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円安とは
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はたらくってなんだろう、と考えられるようになったのは、30歳を過ぎてからだった。 わたしが18歳のときに父親が病に倒れ、そこから4年間は介護をしながら入院費を稼ぐために働いた。父が亡くなってすぐ、23歳で子供を産んで、そこからはシングルマザーとして、生活費と子どもの学費のため、母の生活費のために働いた。 当時のわたしにとって、仕事は、困らないようにお金を稼ぐ手段でしかなかった。 介護中も子育て中も、自分の時間を仕事だけに費やすことができないので、限られた時間のなかで必要な金額をどうやって稼ぐかを考えて、実現させることが、常にやるべき優先順位の第一位だった。 「シングルマザーだからお金と時間がなくてもしかたがない」と諦めるのはいやだった。けれど、共稼ぎの夫婦と同じ生活をするには「半分の時間で2倍稼ぐ」を叶えないといけない。そんなことは到底無理だと何度もくじけそうになりながら、どうやったらでき
2020年のはじめに世界的なパンデミックが起こり、あらゆる変化に対応し続けた。その年の終わり、わたしたちはほとほと疲れ切っていた。 そんな年末に、友人から「お正月に逃げ恥のスペシャルがあるんだって。一緒に観ようよ」と連絡があった。2016年に放送された大人気ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』のスペシャル版が5年ぶりに放送されるというのだ。それは絶対に観ないとねと盛り上がり、ドラマの放送に合わせて都内のホテルを予約して、ドラマの前に美味しいものを一緒に食べよう。ドラマを観て、ああだこうだと夜中までいろいろ話そう。という世にも素晴らしい計画を立てた。 なるべく人と会う機会を減らし、会食もなくなり、友だちとおしゃべりしたい気持ちにも我慢を重ね抑えていた日々だったので、楽しみも数倍大きかった。 * 年が明け、約束の日。何を食べようか熟考した結果、浅草にある老舗の洋食屋さんに行くことにした。人気なお店
人生にいくつかの扉があるとして、「いってきます」と行き先に向かって進むために扉を開けるか、「さようなら」と去るために扉を開けるか。 わたしは圧倒的に後者だった。 会社を辞めて自分でお店を作ったのも「会社員のままだとお金が足りなくて困るから」だったし、そもそもシングルマザーということもあり常に経済的な問題は隣り合わせで、そんな中でどうにか諦めずに進もうとしたのは、「親がシングルマザーというせいで子どもの選択肢を無くしたくない」という思いがあったからだった。 いつも「こうなったら困るから」「これが嫌だから」を理由に選択をしてきた。「こうなりたい」「こうしたい」と前向きな動機で決めたことはほとんどない。 そんなやり方でも進めてよかったとは思うが、嫌なことを避けようとするばかりに、嫌なことばかり見つけてしまうのだ。「ここにも嫌なことがあったぞ。あっちはどうかな」と探し、見つかれば指差し確認して観察
「やりたいことをする」について話していると、なにを仕事にするかという話や、趣味ですきなことをする話など、いろんな要素が混ざってしまい混乱することがよくある。 20代の人と「やりたいことをする」について話すと、仕事への不安や自分の適性を知りたい気持ちなどが伝わってくる。「わたしのやりたいことってなんだろう?」と悩むとき、それはほとんどが職業の選択の悩みのように見える。 同じテーマを30代の人と話すと、20代の人とはすこしちがう悩みが出てくる。 特に女性は、単に仕事でなにをするかという話だけではなく、たとえば結婚をするかしないか、子供を産むか産まないか、仕事に関してもその選択と切り離して考えるのはとてもむずかしい。 仕事だけで見るとじゅうぶんやりたいことができているとしても、家族との時間のとりかたや、健康面の安定や、金銭面などの不安がつきまとう。 それは「やりたいことはしているはず、だけど、こ
あーちんが、ポロポロと涙を流していた。 「いやなことがたまってイライラして 家の中では忘れて笑っていたいのに やつあたりしそうになるのがいやなの」 教室にイヤな言葉(死ねとか消えろとか) が飛び交っているのが、 とてもイヤでしかたないと言う。 自分に向かっているのではないけど トゲのある言葉は周りの人にも刺さるから やめてほしいのだけど、言えないと。 学校でのイライラを家に持ち込んで 家族にやつあたりすると 家族もイヤな気持ちになって 結果、自分に返ってくるんだよと 負の連鎖の話をして 我が家のルールは「不機嫌禁止」なので イヤなことがあったら イヤな気分をひとにぶつけてはいけない。 ガマンするのではなくて 何のどの部分がイヤなのかよく考えて 私に話したらいい。と伝える。 とりあえず外に出ようぜと連れ出したら ラーメン(玉子入り)と〆のスープ茶漬けも 杏仁豆腐もぺろりと食べて 「おなかいっ
こんにちは。サクちゃんこと桜林です。 このnoteは「自分を知るワークブック」マガジン(無料だよ)での連作です。 序章、どんなワークをするかの自分を観察するための4つのリストも、合わせて読んでね。 前回はひとつめのワーク「感情を知る」でした。 今日はふたつめのワークです。 *** ワーク2:性格・性質を知る ◎自分の性格や性質を、書き出します。 PCやスマホでも、紙のノートでも構いません。なるべくたくさん書くこと、時間をかけて書き足すことを前提に、広いスペースを確保してください。 性格や性質には、もともと持っている「理由などないけど、どうしてもこうだということ」と、後天的に「いつかの経験から、こうなってしまったこと」があると思います。ふたつを特に分けずに、両方とも書いてみてください。 書いていると「これとこれは同じことだな」とか「これとこれは真逆の要素だな」と感じることもあるかもしれません
「やりたいことがないんだけど、どうしたらいいの?」 あちこちでそんな話を聞いてきました。そんなとき、その都度何度も話してきたことを、ひとつにまとめておこうと思い、マガジン「自分を知る」ワークブックをつくっています。 序章はこちらです。 今日は、これからやるのがいったいどんなワークなのかを書きます。 「自分を知る」というと自分の思いに向き合うことを想像しますが、内側に向き合うだけでは自分の範囲からは出られないし、むしろ思い込みの沼を深める可能性もあります。自分のことは自分が一番よくわからないからね。 では、どうやって知るのかというと、 「自分はこうだ」と思い込んでいるものを、「ほんとうにそうかな?」「なんでかな?」と解きほぐし、細かく分けながら、改めて見直します。「自分でもよくわからない」という部分を、角度を変えながらよく見直します。 不安や不満も、内側でグルグルもやもやしたかたまりのままで
「やりたいことがない」についてまだ言ってるのか、と自分でもそのしつこさに驚きますが、自分に見えているものを誰かに伝えるには、何度も何度もあらゆる方向から話してようやくすこしだけ伝わるものだと思っているので、まだ言います。 やりたいことを「見つける」ではなく、やりたいことが「ない」について考えている時点でもわかるように、わたしは不足や欠陥など「ない」ものから考えはじめるクセがあります。思考のクセや偏りは、それがいいものかどうかは置いておいて、自分にとっては当たり前だけど、誰かにとっては「そういう考え方があったか」とあたらしい視点の発見になり得るので、偏り上等という前提で、書きます。 「やりたいことがない」ってどういう状態? 「やりたいことがない」という状態には、いくつかの要素が混ざっています。 ・自分に合う職業がわからない ・「これをしたい」という欲や感情がでてこない ・現状への不満と将来へ
こんにちは! 今日はご報告をしたいことがあって書きます。 クッキー屋「SAC about cookies」の店舗を閉じることにしました。 2011年の10月に開店した弊クッキー屋は、9年間たくさんの方々に支えられて続けてくることができました。まずはお礼を言いたいです。今まで本当にありがとうございました。 渋谷区富ヶ谷にある店舗(兼製造場)を閉めることになりますが、「SAC about cookies」のブランドはもう少し継続してみようと考えて、別の場所でクッキーを製造して販売できるよう計画中です。まだ詳細は未定ですが、かわいい商品たちを残せるといいなと思っています。 4月の初旬よりコロナウイルスによる影響で休業していましたが、店舗を閉じる前に一度再開したい気持ちがあり、できる方法を模索していました。しかし、諸々の事情によりむずかしく、このままお別れすることになってしまいました。 休業中も「
新型コロナウイルス感染症やコロナワクチンについては、必ず1次情報として厚生労働省や首相官邸のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。※非常時のため、すべての関連記事に本注意書きを一時的に出しています。 新型コロナウイルスの影響の中で、わたしも仕事に大きな支障があったので、まずは自分を助けるためにあれこれやっていたのだけど、ちょっと今書いておきたいことがあるので、とりとめないけど書きます。 湧き出る2種類の問題 こういう想定外のできごとがあったときに湧き出てくるのは、直接できごとに影響された問題と、もともと普段からあった問題の2種類あって、混ざっています。 前者は、直接的な健康への影響や、仕事への影響、外出自粛による人と会えないことのストレスなどです。 後者は、コロナ問題にスイッチを押されて出てきた、もともとあった問題がドカンと見えてくるもの
こどもの頃から「みんな」が苦手だった。 同じクラスだから「友達」、みんな仲良くしましょう。という価値観にぜんぜんピンとこなくて「いや、人によるわ」と思ってしまう。 今なら、同じ地域に住んでいる同い歳というだけでたまたま集まった30人くらいの中に気があう人とあわない人がいるのは当たり前で、気があう人がひとりもいなかったとしても仕方ないと思う。 でも、子どもにとって学校の先生の言うことは「正しいこと」なので、“みんなと仲良く”できない自分に引け目を感じていた。先生に「どうしてもっと子どもらしくいられないんだ」と言われて「ごめんなさい」と謝ったこともあった。 *********** 大人になったらどうかというと、環境を自分で選べるようになって“みんなと仲良く”しないといけないことは減ったし、人との距離感も自分で決められるようになった。 それでも、誰かに選ばれないことや受け入れられなかったときのさ
「どうやったら自信がもてるんですか」とときどき聞かれることがあるけど、いつも「わたしも自信なんてないよ」と答える。 「自信」という言葉をどのようなイメージで使っているか人によって多少ちがうので調べてみると、こう書いてある。 じ-しん(自信)[名](スル):自分で自分の能力や価値などを信じること。自分の考え方や行動が正しいと信じて疑わないこと。(デジタル大辞泉より)やっぱりわたしは自信をもっているとはとても言えない。でも、自信がなくても別によくない?と思っている。 ******* 先日、ものをつくる仕事をしている友人と話していたら、その友人は数年前、わたしに「自信がなくてしんどいんだけど、どうしたらいい?」と聞いたのだという。 わたしは、「自分の仕事に自信がないと、バランスが悪い仕事を依頼して来る人が寄ってきて(仕事を安く依頼してきたり、言う通りにさせようと操作してくるなど)、それを受けてし
さてこれからどうしようか、と未来について考えるのが苦手だった。 今までを振り返ると、困っていることを困っていない状態にする、マイナスをゼロにするためにやることを決めてきたので、頭だけで考えてきた。それが、自分の気持ちや衝動や好奇心を知らないうちに後回しにして抑えていたと気が付いたのは最近のことで、気がついたら未来についてどうしたいのか、手段ではなくて、どうなっていると自分がうれしいのかが、わからなくなってしまっていたのだ。 だけど、最近はようやく未来について考えられるようになってきた。 今までとなにがちがうかと言うと、未来のことを考えるときに「自分のこと」ではなくて「自分の役割」について考えられるようになった。 今までは、つい誰かのために自分を抑えて行動しがちで、もともとおせっかいな性格なのでそれが「得意なこと」でもあった。誰かが困っているからできることをしてたすけるのは、やりがいもあるし
仕事を辞めるときも、恋人と別れるときにもよく「価値観がちがう」という理由があげられるけど「なんの価値?」と聞くと、答えられないことが多い。 「選ぶものがちがうから不快」という不満のなかには、自分が譲れない大事なものがあるから、解像度を上げてちゃんと知ったほうが後々のためにいいのにな、と思う。 ************ たとえば仕事で、「成長を求められるのがいやだ」と不満を感じて、自分は毎日毎年同じでもよくて、とにかく穏やかに単調に働きたい、という場合、どうしてもそれが合わないし我慢できないとわかったなら、辞めて職場を変えたほうがいいと思う。 でも、それを「価値観が合わなかった」の一言で済ませたり、「あの会社がおかしい」と片付けるのはもったいないなと思う。 「大事にしているものがちがう」と気がつくのは、不快や不満やガマンをしているなかにある。 怒りも、大事なものが傷つけられたときに起こる感情
桜林の日記、雑記のようなもの。 役に立たないなんでもないことを安心して書きたいなと思って、この場所をつくりました。
「人からなんて言われる(褒められる)とうれしいですか?」と何人かの友人に質問をしたら、あまりにそれぞれで、その人らしくて、とてもおもしろかった。 ある人は「かっこいい」と言われるのがいちばんうれしいと言い、ある人は「努力してるね」、ある人は「楽しそうだね」、ある人は「かわいいね」、ある人は「頭がいいね」などそれぞれの答えがあった。 誰に褒められるかにもよるし、恋愛面で言われるのと仕事面で言われるのではまったくうれしい言葉がちがうという人もいれば、どんな人に褒められても別にうれしくないという人もいた。 ************ 今の時代はSNSで他人の目標や努力や達成なんかが目に見えるから、つい比較して「自分はできていないな」と思ってしまったり、全方向でがんばっていないと足りないと思ってしまったりする。それはつらい。 SNSは承認欲求を満たす場だと言われることがよくあるけど、今はそれすらむず
23歳の夏、わたしは妊婦だった。 冬に妊娠がわかってから4ヶ月間つわりがひどくて毎日吐き続け、水ですら吐いてしまうので点滴を打つためにしばらく入院していたほどだった。 目が覚めた瞬間から眠りにつくまで常に気持ちが悪く、文字を読むことも画面を見ることも困難で、薬も飲めないのでただただ耐え続ける地獄のような日々だったが、ある日突然、ほんとうに突然「あ、もう気持ち悪くない」と身体ごと生まれ変わったような日がきた。 朝起きて気持ちが悪くないというだけでうれしい気持ちと万能感にあふれ、「なんでもいいから働きたい。働こう」と思った。 ************ 妊婦でもできる短期間の仕事を探し、高級フルーツを販売する会社でお中元の時期だけのアルバイトをすることにした。 仕事は、配送伝票の仕分けやフルーツの梱包や在庫のチェックなどの簡単な作業だった。ただ淡々と黙々と作業をする仕事はそう楽しいものではなかっ
「他人の目が気になってしまう」「“自分なんて”と考えてしまう」そう思っている人は大勢いる。わたしもそのひとりだった。 むしろ幼少期から20代までずっと“自信がない人”の見本のような考え方だったので、「他人の目が気になる」という人に「そんなの気にしなければいいじゃん!」とはとても言えない。 自然に“そう思ってしまう”ことをよくないものだと抑えつけてウソのポジティブで身を守るのは危険だし、どんな感情であれ、そう思ってしまうに至る原因があって、それを否定してなかったふりをして生きるのは、自分の人生ではなく「他人になること」だから、それはよくないと思う。 ******************** 「自分なんて」と自分の価値を低く見積もってしまう状態は「自己肯定感が低い」といわれている。 自己肯定感とは: 自己価値に関する感覚であり、自分が自分についてどう考え、どう感じているかによって決まる感覚。
わたしにはいくつかのルールがあって、そのうちのひとつに「怒っている人の話は聞かない」というのがある。 怒られるのが嫌いというのがいちばんの理由なんだけど、怒っている人からは「怒ってるなー」としか伝わってこないし、怖いので関わりたくないし、萎縮して話の意図が伝わってこないから、お互いにいいことがないので「怒っている人の話は聞かない」と決めている。 では怒っている人に対してどうするかというと、「伝えたいことがあるなら普通の言い方で話して」と言う。 以前、会社でマネジメントというかほとんど保健室のおばちゃんみたいな役割だったときも、スタッフが駆け込んできて「聞いてくださいひどいんですよ!」と怒りながら仕事や上司の不満を話す場面でも、怒ってる人の話は聞かないことにしているので「言いたいことを紙に書いてもってきて」または「ちょっとまずお散歩いってきて」とクールダウンしてから話してもらっていた。 その
やりたいことがあるとか、ないとかについて考えていると、並行して見えてくるものがいくつかあって、そのうちのひとつが「自分のため」と「誰かのため」のバランスだった。 「やりたいことがある」という人が、「これをしたい」と自分の欲や自己実現などの「自分のため」にはじめたけど、できるようになってくると「誰かのために力を使いたい」という別のやりたいことが見えることがある。 逆に「やりたいことがない」という人が、「役に立ちたい」と「誰かのため」からはじめたけど、その力が足りないと感じたときに「もっとできるようになりたい」と「自分のため」の視点が生まれたりもする。 この「自分のため」と「誰かのため」は、両方ともバランスよく持てるといい。だけど、うまくバランスを保ちいっぺんに両方の視点を持てる人は稀で、ほとんどの人は「自分のため期」と「誰かのため期」が時間差で交互にやってくる。そして、切り替えるタイミングで
子供がもう16歳になるので、「子育てってこうだったな」と振り返って思うことをツイッターでときどき書いている。 子育てでいちばん意識してきたのは想像力を育てることなんだけど、想像力は、自分と他者、過去と現在と未来、理性と衝動などをつなぐいちばん大事な要素だし、これからの時代により必要になると思う。想像力は数値化できないのがいいところだけど、もっと底上げされるといいな。 — 桜林 直子(サクちゃん) (@sac_ring) May 29, 2019 先日、このようなツイートをしたら「子供の想像力を育てるのに具体的にどんなことをしたんですか?」と質問があったので、ちょっと書いてみます。 想像力はどんな時代も大切だけど、どうしてこれからの時代により想像力があったほうがいいのかと言うと、想像力は見えないもの聞こえないものに対して使われるけど、今の時代はなんでも見えてしまうので、見えていることで想像せ
年が明けて、毎年同様に「やりたいこと」の目標はたてられないのだけど、「どうありたいか」を考えたら、俄然「正直でありたいな」と思った。 自分も正直でありたいし、正直な人がすきなんだけど、それはどんな人のことかというと、単にウソをつかないとか隠しごとをしないというだけではなく、思ったことを全部口にしてしまう人のことでもない。 正直な人とは、自分の感情、欲望、知と無知を過不足なく捉えていて、他人にどう思われるかどうかで自分の考えや振る舞いが変わらない人のことだ。 正直であるためには、他人の視点や評価に左右されず自分の軸をしっかりもってブレないことが大事だけど、「わたしの軸はここで変わらないから、あなたが合わせてね」と自分勝手なわがままを通して周りをコントロールしようとすることではない。 正直とわがままはどうちがうのか。 ****************** 正直とわがままについて考えていたら、『
「おれは人に期待していないから」と言いながらめちゃめちゃ期待してるじゃねえか、と思った話。 「人に期待しない」というのは人生を軽やかにする方法としてよく聞く言葉だ。だけど、その使い方や捉え方にもやっと違和感を覚えることもよくある。 「どうせ俺をバカにしているんだろう」「どうせ何を言っても口だけだろう」「どうせ俺が困っても助けないだろう」と、「どうせ」のオンパレード。そして「それが俺にはわかっているから、はじめから期待しないんだ」という。 このように「人に期待しない」というのを「どうせ裏切られるから信じない」という意味で使われることがある。 でも、いやいやいや、それめっちゃ期待してるじゃないですか、と思う。 裏返せばそれらはすべて「認めてほしい」「信じたい」「助けてほしい」「愛してほしい」と叫んでいるようにしか聞こえない。 「愛してほしいけど、愛されなかったときにショックが少ないように期待し
私は普通じゃないから 余計なことをして普通じゃないから みんなにうとまれる普通じゃないから 幸せになれない だから いつも人目を気にして 誰かになりきって 誰かに合わせて そうしていなくちゃ そうして生きていく以外に どんなやり方があるのかわからない はるな檸檬 『ダルちゃん』より 『ダルちゃん』は資生堂のサイト「花椿」で連載されていたマンガで、先日小学館より書籍化され発売された(全2巻同時発売)。 webで連載時より大ファンで、これはすごい作品だなーと思っていたけど、本になって改めて通して読んで、この作品がたくさんの人に届いてほしいと心から思った。 *************** 社会のルールや女性の「普通」を努力して覚えて、誰かがよろこぶことを見つけながら自分の居場所をつくっていく主人公ダルちゃん(24歳 OL)は、どんどん自分が本当は何を感じ、何を考えているのかわからなくなっていく。
ここ1年ずっと「やりたいこと」があるないとかの話をしているのだけど、この頃は、そもそも「やりたいこと」ってなんだろう?と考えている。 先日、友人に「サクちゃんはやりたいことないって言うけど、やりたいことやってるよね?」と言われた。 わたしが「シングルマザーだけどお金も時間もつくる」ためにはじめたクッキー屋の仕事のことを、「お金も時間もつくる」という「やりたいこと」をしているじゃないか、と。 でも、わたしは「クッキー屋は自分のやりたいことではない」と言う。その理由は「自分の不足を埋めるための手段であって、自分がしたくてしているわけではない」と思っているからだった。 「やりたいこと」とひとことで言ってもその中にはいろんな種類があって、人によってちがうものを指している。 わたしが「やりたいことがない」というとき、ないと思っている「やりたいこと」とは、「とにかくそれをしていたい」「時間を忘れてして
「サクちゃんはよく“考えて決める”っていうけど、どうやって考えてるんですか?」と聞かれた。 昨日、友人と話していて少しだけわかったことがあるので、書いておこうと思う。 ************** 「どうしたらいいかわからない」というとき、そこには漠然とした不安がある。見えない敵はサイズも正体もわからないから怖い。 だから、その見えない敵=漠然とした不安 を、見える敵=具体的な課題 にする。 そのために、不安にまとわりつく事実や感情や欲をなるべく細かく分解していく。 「〜したいけど○○だからできない」という状態のとき、そのままだと「できない」が答えになってしまうのだけど、「〜したい」と「○○できない」の、それぞれの解像度を上げていく。 たとえば「好きなことを仕事にしたいけど、収入が不安だからできない」というとき、「好きなことを仕事にする」と「収入が不安」を分けて、 「好きなことを仕事にする
ドラマ「獣になれない私たち」を観ていたら、新垣結衣さん演じる晶の「私たち、誰の人生を生きてきたんだろうね」というセリフがあった。 それは、彼女が会社でも恋人に対してもずっと人の期待に応え続けてきたことを振り返って出た言葉だ。誰かに必要とされて人の役に立つよろこびを裏返すと何もないことに驚き、途方に暮れる彼女の気持ちはすごくよくわかる。 仕事で頼りにされ、役に立ち、感謝されることは大きなやりがいでありよろこびだし、恋人がよろこぶ自分でいることも、無理をしているわけでも嘘をついているわけでもなく、自分もそうありたいと心から願っていたことだろう。 それに、「誰かのため」に動くことができるのはすこしも悪いことではない。むしろそれができる人には役割ができて居場所ができる。 ドラマ内でも、晶がいつも人に頼られてしまうことを嘆くと「それ嫌味?」と言われるシーンがあったように、はたから見ると彼女には居場所
さっき読んだ本『過剰な二人』の中で、林真理子さんは「運命の正体は意志」だと言っていて、編集者の見城徹さんは「努力とは意志の持続」だと言っていた。 わたしには長らく意志がなかった。 困らないように優先順位を決めて行動してきたことは「意志」ではあるけど、そこにはいつも「しょうがないから」「こうするしかないから」と諦めの色が濃くあった。「こうしたい」という思いで先を見据えて動いたことがなかった。 気がつくと、ほんとは欲しくてしょうがないものも「自分にはないからしょうがない」「ないなりにどうするか」と考えるクセがついていた。そうして欲しいものを「欲しい」と言わないでいると、あたかもはじめから欲しくなかったように自らを騙すようになってしまう。 今から3年前の年末にnoteを書きはじめて、自分のことをいろんな方向から書いてみた。自分のしてきたこと、考えていることを何度も書いていると、なんだか同じことば
最近、人には未来を見ながらすすむ人と、過去を見ながらすすむ人がいるのではないかと思っている。 未来を見ながらすすむ人は、自分の将来やこれから起こることを楽しみにしたり、目標をきめたり、ああなりたいと憧れをもったりして、それを原動力に前に進むことができる。 過去を見ながらすすむ人は、自分の今までしてきたことを積み上げて、そこから材料をあつめてこれからすることを決めて前に進むことができる。 「夢組と叶え組」の話でいうと、未来を見ながらすすむ人は夢をもてる「夢組」で、過去を見ながらすすむ人は夢はもてないけど、できることを武器に人の夢を叶えられる「叶え組」だとも言える。 「未来型」の友人は、自分の人生のシナリオを自分で書いているように「これからこうなるといいな」という希望に向けて努力する。もうそうなることが決まっていることかのように進み、実際に「こうする」と決めたことを確実にやりこなしていく。 一
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