本マンガのアメリカにおける出版の歴史を考える時、その嚆矢は小学館が現地に子会社Viz Communicati
マンガ雑誌が隆盛を極めていた1985〜95年に何が起きていたのか、当時を知る編集者の証言から解き明かす。第3回は「週刊少年ジャンプ」元編集長・茨木政彦(いばらき・まさひこ)へ取材。創刊から10年ほどで300万部、次の10年で倍の600万部と部数を伸ばし、少年誌のトップを走り続ける「週刊少年ジャンプ」編集部の秘訣を探った。 『北斗の拳』が起爆剤に 集英社の「週刊少年ジャンプ」は1968年7月の創刊。当初は月2回刊だったが、69年から週刊に切り替わった。前身は同社の月刊誌「少年ブック」で、創刊編集長は「少年ブック」でも編集長だった長野規。当初は「少年ブック」の執筆陣だった貝塚ひろしらが連載の柱になっていた。 先行する「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」「週刊少年キング」の三誌と比較して作家陣が手薄だったことから、新人の起用を積極的に行い、作家の専属制をいち早く取り入れたことでも知られている
マンガ雑誌が活況を呈していた1985〜95年を知る編集者の証言をもとに、マンガの出版市場で何が起きているのかを探る連載の第2回。前回に引き続き、『週刊少年チャンピオン』の元編集長、神永悦也(かみなが・えつや)に、マンガ雑誌編集の舞台裏を語ってもらった。 水島新司『ドカベン』第1巻(1972、秋田書店) 菊地秀行の伝奇ロマンをマンガに 苦しい時代ではあっても記憶に残る作品はしっかり出ていた。 80年代後半の「週刊少年チャンピオン」連載陣の中で記憶に残るのは菊地秀行・原作の「魔界都市シリーズ」のコミカライズだった。 菊地秀行は1982年に朝日ソノラマ(現・朝日新聞出版)から『魔界都市〈新宿〉』を発表してデビュー。バイオレンスとエロスを描く伝奇ロマン小説の旗手として、同世代の夢枕獏とともに注目を集めていた。 「ちょうど伝奇ロマン小説がブームだったんです。菊地さんに頼みにいったのはぼくです。もとも
マンガの出版市場の縮小が止まらない。紙から電子へという大きな変化が起きていることは間違いないが、マンガ雑誌の凋落はそれだけでは説明がつかないほどドラスチックに進んでいる。今何が起きているのかを知るために、マンガ雑誌がもっとも輝き、マンガの出版市場がバブルといわれるほどの活況を見せた時代、1985〜95年のマンガ雑誌編集部の様子を、当時を知る編集者の証言から探ってみたい。第1回目は、「週刊少年チャンピオン」の元編集長、神永悦也(かみなが・えつや)に話を聞いた。 少女誌から「チャンピオン」第4代編集長に 1969年7月に創刊された「週刊少年チャンピオン」(註1)は、少年週刊誌としては最後発の雑誌だ。創刊編集長は成田清美。秋田書店は新書判単行本シリーズ「サンデー・コミックス(のちSUNDAY COMICS)」を成功させていたことから、同コミックスの常連だった手塚治虫、さいとう・たかを、横山光輝、
マンガ雑誌の黄金期を支えた編集者の証言から、当時のマンガ出版界を見ていく連載の第5回。今回は「週刊少年サンデー」や「ビッグコミック」に携わり、今も現役のコミック編集者である佐藤敏章(さとう・としあき)が登場。ライバル誌に対抗するために「少年サンデー」がとった行動とは……。 いきなり25%の部数減 小学館の「週刊少年サンデー」の創刊は、1959年。ライバルの講談社「週刊少年マガジン」と、創刊のタイミングや定価設定、マンガ家の起用などをめぐって水面下でつばぜり合いを演じたことは、創刊から60年経った今でも語り継がれている。 1970年代後半から80年代前半には、高橋留美子の『うる星やつら』(1978~87)やあだち充の『タッチ』(1981~86)に代表されるラブコメ路線で、「週刊少年チャンピオン」を抜いて少年週刊誌第2位に浮上。82年末発売の83年3・4合併号では228万部の最高部数を記録して
劇団☆新感線座付き作家、テレビドラマの脚本家とさまざまな顔を持つ中島かずきさんの、アニメーションの仕事の軌跡をたどるインタビュー。『天元突破グレンラガン』『キルラキル』などを経て、2018年公開の劇場アニメーション『ニンジャバットマン』では、アメリカのポップカルチャーと日本のポップカルチャーの融合に挑戦。この大作の制作の背景、さらに2019年5月公開の劇場アニメーション『プロメア』についてもお話しいただいた。 インタビュアー:室屋 泰三(国立新美術館 情報企画室長) © TRIGGER・中島かずき/XFLAG 血肉になっているアメコミ体験 『ニンジャバットマン』(註1)はアメリカのポップカルチャーの代表的なアイコンであるバットマンのシリーズ作品です。どのような経緯で制作することになったのでしょうか。 中島さん(以下、敬称略):作品のプロデューサーの里見哲朗さん(註2)が双葉社のときからの知
メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 東京・曙橋の公益社団法人日本漫画家協会のギャラリーにて、2019年2月25日(月)から5月31日(金)にかけて「日本漫画家協会賞の歴史」展が開催されている。同展示は、文化庁が実施する「メディア芸術アーカイブ推進支援事業」に採択された「日本漫画家協会所蔵本・および資料の調査整理・データベース化事業」の一環として行われた。この展示をきっかけとして、日本漫画家協会と日本漫画家協会賞について辿っていき、日本における「マンガ」のあり方の変遷を論じてみたい。また、展示の概要も紹介する。 公
メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 2007年に放映されたガイナックスのオリジナルテレビアニメーション『天元突破グレンラガン』、同作の制作スタッフが新たに立ち上げたアニメ制作会社TRIGGERの初めてのオリジナルテレビアニメーションとして2013年に発表された『キルラキル』。いずれも作品の持つ圧倒的なエネルギーと疾走感、斬新な映像表現などにより、アニメファンから支持を集めた。これらの作品の立役者の一人である中島かずきさんは、もともとはマンガ編集者であり、マンガ原作者、劇団☆新感線座付き作家、テレビドラマの脚本家と
メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 多くの人々に親しまれているマンガ『ちびまる子ちゃん』の作者、さくらももこ。マンガ家としてだけでなく、エッセイストとしても活躍しており、1991〜1992年にかけて刊行された『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』(いずれも集英社)は、すべてミリオンセラーを記録した。本稿ではさくら氏のエッセイ群のなかから、発表後にマンガ化された作品『漫画版ひとりずもう』(小学館、2007〜2008年)を取り上げ、その中身をひもといていく。 さくらももこ『漫画版ひとりずもう』(上巻、
「ジャポニスム2018:響きあう魂」公式企画「MANGA⇔TOKYO」展が、2018年11月29日(木)から12月30日(日)までの間パリ市内のラ・ヴィレットにて開催された。ジャポニスム2018では日仏友好160年を記念し、パリを中心に様々な日本文化を紹介する展示会やイベントなど大規模な複合型文化芸術イベントを8カ月にわたって開催している。本展はその一環であり、日本のマンガ、アニメ、ゲーム、特撮作品を取り上げた展示会となっている。 「MANGA⇔TOKYO」展キービジュアル 「MANGA⇔TOKYO」というタイトルが示す通り、本展は「東京」と作品の相互関係をコンセプトに、現実の東京が作品をいかにインスパイアし、またフィクションやそのキャラクターたちによって実際の東京がどのようにその景観やイメージを変化させてきたかを、90タイトルを超える作品の原画や作品映像などを通じて来場者に伝える展示とな
メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 1985年頃のアニメブームの衰退とともに、勢いを失っていったアニメ雑誌だが、1992年より放映されたテレビアニメーション『美少女戦士セーラームーン』をきっかけとしたアニメブームにより、新たな局面を迎えた。最終回の今回は、そんな1990年代から現代に至るまでに創刊された数々のアニメ雑誌を取り上げながら、その方向性を探っていく。 「クイック・ジャパン」vol. 10(1996年)表紙 再びのアニメブームとともに創刊ラッシュ 1990年代に入り、再びアニメブームが訪れる。起爆剤となっ
メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 2000年代半ば以降、「アートゲーム」と呼ばれるビデオゲームのカテゴリーが目立ったかたちで現れてきた。本稿では、アートゲームの特徴を大まかに示したうえで、いくつかの作品を取り上げながら、ビデオゲームの前衛的な表現の方向性について探っていく。 ジョナサン・ブロウ『Braid』(2007) 「アートゲーム」と呼ばれるビデオゲーム(註1)のカテゴリーがある。簡単にいえば、芸術映画(アートハウス・フィルム)のゲーム版だ。アートゲームは、おおむね作家主義的、実験的、自己批判的、非娯楽的、
ハリウッドの目抜き通りには、ゴジラの名を冠した星型のプレートが埋め込まれている。日本のキャラクターとしては、唯一となるハリウッド殿堂入りだ。ガメラも、ウルトラマンも、仮面ライダーも海を渡った。パワーレンジャー=スーパー戦隊は、空前のブームを巻き起こした。しかし、彼らの名前はそこにない。ゴジラは、アメリカ人にとって一体どんな存在なのだろうか? 左から『ウルトラマンパワード』(1993)よりウラン怪獣ガボラ、『ウルトラマン』(1966)より同じくウラン怪獣ガボラ。『ウルトラマンパワード』は、初代『ウルトラマン』のリメイク的側面を持つ作品で、バルタン星人やゼットンといったお馴染みの怪獣たちが数多く登場した。「平成ガメラ」リーズや『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)などのデザインワークで知られる前田真宏の手によってリ・デザインされたパワードモン
メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。
前回紹介した「アニメージュ」の特徴に加えて、今回は同誌の持つほかの側面へ踏み込んでいく。さらに1980年代前半、アニメブームに乗じて続々と創刊されたアニメ雑誌が、ブームの衰退とともにどのような道を辿るのか。そしてそんななか創刊された「月刊ニュータイプ」を軸に、当時のアニメとアニメ雑誌を取り巻く状況をみていきたい。 「月刊ニュータイプ」1985年4月号(創刊号)表紙 啓蒙的な姿勢も併せ持つ「アニメージュ」 前回は「アニメージュ」が「ヤング向けのビジュアル誌」「キャラクターをタレントのように取り扱う」というコンセプトで創刊されたという点を縦軸に、1984年いっぱいでアニメブームが収束するまでのアニメ雑誌の状況を俯瞰した。 だが「アニメージュ」という雑誌がその2点でだけで成立しているかといえば、それもまた間違いである。初期の「アニメージュ」はまた別の側面も持っていたのである。 例えば創刊号(19
2018年、日本のアニメ雑誌御三家のなかで最も古い「アニメージュ」が、創刊40周年を迎える。これを機会に、3回にわたって、アニメのあり方とともに変わっていくアニメ雑誌の変遷を見ていく。第1回の本稿では、アニメ雑誌の起こり、「アニメージュ」とはどのような雑誌だったのか、その後のアニメ雑誌の状況を紹介する。 「アニメージュ」1978年7月号(創刊号)表紙 日本におけるアニメ雑誌の成り立ち アニメ雑誌はどのように始まったのか。 日本最初のアニメーション専門誌は「ファントーシュ(FANTOCHE)」で、1975年10月に創刊された。1975年にアヌシー国際アニメーション映画祭に赴いた、東京アニメーション同好会(アニメーターを中心に発足した研究団体。略称「アニドウ」)のなみきたかしが、現地の専門誌「FANTASMAGORIE」を見たことがきっかけだった。「FANTASMAGORIE」は、アニメーショ
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『メディア芸術カレントコンテンツ - マンガ・アニメ・ゲーム・メディアアートをもっ...』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く