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ニコニコ動画は夏野氏が経営陣に加わってバージョンがββとなって以来「一般向け」の動画ポータルサイトへと転進すべくさまざまな施策を実行してきたが、現状ではまだ決定打となるような枠組みを見出すには至っていないように感じられる。二次創作を中心としたマニアックな動画がメインであるニコニコ動画には「一般向け」という方向付けは難しいのではないかという声もあるようだ。 そこで、「一般向け」というあまりにも広大かつ漠然とした市場を最初から狙うのではなく、ターゲットを高齢者、それもある程度のネット環境に対応可能なリテラシーをもつ高齢者に絞った企画を打ち出してみてはどうだろうと思った。それというのも、私の身内の高齢者が、何にお金を使っていいかわからないということを日頃よく口にするのを聞いていると、年寄り向けにもっと手軽にアクセス可能な動画ポータルを構築してやれば、案外需要はあるのではないかという気がしたからで
先週末、懐かし系FLASH総集というのを観ていて思ったことだが、かつてのFLASHにはギコ猫やモナーなど、いわゆるアスキーアート系のキャラクターが多数登場していた。彼らの発展には巨大掲示板2ちゃんねるが重大な寄与をしているが、記号の組み合わせから発生した彼ら/彼女らはその依って立つバックグラウンドが不明であったため、2ちゃんねるユーザーの膨大な書き込みの蓄積とともに設定が少しづつ追加され、場合によっては別のキャラクターに分化するというプロセスも含めて展開していった。その結果、ある種の公共物としてのポジションを得ることになった。 このアスキーアート系のキャラクターはニコニコ動画にはあまり登場していない。それは、テキスト系掲示板における書き込みないしコピペという形で共有されるのが基本のアスキーアートは、グラフィックス系動画そのものを共有する仕組みであるニコニコ動画においては共有の対象にはなりに
ニコニコ動画のランキング上位を占める動画がいわゆる「マニアック」系であることはご存知の通りだが、マニアックという表現はもはや現状では語弊があり、むしろ二次創作系動画と言ってしまったほうがすっきりするのではないかと思う。別の言い方をすると元ネタを知らないと理解が難しい動画である。予備知識がない人だと、いままで見聞きしたこともないようなニッチな専門分野の学会論文発表を観るような気分になるだろう。人気動画を楽しむためにはそれなりのリテラシーを要求されるのは、ニコ厨にとって前提なのだ。とくに最新の動画に関しては最新の知識が要求されることも多い。だからこそニコニコ大百科という予備知識データベースが存在し、ユーザーたちの手によって日々更新されているのである。 誤解を招くことを怖れずにあえて言うと、ニコニコ動画を楽しむためには一定の「向上心」が必要になるのである。とくに手広い分野をカバーする本格的ニコ厨
去年の5月29日に開始されたニコニコニュースメーカーのサービスが今日で終了する。発想としては悪くない企画だったと思うのだが、やはり基本が「ニュース」なので、個人ユーザーにとっては手が出しにくい分野だったのだろうとも思う。自ら一次情報にあたって「取材」したものでないと、単なる既存メディアの情報を右から左に流すものになってしまってコンテンツとしては魅力が薄いものになってしまうからだ。逆にいえば、昨今風当たりが強くなっている既存メディアだが、それらが担っている一次情報の収集・編集作業を個人レベルでやろうとするとまだかなりハードルが高いということを改めて認識させられたという感じだ。 自ら一次情報を取ろうとするなら、とにかく自分の身体を動かして文字通り「行動」しなければならない。どのような形であれ、一次情報の源は他者であり、他者との接触は「社会」との接触でもある。いわば従来型の一社会人としてのコミュ
ニコニコ動画のこれからの課題のひとつに、おそらく「一次創作」(二次創作に対比した言い方。つまりオリジナル作品)のコンテンツをいかにしてユーザーに投稿してもらうかという点があると思う。少なくとも現状では二次創作系動画に対して一次創作は圧倒的に量が少ない(音楽系は除く)。たぶん、ニコニコ動画の運営サイドは十分に認識はしているだろう。「国際ニコニコ映画祭」などはそうした認識を反映したイベントだと思う。ただ、いまひとつ一次創作系動画の促進には効果が出ていないようだ。 ユーザーが一次創作系の動画をあまり投稿しない理由はそもそも制作のハードルが高いということもさることながら、オリジナル作品は案外見てもらえないという点にあるのではないだろうか。見てもらえないから投稿しない、投稿されないから作品の数も質も低い、だから見てもらえない。この悪循環を断つにはとりあえず少しでも「見てもらえる」工夫をするしかないだ
ニコニ広告を使ってみた。以前も書いたが、私はこのシステムを「埋もれている佳作」を拾い出すために使おうと思っている。で、実際にやってみてある程度時間が経ったが、正直なところ目に見えるような効果はない感じではあった。まあもともと再生数やマイリスト数が少ない動画にターゲットを絞っているので、数百円程度の広告が打ってあったからといって他の人が「見てみようか」という気にはなりにくいのかもしれない。はてブでブックマーク数が少ない記事をあえて見てみようという人は全体から見れば少ないというのと同じである。したがって、よりはっきりとした効果を期待するならば、もっと思い切った投資? が必要なのかもしれない(たとえば一回当たり1000円以上とか)。 ただ、再生数やマイリスト数に効果が現れなくても、動画の作成者にとって「お金を払う気になった人がいる」という事実が多少なりとも今後の活動の励みになってくれればなとは思
ニコニコ動画でようやく試験的にニコニ広告のサービスが開始された。システムのイメージとしては大体予想通りで、インターフェースも使いやすい形になっていると思う。今後どの程度利用されるかについてはまだ不透明だが、現状のユーザーの反応を見ると滑り出しとしてはまずまずという感じだろう。 ただ、実際にどのような動画に広告が出されているかという点についてすこし意外だったのは、すでにランキング上位にあったり、10万以上の再生数がある動画にけっこうな金額の広告が出されているということだ。私自身はニコニ広告というのは埋もれている動画を拾い出すためのものという印象を強く持っていたせいか、すでに十分に評価されている動画にわざわざ広告を打つという気にはなれないが、応援したいという気持ちをそういう形で表現しようとする人たちもそれなりに存在するのだなあと思った。 広告金額のランキングを見ると上位をアイマス系とVOCAL
つい先日、寺山修司の詩集をぱらぱらと見ていたとき、「ロング・グッドバイ」という詩の中にこのような一節があった。 休息するのには駅が必要だ だが どこにも駅はなかった 「つまりあなたは こう訊きたいのですね 駅はどこだ、と」 どこだ どこだ 新しい駅はどこだ、と。 ※「日本の詩集19 寺山修司詩集」(角川書店,初版1973年)より あれっ、とこれを見た瞬間思った。これは「ねじ式」のあのノリではないか、と。ちなみに『駅はどこだ』の部分はわざわざゴシック体になっている。 残念ながら手元に「ねじ式」が無かったので、はっきりと確認できないのだが、たしか例のシーンではメガネのおっちゃんが「きみはこう言いたいのでしょう イシャはどこだ!」と言っていたと思うので、形としてはほとんど同じだ。「ロング・グッドバイ」が発表されたのは下記の記事によれば1966年とのことなので、「ねじ式」が発表された1968年の2
ニコニコ動画のエコノミーモードが適用される時間帯が拡大したらしい。切り替え開始時間が19時くらいだったのが18時になるという。また、土日・祝日は正午から切り替えだそうだ。じわじわとシステムへの負荷は高まっているわけだ。実際、最近はあたりまえのように検索結果のサムネがつぶれていたりするし、かなり厳しい状況なのだろう。そこで疑問に感じるのはこんな状況で「一般層」の取り込みを図る必要性があるのだろうか、という点だ。まあ「一般層」という言葉の定義も難しいのだが、ここでは「趣味に合ったもの・面白いものを自分から積極的に探し出すほどのヒマと気力はない人」とでもしておこうか。要するに従来のブロードキャスト型のコンテンツ供給システムのメインのお客さんである。 ニコニコ動画が仮想的に提供する「場」は結局はコミックマーケットのようなフラットな「場」であり、そこから自分の欲しいものを探すのは簡単なことではない。
初音ミクをはじめとするヴォーカロイドの「声」は基本的にはヒトの声をシミュレートしたものだという印象がある。実際、音源はヒトの声をサンプリングしたものだし、できるだけヒトの声を再現するという方向で開発されたものだと思う。だが、「ぼかりす」の登場とその後の状況を鑑みると、どうもヒトの声に近づければいいというものじゃないのか、という気もしてきた。ヒトらしい歌い方を実現するためのシステムとして開発されたという「ぼかりす」は各方面に衝撃を与えたし、実際に公開されたサンプルを聞くと確かにそれらしい歌い方が実現できている。最近は巡音ルカ版もニコニコ動画にアップされていて、演歌の節回しを器用にこなしていた。だが、その「ヒトくささ」は果たしてヴォーカロイド系の楽曲の全てにおいて望まれる方向なのだろうか。 生身のヒトの声とは違う「不器用」さ、「機械っぽさ」は「ヒトならざるものとしての声」としてある種の独立した
何のことを言っているかというと、ニコニコ動画におけるニコニコチャンネルのいわゆる「公式動画」群のことである。現状ではプロのコンテンツ供給者が提供している公式動画がランキングに入ってくることはなかなかない。それは、コンテンツの中身うんぬんというよりも、動画閲覧者の選択の幅が広い分、プロならではの「コンテンツの普遍性」というもののありがたみが失われているからである。つまり、プロの動画だからといって自分好みだとは限らない。「はずれ」の可能性が低くても、「あたり」である可能性が高いとは言えない。それよりも日々アップされ続ける膨大な動画群の中から自分好みの動画をキーワードやタグ、ランキングで拾い上げることができるのだから、そちらのほうが「あたり」を引く確率が高いのだ。 そしてここからが憶測なのだが、ニコニ広告の実装が遅れているのは、もしかすると、このシステムが公式動画をある意味圧迫してしまう可能性が
先日「3Dカスタム少女」の拡張(XP)パックなるものの仕様を見ていたら、3Dの美少女のポーズをエディットするという機能があった。これはつまるところ簡易型のPoserであり結果としてむしろPoserを上回る成果を生み出す可能性があるのではと思った。つまり汎用の人物画ジェネレーターである。別の喩えで言えばMikuMikuDanceの服装/身体可変モデルというところか。 どういう形であれ、3D技術にもとずいた人物画ジェネレーターができてしまうと、これまで人物画を描くのに時間がかかっていた人でも容易に絵が作成できるようになるという現象が起きる。それが創作行為としてどう評価されるべきかという議論はこの際置いておく。だが、簡単に美少女画が描ける手段が入手されたら、それをベースにして何か作ってやろうという動機付けは当然発生するだろう。 3Dカスタム少女はとりあえずの事例だが、たぶんこうしたタイプの「萌え
http://blog.nicovideo.jp/niconews/2008/12/002136.htmlを読んで、これは一種のポジショントークではないかと感じた。しかも極めて巧妙な出来である。ニコニコ動画の危機に重要な役割を果たしてくれた人への感謝の意を表す文章という形をとっているが、同時に「ニコニコ動画はコンテンツホルダーの皆さんとちゃんと折り合ってきた実績がありますよ」というアピールにもなっている。なにしろエイベックスとJASRACといえば「著作権にうるさい人」の代表選手のようなイメージがネット上にはある。そことの折り合いをつけたということは、ニコニコ動画にとってもきわめてシンボリックな意義がある。 さらに、ニコニコ動画を支える味方が各界に存在することも付け加えている。これも謝辞という形ではあるが、深読みするとその「味方」がいくらでも膨れ上がって見える、きわめて効果的な表現である。大
組み込みソフトの開発の流れに関する記事(下記リンク)を読んで一種の懐旧の念にかられたので、私の経験した大昔のソフト(システム)開発について参考までに書いてみたい。ここでは小ロットの小型設備機器というイメージで。 しょっぱなはまずシステム全体の仕様書を書かなければならない。完全に独立した製品に関する仕様の場合もあれば、製品の一部を形成するボード単位での設計仕様もある。ユーザーの要求に沿って、システムの機能や各種スペックに関する仕様をまとめ、システム仕様書を提出して承認を貰う。このあたりは通常はシステムデザインを担当するプロジェクトチーフもしくはそれに準ずるシステム屋の仕事である。 システム仕様の承認が下りたら、ハード屋とソフト屋がそれぞれ仕事を分担しなければならない。ハードは基板単位の設計をする者と筐体設計をする者とに分かれ、さらに基板設計はアナログ屋とデジタル屋で分担する場合もある。基板の
今度のニコニコ動画の新バージョンがどのような中身になるかはまだ分からないわけだが、重要なポイントとして、マニアックな方向性は損なわずに一般向けのいわば「とっつきやすいサイト」としての構造を備えるというのはあるのじゃないかという気がする。簡単に言うと、いまのニコニコ動画はポータルサイトとしてはGoogleに近い感じがする。分かっている人間にとっては自分好みの動画を検索するのはどうということはないのだが、Webサイトというものに不慣れな人間からみたら、トップ画面を見てもいったい何をどうしていいのか分からないという感じかも知れない。 そうなると、やはりWebサイト側であらかじめセレクトした情報を「おすすめ」として前面に出してゆくという方法をとらざるを得ない。動画サイトとしての基本機能をただポンとおいてあるのではなく、ニコニコ動画を利用するならまずこういう動画を見てはいかがですか、みたいな「柔らか
ニコニコ動画にもシステム内部のローカル貨幣に相当するニコニコポイントが導入された。当面はゲーム利用等の課金システムとして使われるようだが、動画視聴そのものに絡む仕組みの中でポイントを使用させるという応用もあっていいと思う。私が思いついたのは「有償マイリスト」、つまりある動画をマイリストにいれる際に一定のポイントを支払うというシステムである。 マイリストというものはユーザーが個人的に利用するだけではなく、他のユーザーに対して自分が気に入った動画を「宣伝」するという意味ももっている。ならば、ユーザーから見ればお金に等しいポイントをわざわざ払ってまで宣伝したいという動画に対しては他のユーザーも興味を持つ可能性は大きい。当然だが、この有償マイリストは「有償」という条件を追加することで絞り込み検索できるという仕組みにする必要がある。 本当ならば、動画の作成者に対する「投げ銭」も兼ねることができればそ
現状におけるマンガの製作コストは、書籍を出版する側からみるともはや割高になっているのではないかと思われる。そして、例の小学館がらみの提訴事件に対する周囲の反応が示唆したようにマンガ作家は作品制作のプロセスにおいてかなりの無理を強いられている状況でもある。何十年もかけて発展・向上してきたマンガ作品を、現代におけるこの「水準」を維持しつつ安価な商品として消費者に提供するのはもはや困難なのではないだろうか。 わたしはこの数ヶ月、週刊少年マガジンとサンデーを購読してみたが、その内容の凋落ぶりは眼をおおいたくなる。そして、相変わらず売れている作品は引っ張るだけ引っ張る一方で、新人の作品が流れに浮かぶうたかたの如く入れ替わり立ち代り掲載される。その中で「当たり」が出ればそれをまたできるだけ長く引っ張るというわけだ。こんな手法を続けているようでは週刊マンガ誌としての地位を保ってゆくのはこの先難しいだろう
今回東方Projectのことについていろいろと考えているうちにふと思いついたことだが、20年以上前に大ブームを巻き起こしたお菓子のことを思い出した。その名は「ビックリマンチョコ」。値段は数十円ぐらいなものだが、おまけについているシールがキモで、これにさまざまなキャラクターが描かれており、さらにその裏にキャラクターとその周辺に関する解説がほんの二、三行書いてあるものだった。 大ヒットした「悪魔VS天使シール」にはバックグラウンドとして悪魔と天使の戦いという物語世界があるのだが、物語そのものは話として書かれているわけではなくて、あくまでもひとつひとつのシールに書かれているキャラ解説の断片的な情報でもって、ビックリマンの世界を読み解く必要があった。これが子供たちにとってはなかなか楽しい作業だったのだろう。この仕組みが、どうも東方Projectに対して現在拡大している「楽しまれ方」に似ているところ
現状では日本のアニメーションはネット上での行き場を確保できずにいる。結局のところ、電波というメディアで販促活動をし、DVDというオフラインメディアに載せたコンテンツをとても一般向けとはいえない価格設定で販売し、一部のコアなファンが購入するかどうかにビジネスの成立がかかっているという構造のままだ。このビジネスモデルの維持に固執し続けると早晩アニメの市場は縮小に向かわざるを得ないだろう。地方テレビ局の協力関係を充実させ、視聴者数の確保に向けて努力したとしても、アニメを視聴する層の世代交代は確実に進行している。おそらく高価なDVDを購入してまで手元に「モノ」としてコンテンツを確保しておこうというタイプの人は減りつつあるのではないだろうか。 アニメが抱える本質的な問題はその制作費用(電波というメディアによる販促活動も含む)が高いという点だ(30分枠1話分で1000万以上)。だが、作品をネット上で提
コミック動画というのはとりあえずわたしが勝手に造った言葉だが、従来の紙媒体でのマンガ(コミック)を一コマずつ送る形で動画にした作品形式を指す。Web上に四コマなどで発表されているものをこの形式で動画化した例や、はじめから動画化する前提でこの形式を採用している例は現段階ですでにニコニコ動画では数多くみられ、ランキングの上位にもしばしば登場している。このタイプの動画にはタイトルやタグに「手書き」という表現がつけられていることが多い。 この「コミック動画」にはWebという電子媒体を表現の基盤にしているがゆえの特徴が数多く見られる。BGMが流れること、セリフがダイナミックに表示されること、サウンドエフェクトが挿入されることなどは、いずれもPCゲームのジャンルとして発展してきたノベルゲーム(もしくはエピソード分岐型のアドベンチャーゲーム、ADV、AVGと称されることもある)の表現形式をそのまま継承し
最近、ニコニコ動画でマンガを動画にしたシリーズものの作品をよく見かけるようになった。このような動画では、作品の属性を示す表現として既存のアニメなどの動画を引用したものではないという意味合いで「手書き」というような言い方がよく使われるが、要するに紙に複数のコマに分割されて表現されていたマンガを一コマずつ「送る」動画によって表現するようになったということだ。 これまで電子コミックというと、紙に印刷されていたコママンガをそのままページごと画面表示し、なおかつ読者がページ送りを手動で行うというような、従来の紙のマンガをシミュレートしたようなタイプが多かったように思うが、「一コマづつ自動的に送る動画」=『コミック動画』として表現されている手法はニコニコ動画では多くのユーザーに受け入れられ、半ば標準化されていると思う。これが実際にプロの手によって作品形式として取り入れられたら、またたくまに普及するので
質問項目を短時間にしていることはメリットがあると思っていたが、この結果を見て少し考えたことがある。ひとつは「長いセンテンスの選択肢だと眼に入らない」ということだ。正直、選択肢が4つあるということを認識できていなかったような気がする。こういう形式をとるならば、選択肢はできるだけシンプルにしたほうがいいだろう。この際、YES/NO/分からない、ぐらいにするべきではなかろうか。順序として、「質問を読む」「選択肢を読む」「選択肢を選ぶ」という三つのプロセスがあるわけだが、選択肢を早く選ばないとという気持ちがあったがために「選択肢を読む」の時間を圧縮せざるを得なかったのだろうと思う。もちろん、何度か試行を繰り返しているうちに適切な時間に調整可能とは思うが。いっそアンケートの形式に関するアンケートを出すという手もありますわな。あと、結果表示に関しては男女と全体っていうのはさほど意味を感じなかった。むし
それはこの記事でも述べたようにニコニコ動画が著作者側から見た「批評を受ける場」としてきわめてハードルの高い場だからであると思う。視聴ユーザーが改変できるタグ付け機能、ジャンルごとのランキング表示機能、そして画面と同期して現れるコメント。この場合はそれらはあくまでも二次創作への批評の手段として機能するわけだが、二次創作がどのように評価/支持されるかということは、間接的とはいえ元作品への批評がなされることと同義だ。その点、YouTubeに実装されているのは再生数の表示や通常のありふれたコメント機能であり、その作品への評価はニコニコ動画に較べれば「あらわ」にはならない。 ただ、個人的には二次創作の「出来」を一次側が評価するというのは自分(一次側)にとって都合の良い評価だけを集める行為に陥ってしまうのではないかという危惧を感じる。正直、二次創作側が作品にすりよるような方向に行ってしまったら、あまり
ニコニコ動画は下記リンクのように日本動画協会(AJA)/日本映像ソフト協会(JVA)/日本映画製作者連盟(MPPA)の要請に沿う形で二次創作動画を削除することになったわけだが、そうなるとニコニコ動画に匹敵するユーザー規模をもつ動画サイト、Youtubeも同様な行動をとるのだろうか? まさかニコニコ動画が「著作権侵害動画を速やかに削除する」ことにしたというのにYoutubeがそうしない、ということはおかしなことになるだろう。当然、AJA/JVA/MPPAはニコニコ動画での事例をもとにYouTubeに対してより「積極的」に「著作権侵害」の動画を削除する体制を構築するように迫るに違いない。 さて、そうなると国内の主だった動画サイトは著作権侵害動画を積極的に排除する方向になるのだがから、AJA/JVA/MPPAはやりたい放題をしている海外動画サイトに対しても「積極的」に著作権侵害動画の排除を要求し
昨日アニメ系のネタ不足が現状のニコニコ動画にある種の一服感を生んでいるかもという記事を書いたら、今日はこういう状況になってしまっているとは皮肉なものだ。これでアニメ系のMADなどはかなり削除されてしまうことになるのだろう。この件を知ったとき、私は日本のアニメは既に低迷期に向かっているのかもしれないという印象を抱いた。おそらくアニメを制作している側は著作権のからみだけでこうした姿勢をとっているのではないと思う。むしろ彼らが恐れているのは、アニメ作品がその場ですぐに「評価」されてしまうことなのではないか。 ニコニコ動画がもつコメント機能は一瞬一瞬での観る側の評価を明らかにしてしまう。そして、再生数やマイリスト数という数字とランキング機能によってリアルタイムに総合的な評価がなされてしまう。しかも、そうした評価はすべてユーザーからのまごうことなき直接評価であって、いわゆる「専門家」によって適度にソ
あくまでも個人的な感覚に過ぎないのだが、最近のニコニコ動画にはある種の一服感がある。停滞とまでは言わないが、すこし勢いが停まったという印象があるのだ。そのひとつの要因として、大規模に共有されるネタが最近あまり見当たらないということがある。少し前までだと「組曲『ニコニコ動画』」「ロイツマ」「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」「男女」といった類の大量の派生動画を生むネタがあった。そして、アニメのOPやEDをベースにしたMAD等もかなり存在した。だが、最近はその手の動画はなりを潜めている。 その原因はおそらく、3月から開始された著作権侵害動画の削除/監視に関する一連の管理体制だろう。ある意味、確実にその成果は上がっているということだ。ただ、結果としてネタ元としてのリソースが激減したことがの影響が3ヶ月以上経過した現在になってかなり明確に現れてきたということかもしれない。あるいは、ネタのローテ
東方Projectに人々が惹かれる理由について東方Projectはなぜここまで人々を惹きつけるのかでは主に二次創作の自由度という点から述べたが、このエントリーでは作品そのものがもつ魅力にからめて考えてみたい。 東方Projectのファン層の拡大には、「キャラ萌え」志向のファンによるそれとは異なる面が強い。たとえば同人誌における18禁作品の比率が低いことなどもひとつの特徴だ。これはそもそも東方キャラの大部分が女性で占められていることもあるが、同人誌の描き手に若い一般層寄りの人が多いことが背景にあるのだろう。そして、そこには従来型の萌え志向とはすこし距離を置いた独自のキャラクターデザインのスタイルが見えてくる。 東方キャラは原作の絵の独特のタッチもさることながら、きわめてオリジナリティーに富んだ設定をもっている。まず、登場人物のほとんどが妖怪・妖精であるというのが新鮮だ。水木しげるの「ゲゲゲの
昨日博麗神社例大祭に行ってきて(結局中に入れなかったが)いろいろな考えをもち、友人たちにも電話でこの状況を伝えて意見を交換した。彼らはそのある種の「異常な状況」に驚いていたようだ。一方の人はそもそも東方にあまり接する機会がなかった人だし、もう一方の人は東方のゲーム自体はずっと前から触れていたが、二次創作の現場での状況がここまで膨張しているというのは意外だというようなことを言った。 私自身は二次創作ジャンルとしての東方が突出しはじめているという印象をもったのはニコニコ動画における「幻想入りシリーズ」の発生だ。その詳細は下記リンクのまとめサイトを参照して欲しいが、要点を言えば動画作成者本人が幻想郷という物語世界に入って、東方キャラと接し、さまざまな体験をするという物語を紙芝居的に描いたものだ。まとめサイトによれば現時点で591人が「幻想入り」しているという。 これまでの二次創作では、作者本人が
単に私の勉強不足でそういうものが既に存在しているのかもしれないが、存在すればすぐ聞こえて来ると思う。というか絶対使う。マーカーペン機能というのはつまり「他人が書いたWeb記事のテキスト」の一部に「見かけ上」のアンダーラインを引いたり、テキストそのもの色を変えたりする機能だと思ってもらえばいい。たとえばコントロールキーを押しながらマウスないしタブレットでさーっと特定の部分をなぞるとアンダーラインなり色のゾーンなりが形成されると便利だと思う。リンク文字の色の変化機能(クリックしたあと青文字が紫文字になったりするやつね)の拡張版のようなものだと思ってくれてもいい。いったんテキストにそうやって印をつけておくと、時間が経過して同じページにアクセスしにいくとちゃんとその印(履歴)が残ってくれているわけだ。むろんその情報は自分のPC上で管理されているものだ。 あるとめちゃくちゃ便利な機能だと思うんだけど
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