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「〜に役立つ7つの方法」「〜の効率を高める五原則」という感じのタイトルの記事は一切読まないことにしている。他者から提供してもらったTIPSはけっして身に付かないことが分かっているからだ。 もちろん、あれだけのたくさんのTIPS系記事が絶え間なく生み出されているのだから、拾ったTIPSを有効に活用なさっている方々がむしろ多数派なのだろう。ただ、TIPS系記事の出現が絶えることがないということは普遍性のあるTIPSはきわめて少ないということの論拠にもなりえる。普遍性のあるTIPSなら他の普遍性の低いTIPSを圧倒して、TIPS市場を長期に渡って制圧し続けるだろうからだ。そういう意味では寓話や格言のたぐいに近いTIPSを生み出すのは簡単なことではなさそうではある。 いずれにしても、自分で考えたり行動したりして意識的に身体に「実装」した習慣のほうが、文字だけの情報からいろいろ補完して「実装」するよ
ニコニコ動画のプレミアム会員が200万越えするらしい。ポータルサイトとしての収支的な基盤がより堅固になるのはめでたいが、ビデオサーバー群のパフォーマンスが果たしてプレミアム回線の増大、あるいは昨今の高解像度動画の重さに対応して向上しているかどうかはユーザーからは見えにくい。私個人はいまのニコニコ動画は以前より「重い」と感じている。これは、客観的な性能うんぬんではなく、私自身の体感としての「重さ」である。 プレミアムには生放送システムでの優遇措置ほか、さまざまな特典が存在するが、やはり最大のアドバンテージは回線の軽さである。だとしたら、200万のプレミアム会員の中に一定の割合で現状の回線状況にストレスを感じていて、場合によってはもうすこしコストを負担しても良いというお客がいる可能性はある。あとは実際の「格差」にどう味付けするか次第ではあるが、より快適な環境を提供するプラチナ会員(もちろんこの
最近ニコニコ動画がよく「読込中」表示が出て停まることが多くなった。サーバー側が動画の重さに耐えられないということなのか、それともこちらの回線が遅くて間に合わないということなのかと思っていが、たまたま同じ動画をニコニコ(プレミアム回線)とYouTubeで観て、前者は10回停まったにもかかわらず、後者は一度も停まらなかったことにちょっと驚いた。 ニコニコ動画は最近「リアル」系のコンテンツに相当に力点を置いているようだが、基本である動画プラットホームとしての性能がライバルサイトに対して見劣りするというのはどんなものだろう。コミュニティサイトとしての機能でYoutubeを上回る点があるのも確かだが、基本性能でもぜひ互角の力を維持していただきたいものだ。 YouTube ※ちなみに最近のYoutubeはやたら実名登録をプッシュするので個人的にはあまり好きではない。そういう意味でもニコニコに頑張って欲
レンタルのDVDよりも、ネット経由で見ることができるビデオオンデマンド(以下VOD)のほうが高齢者には使いやすいはずである。ならば、テレビのような専用機でVODを視聴可能な環境がなぜ提供されないのだろう。 NTTあたりも光回線をもっと使って欲しいならそういうサービスを込みで売り込みをかければいいのにと思う。 PCのような複雑な操作を要するデバイスは大多数の高齢者に使えない。好きな映像番組を選んで観るという機能にしぼった専用機が提供されるべきではないのだろうか。 場合によってはニコニコ動画のような動画コンテンツプロバイダーに、ブラウザ上に展開されている動画サービス機能をそのまま反映した専用機を開発していただくしかないのかもしれない。 高齢者の中にはいまのTV番組の内容がよく分からないと訴える人も多い。バラエティ番組の出演者はみんな早口で、いま流行りの言葉を多用する。テレビ局のアナウンサーや記
そういう新ブランドのサイトを立ち上げてみるのも時期的には悪くないのではないかと思う。 オリジナルの手描き系・CG系動画は制作のハードルが高い分、現状では少ない(ボーカロイド系動画は除く。※参照)。だからニコニコ動画という巨大な海の中ではどうしても埋もれてしまう。しかし、別サイトであれば「比較対象」としての二次創作動画がないわけだから、投稿数や再生数が実質的に同じであっても、サイト全体としては別の空気が生まれてくると思う。 わざわざオリジナル作品を見に来ようとする人たちは「発掘者」としての資質も少なからず持っているだろう。だから、書き込まれるコメントの傾向もおのずと変わってくるはずだ。まあサイト全体に醸しだされる「空気」は必ずしも良い作用ばかりあるとは限らないが、少なくともオリジナル作品にとっての居場所としては悪くないものが出来るはずである。 オリジナル作品の最大の優位性は「新しさ」である。
ニコニコ動画に「ミリしらシリーズ」というジャンルがある。よくある動画タイトルとしては「〇○を1ミリも知らない俺がアフレコあててみた」といった感じで、既存のアニメや番組などの映像コンテンツの音声(セリフ)を消して動画うp主が音声をつけるというものが多い。二次創作の形式としては比較的新しいタイプだと思われるが、とにかくコンテンツの予備知識がほとんどない作者の思うままに新たな物語世界を形成してしまうという点が斬新である。見方を変えれば原作無視ということにもなるが映像そのものを丸ごと「素材」化するという試みはなかなか簡単には出てこない発想だと思う。 そしてこの「ミリしらシリーズ」を見ていて気づいたのが、元の音声を消した映像は想像力を刺激するという意味では文字だけの表現である小説にまさるとも劣らない優れたコンテンツであるという点だ。言葉がないゆえに映像がそのまま頭の中に入ってくるというか、映像そのも
素人の印象ではあるが、ニコニコ動画は最近「一般化」が進んだおかげでかつてのテレビに近い存在になりつつあると思う。プレミアム会員も100万人を突破する。経営的には安定化してゆくだろう。 めでたい状況なのではあるが、そうした「安定」の中から病の源はひっそりと生まれるかもしれない。確固たる影響力をもつメディアとなったいま、運営システムを「制御」することでより確実で大きな利益を得ようとする動きが出ない保証はどこにもない。 早い話、コメントや再生数など動画の「周辺情報」を恣意的に操作することはシステムを運営する側からみれば不可能ではないはずだ。こういう仕組みの基本には運営する人々の倫理感というものがどうしても不可欠であって、それに頼ることなく不正を阻止できる仕掛けなんてものは簡単にはできない。とくに高いレベルの管理者が不正をする側に回ってしまったらどうしようもないだろう。 いま現在のニコニコ動画の運
ニコニコ動画では明日(7/6)、新事業戦略発表会なるものをやるそうなので、私もこういう「新事業」があったらいいなというのを妄想してみた。 で、ニコニコ居酒屋とはどういうものかというとずばり「ニコニコ動画が観れる居酒屋」である。そのまんまじゃないか、と言われそうだが、わたしは以前から、ニコニコ動画のコメントシステムにおける視聴者のコミュニケーションというのは居酒屋のカウンターに並んだ常連客が、カウンターの向こうにあるテレビに向かってツッコミをいれるスタイルに似ていると考えていた。 そもそも居酒屋のカウンターという場所はなかなか敷居が高いところである。常連客がいるとなおさらで、そこには既にコミュニティが出来上がっているので、部外者はその輪の中になかなか入ることはできない。ただ、店の主人やおかみさんがどういう人物かによって状況も微妙に変わる。カウンターに座った客に対しては常連も一見も別け隔てなく
そもそも私はごく限られたジャンルしか観ていない偏狭な一ユーザーに過ぎないし、ニコニコ動画を俯瞰する視点なんてとてもじゃないが持ちあわせてはいない。ただ、ある種の直感みたいなものがなんとなくいまのニコニコ動画が微妙に「停滞」しているんじゃないか、と告げている(ゴーストが囁くのよ、ってやつか?)。とりあえず手近な論拠っぽいものとしては殿堂入りカテゴリーことニコニコ御三家のポジションが完全に固定してしまっている観があること。ボカロもアイマスも東方も、それぞれにきっちりとした支持層をもち、そこそこの「浮動票」も集まっている。さらにはお互いのコラボレーションなども盛んに行われている。とくにそうした企画のコアになっているのが神ツールことMikuMikuDanceだ。御三家すべてのキャラクターを包みこみ、いわゆる「ニコニコオールスター」的なおなじみキャラたちをも取り込んで、その系統の動画は拡大を続けてい
今日になってニコニコ動画の検索インターフェースが変更された。正直、かなりの改悪だと感じた。 1 一列表示になってしまった → スクロールするのがとても面倒くさい。なるたけ多くの動画を表示してもらったほうが楽なのは当たり前だ。わざわざユーザーを生理的にイラつかせるようなインターフェースにしたのは何故なのだろう。 2 検索の条件項目が減らされた → 多すぎてかえって戸惑わせると思っているのだとしたらそれは完全な間違いだと思う。ユーザーにとっては選択肢が多い方が良いに決まっている。選択しやすいような表示(修飾)を工夫すればいいだけの話だ。 3 広告表示がフキダシ風になった → これでは広告がついている動画がどれなのか直感的に判断しづらい。広告を出したくなくなるような改悪だと感じた。 とりあえずなぜこのような改悪をしたのか、技術的な理由をまじえて筋道を立てて何らかの形で運営サイドから説明していただ
いま書いている小説の資料としてある程度のイメージを作るために自分の中での幻想郷の地図を描いてみた。基本的には東方求聞史紀(幻想郷縁起)の記述を元にしてあるが、その他の私なりの考え方として以下の要素を考慮している。 「幻想郷の地形は基本的に盆地である」 「幻想郷の人間たちは博麗大結界以前に、現実的な危険区域との境界を意識しながら行動している」 「人間の里は『魔法の森』『妖怪の山』『迷いの竹林』に囲まれる形で事実上封鎖されており、一般的にはこれらを超えて行動しようとする者は少ない」 「『魔法の森』の湿気は『霧の湖』に向かって流れ込み滞留する水によってもたらされており、周辺は湿地帯に囲まれている」 なお、彼岸/冥界/天界といった明確に位置を特定できないような場所に関しては地図上には表現しなかった。 求聞史紀で参照した記述の抜粋は以下の通り。 人間の里「幻想郷の中で最も多くの人間が住む場所」 博麗
ぶるらじ(ブレイブルー公式WEBラジオ)を視聴して反射的にそう思った。別に過去の作品でもかまわないと思う。割が合う程度の視聴料金を徴収しても喰いつくユーザーは十分にいるだろう。ドラマCDというのはあくまでも音声がメインだからあんまりアニメっぽい絵を使うとかえってリアリティが失われる。むしろ少しくだけた感じの絵柄でもいいんじゃないかと思う。 あと、放映済みのネットラジオの音声に紙芝居をつけるというのもいいかもしれない。例えばネットラジオの奇跡と言われた「うたわれるものらじお」に紙芝居つけて配信したら結構ヒットするのではと思う。まあどのような絵をつけるかについては演出上のセンスは必要だろう。 ちなみに二次創作のノリで作成されている動画も実際にあるが、著作権的にはアウトなので、一般人には手が出せない分野である点は注意したい。いずれにしても、紙芝居の付加価値というものをコンテンツプロバイダーはもっ
ニコニコ動画が現在注力している「一般化」は大ざっぱに言えば、一般の人でも抵抗なく視聴できる一般的なコンテンツないしそれを支えるシステムの充実とアピールを進める、ということなのだと思う。だが、それはそれとして二次創作系の動画の一般化にももう少し投資してもいいのではないか。 私の個人的な印象だが、いわゆる御三家(ボカロ・アイマス・東方)に関しては、それらのネタ元に関して詳細な知識を持たなくとも動画を鑑賞したり投稿したりする人々が増えていると感じる。それがジャンル内部でのある種の「紛争」的なものを引き起こしている面もあるが、裾野の広がりを示唆する典型的な現象でもある。つまり、それぞれのジャンルの中では「一般化」が進行しているのである。ニコニコ大百科のようなデータベースの充実なども大いに寄与している面もあるが、ネットを検索する気になりさえすれば簡単に見つかるたぐいの情報も多い。ネタを共有してみよう
以前「演じ手としての初音ミク」について考察したことがあった(下記リンク参照)が,今やニコニコ動画における御三家キャラはすべてある種のマルチタレントであると考えたほうがいいのかもしれない。現実の肉体をもつタレントと異なるのはタレントの中身(ディテール)に関しては作り手の好きなようにコントロールできるという点だ。保持されているのは外見と基本設定(ボカロの場合は「音声合成エンジンとしての仕様」)だけであり,一部ないし大部分がブレイクしたりズレていたりしても一向にかまわないという共通認識が成立している。 アイドルマスターの設定の通り,二次創作者たちは共有されているタレントのもつ魅力をいかに引き出すか,いかにアレンジし演出してゆくかを競っているプロデューサーなのである。その活動はあえて言うならばある種の「支配」であり,他の才能を自分の手で再構築するという歓びをもたらす作業なのだ。しかもその「他の才能
アカウントを二つの層に分離するというのはつまり一方の層からはもう一方の層の活動が見えなくなるということである。まずコメントが分離される。一般層のユーザーは一般層のコメントしか見えない。再生数もマイリスト数もコメント数ももう一方の層の操作・入力した結果が反映されない。ランキングや広告,市場なども同様である。 つまりアカウントを分離することでニコニコ動画の「世界」を仮想的に二つ存在させることになる。ニコニコ動画はいまいわゆる一般化に向けて懸命な努力をしている最中だが,一般層の取り込みを図るということとニコニコ動画の世界で一般層と非一般層を共存させることは別の問題だという風に考えてみたらどうだろうか。やや投げやりな意見かもしれないが,一般層と非一般層を共存させることはかなり難しい。マニアックなネタは一般層から見れば意味不明なものだし,非一般層から見ると一般層が関心を持つものには全然興味が湧かない
ニコニコ動画関連の事業で特別損失が11億出たということだが、それは普通に考えるなら固定資産の売却損もしくは除却損のことだろう。しかし、平成21年9月期第3四半期決算の説明資料のキャッシュ・フロー要約を見ると3四半期の間に10億円以上の減価償却費を計上し、"主に「ニコニコ動画」にかかわるサーバー機器取得によるもの"と書いてある。サーバーの償却費にそれぐらい払っているなら、サーバーそのものの売却・除却損が10億を超えたってべつに不思議ではない。高解像度化や生放送の強化に備えて新型の高性能のサーバーに入れ替えていけば、古いサーバーは売却・除却せざるを得ないだろうからだ。 素人の憶測かもしれないが、単に手元資金に余裕があるうちに早めに古い資産を償却してしまおうとしただけではないかと思うのだが、どんなものだろう。こんな話ぐらいで「ニコニコ動画終わったな」とか言うのはあまりにも浅薄なものの見方をしてい
ふと思いついてニコニコ動画で「手書き」というキーワードを含むタグの検索をやってみた。結果(11:00現在)は以下の通り。 東方手書き劇場--------6668件 手書きリボーン--------2020件 手書きAPH-------------1838件 手書き----------------1826件 手書き金魂------------1581件 手書きテニス----------1494件 手書き電王------------1483件 手書きAPH(腐)------1353件 手書きAPヘタリア------1277件 手書きBASARA--------1248件 手書きリボーン(腐)----1201件 おお振り手書き---------942件 手書きMAD--------------737件 手書き無双-------------722件 振り女性向け手書き-----602件 これを見ると
だいたいわざわざHD化した電波放送なんかよりニコニコ動画のサーバーを使った方がどう考えたって情報伝達コストの点で安上がりだろう。空中に電波を飛ばし、全国津々浦々に中継するのにどれだけの設備コスト・電力コストがかかっていることか。そんな高価な電波はもっと「一斉放送」でなければならない目的に使った方がいい。インターネット配信の実験とかしてるみたいだが、そんなの自力でやろうとせずにさっさと提携すればいい。コメントがつけられるのが嫌ならそういう仕様にすればいいだけだし、何の問題も無い。もしかすると学園内部にメンツにこだわる愚か者がいるかもしれないが。これみよがしにトップページに地デジ完全移行まであと何日とか表示してるが、こんなもの消したほうがいい。下手をすれば反感を買うだけだ。地デジ化したら授業が受けられないなんてヒトが出たら本当にシャレにならない。 いちいち録画をしなくても何度でも再生できるし、
一般向け動画とはつまるところ予備知識がなくとも楽しめる動画ということだと思う。そこで、そうした条件であれば、私ならこういう動画を観てみたいというのをとりあえず3種類挙げてみた。 1 歌曲の手書きPV どんな歌曲でもいい。場合によっては歌無しの音楽だけでもかまわない。その曲から作者が抱いた印象を映像化したものを動画という形で観てみたい。ただ、この場合「一般向け」という縛りにこだわるのなら、VOCALOIDが歌っているものはとりあえず除く、という条件設定も考えられる(私個人は含めてもいいと思うが)。あと、当然だがキャラが登場するなら既存のアニメやゲームから引っ張らないのが原則である。 ゲームやアニメの主題歌・挿入歌・劇伴などの場合、物語やキャラクターと結び付きが強いタイプ(歌詞に固有名詞が出てくるものとか)は不向きだろう。たとえば宇宙戦艦ヤマトのED「真っ赤なスカーフ」あたりはヤマトの内容とは
数量制限というのはつまり配信回数を制限するということである。例えば同じ動画が1000回視聴(購入)されたら配信は終了する。なぜそうした制限を加えるかというと、既存のセルやレンタルのDVDのマーケットを圧迫しないようにするためだ。ただ、レンタルDVDの場合、人気があるタイトルだと当然客同士の競合が起きて、見たいものがなかなか借りられないということがある。そういったある種のスキマ的な需要を埋めるための手段を提供するのである。最新のタイトルならばいわば「試写会」をやるような効果が期待できるかもしれない。当然、動画キャプチャーによってコピーされるリスクはある。しかし、それはPC上のDVD再生でも同じことが可能なわけで、その意味ではレンタルDVDと条件は同じはずである。 短期的な需要をカバーするだけではなく、一般的に知名度が低くレンタル店ではあまり置いていないようなタイトルを対象にするという手もある
確かにコメントが荒らしっぽくなってしまうという欠点はあるから、ピックアップを拒否する機能をつけるという選択肢もあったほうがいいとは思うが、新着動画を拾うという企画そのものまで否定する必要はない。アンケートによって動画継続を選択するというのは現時点での自分の意見と周りの意見が一致するかどうかというある種のスリルがあるし、いわばコンテストの審査員になったような気分が味わえる。自分の興味と勘だけでは出会えなかった動画に遭遇する機会も増えるだろう。ただ、自分の関心のある分野でないと興味が持続しないのも確かなので、できれば時間帯によってカテゴリー区分するのではなく、リーズナブルな時間帯に並列配信して欲しいものだ。 一種の晒し上げではないかという意見もあるようだが、自分の作品をこうしたオープンな場に上げる以上はある程度の「叩き」にあうことは覚悟すべきだ。これは個人ブログサイトのコメント欄を閉じてしまう
では、そもそも一般向け動画を誰が供給してくれるのだろうか? どういうタイプの人間が、「動画」という手間ひまのかかるものを制作し、ニコニコ動画にアップロードするのだろうか? そういう人は「一般的」だろうか。少なくとも、自分の好みの分野というものをもっていて、それにからんだ動画を発掘することに労を惜しまないような人はあまり「一般的」ではなさそうだ。ではそういった志向をもつ人がわざわざ「一般的向け動画」を作るだろうか? その答えは多分NOだ。自分の貴重な時間を使うのだから、どうせなら自分が好きなものを制作したいと思うのが普通だ。つまり、作る側にはすでに一般的ではないバイアスがかかっているのである。 もちろん、それでもあえて普遍性の高い「一般向け動画」を作ろうとする人もいるだろう。だが、そのパーセンテージはかなり低いのではないか。すくなくとも、CGやアニメを用いず実写系の映像を用いてそうした動画を
ニコニコ動画バージョン(9)において、アイマス・東方・ボーカロイドのいわゆる御三家はそれぞれ独立カテゴリーとなり、さらに同一のカテゴリーグループにされた。これは「その他」カテゴリーと一緒にしているのがミソで、特別なメジャージャンルとして扱っているようでもあり、その他大勢的なマイナージャンルとして区分けしているようでもある。御三家を支持する勢力・反発する勢力どちらからも文句が出ないような処置という風にとれる。ただ、『ニコニコ動画』新バージョン(9)発表会見のアーカイブ動画で再確認したが、西村博之氏は新カテゴリーにからんでこう説明している。 萌えモノは確かに熱心なユーザーがいるのは分かるんですけどそれに準じるのは良くないということでちょっと押し込めてみました。(中略)ニコ動も一般化のためにそういう人たちは押し込めてみようと。 わざわざそういう言い方をしなくてもいいのに、という気がする。その言葉
コミュニケーションコストが安いのだから10万人規模ぐらいならSNSによる直接民主制が可能だというのはアイディアとして十二分に面白い(下記リンク参照)。というか東浩紀氏のような有名人にそういうことを語ってもらえるというのは非常に助かる。 この手のアイディアは早め早めに検討しておくに限る。そしていちばん手っ取り早いのはSNS直接民主制をとる特別行政区でもつくって政治システムとしてのデザインをテストしてみることだが、それは現段階では現実味がないだろう。でも、アクセス数の多いポータルサイトで試してみるというのはアリではないかという気もする。例えばニコニコ動画はプレミアム会員が50万人以上いるが、サイト運営を会員が参加する直接民主制の手法によって行うというようなことをすると自治体運営を直接民主制で行ったときに起きそうな問題点がいろいろと見えてくるのではないか。実際にはニコニコ動画は営利団体だしそんな
初音ミクの作品としての核心は電子楽器としての機能にあり、キャラクターはこれに直結する「歌手」としてのイメージだ。そして、彼女をとりまく世界観に関する設定はほとんど無いに等しい。それゆえに、初音ミクがどのようなキャラクターかを想像する手がかりは薄い。だが、逆にそうした特性は演じ手としての初音ミクに柔軟さを与える。初音ミクのキャラクター性は歌手としての本来の機能が用いられたときにこそ発揮される。すなわち、彼女が歌う歌が作り出す世界観の中のキャラクターとして振舞うとき、ミクはどのような人物にも変身できる。恋する女子高生にも、夢破れた大人の女性にも、あるいは電子の世界に生きる不思議な生命体にもなれる。初音ミクの基本的な特性はこうした「器」としての能力にある。 したがって、初音ミクが「白いクスリ」(酒井法子の「碧いうさぎ」の替え歌)を歌うときも、それはミクが演じているキャラクターが立ち現れるだけなの
ニコニコ動画にとってはお金を払って利用してくれるお客が50万人に達したということは記念すべき出来事であり、経営基盤の確立という面でもきわめて重要な通過点であろう。ただ、ユーザー側としてもこのトピックを単なる祝い事として受け止めるだけではなく、「機械的なサービス」への対価について考える機会として捉えるべきではないかと思う。 モノの価値に重きをおきがちだった我が国にも、無形でもサービスには対価を払わなければならないという感覚がようやく定着しつつあるが、人手を介さない「機械的なサービス」に対してお金を払う必要があるという感覚はまだ十分には浸透してないように思われる。たとえばSuicaというシステムは電車賃支払いツールとしては認識されていても、Suicaそのものにも常にコストがかかっており、そのコストを間接的に払っているという認識はわれわれユーザーの側にはほとんどない。それはSuicaが、より大き
インターネットから隔絶された状態になると、ネットはエゴイズムを可能な限り損なわないようにしつつ「社会との接続感」を保つことのできるツールなのだと改めて感じる。誰かに拘束されない状態で社会に接続されているかのような幻想を抱くツールとしてはつい最近まではテレビというものがあったわけだが、そのテレビにしても複数の人間で見ている場合にはやはり映像を見ている人間の集団という一時的コミュニティに拘束される。まあ簡単な例を挙げれば、かつての核家族(ニューファミリーという不思議な言葉もあったが)にはテレビという「社会への窓」を共有するコミュニティのような面もあったわけだ。共有されている場である以上、エゴイズムは調整され、部分的に抑制されざるを得ない。具体的には「チャンネル権」が存在したことがそれを象徴している。 だが、テレビが高級機器ではなくなり個人が所有するものになってしまったとき、チャンネル権が所有者
ニコニコ広場はユーザーが適当に複数のサーバーに振り分けられる仕組みになっているらしいが、そういった状況だと共通の話題を拾うことがむずかしい。おそらく運営サイドとしては生放送がまだニコニコ動画の臨時イベント用のシステムだった頃の、イベント開始前のwktk感をともなうユーザーたちの書き込みのノリのようなものを想定していたのかもしれないが、日常的に開かれたアトランダムなユーザーの集合場所の「広場」はコミュニケーションの場としてはかえって機能しづらい。むしろ、特定のジャンルごとに「広場」があったほうが動画の話題とかも振りやすいのではないだろうか。ただ、ジャンルを運営側で切り分けるのもいろいろと議論が発生しそうだから、とりあえずは使用数が多いタグの上位100種程度に対応する形で「広場」を設置したらどうだろうか。その際には「もっと評価されるべき」などのようなジャンル分けとは異なる意味をもつタグは対象外
先月30日間、ニコニコ動画を観ずに過ごした。この私的な企画を思いついたのは、自分のニコニコ中毒度を測ってみたいということと、自分の身にこびりついたある種の「惰性」のようなものをそぎ落とせるかもしれないと考えたためだ。 結果としては以下のことが明らかになった。 1. ニコニコ動画を観ずにいてもとくに禁断症状的なものは出なかった 2. 復帰してみたら、観ているうちに動画再生を途中で(つまらないので)止める率が増えた 3. 自分が注目している分野の最新の動画をチェックしておかなければという強迫観念が薄くなった 4. 6月中の月間ランキングには案外観たいと思えるような動画は見当たらなかった 5. これまで観ていた常連さんの新作動画は思っていたより増えていない(単なるめぐり合わせである可能性大) 6. 復帰後は一日の間にニコニコ動画にアクセスする時間は半分以下になった 自分としては、とくに2.と3.
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